第41話 サクラ サク頃・4
「ごめん雫」
「いいよ、みーちゃん」
「ほんとにごめんね」
「謝らないでよ、仕方ないよ」
楽しみにしていた大型連休、久しぶりに会えると思っていた約束が反故になった。
理由は、みーちゃんのお母さんが入院したという。
「早く良くなって退院出来るといいね」
「ありがとう、雫」
ぽっかりと空いた時間。
テレビを付けると、道路の混雑とか家族連れで賑う観光地の紹介などが流れていた。楽しそうだな。
理由が理由だけに、誰も責めることが出来ない。誰も悪くないから。
はぁぁ、何しようかな。
天気が良いのでシーツや枕カバーも洗濯しよう。大掃除とまではまでいかないが、丁寧に掃除もしよう。
軽く汗をかき、掃除を終えたらお昼近くになっていた。シャワーでも浴びようとしていたところに着信音が鳴り響いた。
「部長代理?」
休みの日に連絡があるなんて、今までなかったことだ。
「はい」
「大石さん、お休みのところごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。何かあったんですか?」
「実はね……」
指定されたマンションのエントランスへ車を停めると、程なくして現れた部長代理。歩き方がぎこちない。顔は無表情だ。
「お待たせしました」
「ありがとう、大石さん」
荷物を受け取り、ドアを開け、助手席に座ってもらう。
「大丈夫なんですか?」
「痛み止めと湿布と気合いでなんとか」
カーナビに行き先を入力しながら答える顔は、少し苦しそうで。
「では、お願いね」
「はい」
「ふぅ、無事に終わったわね」
「おつかれさまでした」
世間は連休でも、稼働している会社も働いている人もたくさんいる。
クレームがあれば対応する。
今日も営業スマイルは一片の曇りもなく完璧だ。まるで痛みなんてないように振る舞って。流石の部長代理だ。
「今日はありがとう、予定あったんじゃないの?」
「たまたまキャンセルになりまして、暇してました」
「あら」
「お役に立てて良かったです。運転だけですけど」
「ううん、隣にいてくれただけで心強かったわよ」
「それより、病院行かれた方がいいんじゃないですか?」
終わった瞬間から、痛そうな表情をしていた。
「いや、寝てれば治るよ、ギックリ腰なんて」
「もしかして、病院嫌いなんですか?」
「えっ、いや、そんなことは……ある」
マンションに到着して車から降りる時「あいたた」と思わず部長代理の口から溢れた。恥ずかしそうに、痛み止めが切れてきたかなぁと、釈明のように小さく言う姿が、なんだか可愛く思えた。
「歩けますか? お部屋まで送りますね」
「ありがとう」
部屋の前まで行くと「良かったら寄っていって」と誘われた。
「えっ」
「あ、ごめん。パワハラだったかしら、無理にとはーー」
「お邪魔します」
「ん、どうぞ」
ドアを開けた瞬間、奥から「おかえり〜」という大きな声がして心底驚いた。
パタパタと近づいてきた足音の主は、小さな男の子で。
「龍空、ただいま。お姉さんにご挨拶してね」
「いらっしゃい......ませ」
「あ、お邪魔します」
ペコリと頭を下げて、奥へと走り出そうとして転んだ。
「あっ、大丈夫?」
思わず手を出そうとすると。
「あぁ、大丈夫。生まれつき足が不自由でね、転び慣れてるから」と、部長代理は余裕の笑みだ。
「お子さん……ですか?」
「うん、かなり驚いてたね」
「すみません、知らなくて」
「いいよいいよ、極一部にしか知らせてないからね。ちなみに旦那はいないから、リラックスしてね」
「あ、はぁ」
お茶の準備をしようとしていたので「私がやります、横になっててください」と代わった。
「痛み止め飲むなら、何か食べた方がいいですよね、私が作ってもいいですか?」
「え、そんな悪いわよ」
「でも痛いんですよね? 無理したらダメですよ。お子さんのご飯だって作らなきゃいけないし」
「いやそれは、なんとかするから」
「じゃ、病院行きます?」
「え……それは」
「龍くん、なに食べたい?」
「カレー」
「オッケー、お姉さんが作ってもいい?」
「いいよー」
元気の良い返事に、自然に笑みが溢れる。
部長代理を見れば、苦笑いしながらも「お願いします」と了承を得た。
「お姉さん、やばい、めちゃくちゃ美味しい」
「そう、良かった。いっぱい作ったからお代わりしてね!」
「うん」
「大石さん、今日は本当にありがとう。また改めて御礼はするから」
「そんなのいいですよ、龍くん素直で可愛いですね」
「普段より全然楽しそうにしてるんだよね、二人暮らしだから、我慢させちゃってるのかな」
そろそろお暇しようと立ち上がった時だった。
「ママ、お散歩行ってくる」と龍くんがやってきた。足には装具を付けていた。
「えっ、今日はママ行けないから」
「僕、一人で行けるよ」
「龍空、わがまま言わないの。一日くらい歩なくてもいいのよ、一人じゃ危ないから」
龍くんは部長代理を睨んで黙り込んでいた。二人の不穏な空気に耐えられず。
「私が一緒に行きましょうか?」と言うと。
「ダメよ」
「やったー」
言葉は同時だったが、行動は龍くんが早かった。私の手を取り歩き出した。
「こら、龍空。走っちゃダメだからね」
「はーい」
マンションのエントランスを出て歩道を歩く。右足に装具を付けた龍くんは、ゆっくりと慎重に歩いていく。
「毎日歩いてるの?」
「くんれんだから」
訓練? リハビリなのかな?
