目を覆う光景
「何があった如月!」
すぐに橘も闇の中に突入する。逃げろとは言われていないのでセーフ、何か如月に怒られたらそう言い訳をしよう。そんな風に考えながら階段を飛び降り長い廊下を走っていくと奥に光が見えた。
「橘、来ちゃダメ!」
如月は橘が向かっていることに気づき声を上げたが手遅れだった。それくらい橘の接近を許すほど目の前に光景に釘付けだったのだろう。如月の制止の声と同時に橘は明かりのある部屋に入り、
「何だよ、これ」
思考が止まった。
結論から言うとそこには様々な人間たちがいた。ただし普通とは少々異なる点が三つあり一つ目は彼らはもう生きてはいないという事、二つ目はあるはずのパーツが彼らから無くなっている事、三つ目は無いはずのパーツが彼らに付けられている事、これら三つである。腕の代わりに足がついている、本来の人間であろう首の代わりに動物のそれが置かれている、など常人の理解を阻む光景がそこにはあった。橘は我に返ると同時に地面に膝をつきそのまま胃の中をぶちまけた。
「橘、落ち着いて。焦らなくていいから、ね」
そう言って如月は背中をさする。その間橘はなすがままでとても情けない気分になったが立ち上がることは出来なかった。
「……恥ずかしい所を見せたな、もう大丈夫だ」
胃を空にしたおかげか如月にさすってもらっていたからなのかは分からないが橘は自分の足で立つ事が出来るようになった。しかしまだ彼らを直視することは出来ない。
「無理しなくていいのよ橘」
如月は本当に心配そうに橘を見るが、年下の女性にこれ以上みっともない姿を見せられないと橘は根性を見せた。それに如月だって顔色が悪い。無理をしているのは一目瞭然だ。自分だけ辛いとか弱音を吐いては居られないだろう。
「これは何だ?」
当然の疑問を解決してほしくて問うものの如月は首を振った。
「分からない。何がしたいのかも何も」
「お手上げか」
橘はなるべく周りを見ないように如月に意識を集中していた。すると如月の体が震えていることが分かる。
「……如月?」
「でもね、犯人は幽霊でも妖怪でもなく人間よ。それも霊能力者の」
怒りに満ちた声でそう告げる如月。
(人間? こんなことをするのが人外ではなく人間なのだろうか。それは人間と言っていいのだろうか。だとしても意図が分からない。霊能力者と言っても目の前の少女と同じ人間のはずだ、それなのに)
橘はそこまで思考して結局考えるのを止めた。今やるべきことは理解の範疇に無い人間の考えを読むことでは無い。一刻も早く彼女と一緒にここを出て新鮮な空気を吸う事だ。
「とりあえず帰って良いんじゃないか」
「……そうね。後のことは警察に任せましょう」
そう言って二人は廃屋の外に出た後警察に連絡した。最初は信じてもらえなかったが如月の名を告げると手の平を返したかのように話が進み少し時間が経った後パトカーが到着した。それを待っている間二人に会話は無かった。
「あとは軽く説明するだけだから今日はもう帰って良いわよ」
如月に帰宅を促される橘。いつもなら否定し追従していくところではあるのだが彼も今日は限界だった。少女を一人残していくことに心残りが無いわけではなかったが……。
「悪い。……じゃあな」
そう言ってその場を後にしようとすると後ろから如月の声が聞こえた。
「本当に今日はお疲れ様。……またね橘」
その声にはこのままもう橘が現れないんじゃないかと言うような如月の不安が乗っているようであったが橘はそのまま振り返らずに歩いて行った。
廃屋の事件から数日後、如月は家で掃除をしていた。今日の掃除登板、と言う訳でもなかったがそういう気分だったのだ。掃除だけではなくここ数日は如月が家事をメインでしており千代は少々手持無沙汰のようである。
「葵様、私にも手伝わせてください」
「大丈夫よ」
耐えられず千代が手伝いを申し出るが如月に断られしゅんとする。しょうがなくお茶の準備をすることにした。
「休憩にしましょう葵様」
「……そうね」
二人で縁側にて空を眺めながらお茶を飲む時間はこの上なく贅沢なものであるのだがどうも如月の顔が晴れない。千代はそんな主人の顔に心当たりがあったがここ数日間触れずにいた。しかし意を決して話すことにした。
