第9話 何も出来ない

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 助祭フランツの話から数日。

 それとなく教会周辺で彼を見守る……見張るアルの姿があった。

 勿論、この姿も既に近所では噂になっている。


「(あれ以来、僕が何を話し掛けても微笑むだけだしなぁ。せめて決行……童貞が散る日がいつなのかだけでも教えて欲しい。前なのか後ろなのかは聞かないから……まぁ教えてくれるわけもないか)」


 フランツの生活はほぼ一定のリズムで毎日変わらない。多少、買い物の日や時間がバラける程度。本人の行動は読みやすいのは良いが……イレギュラーが起こる予兆が分からない。


「(男か女か知らないけど、王都民が眼中にないというなら、貴族かそれに連なる者か。でも、貴族区に邸宅を持つほどの者が、こんな酔狂なことはしないかな? 言っちゃ悪いけど住む世界が本当に違う。連中は、僕みたいな辺境の男爵家と民衆の区別もないほど“上”の身分。

 フランツさんの相手は、民衆区の小金持ちな都貴族あたりだろうと思うけど……)」


 フランツ助祭を“買った”という人物が誰なのか。


「フランツ様! おはようごさいます!」

「これはこれは……おはようごさいます。メアリさん」


 数少ない教会の訪問者。いや、フランツへ来客。メアリという少女。朝の礼拝に必ず参加している。他には誰も居ないことが多く、二人で時間を過ごしている。

 アルが観察を始めてからも毎日見掛けている。恐らく、ずっと以前から続く二人の習慣なのだろう。

 彼女はフランツに対して、助祭と信徒……以上の好意を寄せているのが、新参のアルにも分かるほど。


「……フランツ様。また痩せられましたか……? ちゃんと食べれないなら……教区を変わるのも……」

「メアリさん。ありがとうございます。しかし、何度言われようとも私はこの教会を離れる気はありませんよ。その気持ちだけ受け取っておきます」


 完全にのぞき魔の気分だ……アルがそんな風に意気消沈している間も、フランツ助祭の日々は過ぎていく。



 ……

 …………



 そんなある日。

 アルが気付く。『今日だ』と。

 いつもの如く、メアリが朝の礼拝に訪れた際、フランツは彼女に今日の礼拝は事情により行えないことを伝えていた。遠くからだったが、アルは身体強化を聴力を集中して聞き取った。高機能なのぞき魔。


 規則正しいリズムから、完全にイレギュラーな出来事。


「(女神の徒として、性行為をする前に礼拝を執り行なう……というのは流石に気が咎めたのかな?)」


 その後、その他は概ねこれまでのリズムだったが、夕方になってから、フランツは民衆区にある大衆浴場へ向かう。


 この世界では、生活魔法の『清浄』があるため、アルの前世と比較できるほどに清潔が保たれている。

 その影響なのか、湯浴みは嗜好品や贅沢な趣味のような扱いになっていたりもする。

 なので、一般の民衆が湯浴みをするとなれば、結婚前だったり、大切な仕事の前後だったり……何らかの意味が込められていることが多い。そして、一番多いのが性行為の前とも言われている。


「(あれ? 僕は結局どうしたらいいんだ? 流石に現場を覗く必要はないけど……相手だけはハッキリさせるか? でも、それからは? 相手が支援を反故にするっていうのも、あくまで勝手な推測だしなぁ。駄目だ。何となくで行動して、先のことをちゃんと考えてなかった……バカか僕は……)」


 アルは今更気付く。フリークエストの前日譚が進行中ということで、少し心が動かされたが、アルには先の展望がまったくない。

 フランツ助祭がお買い上げされ、とある高貴な方と一夜を共にする。……だからどうした?

 アルには教会を救う金もなければ手立てもない。そもそもあの教会自体を救うつもりなど欠片もない。

 ただ、フランツが報われぬまま死霊となるのが、何となく嫌だったというだけ。


「……はぁ……だけど、それもフランツ助祭の人生か……彼は既に覚悟を決めていた。その覚悟を覆すなんて、ポッと出の僕じゃ無理だ……もう心を無にして、淡々と本編開始までの参考程度に考えるか……?」


