「時間止めてる隙にパンツ覗いてもいい?」と図書委員の女の子に聞いたらぶん殴られたけど俺は諦めない

及川盛男

「時間止めてる隙にパンツ覗いてもいい?」と図書委員の女の子に聞いたらぶん殴られたけど俺は諦めない

「……ふぇすふぇ、はべれふぁいんふぁふぇぼ」


 江末(えすえ)、喋れないんだけれど。俺のその言葉は、頬に食い込んだ江末の拳によってフガフガフィルターを掛けられてしまう。なんとも間抜けな音で、微笑ましい雰囲気だと自分では思う。


「あなたの言葉をこれ以上聞く必要があると思えない」


 対して、江末がこちらへ向ける視線は氷柱(つらら)のように冷たく鋭利だった。少なくともこの半年ほど、同じ図書委員として頑張ってきた仲間に対して向けるようなものではない。


 普段から誰もいない我らが愛すべき図書室であったからよかったものの、図書カウンターに並んで座ってる二人が殴り殴られの状態になっているこの様子を通りかかりに見られでもしたら大変だ。


 おかしい。俺はただ、これからしようと思っていることについて事前に同意を得ようと思っただけなのに。


 もしかしたら何か認識違いがあるのかもしれない。江末の手の甲の温もりは心惜しいが、俺は拳と反対方向に上体を逸らし、頬を解放した。


「なあ、多分不幸な勘違いがあると思うんだ。それを解消するためにも、もう一度俺の願いを聞いてくれないか」


「……確かに、いくら時貞(ときさだ)くんとはいえ、あまりにも支離滅裂で意味不明すぎる言葉に聞こえたから、その可能性も否定できないのは確かね。じゃあ、言い直してみて」


「一旦、その手は降ろした上で、な?」


 江末の左手の握りこぶしが、すっと下される。よしよし。身の安全が確保されたことを踏まえ、俺は改めて彼女に向き直った。


「あのな。これから時間を止めるから、その間お前のパンツを覗いても良いばっ」


 江末の右拳が俺の顔にぶっ刺さる。利き腕、しかも腰の捻りを入れたそのパンチが、俺の頬と口を押しつぶした。


「さっきの認識と一分たりとも変わってないんだけど」


「ぶはっ……いや、おかしいって! 俺はお前に言われことを踏まえて、こうやってお願いしているのに!」


 その言葉に江末は面食らったように顔を顰める。全く腑に落ちていない様子だ。やれやれ、それならば改めて説明するしかない。


「昨日話したろ。時間を止めている間に行う行為が、どんな罪に問われうるのか、って」


 そう言って俺はポケットから懐中時計を取り出した。


 家の蔵の中から見つかったこの懐中時計は、上についているボタン(龍頭(りゅうず)って言うらしい)を押すと、時間が止まる。


 そう。時間が、止まる。


 本当だ。なんなら目の前の江末だってもう手に取り試して確かめており、時間を止めることができる、ということについては既に議論とはなっていない。


 正確には江末はギリギリまでごにょごにょ言っていたのだが、最終的には「観測された事実」に殉ずる決意を固めてくれた、という格好だ。


 なんで江末と一緒にそのことを確かめることになったのかは長くなるのでさておき、時間停止などというとんでもない力を手にしたことにハイテンションな俺に対して江末が横槍を入れたのが、ちょうど昨日のことだった。




 

 相変わらず人の来ない図書室。受付の椅子にぐってりとのけ反るように座りながら、懐中時計を手で振って振り子が動く感覚を楽しんだり、投げてはキャッチしたり、みたいなことをして遊んでいると、


「遊んでる暇あるなら、整理、手伝ってくれない?」


 そう言って、返却棚に溜まった図書の数々を指差す江末。


「後でいいじゃんか。どうせ今日も終わりまで、人なんて大して来ないんだしさ」


「はあ……というかそれ、そんな雑に扱って大丈夫なの? 壊れたり、失くしたりしたら不味いでしょ」


「まあまあ。どうせ大したこともできないんだし、ちょろっと遊んだらまた蔵に戻すさ」


 時間を止めることが出来る、となれば大層な力のように聞こえるが、実際にはそうでもない。


 理由はその特徴にある。この時間停止装置は止めた当人だけが動けるわけだが、文字通り動けるのは「当人だけ」。つまりそれ以外のものは小石でもボールでも水滴でも、動かすことはできないということだ。人の体を触って動かしたりだとかも当然無理だし、本のページをめくることすらもできない。


 この江末フウカという生真面目で想像力豊かな文学少女が、俺がこの時計を持っていることをよしとしているのも、その制約がある故、ともいえる。まあもう一つ理由があるけれど。


