自己中心的な自己犠牲

 橘が自販機から帰ってきても如月はどこか暗い顔をしていた。さっきの男に言われたことをまだ気にしているのだろうか。


「ほらジュース。俺のおごりだ」

「……ありがと」

 

 そう言って元気が無く受け取った缶を飲む如月。しばらくして噴き出した。もったいない。


「――ゴホッ! な、何コレ!?」

「お汁粉だ」

「何でよ! 冷たいお汁粉って何よ!」

「俺もビックリした」

 

 慌てて如月が缶をよく見ると本当にお汁粉だった。しっかりと冷たいのにこんなことが許されるのだろうか。そしてそもそも――


「……あなた、ほらジュースって言って手渡したわよね?」

「俺の炭酸を見せてそう言っただけで如月に渡すのがジュースとは言ってないな」

「あなた私に恨みでもあるの?」


 そう言って如月は仕方なくチビチビと冷たいお汁粉を飲み始める。たまに固まっているのがのどに降りてくるのか時折むせていた。


「恨みという訳ではないけど言いたいことはある」

 

 その言葉を聞いて如月はお汁粉を飲むのを止めて橘を見据える。フッとため息をつく如月。何かを言われる前に自分から言い始めることにしたようだ。


「悪かったわ、さっきはみっとも無い所を見せたわね。――私、人間とのやり取りが苦手なの」

「まあ確かに初めて会った時からため口で態度がなっていない偉そうなガキとは思っていたが」

「今は言い返さないでおくとするわ」

 

 そう言ってポツリと如月は話し始めた。幼いころから霊能力者としての修行や仕事であまり人間と交流を取らなかった。ゆえに守るべき人間が敵だった場合、如月はどうすればいいのかわからないのだと。


「幽霊や妖怪が敵だった場合は楽よ、この木刀で消滅させたらいいんだから。でも人間の場合そんな単純じゃない。一人の悪を退治しても回りまわって誰かから恨みを持たれ復讐されるかもしれない。私は人間が――怖い」

 

 そう自身の本音を吐露する。橘は、何となく如月が人と交流を図るのは苦手だと予測がついていた。そして人からの悪意や敵意に対しての苦手意識の根幹を何となく知る事が出来た。だがそうではない。橘が言いたかったことはそうではないのだ。


「お前馬鹿だろ」

「……こんなに弱っている女の子に少しは優しくしてくれてもいいんじゃない?」

「最後あいつに指を何で奪ったのかって聞いてたよな。アレは女の霊に言われてか?」

 

 本当に傷心中の様だったが橘は気に留めず言いたいことをガンガン言っていく。そして橘の予想通りだったらしくコクリと頷く。


「あの霊がどうしても聞きたがっていたから私が代わりに聞いたの。あ、橘にお礼を言っておかないと。あなたが木刀でアイツを脅したことで霊は満足して成仏したわ」

 

 ありがとう、と如月は告げようとしたが橘はそれを制するように大きな声を出した。


「そんな事どうだって良いだろ!」

 

 夜間の闇に響き渡る橘の声。如月は驚愕した。その声に、ではない。橘がこんなにも怒りの感情を漏らしそれを自分に向けていることにである。昼頃遺族に対しての怒りの声を上げていたがアレはベクトルが自分に向いていなかった。それ今は自分に向いている。だが驚きと同時に戸惑いがある。なぜ橘は如月に怒っているのだろうか。


「一番大事なのは自分だろ。そりゃある程度他人の為に行動することもあるがそれは物事を円滑に進めるための必要経費じゃないか。だけどあの時のお前の行動、アレは違う。なんでお前がそんな頑張る必要があった?」

「それは、わたしにしか出来ない事だったから」

「無視しろ。もうあの時点で霊は用済みだったんだろ」

「橘……」

 

