第10話 友とは

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「アルバート殿。先日は大変お見苦しい姿を晒したことを謝罪いたします」


 アルとヴェーラが戻ってきてから数日後。

 アリエルは、父であるダンスタブル侯爵家当主と共に、アルとの対話に臨んだ。お互いに従者や護衛は抜きでだ。


 彼らが戻ってきた直後。

 早急に再度の話し合いをと考えていたアリエルだったが、諸々の根回しなり後始末に奔走し続けたことで、既に肉体的にも精神的にも消耗していた。これでは冷静な話し合いはできないと判断し、彼女は一先ずは己の休息に時間を割いたのだ。


 ちなみに……奇声を発しながら、頭を搔きむしって地団太を踏む、さる高貴なご令嬢の姿を目の当たりにして、流石のアルも『あ、ちょっとやり過ぎたかな?』と反省した。ほんの数秒ほど。


 さる高貴なご令嬢アリエルは醜態を晒しはしたが、自身のミス……安請け合いを棚に上げて、アルのことを罵倒しなかっただけでも大したもの。その辺りの分別と自制心は残っていた。『出し抜かれた自分が悪い』と、ハッキリ認識している。

 そして『このまま話をすると更に付け込まれるッ!』と思い止まり、休息に時間を割いたのは英断だったと言える。再会後の父エイベルから、唯一及第点を貰った行動がソレだった。


 エイベル・ダンスタブル侯爵。当主。爵位を持つ者。

 齢は五十のいくつか手前。顔立ちは精悍であり、その見た目はかなり違うが、何処かアリエルと重なる雰囲気もある。特にその瞳。強き意志と覇気に満ちている。逆。彼の面影をアリエルが受け継いでいると言うべきか。


 ただ、愛娘アリエルと決定的に違うのは、彼は机上の政争だけではなく実際に「戦える者」であること。それも己の戦い方を熟知している一流の魔道士。


 いまはゆったりとソファに深く腰掛けており、そのマナも穏やかではあるが……臨戦態勢の範疇。彼はファルコナーの者がどういう存在かも知っている。


 アルはほんの一瞬でエイベルが只者ではないことを肌で感じた。

 そもそも通された執務室には護衛の類が居ない。潜ませている者すらだ。それは内々の話をするために相手への信頼を示しつつ、いざとなった際、自らの力で場を切り抜けるという気概……武力を誇示する行為。


 この距離でファルコナーの者を相手取ることが、如何に危険なことかをエイベル自身が重々承知の上でだ。蛮勇に非ず。それは単純な武力での勝ち負けへの拘りではない。舐められたら負けだという貴族の矜持。


「(都貴族と言えど、流石に大貴族家の当主。独立派を纏め、王家と交渉しようって御方だ。当たり前だけど、ただの政治屋なんかじゃないな……)」


 実のところ、アルは東方への旅の中でアリエルの為人ひととなりを知り、派閥の考えを聞き、独立派の動きに協力するか、呼応することを考えていた。


 まずはアリエルから信頼と言質を引き出し、それを踏み台にしてダンスタブル侯爵その人へ接触する……そんな絵図をぼんやりと描いていた。


 ただ、あくまでも即興劇のようなモノであり、そう上手く事が運ぶとは思っておらず、機会がなければ静観するという考えもあった。

 しかし、想像していた以上にアリエルが勢いよく餌に喰いついた為、アルの方こそ『もしや罠か?』と疑っていたほど。結局はアルの杞憂だったわけだが……してやられたアリエルからすると……奇声を発するくらいは仕方あるまい。


