橘伊織は雇われたい

 少女に案内され辿り着いた先は、昔ながらの権力者や金持ちが住むような古くて大きい日本家屋だった。家全体を塀で囲み、雰囲気のある門が外来者の善悪を見極めふるいにかけるようだった。橘は少々圧倒されながらも門を潜るとこれまた広い庭があり、普通の人生では絶対来ることが無かっただろうな、などと思いながら辺りを見回し歩いていた。


「いつまできょろきょろしてるの。いいから入って」

「悪い悪い、お邪魔します」


 玄関に入ると奥の方から小さい女の子が現れ、如月を出迎えた。外見からすると小学生のようだがさっきの如月の例もある。見た目には騙されずフラットな対応を心がけようと橘は心がけることにした。何より普段着で和服を着ているのはただものではない。


「葵様お帰りなさいませ。おや、そちらの方はお客様ですか?」

「ただいま千代。ちょっと変な奴がいたから色々事情聴取しようと思って。その代わりコイツの質問に答えてあげるけどね」


 あらあら、と口に手を当て如月の話に聞き入る千代と呼ばれた少女。如月との会話の様子から決して小学生では無いようだがそうするとこの子は一体何者だろうか。そもそも如月の事すら橘は良く分かっていないことに思い至り、そんな奴の言われるままそいつの後をついて来たことを考えるとやはり一般的にはありえない選択をしたんだな、と自身の行動を振り返っていた。微塵も反省も後悔もしていないが。


「申し訳ありません挨拶が遅れましたね、私は千代と申します。葵様の……まあ使用人みたいなものです」

「いやいやご丁寧にどうも。俺は橘伊織、よろしく」

「伊織様、ですね。どうぞよろしくお願いいたします。立ち話もなんですからどうぞ上がって下さい。今お茶を出しますので」


 千代はそう言ってまた奥の方に引っ込んでいった。せわしなかったが小さい子が頑張っているようで千代が居なくなった方を橘は心配そうに眺めていたが如月に促され客間へと歩を進めた。


「さっきの子も見た目通りの年齢じゃないのか?」

「も?」

「いちいち気にする奴だな。お前が小さいのは事実だろ」

「……うるさい、まだ成長期だから。それにわたしが小さいとか千代の年齢とかそんな話はどうでもいいのよ。聞きたいことがあるんでしょ」


 確かに。決してどうでも良くはないが優先度は高くない。別に橘も本気で千代の年齢を気にしたわけではない。ただ本題に入る前の前振りとして用意しただけで答えが欲しいわけではなかった。何となく誤魔化された節があるがそれももう良い。何よりも今、一番気になる事は……。


「さっきの化け物はなんだ? お前は何者であの時何をしていた?」


 明らかに現実世界のそれではない生き物、そしてそれを消滅させた少女。この二つの解明が先決だった。固唾を呑みながら回答を待つ……暇も無く事も無げに如月は告げる。


「あれは妖怪。私は霊能力者であの時は妖怪退治をしていた」

「……ちょっと待て」


 何となくあの時の化け物はその類のモノであるだろうと橘は推測はしていた。だがやはりそのようなモノが実在するとは今も信じられなかった。


「妖怪とかそんなもの本当に居るって言うのか?」

「さっき自分の目で見たじゃない」

「……それはそうだが、でもこんなネットとかが発達した現代社会に存在するとは思わないだろ」

「確かに昔の方が多かったらしいけど現代でも居るところには居るのよ、普通の人に紛れて暮らしていたりね。あなたが今まですれ違ってきた人の中にも実は妖怪がいたかもしれないわね」


 橘は唖然とした。今まで出会ってきた友人やコンビニ店員、挨拶を交わすだけのおっさん、そんな連中の中に妖怪という面白い存在を見過ごしていたかも可能性にショックを受けたのだ。

 そして如月は話を続ける。妖怪の中には人を襲うものもいる、そういう悪い妖怪を退治する存在、それが如月のような霊能力者なのだと。ここでふと疑問が浮かぶ。


「霊能力者なのに妖怪退治するのか。幽霊だけ相手してればいいんじゃないか?」

「元は陰陽師って肩書だったんだけど色々あっておじい……祖父の代で霊能力者と名乗ることにしたのよ。昭和の終わりから平成にかけて心霊ブームがあってこっちの方が馴染みやすいんじゃないかって」

