第40話 サクラ サク頃・3

「雫、声聞くの久しぶりだね。やっぱり安心するね」

「そうだね、それで大丈夫なの? お母さんは」

「うん、もう熱も下がったし。季節の変わり目は体調を崩しやすいんだって。雫も体には気をつけてね」

「ん、わかってる」

 四月も半ばになり、あちらも春めいてきているらしい。ここ数日は電話で話すことが出来ない代わりに、メッセージのやり取りをしていて、みーちゃんからは桜の蕾が膨らんでいる写真が送られてきた。

「あと二週間もしたら桜が見頃になるよ、ねぇその頃にまた会えないかなぁ?」

 思いがけない、みーちゃんの言葉に一気に心が躍った。

「いいの? ゴールデンウィークは忙しいでしょ?」

「ん、だから雫にこっちに来てもらわないといけないんだけど」

「それは大丈夫だよ、連休だし」

 嬉しい……もうそれだけで嫌なこと全部忘れられる。

「じゃぁ予定空けといてね」

 もちろん、私の予定は全てみーちゃんに捧げるから。




 営業四課に来て二週間ほどが経つ。

 定時に出社し定時に退社する、規則正しい生活。ゆっくり流れる時間。否、遅すぎる。まだこんな時間なの? って何度思ったことか。

 やることといえば、電話対応くらい。


「はい、営業四課ーーはい、お待ちくださいーー部長代理、広報からです」

「いないって言って」

 またか。

「申し訳ございません、ただいま席を外しておりましてーーはい、よろしくお願いします」

 私の視線に気付いた部長代理は肩をすくめた。

 一度理由を尋ねたところ「苦手なのよ」と言ったきりだ。相手が苦手なのか、仕事が苦手なのかは分からないが、それでいいのか? 仕事だよね?

「嫌なことからは逃げたっていいのよ、どうせ大した用じゃないし」

 私の気持ちを見透かしたように言い放った。



「はい、営業四課ですーーはい、お待ちくださいーー部長代理、秘書課からです」

「はい、代わりました岡林ですーーえ、社長が? わかりました伺います」

 通話を切った後、部長代理は動かなかった。通話前と同じようにパソコンで動画を見ている。

「部長代理、行かなくていいんですか?」

「これ見終わったら行く」

 マイペース過ぎる上司に、私はどう対処すればいいんだろうーーいや放っておけばいいのか。




「へぇ、楽しそうだね」

「全然楽しくないよ、もう」

 また、小林さんに愚痴を溢している。こんな話出来るの、小林さんくらいしか思いつかないからだ。

「噂どおりと言うか、それ以上と言うか。興味深い人だね、岡林さん」

「それはそうだけど」

「何が不満なの? 残業もないし、パラハラがあるわけでもないし」

「仕事がない」

「は? 最高じゃん」

「じゃないよ、もう辞めたい」


 私の言葉を聞いて、小林さんは眉を寄せた。

「暇な時は何してるの?」

「とりあえず英語の勉強をしてる。TOEIC受けようと思って」

「いいんじゃない? それでお給料も貰えるんだから、辞めたら勿体ないよ」

「でも……ないんだよ」

「なにが?」

「やりがいというか、充実感みたいなものが」

「そっか、去年までが充実してたもんね。大石さんは真面目だなぁ」

「小林さんほどじゃないよ、部長代理も認めてたよ」

「えっ、何、私のことが話題に?」

 珍しく、小林さんが焦っている。

「うん、まぁ。褒めてた……よ」

 それは……とか、光栄です……とか小さな声でモゴモゴ言ってる。

 小林さんでもこんな顔するんだなぁ。


「仮にね」

 少し落ち着いた小林さんは、いつものように話し出した。

「仮に、仕事を辞めたらどうするの? 恋人の元に押しかけるの?」

「そんなこと出来ないよ、迷惑はかけたくないし」

「ふぅん」

「それに、逃げたくない。負けたみたいで嫌だし」

「ふふ、負けず嫌いか」

「辞めたいけど辞めたくない、矛盾だぁ」

「そうだねぇ、人生矛盾だらけだね」

「小林さん、本当に同い年?」

 なんで、人生悟ってる風なんだろう。


 スマホが一度震えた。

「あっ、写真だ」

「なに、恋人さんから?」

「うん、もうすぐ桜が開花するみたい」

「あぁ、いいなぁ。そういうやり取り、してみたい。よし、私も頑張って恋人作ろ」

「あ、今日電話くれるみたいだからそろそろ帰るね」

「うわっ、私の宣言は華麗にスルーか。じゃ、最後に一言だけいい?」

「うん」

「上司に気持ち伝えたほうがいいよ、あの人ならちゃんと聞いてくれると思うからーーたぶんだけど」

「ん、そうだね」

 頼れる友達に感謝して家路を急いだ。



「おはようございます」

「おはよ、お、昨日はよく眠れたみたいだね」

「えっ」

「あれ、違う? スッキリした顔してるからそうだと思ったけど。あれこれセクハラか?」

 昨日は、小林さんに愚痴を溢しスッキリし。さらに、みーちゃんと話が出来たから気持ちが晴れやかだけど、そんなにわかりやすいんだろうか。

「顔に出やすいんでしょうか」

「ん、良いことあったって書いてある」

「すみません、引き締めます」

 両手を頬に当ててみる。

「いいよいいよ、そのままのほうが可愛い、あ、これもセクハラ?」

 コンプライアンス、難しいなぁと呟いてジャケットを脱いだ部長代理。


「あ、そうだ。今日はお昼前に社外に出るから」

「はい。部長代理、私もご一緒してよろしいですか?」

「え?」

「少しずつ、仕事を覚えたいんです」

「あぁ、そう。わかったわ、今日は社長も一緒だけどいいわよね?」

「へ、社長?」

「これも仕事だから、覚えようね」

 にっこりと笑う部長代理に対し、私の笑顔は引き攣っていた。



「えぇぇ、それで、どうだったの?」

「緊張し過ぎて覚えてない」

 連日になってしまったが、誰かに聞いてもらいたくて小林さんを誘った。

 社長と秘書さん、部長代理に私は、取引先の会社の常務らと会食をした。

「高そうな料理だったけど、全く味がしなかったよ」

 事前に、部長代理に私の名刺を渡された。

「人脈作りも大切だから、名刺交換はすること」と念を押された。


 出掛ける前に玄関で社長と合流した時のこと。

「部下を連れてくるなんて珍しいな」

「えぇ、秘蔵っ子なんです」

 なんて、部長代理が言うから。

「へぇ」と興味を持たれて、顔を覗き込まれてしまった。

 何か言わなきゃってテンパった私は、名刺を差し出して「大石です」と言ってしまって。


「マジで〜面白い! それで社長の名刺持ってるんだぁ」

「社長秘書さんもノリで名刺交換してくれて」

 私としては恥ずかしいけど、場が和んで良かったじゃないと部長代理は喜んでいた。小林さんにも大ウケだ。

「営業って、そういうもんじゃない? 恥をかきながら成長していくんだよ、知らんけど」と。


 それから、少しずつ部長代理と一緒に行動することが増えた。

 クレームに対して謝ったり、ミス後のフォローをしたり、時にはクレームと称して呼び出しておきながら、食事をしたり、思いがけず契約に至ることもある。


 私の知らない、不思議な世界だった。


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