「遊ぶ? それで一体、何をするつもりなの?」


「例えば、えーと、そうだな。隣の人のテストの答案見たり」


「カンニングでしょそれ」


「……パンツ見て回ったり」


「迷惑防止条例違反。あと普通にキモい」


「…………海を歩いて渡って、海外の色んなとこ見て回ったり」


「各国の入国管理法規に違反するでしょ」


「だあっ! そりゃ最初の2つは後ろめたさあるけど、最後のは良いじゃないか、別に誰に迷惑をかけてるわけでもないし! 誰も分からず、誰も迷惑にならない行為が、犯罪に問われるのか?」


 俺の言葉に、江末はぱちりと瞬きをして、


「問われなかったら、罪を犯してもいいと思うの?」


 言葉が詰まる。彼女の瞳は真っ直ぐな瞳に気圧され、改めて自分に自問する。


 答えは、ノーだった。


「……いいや、んなこたない」


「なら、ダメでしょ」


 そう言って返却図書の整理に戻る江末。自分の思いつきが、自分の中の倫理観に照らして望ましくないことを確かめた俺は、がっかりしながらその作業に加わった。





「……私の記憶だと、そうやって理解を得られた状態で話が終わったことになっているのだけれど」


「家帰って、やっぱり諦められなくて考えたんだ。どうやったら罪悪感をなくすことが出来るか」


 江末はため息と共に手を額に当てる。ひと目見れば呆れていることが即座にわかるポーズだ。


「許可を取ればいいってことだろ。つまり事前にお伺いを立てて、合意の下にそれが行われれば、罪にはならない」


「……だから?」


「お前がうんと言ってくれれば、俺は合法的にお前のパンツを覗ける」


「……迷惑防止条例って、親告罪じゃなくて非親告罪なんだけど」


「だとしても、同意してくれればそもそも違反じゃないだろ。ドラマで主人公が他の人のパンツを覗いても、俳優が逮捕されないのと一緒で」


「……もう一度聞くけどあなたは、私のパンツを覗く許可を欲しているの?」


「そのとおり」


 どうやら、今度こそ一つの誤りもなく意図が伝わったようだ。


「お断り」


「ええっ! なんでだよ! 今更、パンツの一つや二つ!」


「そういう問題じゃないでしょ。公共の場で、私のパンツをあなたが覗き込む姿勢を取るなんてこと、恥ずかしくて許せるわけ無いでしょ。これから、どんな顔してそんなことした人と話せば良いわけ?」


「そんなの、こんなこと言い出している時点で今更だろ」


「なんでそういうとこだけ妙に達観してるの……とにかく、ダメ」


「納得いかん。だって、誰も俺が覗いたなんてこと分かりゃしないわけだし。実際には何も感じず、記憶が残るわけでもない。ちょうど、5億年ボタンみたいなもんだ。負担は無く、利益だけ。俺なら連打するね」


「大違い。この場合、ボタンはあなたが押して、利益もあなたが手にするのに、負担はわたしだけ。最悪すぎるでしょ。それにあいにく、私は5億年ボタンは押さない派だから」


「なんで押さな……いやいやそれは今はよくて。負担って、負担なんて無いだろ」


 言うや否や俺は竜頭を押した。途端にしん、と静まる世界。懐中時計の針がぴたりと止まる。周囲の空気が、そこに「在る」ものとして一気に実体として感じられるようになる、この感覚。


 時が止まった。


 虫けらを見るように軽蔑の色に染まりきっている江末の目の前で、チョキの手を作り、二度、三度振る。


 そして再び時を動かす。本当に、こうして造作もないような形で時間を止められるのが、この懐中時計の力だった。途端に江末は眉間に皺を寄せ、


「ちょっと、時貞くん今、時間を止めたの?」


 俺は時計を制服の左ポケットに入れながら、


「まあ落ち着けって。俺は今、目の前でじゃんけんの手を出した。ちょうど、これくらいの位置で」


 俺の出した手の近さに、思わず江末が身じろぐ。それくらい間近だ。


「何の手出したか、分かるか?」


「……チョキでしょ」


「……」


 しばらく言葉が出ない。思わず冷や汗を流しながら、


「……え? 見えてた?」


「バカなの? 33パーセントの確率で当たるんだから、全然そんなのテストにならないでしょ」


「そっか……って、危ない危ない。本筋はそこじゃない。別に、見えてたわけじゃないだろ?」


「それは、見えていないけれど……」


「ほら。例え俺がチョキ出す代わりに、グー出してても、屈伸してても、匍匐前進してても、そのままごろんと仰向けになっても、分からないんだって。だから、それによって生じる被害なんてものも無い!」