 橘の言葉はどこまでも冷たかったが事実だったのだろう、返す言葉が見つからない如月。何とか見つけようとして先ほどの橘の行動を咎める。


「一番大事なのは自分、とあなたは言うけど。あなただって女の霊とわたしの為に怒ってくれたじゃない」

「アレは俺の為だ。色々とお前とか女の霊やあの男に腹が立っていたからな。怒りのぶつけ先が欲しかったんだ」

「……それでもあの霊はあなたに感謝していたわ。もちろん私も」

 

 そこまで言われて今度は橘が黙り込む。純粋な二人分の感謝をぶつけられ何も言えなくなったのだろう。しばらくの間二人に沈黙が訪れる。ややあって橘が言葉を発する。


「とにかく、次から妖怪よりは楽勝、みたいなこと言っておいてあんなみっともない姿を見せるな。俺の雇い主なんだから」

 

 その言葉に如月は微笑み返した。


「そうね……。助手に愛想尽かされちゃうわね」

 

 それからようやく警察の応援が来た。現場を仕切る人が古河と会話していたがしばらく経って解放されたのか三人で帰る事となる。疲れたのか車内で三人は無言だった。少なくとも橘はそうなのだろう、一人爆睡していた。如月は物思いにふけっていたようだが橘の寝息が聞こえてくると、彼の方を見て柔らかく微笑んだ。


 橘が仮眠から目覚めると如月霊能事務所にいつの間にか到着していた。如月に続いて橘も下りようとしたが、


「ああ橘。嫌じゃなければお前の家まで送ってやるよ」

 

 と古河に言われたので遠慮なくその申し出を受けることにした。


「じゃあな如月。今日はお疲れ~」

 

 そう言って眠そうに別れの挨拶を済ませると、


「橘もお疲れ。今日は……色々ありがと」


 そう言って如月は家の中に入っていった。足取りはいつも通りの様だったので安心していると古河に声を掛けられる。


「橘、帰る前に俺の家に寄って行かないか」

 

 嫌です、とは言えなかった。




「ここだ、入ってくれ」

  

 案内されたのはマンションの一室だった。如月が玄関に入ると家の奥から声が聞こえてくる。


「お帰りなさいお父さん! 遅いじゃない!」

 

 そう言って現れた少女は橘を見て固まる。父親だけだと思って油断していたら予想外の客人がいて恥ずかしいのだろう。


「お邪魔します、こんばんは」

「……こんばんは」

 

 橘は挨拶をしたが少女は素っ気なく自分の部屋に引きこもっていった。


「今のは?」

「俺の娘だ。すまんな人見知りで」

「……人が来るって連絡は」

「ん? ああ、忘れてた」

 

 多分帰ったあと娘さんに文句を言われるのだろうと、まだ見ぬ未来を橘は見て、古河に対して心の中で手を合わせた。


「橘、お前酒は飲むか?」

「俺未成年ですよ」

 

 リビングに案内された橘だったが酒を勧められ驚く。高そうな酒だったが慌てて断る事にする。というか未成年に向かって何をやっているのだこのオッサンは。


「固いこと言うなよ。どうせ新入生歓迎とかで飲んでるだろ?」

「ハハハ、まさか」

 

 図星だった。橘はそれ以外では飲んでいないが、人によっては仲間がバイトをしている店だとか先輩の部屋とかで飲みまくっているらしい。だが警察の知り合いが出来た今自分にはそんな選択肢は一生取れないと残念だったが、同時にやらなくてよかったと心の中で安堵の息をついた。


 しかしなんだろうコレは。誘導尋問か何かだろうか。橘が警戒していると古河は豪快そうに笑った。


「すまんすまん、今は厳しいんだよな。俺が学生の頃は先輩に飲まされて吐いてを繰り返す日々だったが……いやぁ平和になって良かったな!」

 