「そっか、頑張るね」
「僕が、ママを守るから」
「ん?」
「今はまだ何にも出来ないけど、ちゃんと歩けるようになって、ママを守るんだから」
そう言った顔は、とても誇らしげで。
「そっか、そうだよね。お姉さんも一緒だよ」
今はまだなにも出来ないかもしれないが、いつか大事な人を守りたいと思っている。
「同志だね」
「うわ、龍くん難しい言葉知ってるね」
「へへ……わっ」
「あっ、大丈夫?」
油断したためか、転んでしまった。
手を差し出すが、龍くんは自分で起き上がる。
「うん、ママには内緒ね?」
「了解です」
敬礼の真似をして、この小さな戦士とともに、三十分ほどの歩行訓練を終えて、帰宅した。
その後の連休は、特に呼び出しもなく過ぎた。みーちゃんとは何度かメッセージのやり取りをしたが、忙しいらしく電話で話すことはなかった。
ぽっかり空いた時間を、私は調べ物に使った。TOEIC以外に何か必要な資格はないものか。短大で勉強した経済も活かせればなお良しだ。
そういえば、部長代理は資格を取るのが趣味って言ってたな、どんなのを持っているんだろう。今度会ったら聞いてみよう。
その機会はすぐに訪れた。
連休も残り少しとなった朝、部長代理から連絡があった。
「おつかれさまです。部長代理、その後腰の方はいかがですか?」
「お陰様ですっかり良くなったの、それで御礼を兼ねて食事でもどうかと思って、大石さんの都合はどうかしら?」
「私はいつでも大丈夫ですが」
「それじゃ、明日の夕方ウチに来てくれる? 龍も会いたがってるから」
「喜んで、お邪魔させていただきます」
「雫、元気にしてる?」
みーちゃんから夕方に電話があった。こんな時間に珍しいなと思ったら、入院先の病院へ行くところだという。
「私は元気だよ、お母さんの具合はどう? みーちゃんもバテてない?」
「こっちは大丈夫、少し時間が空いたから雫の声が聞きたくなったの。寂しい思いさせてごめんね」
「みーちゃんのせいじゃないよ、もちろんお母さんのせいでもないから気にしないでよ。メールでも言ったけど、休日出勤してたから寂しさも紛れてたしね」
「……そう……」
「明日もね、上司のお呼ばれでーー」
「雫はいいな」
「ん?」
「楽しそうでいいね、仕事も充実してるんだね」
「え? そんなことないよ」
暇な部署に異動させられたことは言えずにいる。後ろめたい気持ちになって無言になる。
「ごめん、もう行かないと……面会時間があるから」
「えっ、みーちゃん?」
私はまた何かやらかしたんだろうか。
みーちゃんの声が、いつもと違ってた。怒ってるの?
「恋人と喧嘩でもしたの?」
何の前触れもなく、そんなことを聞かれるなんて。
「私って、そんなにわかりやすいですか?」
これでは肯定してるようなものだけど、それよりも、小林さんだけじゃなく部長代理にまでも心を読まれるなんて、恥ずかし過ぎる。
部長代理の家へお邪魔し、手料理をご馳走になった。オムライス、エビフライ、ミニハンバーグ、ポテト、コーンスープなどテーブル狭しと並べられ、子供向けメニューばかりでごめんと謝られたけど、私も大好きなものばかりで感激ですと伝えた。
龍くんと接する部長代理は、職場とは全く異なる、親としての顔だった。
龍くんも楽しそうで、見ているだけで心が暖かくなる。私も自然に笑顔になる。
いいなぁ、こういうの。家族団欒とでも言うのか? 私は、みーちゃんの顔を思い浮かべる。結局昨夜はあれきり連絡はなく、少し落ち込んだ。
龍くんを寝かしつけた後「一杯飲む?」とグラスを持ってきた部長代理の何気ない一言だったのだ。
「恋人と喧嘩でもしたの?」
「喧嘩……ではない……と思いたいな」
「ふぅん」
ハイボールを作ってくれたのでチビチビと飲んでいた。
部長代理って、聞き上手?