「さて? 僕にはアリエル様のお見苦しい姿とやらを拝見した記憶はありませんね」

「……お心遣いに感謝いたします(このヤロウ……ッ!)」

「(はは。マナが揺らいでるよアリエル様。貴族に連なる者なら、この程度はさらりと流さないとね)」


 そんなアルと愛娘アリエルのやり取りに嘆息するのは、当主であり親でもあるエイベルだ。


「アリエルよ。そなたはまだまだ甘い。机上の争いに交渉事、その覚悟のほどは立派だが、暴力戦いを友とする者との距離感が分かっておらんな」

「……も、申し訳ございません」


 己の未熟さを認め、瞬時にマナを鎮めた上で、アリエルはこの場を当主に預けて置物に徹すると誓う。しかし、当主であるエイベルの愛娘への𠮟責は、ここからが本番だった。


「まずは掛けてくれアルバート殿よ。……先に少し身内の恥晒しで時間を貰うが良いか?」

「え? えぇまぁ……お構いなく」

「……?」


 アリエルはまだ理解していなかった。かつて、エイベルも通った道であり、言葉には重みが宿る。


「アリエルよ。そなたは此の度、アルバート殿に『協力者』として話を持ち掛けたな? 共に戦って欲しいと」

「……? は、はい。その通りです」


 アルはエイベルのその語りから瞬時に悟った。『エイベル様はファルコナーを知る御方だ』と。つまりは、自身の企みや手の内が既に読まれている可能性があるというところまで想定する。


「恐らくアルバート殿への……ファルコナーの者への配慮だったのだろう。一族の流儀を守りつつ、清濁併せ呑みながら古き貴族の在り方を体現する者だ。ダンスタブル家に……己に忠誠を誓わせる事に引っ掛かりを覚えた。ありのままのアルバート殿に、納得の上で協力者としての立ち位置を求めた。……違うか?」


 エイベルはソファに座り、アリエルはその横に立ったまま。彼はチラリとも娘を見ない。その瞳は対面するアルを写すのみ。その注意の全てはファルコナーの者に注がれている。


「…………はい」


 アリエルは自分が何を言われているのかを、ここである程度理解した。甘さへの指摘。


「それが間違いなのだ。そもそも、そのように仕向けられていた。私はアルバート殿個人を知らぬが、かつてファルコナーの者と知己を得たことがある。彼の者達に信頼や友誼を向けるのは別に構わない。だが、それは彼らからすれば付け入る隙なのだ。アルバート殿がいつから画策していたかは知らん。だがアリエルよ。そなたが彼への配慮を口にした時点で、結果は確定していたのだ。……ファルコナーの者は、自らが“身内”と認めた者以外からの信頼や友誼は平気で利用する。彼らはそういう“生き物”なのだ」

「…………」


 言葉として聞けば身も蓋もない。ファルコナーは心の無い悪魔かと。

 しかし、エイベルは正しい。正しくファルコナーを理解している。


 アルは平静なままに、ダンスタブル侯爵への警戒を増す。それと同時に信頼もだ。


「アリエル。此の度の一件、己が向けた信頼をアルバート殿に利用されたこと……多少はショックだったか?」

「…………は、はい。動揺がないわけではありませんでした」

「その一点だけで勘違いするでないぞ? アルバート殿はアリエルのことを確かに友として見ている筈だ。……どうだアルバート殿?」


 大貴族家の当主の問い。問うた本人はその答えに確信を持っている。


「(まいったね。こりゃ完全に“生態”を把握されてるな……)」


 アルは内心でやりにくさを感じながらも、表面上は動じない体で応じる。


「ええ。僕はアリエル様のことは『友』であると思っていますよ」

「……?」


 アルとエイベルの間では相互理解があるようだが、二人のやり取りを前にして、アリエルの混乱に拍車が掛かる。

 彼女は、今回の一件でアルにしてやられた。自らの信頼を利用され、手玉に取られた。いまはアルのことを潜在的な政敵のようなモノと見做している。とても『友』とは思えない。


「……アリエルよ。ファルコナーの者は分かり難いが、同時に分かり易いのだ。此の度の一件を振り返ってどうだ? オルコット領都に混乱をもたらし、要らぬ労力を掛けられたのは確かだろうが……結果は? アリエルやダンスタブル侯爵家、オルコット子爵家が致命的な打撃を受けたのか?」

「…………い、いえ……其処までの事は……」

「そうだ。此の度、そなたは自らの無能を晒すことになり、当然にその責任を負うが……最後の一線で言い訳することも出来る。『ファルコナーの者に出し抜かれた』とな。決してアリエル・ダンスタブル侯爵息女の本意では無かったと……」