「確かに昔心霊ブームって言うのがあったらしいな、いつの間にか廃れたようだけど。それより今お爺ちゃんて言おうとしなかったか?」


 別に恥ずかしがることないだろう橘は思ったが如月は眼を細める。関係ないことに話を広げるな、と言わんばかりの顔だが後ろから援護射撃が飛んでくる。


「ふふふ、葵様はお爺ちゃんっ子なんです。あ、宜しければお茶とお菓子を」

「ご丁寧にどうも……。美味いな、このお茶」

「お口に合って何よりです。私も大好きなんですよ」

「千代のせいで一気に空気が緩んだわ」


 そう如月は千代を非難したが当の本人はどこ吹く風で如月にもお茶とお菓子を用意していた。如月は文句を言いながらも用意されたお茶を飲み、その様子を千代はにこにこと微笑みながら眺めていた。


(この二人のことは全く分からんが、取り合えず良いコンビっぽいな)


 二人の様子を見て橘は和んでいたが説明の途中だったと如月が咳ばらいをし話を続ける。どうやら今度は如月の方が橘に聞きたいことがあるようだ。


「さっきも聞いたけど何であの空間に入ってこれたの?」

「あの空間? ああ、妖怪と戦っていたところか。あの時も言ったと思うが違和感を感じたから、としか言えないな」


 先ほどまで微笑んでいた千代が二人の問答を聞いた途端目を丸くする。


「……伊織さまは結界を破って入ったのですか?」

「結界?」

「人払いの結界よ。この結界を張ると普通の人はこの空間へと続く道が認識できないし、入れないはずなのよ。それなのにあなたは結界を認識し、破る事無くすり抜けるようにして侵入した。そのせいで私も遭遇するまで全く気が付かなかったわ」

「色々信じられませんね……」


 確かにあの時の如月は今とは比べようが無いくらい動揺していた。橘の行為はよほどありえない事だったのだろう、だとすると一つ疑問が浮かぶ。


「なんで俺はそんなことが出来たんだ?」

「私もそれが気になって家に連れて来たのよ。色々実験するためにね」


 実験、という言葉に橘はピクリと体を震えさせたが安心するように如月はなだめる。


「段階を踏んでいくから大丈夫よ。じゃあまずレベル1いくわよ」

「え、俺の許可は無いのか!?」


 そう言って橘の前に手をかざす。流石にいきなりすぎてストップをかける橘だが彼女は止まらなかった。


「どうやら大丈夫のようね、次はレベル2」

「おい、聞けって! いつの間にレベル1終わらしてるんだよ!?」

「まどろっこしいわね……。次はレベル10」

「飛びすぎだろ! 段階って言葉知ってる!?」


 その後も橘の制止を振り切って何らかのレベルを上げていき実験を続けていく如月。千代はそんな二人の様子をハラハラと見守っていた。止めはしなかった。彼女の主を信じていたのだろう、多分。


「……どういうことなの。全力で霊気ぶつけてたのに全く効かないだなんて」

「ふざけんな」


 何をされていたか全く分からなかったがまさかそんな事をされていたとは。橘は色々言いたいことはあるが心を落ち着けて質問することにした。


「ちなみに普通の人だとどうなってたんだ?」

「レベル1だと悪寒を感じてレベル10だとこの部屋にいられなくなるわね。霊感の強い人だと気絶するわ」

「殴って良いか?」

「今のはあんまりです葵様」


 いやお前も止めなかっただろうが、と橘は思ったが千代が如月から罰として没収したお菓子をくれたので良しとした。安い男である。それよりも橘には先の如月の発言に気になることがあった。


「霊感強いと逆にダメージが増えるって事あるのか?」

「そりゃあるわよ。感受性の強い人が素晴らしい絵を見て涙を流したり、他人の悪意に対して敏感に反応して傷ついたりするでしょう」


 如月曰く霊感が強いというのは霊的な感受性が強いことに繋がるのだという。よって幽霊などが視えてしまったり霊の悪意を受けて体調を崩しやすいのだという。逆に霊感が弱いという事は霊的な感受性が弱いということで霊が視えることも無く悪意にさらされる心配も少ないという事らしい。ただし全く霊感の無い人間は珍しく大体の場合多少の影響を受けるようだ。


「つまりあなたは超鈍感男ってわけね」

「その言い方はやめてくんない?」

「分かりやすいのに。まあ言い方はともかくそういう事よ」


 この話を聞いて橘は少しショックだった。自分はその他大勢と同じだと思っていたのに幽霊を視える確率が普通の人と比べて著しく低いというのは何だか置いてきぼりを食らった気分だった。もっと言えば、視えないのに確かにそこには何かがいる、というのは恐かったのだ。しかしそんな顔を見て如月が元気づけるように話を続ける。


「でもそうすると話は戻るのだけど、何であなたが結界に入ってこれたのかってことね」

「あ、そうだよ! やっぱ俺霊感あるんじゃねえか?」

「じゃあ実験の続きね」

「えっ」


 そうしていくつかの実験を如月から受けた橘はある時はドヤ顔で決めポーズを取り、ある時は泣き喚き、ある時は咆哮した。その結果、


「橘は霊的防御力が高すぎて結界体質、つまりあなた自体が結界みたいな存在になっているのね。だから同じ属性の結界に敏感で感知して通り抜けることが出来る。その代わりに霊の存在さえも弾いて感知することは出来ない鈍感男になってしまったようね」