「ユニクロのマネキンのスカートの中でも覗いてれば? わざわざ時間止めずとも、誰の被害なく覗けるでしょ」


「ユニクロの店員に不法侵入とかでしょっぴかれるだろ」


「時間止めたらいいでしょそれこそ」


「お前のパンツじゃないと、意味がないんだ」


「え?」


 江末の目を、俺は真っすぐ見つめ返す。先ほどまでのにらみ合いの無言とは違う、お互いの考えや反応を探り合うような時間。江末の瞳が揺れる、その様子がありありと見えた。


「こんなこと、お前にしか頼めないと思ってる。自分でもアホなことを言っている自覚はある。だけどだからこそ、他でもないお前に力を貸してほしいんだ」


 セイコーの大きな壁掛け時計が、がくん、と動く音がする。窓の外から聞こえる、金属っぽい打球音、吹奏楽部の演奏の音色。それが耳に妙に染み入った。


 やがて江末が口を開いた。


「……いや、時貞くん最初、パンツ見て回る、とか言ってたでしょ。不特定多数のを覗く気満々だったってことでしょそれ」


「あー、それは」


「呆れた。ほんと最低」


 そういってツンと上を向く江末。三つ編みのおさげが揺れる。


「違うんだって、それは言葉のあやっていうか、単に世の男一般の願いを言ってみただけというか」


「このセンシティブなご時世に、そんな歪んだこと考える男なんてほとんどいないと思うけど?」


 いやいや、みんな隠すのが上手くなっただけだと思うけどな。


 江末は腕を組んで目を閉じ、そして俺に手を差しだしてきた。


「え?」


「それ、貸して」


 黙っている代わりに、お願いされたら懐中時計を貸すこと。それが江末と結んだ約束だ。法を順守しようと思ったらこの懐中時計はせいぜい瞑想や人生の見つめ直しなどにしか使えないと看破した江末が、そうした用途の時に使うために使いたいのだというのだ。


「……ほいよ」


 江末の手のひらの上に制服の右ポケットから取り出した懐中時計を置くと、彼女は直ぐにその竜頭を押した。


「全く……馬鹿正直になんでわざわざ宣言するのかな。そんなこと言ったら、拒否するに決まってるのに」


 腕組みしたまま、彼女はひとりごちる。


「罪悪感があるから? まあそうだとしても、結局自分勝手なことには変わりないけれど」


 耳の痛い話だ。


「大体、パンツを見せてでも脱いででもなく、覗かさせて、って、欲望歪みすぎじゃない?」


 確かにそうかもしれないが、世の中の全ての男はなぜかそれに惹かれてしまうのだ。好きな相手のものであれば猶更なのだけれど。


「これが高校生同士でまだよかった。もし時貞くんが社会人で私が中学生とかだったら、躊躇せず通報していたもの」


 めぐり合わせに感謝です、本当に。


「パンツ、パンツね……というか、ズルくない? 女のスカートはこの時間停止の状態でも簡単に覗けるのに、男のズボンは脱がせられないなんて」


 ん?


「私が時貞くんにパンツ見せなさいって言っても、一回ズボンを脱がさせないといけないって訳でしょ」


 おやおや。


「でもそこまで行くんだったら、パンツを脱がせたほうが絶対いいでしょ。それかワイシャツもインナーも脱がせて胸筋とか腹筋見せてもらうとか。もし取引をしたいんだったら、ちゃんとそういう交換条件を――」


 ピンポンパンポン。


『こちらは、図書委員会です。まもなく図書室は閉室となります。借りたい本がある方は、カウンターまで……』


「あ、やっべ」


 しまった。室内の自動アナウンスをオフにしておくのを忘れていた。誰も居ない部屋に、空虚に放送音が鳴り響く(ちなみに江末の声だ。声優みたいな良い声をしている)。


 江末は、目を瞑り口を半開きにした状態で固まっている。


「……あーれ、もしかして時間止まってたかな?」


 俺は伸びをしながらあくびまじりっぽい声を出してごまかそうと試みたが、どうやらダメらしい。江末はぷるぷると沸騰した鍋のように揺れながら、ゆっくり目を開き、そして手に握られたものを見た。


「……ねえ。これ、何?」


「何って、懐中時計だけど……あ、もしかしてこっちの方だったか」


 左ポケットからもう一つの懐中時計を出す。こちらが本物の時間停止時計だ。こんなこともあろうかと、古物屋で似た形の壊れた懐中時計を買ってきたのだ。


「じゃあ、俺がこれからズボンとパンツを脱ぐから、そしたら取引成立ということで」


「……公然わいせつ罪で現行犯逮捕してやるから」


 とんだむっつり警察も居たものだ。

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