「……ッ!?」


 ファルコナーの者は身内を優先する。

 身内が不利益を受けるなら、その正邪や善悪に関わらず、身内を守るのは当然のこと。仮に命を投げ出す結果となろうともだ。


 身内程でないにしても、その方向性は『友』に対しても同じ。

 友と認めた相手が、決定的な不利益を被るようなことをファルコナーの者はしない……筈だ。たぶん。きっと。恐らく。


「教会の暗部を始末すること自体は、やろうと思えば我々にも出来る。大義名分や法、後始末の面倒さを無視すればな。だからこそ、平時においてはオルコット家も手をこまねいていたのだ。それがどうだ? 後始末は確かに厄介ではあるが、アルバート殿に出し抜かれたというそなたの恥に目を瞑れば、今回の結果は上々ではないか?」


 辺境貴族家と言えど、アルにも分かっていた。立場によって動くに動けないこともある。単純に敵を殺して終わりでは済まないということ。

 今回の教会の暗部粛清に関しても、途中からはダンスタブル侯爵家の見張りに張り付かれていた。アルに出来ることは、精鋭である彼らにも出来たはず。


「ファルコナーの者とは、緊張感を覚える程度に距離を保つ方が良いのだ。流儀に反しない限り裏切らないが、全幅の信頼をおくには、彼等の“善意”は血に塗れているからな」


 エイベルの過去。ファルコナーの者との関わり。それは今回のアリエルと同様に、彼個人にとっては苦々しいモノではあったが、自分には出来なかった事をアッサリとやってのけた痛快さもあった。


『気に入らねぇならぶっ壊しゃイイんだよ。アンタに出来ないなら、オレがやってやるさ。バレた後はオレが勝手にやったと言えばイイ』


 エイべルの在りし日の友との思い出。

 此の度の騒動と違い、アリエルのように恥さらしと労力の提出だけでは済まなかった。


 ある時、裏に表にとやりあっていた、ダンスタブル家の政敵となる貴族勢力の大手の一つが始末された。その手際は見事。証拠を残さず、単純な武力に、毒に、火計に、謀略による同士討ちに……と、それぞれの貴族家当主はもとより、主だった継承者や私兵団の大多数が死に誘われた。

 都貴族家同士の暗闘ではあり得ない、常識破りの所業。

 当時、貴族区はおろか、国家の中心たる至尊区にまで血の雨が降った。


 証拠はない。しかし、主だった者は確信していた。ブライアン・ファルコナーの仕業だと。

 その粗暴な言動と見た目からは想像できないほどの計算高さや、痕跡を残さぬマナ制御、その上で王家が介入を検討する……そのギリギリを見極める引き際の良さがあった。ついでの火事場泥棒とばかりに、動くたびに金品をくすねていく手癖の悪さまで。

 その金を元手に、ブライアンは王都から姿をくらませ、各地を放浪することに繋がるのだが……それはまた別の話。


 結局、ダンスタブル侯爵家は表だって事件への関与は認められなかったが、先代となる当時の当主が密かに王家から叱責を受け、責任を取る形でエイベルへの爵位継承が早まってしまったほどだ。

 そして、当のブライアンも騒動を発端として、王家から“とあるモノ”を押し付けらる結果となってしまう。


「アルバート殿よ。私はな、今回の一件でアリエルのことを見直したのだ。ファルコナーの者と“利用し合う”程の者になったのかとな……くくく」

「……タネを明かすなら、せめて僕の居ない所でして欲しいものですね。何だか僕が間抜けみたいじゃないですか?」

「まぁ世代を跨いだ意趣返しだと思ってくれていい。それに、いまの情勢のオルコット領都に、貴殿を解き放ったのが間違いだったのは。おかげで要らぬ者たちを刺激することにもなったからな」