「結論鈍感男じゃねえか」


 橘は突っ込みを入れるが如月は無視して話を続ける。


「ただなんであなたがそんな状態になっているのかは良く分からないわ。守護霊の力が強すぎるとそうなるっていう話は聞いたことあるけど守護霊の存在自体まゆつばだし」

「霊能力者なのに分からないのかよ?」


 橘が突っ込みを入れるが如月はそんな橘の発言に呆れて答える。


「当たり前。物理学者だって未だに重力子を発見出来ていないし、数学者が未だ解けない数式だっていっぱいあるでしょ? それと同じよ」

「それとこれとは……」


 違うんじゃないか、と言いかけたが続く論理的反論を橘は思いつかなかった。ただ何となく違うという感情による否定しか出来なかったため大人しく黙ることにした。高校生に問答で負けるというのはたまらなく悔しかったが。


「大体あなたの事は分かったからもう帰って結構よ。取り合えず好奇心に駆られて変なところに近づかなければ普通の人生を送れるわ」


 如月はもう用済みだと言わんばかりに追い出しにかかろうとしているようだ。橘は焦った。ここまで足を踏み入れたのに日常に戻るなんてまっぴらごめんだった。


「ちょっと待って! 俺をここで雇ってくれ!」

「いや」


 即答だった。常人ならあっけに取られるであろう橘の言動に対し冷静に返答する如月。だが彼は往生際が悪かった。如月に詰め寄り、彼女には雇う義務があるということを何とか説く。


「ええと……そうだ! まだどこが変な所とか良く分からないからそれまではここで働きながら徐々にって感じで面倒見るのが筋だろ!?」

「そんな筋は無い」


 必死な橘に対してどこまでも冷静な如月。このまま話は平行線かと思われたが千代が助け舟を出す。


「伊織様の言い分にも一理ありますよ葵様。この御方面白そうな所を見つけたら危険を省みず突っ込んで行きそうですもの」

「……確かに。目の見える所に置いといた方が面倒くさいことにならずに済むわね。」


 ガキじゃねえんだぞ、と橘は言いたかったが面白そうな所に行くというのも事実なので黙っておく事にした。良い話の流れだし。


「現場に連れていってもこの霊的防御力なら心配する事は無いだろうし、わたしが気づかない事も橘なら発見出来るかもね」

「うんうん」


 コクコクと頷く橘。その様子を見て如月はため息をついて、


「わかったわよ、あなたをわたしの助手として雇うわ。ただし怖い目にあっても知らないからね」

「よっしゃあ! 助け船サンキュー千代!」

「助け舟ではなく伊織様の安全を最優先にですね。あの、肩、痛いです……」


 嬉しさのあまり千代の肩をバンバンと叩きガクガクと揺らす橘。加減を忘れているのか千代は少々痛そうだ。


「ちょっと今から色々説明することあるんだから話を聞きなさい。……聞かないと首にするわよ」

「はい!」

 

 一人お祭り状態だった橘を一気に静め話を再開する如月。曰く、別に毎日来る必要はないがこっちから連絡した時は絶対来ること。現場での如月の言う事は絶対守る事など様々な注意事項が述べられたが有頂天だったためあまり頭に入って来ること無く話が終わり橘はそのまま如月宅を後にした。




 橘がスキップで帰っていくのを見送った後、くたびれた顔をした如月は髪を解きながら千代に愚痴を言っていた。


「どっと疲れたわ……」

「嵐のような方でしたね。あの様子だと明日から早速来そうですが」

「来なくていいわよ」

「あら、私は楽しみですよ。賑やかになりそうですね」 

 

 如月はもうたくさん、といった表情を見せたが千代の方は中々橘を気に入っているようだ。あれだけ滅茶苦茶に体を叩かれ揺らされたのに小さい体に似合わず器が大きい。

 ふと千代が如月を見ると物思いにふけっている様子だった。如月は千代の方を見る事無く口を開く。


「何であいつの味方したのよ」


 どうやら橘を雇う事に対して如月はまだ不満があったようだ。


「先ほど伊織様にも申し上げた通り彼の安全性を考えただけですよ」

 

 千代はそう答えたが如月は難しい顔をしたまま視線を落とす。


「あいつにはああ言ったけど普通の人にはこの仕事は務まらないわ。きっと一日で逃げだすに決まってる」

 

 机に突っ伏しながら半ば確定事項のように告げる少女の顔は今までよりもずっと幼い顔をしていた。千代は一瞬困った顔をするも少女の頭を撫で続けていた。

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