 大衆浴場から出てきたフランツ助祭は、既に助祭服ではなく民衆に紛れるかのような平服。そして、その足取りは外民の町から遠ざかっていく。

 馬鹿な自分に失望しながらも、アルはフランツ助祭を追う。



 ……

 …………



 アルの予想に反して、フランツ助祭は民衆区でも富裕層や貴族家が立ち並ぶ一角ではなく、中心部にあり多少値が張る程度の一般民衆向けの宿へ消えていく。


「(あれ? とある高貴な方がこんな宿に?)」


 アルは疑問を感じながらも少し間を置き、気配を可能な限り消して宿の中へ。

 他の多くの宿と同じく、一階部分は食堂兼酒場となっているが、この宿は少し品のある高級志向のようだ。外民の町のような騒々しい安酒場とは一線を画す、しっとりとした静けさのある雰囲気。

 外は夕闇に包まれつつあり、夕食をとるには違和感のない時間帯。既にテーブル席にはちらほらと客がいる。


 アルは自然な仕草で周囲を確認し、バーカウンター席の壁際にフランツ助祭の姿を見た。

 二つほど席を空けた場所に座るメアリの姿も。


 バーカウンター席に座るのは不味い。

 ウエイターへ声をかけ、一人でもテーブル席で良いかを確認し、席料を先に支払いアルは席に着く。

 流石にバレたかとビクビクするも、二人はどちらもアルに気付いた素振りはない。

 というよりも、席は離れており、言葉を交わすこともないが、フランツ助祭とメアリは熱い視線で見つめ合ったまま。グラスを傾けることすらない。完全な逢引きの現場。


「(何だかなぁ。これじゃ本当にただの覗き魔じゃないか…… 二人はそういう関係なのか。フランツ助祭、あの時の話振りだと、清廉な体です! みたいな空気だったけど……一杯食わされたか。いや、僕が被害者ぶるのもおかしいか。ストーカーな覗き魔だし……はぁ)」


 アルは店のおすすめとなる一品と蒸留酒を頼む。何だか馬鹿らしくなり、せめて食を楽しむかと心を切り替える。ちなみにこの世界に飲酒制限などはない。あまりに幼いと止められるが、基本は自己責任だ。


 出てきたのは薄い衣の白身魚のフライ。

 軽くフォークと突き刺すとサクリという手応えとその後はフワっとした感触。

 突き立て穴からは身の油と湯気が。間違いなく美味いと確信させる香り。


 この世界では魔道具の普及もあり、冷蔵庫や冷凍庫、高温を発したり一定温度を保つことのできるコンロと同等の物まである。内陸である王都でも、ある程度の新鮮さを保った海の幸を食することもできる。

 また、食事の味付けなどもアルは特に違和感もない。前世の味覚であっても美味いと感じる物が多い。この辺りは元々がゲーム世界だからというのもあるのかも知れない。


「(あーあ。やってられない。自分の馬鹿さ加減を自覚した上、逢引きを覗くだけって…… あぁ美味い。このフライが絶品なのがまだ救いか……)」


 フライをもぐもぐ、酒をちびちびしながらも、アルは一応、フランツ助祭とメアリの気配を感知している。

 特に動きはない……と思っていたら、何やらハンドサインのような指の動き。


「(は? 何だ? 偶然や無造作な指の動きじゃない。明らかに何らかのサイン。メアリへの指示か?)」


 これまでうっとりしながら熱い視線を交わしていた両者だったが、ここでメアリが席を立つ。かと思えば、今しがた入ってきた客に近寄っていくが……アルは気付く。纏う空気から、メアリが『殺る気だ』と。


「きゃッ……!」

「ッ! おっと……これは失礼。お嬢さん」

「……い、いえ、こちらこそ失礼致しました。少し酔ってしまったようで……申し訳ございませんでした」


 さり気なくぶつかり、即座にペコペコと頭を下げるメアリ。問題はないとばかりに鷹揚に応える紳士。

 丁寧に謝罪をしながら、メアリは店の外へ去っていく。

 紳士は予約客だったのか、ウエイターに案内されて奥の半個室のようなテーブル席へ。


 メアリのいまの一連のやりとり。

 それをさり気なくだけど鋭い気配で観察していたフランツ助祭。

 一気にきな臭くなってきた。このゲームのイベントは血生臭い物が多い気がする……と、アルは密かに嘆息する。


「(メアリ……笑顔が素敵で、年上の助祭に恋する純朴な少女だと思っていたのに……ぶつかったとき、さり気なくあの紳士の手に針を刺したな。ほんの軽く、皮膚を薄く破る程度。かなり強力な遅効性の毒か? 既にフランツ助祭の気配が緩んでる。目的は達した。つまり、もうあの紳士は助からないのか?