 余裕があるように接しているが、エイベルも今回のアルの動きには振り回された。

 彼が語る言葉は本音だ。愛娘が、古き貴族を体現するファルコナーの者に利用される……つまり“認められる”というのは、ある意味では誇らしい。


 ただ、エイベルも思う。『何故に今なんだ!』『もう少し情勢を考えろ!』『躊躇の無さがブライアン卿と瓜二つか!』……と。


 教会の暗部の始末に関しては、エイベル……独立派にもそれなりの考えがあった。


 アルが想定し、実際にそのような流れになっている教会の分裂。その混乱の渦中で、主流派に貸しをつくるエサや踏み絵として、オルコット領都に潜む教会の暗部を泳がせていたという面もある。


 そんな中での今回の騒動だ。相手も警戒して更に深く潜むことになってしまった。それなりに数を減らせたのは僥倖ではあったのだが……独立派側の予定にはなかったことだ。


「(更に深く潜んだ連中であっても、アリエルが『始末してくれ』と頼めば、アルバート殿は了承するだろう。だが、その瞬間に彼とアリエルの友諠は終わる)」


 アルはアリエルをそれなりに認めている。

 ただ、エイベルが考えるように、彼女が一方的な功利でアルを動かそうとするなら、その関係は終わり。下手をすれば、あっと言う間に敵へと早変わりだ。


 ファルコナーは、身内以外には友と言えども手厳しい。


「アルバート殿よ。今回の一件はアリエルが未熟故に踊らされたのは認めよう。後始末は全てダンスタブル家が受け持つのは当然のことだ。……その上で、オルコット領都での教会暗部の始末はここらで終わりにしてもらいたいのだが?」

「ええ。それは勿論です。残った連中にも、それなりの利用方法があるのだろうことは承知していますよ」

「…………」


 そんな二人のやり取りを見ながら、アリエルには語る言葉が無い。内心で絶句したまま。ファルコナーの友諠の意味が解らない。


「……それで? 刺激してしまった要らぬ者とは……クレア殿の一派ですか? それともルーサム家?」


 アルは確信した。

 エイベル・ダンスタブル侯爵とは『良い関係』でいられると。いざとなればファルコナーを切り捨てることさえする。一時の情に流されて判断を見誤るようなことはない。そして、ファルコナー暴力に際限なく頼ったり、酔ったりすることもない。


 お互いに利用し合う。

 それが正しいファルコナーの者との付き合い方だとエイベルは理解している。一方的に暴力や権力で押さえつけるやり方が最悪手だと……エイベル・ダンスタブル侯爵はその身を以て知っている。


 それはアルにとっても安心材料となるが……彼が『友』と認めたのはエイベルではない。


「残念ながら違うな。むしろクレア殿やルーサム家の主流は大峡谷に引き籠って、魔族領に残った連中と何やら争っている。託宣に引き摺られる者たち……託宣の残党とでも言うか。そんな連中は教会だけではなく、都貴族や王家側にすら居るということだ。……アルバート殿の意図を察した者が動き出している」

「……なるほど。少しやり過ぎましかね? 残党たちの結束と暴挙を早めましたか?」

「いまはまだ分からん。だが、それらを含めて後始末は我らの仕事だ。王家との交渉も残すは詰めの部分だけだからな」


 エイベルは平静に語っているが、要は『お前はもうこの件に手を出すな』ということ。そして、それを真にアルに伝えるのは自分ではなく、彼の『友』である愛娘だということも理解している。


「……それでアリエルよ。そなたはこの先、アルバート殿に何を望む?」

「…………」


 エイベルはようやくにアリエルを見る。じっと彼女を見つめる。

 父と娘。その強き意志の宿る翡翠の両眼が対となって交叉した。


 次の一言がアリエルの先行きを決める。

 ファルコナーの友として歩むか。彼らの流儀に反する者として死ぬか。それとも、今回の一件で懲り懲りだと距離を取るのか。


 エイベル・ダンスタブル侯爵は、如何な結果であっても受け入れる。その結果が娘の死を招くことであっても。そこには貴族家当主としての冷徹さがある。


 アリエル・ダンスタブル侯爵令嬢の岐路は、本人の覚悟もないままにいきなり訪れていた。



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