第91話 『森の魔女』ちゃん

「そ、そういえば、私の体、早く拭いてよ」


「おっと。そうだったね」


 彼女は、思い出したように、床に置いていたタオルと桶を持ってベッドに座った。桶に入っているお湯でタオルを濡らし、「ん」と一言。それを合図に、私は、パジャマを脱いで彼女に背中を向ける。


「じゃあ、拭くよ」


「お願い」


 背中にタオルの感触。温かなそれが、ゆっくりと上下に動かされる。背中がスッと冷たくなり、汗のせいで感じていた気持ち悪さが、少しずつなくなっていく。


「魔女ちゃん」


「……なに?」


「気を付けて」


「……私は大丈夫。それより、あなたも気を付けて」


「分かってる」


 彼女は、私の昔からの知り合いだ。私を狙っている連中が、彼女を人質にするなんてことも考えられる。まあ、情報通である彼女のことだから、狙われる前に逃げるなんてこともできそうだが。


 それからしばらくの間、私たちはお互いに何も言葉を発さなかった。私の体を拭く彼女。されるがままの私。何とも言えない不思議な空間が、部屋の中に広がっていた。







「じゃあ、魔女ちゃん。ボクは帰るね」


「うん。ありがとう」


 彼女にお礼を言いながら、私はベッドに横になった。何だか言いようのない疲労感が体を覆っている。もうひと眠りしておきたい。


「あ、そうだ」


 不意に、彼女が何かを思い出したような声をあげた。


「どうしたの?」


「また、役所から依頼があるらしいから、そのつもりで」


「えー……。面倒」


「そんなこと言わずにさ。前みたいに、ボクの会社に役所の人が乗り込んでくるなんて御免だよ」


「むう……」


 不貞腐れる私。そんな私に向かって、彼女は告げる。おそらく、その言葉は、過去を忘れたい私に対する、彼女なりの配慮だったのかもしれない。


「お願い。『森の魔女』ちゃん」

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