 そう言ってコーヒーを用意し始める古河。何ださっきのは冗談だったのかと試しにやっぱり飲んでも良いかと古河に尋ねると笑顔で手錠を見せられる。沈黙するしかなかった。


「まあアレはお前が二十歳になるまで取っておいてやるからそん時飲みに来い。お疲れ、今日は良くやったな」

 

 そう言って砂糖とミルクを用意しカップにコーヒーを注いでくれた。別にコーヒーは好きでも無いのだがせっかくだし有難く頂戴する。あの店とはまた違った味わいだったが、だからと言って大したものでもなくチビチビと飲む。


「で、何か話があるんでしょう?」

「良く分かったな」

 

 そう言って古河はフッと笑う。一体何を言われるのだろうか、橘が身構えていると古河は突然、


「今日はすまなかった」

 

 そう言って頭を下げた。咄嗟のことで反応出来ないでいると古河が今日の事を話し始める。今日橘がやった事は本来は自分の役目だったと。遺族が二人に敵意をぶつけた時、犯人が如月にくだらないことを言っていた時、そして――


「葵最後大丈夫そうだったな。あれはお前が励ましてくれたんだろ?」

「励ましてはいないですよ。馬鹿とか自己中になれとかみっともない姿を見せるなとか、結構酷いことを言いました。嫌われたかもしれませんね」

「いやぁ……。アイツの事をそこまで想ってくれる奴はいなかったからな。感謝してるぜアイツも俺も」

 

 想ってなどいない。橘は単純にムカついていてそれをぶつけただけだったのだが……。


(感謝、それも刑事さんからも、だと?)

  

 橘が戸惑っていると古河がどういう事かと話し始めた。


 古河は元々如月の祖父に依頼をし二人で怪異関係の捜査をしていたらしい。そしてそれに付いて回ってきたのが幼い如月だった。最初は全く心を開いてくれなったが祖父と良い相棒だったようでそれが伝わったのか如月も少し心を許してくれたとのことだ。それからしばらく時が流れ如月の祖父が現場を退いて代わりに如月と捜査をするようになった。古河にとって如月はもう一人の娘のような存在だという。


「お前に会った時俺がお前をジロジロ見てるのを葵が咎めたり、楽しそうにお前と話しているのを見て本当に嬉しかった。最初冗談で良い人が出来たのか、なんてアイツに言っていたが……本当に助手がお前で良かったと思う」

 

 そして改めて礼を言われる。橘は上手く返事が出来ずにいたがそこで古河は表情を切り替えた。あまりの切り替えの早さに橘は少し怖くなって身構える。


「葵にはお前が必要だ。だから今日のお前を見て少し心配になってな」

「心配?」

 

 どうやら怖い事にはならなさそうなので少し警戒を緩める橘。だが心配とは何だろうか。


「最後犯人を脅していただろ、葵の為なのは分かるが危ないからやめろ」

「如月の為と言うか自分の為ですけどね」

 

 どうやら気になる事を言ってしまったようだ。古河の眉がピクリと反応する。


「自分の為?」

 

 仕方なく如月にも告げたように、怒りの矛先をぶつけただけで決して他人の為に行動した覚えは無い旨を伝える。それを聞いて納得できない様だったので仕方なく自分の本性を告げることにした。


「何か勘違いしてるようですけど、俺かなり自己中ですよ? 最初刑事さんは俺の事を物見やぐらに云々と言ってくださいましたけど実際は面白そうだからってだけで助手をやってるんです。だから本当にそんな大した奴じゃないんですよ俺」

 

 橘はそこまで言って言葉を切り古河を見た。何を言われるのだろうか、もしかすると酷いことを言われるのかもしれない、それもしょうがない。と覚悟を決めていた。


「自己中ね。俺も自己中だ」

 

 だがそう言って古河は鼻で笑う。どういう事かと橘が注目すると突然良く分からないことを話し始めた。


「俺が警察になった理由は何だと思う?」

「え? それは、悪人を捕まえて市民の為を想って――」

「違う。悪い事をしてるのにノウノウと生きている奴がいるなんてムカつくだろ。市民とかどうでもいい。ただ俺がムカついて許せないから警察になったんだ。軽蔑するか?」

 