 利害関係も背景も解らないけど……フランツ助祭とメアリは職業的な暗殺者っぽいな。まったく。メアリのマナは気にして感知してなかったけど……多少の魔法が使えるのか。

 ヒト族は本当に殺し合うのが好きだね。その点、ファルコナーは単純で良かった……目の前の魔物をぶっ殺すだけ。あぁ……まさかあの戦場の日々を懐かしむことになるとは……)」


 アルは先ほどとは別の意味で馬鹿馬鹿しくなる。

 フランツ助祭とメアリがどのような経緯で“こう”なったのかは知らないが、フリークエストである『廃教会の主』の前日譚を追いかけていたら、死霊となった助祭は、実は生前は暗殺者だったのです! ……ああ、そうですかとしか言えない。


「(はぁ。もうこのイベントに関わるのは終わり。フランツ助祭が死霊になる経緯なんてどうでも良い。さっきチラッと考えたように、あの教会が廃れていくのは、本編が始まるまでのカウントダウン的な扱いでいい。……帰ろう)」


 魚のフライの残りを口に放り込み、グラスに残っていた蒸留酒を一気に呷る。


 アルは店を出る。



 ……

 …………

 ………………


 

「さっそくとは。まったく仕事熱心なことだ」

「…………」


 敢えて裏道を通ったのには、アルにもそれなりの思惑があったからだが……まさかさっきの今で、そのまま襲ってくるとは思ってもみなかった。襲撃があるとしても、せめて別の者が来るはずだと。


 メアリ。

 だらりとした自然体な構え。

 その瞳は空虚。特に感情を写していない。

 アルが予想していたように、彼女は戦士ではない。職業的な暗殺者。戦うことではなく、殺すことに特化した者たち。


 暗殺者が、殺す対象の前に『いまから殺します!』と姿を見せること自体がおかしい。


「(だけど伏兵の気配はない? ……何がしたいのかが読めない。メアリの実力で僕が殺れると思っているのか? 魔道士にも関わらず、コリンにすら劣る程度の身体強化しか使えないのにか? 下手すれば生活魔法の『活性』の方が強いぞ?)」


 メアリは独特なリズムの呼吸から、ゆらりと体を大きく倒し……一気に踏み込む。彼女にとっては必殺の間合いへ。その手には、反射を抑えるため刀身を黒く塗った短剣。


「(なんだ? 本当に何もないのか?)」


 間合いへ入った瞬間。だんッと、更に踏み込み短剣が疾走る。アルの命へ向かって。


「……シッ!!」

「……遅すぎるだろ?」


 ごく軽い感じでメアリの手首を掴む。……と当時に、アルは瞬間的に身体強化を発揮し……折る。


「……アガッ!?」

「……え? 本当に無策? 正面からだけ? なんで?」


 頭の中に疑問が一杯ではあるが、アルもまたファルコナーの狂戦士。その身体は敵を殺すためにほぼ自動的に動く。


 流れる動きでそのまま相手の膝を前蹴りで砕き、メアリの膝は本来は曲がってはいけない形に。

 彼女がその痛みを知覚するか否かという速度で、次は掴んだ手首を引き寄せながらの頭突き。


「…………ごッ!?」


 終わり。

 

 糸の切れた操り人形のようにメアリは崩れる。

 アルが掴んだ右手首以外はグニャグニャであり、完全に意識も飛んでいる。

 未だに伏兵の気配もなく、次に繋がる何らかの動きやその痕跡などもない。


「えぇぇ……? 本当にコレだけ? 何がしたかったんだ? ……とりあえず、はフランツ助祭のところに持っていく……か?」 


 アルには疑問が一杯。

 しかし、彼は自分が辺境の貴族家であるとも認識している。

 中央寄りの比較的平和な領地の貴族家とは、根本的に魔法や戦うことへの考え方や姿勢が違うというのは聞いてきたし、実際にビーリー子爵家の私兵、王都で見かけた貴族家に連なる者たちの動きやマナの流動などを実際にその目で見た。


 確かに違うと感じた。常在戦場とは程遠い現実。しかし、郷に入っては郷に従えという、前世の記憶も持ち合わせているアルのこと。


 この王都においては、自分の方が異物なのだから、周りに対してはこちらが合わせるのが正しい。そう考えて、可能な限り実践している。


 もっとも、あくまでアルが気にしているのはマナの流動などについてであり、その日常的な行動については、常軌を逸した不審者として警戒されていることは気にしていない。


 何故なのか。



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