「今日も来ませんね伊織様」
橘の名前を出した瞬間如月の頬がピクリと反応する。あの事件の後橘はこの家を訪れることは無かった。やはり普通の人間が初仕事であのような事件に触れる、と言うのは無理があったのだろうか。
「どうでもいいのよあんな奴」
「葵様……」
どう考えてもどうでもいいと思っている表情ではなかったがそれ故千代も次の言葉に詰まる。結局次の言葉を紡いだのも如月だった。
「でもあいつには悪いことしたわ」
「葵様のせいでは――」
「注意力が足りなかったわ。奥の部屋での出来事が無くても色々と危ない目にもあわせたし。やっぱり難しいわね普通の人と行動するって」
如月なりに責任を感じているらしい。もっと上手くできたのではないか、自分の立ち回り次第では橘に心の傷を負わせることは無かったんじゃないか。そんな思いが頭の中を駆け巡り家事などで心を落ち着けようとしていたのだがこうやって何もない時間がやってくるとまた思考が駆け巡ってしまうようだ。
「けど初仕事で居なくなって良かったかもね。長い間一緒にいた後いなくなられるよりはマシだわ」
「あの時みたいに、ですか」
「ええ」
そう言って二人で空を仰ぐと日が落ちて夕方になってきたことに気が付く。一緒に過ごす時間が長いほどそれを失った後の悲しさは大きい。如月はその事を身を持って知っているようだった。
確かにそうかも知れない。彼と一緒にいたのはたった数日間、下手に仲良くなる前で良かったのかもしれない。でも。
「でも、少しこの家広くなった気がします」
「……そうね」
数日間とはいえ彼の存在は大きいものだった。ある夜出会った、ただの変な男。家に招き助手にして、雑用をさせてかと思えば傍若無人振る舞われ、とにかく騒がしい男だった。こんな霊能力者の奇妙な家で堂々と爆睡して、偉そうな態度を取る年下の女にも呆れる事無く対等であろうとした変な男。
「済んだことは仕方がないわ。千代、晩御飯何食べたい?」
「私は葵様の作るものなら何でもかまいませんよ」
「一番困るのよねそれ」
「葵様もよく言いますよ」
ふふっと笑う千代につられる如月。何ともなしに二人は寝転んで雲を眺める。さて、じゃあ商店街に行ってから適当に決めようかな、そう如月が思った瞬間声が聞こえた。
「何してんのお前ら」
「え――」
瞬間声のする方を見ると橘が二人を見下ろしていた。
「な、んで」
「門から見えたから庭を通って来たんだが」
家から来た方が良かったか、と首を傾げる橘に千代が抱き着く。
「伊織様! もう来て頂けないかと思っていました!」
「馬鹿。面白そうな仕事が待っているかもしれないのに辞めるわけないだろ」
「じゃあ何で来なかったのよ」
そう拗ねたように呟く如月の問いに答えるべく腰に抱き着いている千代を下ろして答える橘。
「ゴールデンウイーク最初の頃友達からの誘い断りまくってたからそれの穴埋めしてたんだよ」
「……だったら連絡位よこしなさいよ」
「いや毎日来なくても良いって言ってたじゃんお前」
久しぶりに二人の喧嘩が始まるかと思われたが千代は満面の笑みでそれを阻止する。
「そういえば伊織様の入社祝いをしていませんでしたね!」
「入社……なのか?」
「初仕事達成祝いもまだね」
千代の提案に如月も応えて乗る。先ほどまで晩御飯に悩んでいたがそれが嘘のように一気に解決したようだ。
「じゃあ今日はすき焼きにしましょう!」
「千代の味付きは最高よ」
「良いねすき焼き! 今日俺腹減っているんだよ!」
いつの間にか家事担当が千代に代わっていたが彼女は文句を言う事無く喜んでいた。如月が心を落ち着ける必要が無くなったという事なのだから喜ぶのは当たり前だろう。だがそれだけではなく失いかけたと思われた関係性が無くなっていなかったという事もまた喜ばしいものであった。そして感情は見せないものの喜んでいるのがもう一人。
「まったく、騒がしいわね」
非難めいた言葉だったがその口調はどこまでも柔らかくどこか弾んでいた。それは初夏の夕暮れに消えていき、あるいは混じり一つになり彼らを見下ろしていた。
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