 橘はポカンとしたが慌てて突っ込みを入れる。


「で、でも結果として刑事さんの行動は市民の為になってるじゃないですか!」

 

 そう橘が言うと古河はコクリと頷いて、


「ああ。犯人を木刀で脅して葵を救ったお前と同じだ。」


 そう言った。橘がキョトンとしていると古河が続ける。


「他人にはそう見えていなくてもそいつの心の中では自分の為に行動しているなんて珍しいことじゃない。案外世の中の連中は皆自己中だぞ。それにお前も葵に対して自己中になれと言ったんだろ? その通り、自己中ってのは決して悪いことじゃない」

 

 そう言われてハッとする橘。


(確かに如月にそう言ったがそれはあいつが自己犠牲というか献身的すぎる気がして……。いやそれもアイツの自己中心的な考えによるものなのか?)

 

 橘が悶々としていると古河と目が合う。そして、


「その上で橘、改めて言う。無茶はよせ。お前に何かあると葵も俺も悲しい」

「……分かりました」


 こうまで言われてはとりあえずこの場は頷くしかなかった。橘の答えに満足したのか古河は笑顔になりしばらく談笑した後、橘を家まで乗せていってくれる事になった。

 

「ありがとうございました」

「今日は説教臭くて悪かった。じゃあな」

 

 そう言って古河が帰っていくのを見送った橘。色々言ったけど色々言われた今日。自分の為に行動したのに三人分の感謝を頂いた今日。自己中心的とは何だろうか、ふとそんなことを考え始めた自分に馬鹿らしくなり鼻で笑って自室に向かう。結局のところ橘は橘らしく生きる事しか出来なかった。




「お帰りなさい」

「ああ」

 

 古河が橘を家まで送って帰ってくると少女が出迎えた。古河の返事が気に入らないのかもう一度繰り返す。


「お・か・え・り・な・さ・い」

「ああ。ただいま、あゆ」

「ふん! 挨拶は大事だって誰かが偉そうに言ってたわ」

「俺だな、すまん」

 

 そう言って古河がリビングに行くと既に晩御飯が出来ていた。


「お、美味そうだなぁ」

「本当はもっとちゃんとしたのが作りたかったんだけど、お客さんが来てたから時間が足りなかったの!」

「そうか、すまんな」

 

 そう言って手を合わせ食事を始める二人。しばらくの間無言で食事をしていたが、あゆは何か聞きたいのかチラチラと古河の方を見る。


「ん? ああさっきの客の事か。橘って言ってな、中々骨のある奴なんだ。ふふ、将来が楽しみだ」

「……お父さんが家に誰かを招くのは珍しいから気に入ってるのは分かってたわよ」

 

 どうやら本当に聞きたかったことはそれではなかったようだが気になる事ではあったので話を続ける。


「そうか?」

「どうせ葵ちゃ……如月先輩の関係者でしょ!」

「その通りだ。ちょっと危なっかしいのが心配なんだけどな」

「……私よりも?」

「あゆはしっかりしているから大丈夫さ」

 

 それを聞いてあゆは怒って立ち上がった。


「ご馳走様!」

 

 そう言って自分で食器を洗った後部屋に戻ろうとしたあゆに古河が声を掛ける。


「あ、飯美味いぞ。ありがとうな」

「遅いわよ! 食器は置いといて、あとで洗うから!」

 

 最初に聞きたかったセリフをようやく聞けたあゆはまた部屋にこもっていった。

 

「やっぱ反抗期の娘は難解だ……」

 

 そう呟いて食事を再開し味噌汁を飲む古河だったがなんだか先ほどと比べてやけにしょっぱく感じる。それでも味噌汁は美味かった。

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