いつの間にか、話し込んでいた。
「大石さんさ、わかりやすいのもあるけど、自分の気持ちにとっても正直なのよね」
「それ、バカって言ってます?」
「ん? 私は羨ましいよ」
若いって素晴らしい! と拍手なんてされてもなぁ。
自分の気持ちに正直に行動して、人を傷つけたことも多々あって、反省していたはずなのに。
「それは貴女の良さだから、素直に聞けばいいんじゃないの?」
「何怒ってるの? って?」
「そうよ、それがわからなければ、こちらも行動しようがないでしょ? クレーム処理の基本よ」
「あ……はい」
「それで、その人が北海道にいるわけ?」
え、そんなことまで話したっけ?
もう、そんなに酔ってたのか、私。
「そこで旅館業を?」
嘘だ、そこまで意識がなくなるはずない。
「部長代理、ほんとにエスパー?」
「違うわよ、前に言ってたじゃない、ほら絵を描いた時に」
「え?」
「絵よ」
「あぁ……」
そうだった、少し前の事なのにすっかり忘れていた。
「それで、いつ頃の予定なの?」
「年内には」
「そう」
「あ、決まってるわけじゃなくて私が勝手に思ってるだけなんですけど」
先の事なんてわからない。
みーちゃんが、いつ迎えに来てくれるのか。ほんとに迎えに来てくれるのか。その前に別れる可能性だって。
それでも、私に出来ることは準備しておきたい。もしも迎えに来てくれなかった時にはーー
「あ、すみません」
「なんで謝るの?」
「辞めるって宣言してるみたいで、不快じゃないですか?」
「別に良いと思うよ、会社は利用するものだし、
「そんなーー」
別に部長代理のせいで辞めるわけじゃないのに。
もしかしたら、そうやって自己都合の退職を、部長代理のせいにされているのかもしれないな。
多少変わってはいるけれど、優しい人だから。
タクシーで帰宅後、みーちゃんへメッセージを送った。
何か気に障ることをしたならごめんなさいと、みーちゃんに会えなくて寂しいと、せめて声が聴きたい、話がしたい……などなど。酔いにまかせて書いた文は、少々女々しくて。
朝起きて、読み返してみて赤面したが、無情にも既読になっていた。
酔って、恥ずかしいメッセージを送った翌日の夕方、みーちゃんからの返信があった。
「退院が決まったよ」という嬉しい知らせと、満開の桜の画像が添付されていた。
綺麗……
しばらく眺めていたら着信があった。
「雫、好きだよ」
いきなり届いた、大好きな人の声。
「み、みーちゃん、どうしたの」
「あは、今ね、退院の手続きで病院に来ててね。裏庭に大きな桜の木があって、とっても綺麗なんだ」
「写真の?」
「そう、それ見てたらさ、雫に伝えたくなって」
「私もだよ、みーちゃんが送ってくれた写真見てた。私も好き」
「この前、嫌な態度取ってごめん。雫に会えなくて寂しかったんだ。雫もそうだと思ってたのに、そうでもなさそうで。会話に出てくる上司にーー雫の近くにいるってだけでーー勝手に嫉妬してた」
「みーちゃん、私だって寂しいに決まってる。でも、それを言ったらみーちゃんが自分を責めるんじゃないかって思って。会いたいって言ったら、みーちゃんを困らせると思って」
「私のことを思ってくれてたんだね」
「いつも思ってる」
少しの沈黙の後、鼻をすする音がした。
「雫、覚えてる? 雫が送ってくれた桜の写真」
「うん」
「あれから一ヶ月半くらいかな? 今日は私から送ったよね」
「うん」
「それだけの距離はあるけど、そのおかげで二回もお花見が出来るんだよ」
「お得だね」
「雫、好きだよ」
「みーちゃん、二回目だよ?」
「うん、大事なことだからさ」
満開の桜よりも綺麗な笑顔が、容易に想像出来た。
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