ラブ・アタックは4時までに

@zukkokenji

ラブ・アタックは4時までに

十九の冬の始まり頃でした。突然ですがアパートの最寄りの郵便局に勤める女性を気に入ってしまいました。年の頃は二十四、五といったところでだったでしょうか。しかも、なんだか分かりませんが本当に気に入って気に入ってたまらなくなってしまい、郵便局に行って帰宅したある日急に、とにかくこの気持ちを伝えなければという気持ちが異様にわき上がりました。今でもそれがなぜだか分かりません。でも、恋というのはそういうものなのかもしれません。


でも、さっき用事で郵便局に行ったばっかりなので、今日行ったらバカみたいなので明日にしよう、いや明日でも早すぎる気もするし大学の授業もあるから、午後から授業のない明後日にしようと思い、そして、これ以上は絶対告白の日を延ばさないぞと自分に向かって誓いました。


日にちが決まった所で今度は、どうやって告白しようかと考えました。相手の勤務中に口に出していうのはあまりにも恥ずかしいし、相手の家を知っているわけでもなく、だからといって仕事が終わるのを待ち伏せするのも印象悪いし、用事を作って窓口を訪ねて合間に手紙を渡すのが一番いい方法かなと思いました。 何か明後日に郵便局の窓口を訪ねる用事がないか考えました。そういえば、片方をなくした靴下を袋代わりにして、一円玉と五円玉を少しずつ貯めていたのがけっこう膨れてきていたのでこれを入金しに行こうと思いました。


次に、渡す手紙を書こうとしたのですが、便箋も封筒もなかったので翌日文房具屋に買いに行くことにしてその日は内容を考えることにしました。お互いのことをよく知っているわけでもないので長々と書き連ねることはできないし、好きであることと、仕事が終わったら会いたいということを短く伝えることに決めました。


翌日、学校帰りに文房具屋に行きました。文房具屋にはたくさんのしゃれた、かわいい封筒がありました。そういうものを探すのが初めてだった僕は、どれにしようかしばらく迷いましたが、眺めているうちに一風変わった、上品な和紙で作られた、鳥の模様の入ったきれいな装飾のついた封筒を見つけたので、それを買うことにしました。便箋も、色のついたおしゃれなものがいくつもありました。女性に渡すものなのでピンクにしようかと思ったのですが、それだといかにも男性が女性のために買ったという感じがするので、ちょっと抑えて黄色を買いました。家に帰って早速書き始めました。


既に内容として簡潔な文面を考えていたのに、やっぱり文章をちょっと変えようかとか、字がちょっと歪んだかなとかやっているうちに、まるで少女マンガのように、ゴミ箱の中が丸められた便箋でいっぱいになっていきました。


何時間もかけてようやく納得いくように書き終えることができました。中身は、 『あなたのことが好きになりました。仕事が終わったら会ってくれませんか。六甲道駅の南口で待っています。』 たったこれだけの、短くて今考えると顔から火が出るほど恥ずかしい文章でした。


いよいよ手紙を渡すと決めた当日になりました。午前中の授業を終えて帰宅しました。丸められた便箋のひとつがゴミ箱からこぼれ落ちていました。拾い上げて捨てようとしたのですが、その前に思わず広げて読み返してみました。なんだか書きかけの失敗作の手紙を読むとたまらなく恥ずかしくなり、これは出発する前に片付けてしまおうと思いました。台所の流しの下からゴミ袋を取り出してゴミ箱の中の紙くずを突っ込んで口をくくりました。


ふと、周りを見回すと、今度は部屋が散らかっていることに気付きました。なんだか気になって気になってどうしても片付けたくなり、掃除を始めてしまいました。しかも、いつもよりなぜか念入りでした。今でもそれがなぜだか分かりません。でも、恋というのはそういうものなのかもしれません。


冬なのにちょっと汗ばむほど片付けを一生懸命頑張ってしまい、部屋はきれいさっぱり片付きました。気がつくと午後一時を回っていました。最寄りの銭湯が開く時間でした。せっかくだから身も清めようかな、今行けば間違いなく一番風呂だし、と思いました。


風呂に入っていつもより念入りに体を洗いました。そして、いろいろ考えながらいつもより長めに湯船につかりました。湯船から出たあと、軽くぬるま湯を火照った体に掛けていたのですが、ふと、今日は告白する日なのに、こんな、まさにぬるま湯でいいのだろうかという気持ちになりました。そういうわけで、気合いを入れる意味も込めて洗面器に水を張り、思い切って勢いよく体にかけてみました。冬の水道水はさすがに冷たかったのですが、今から告白するのにこんなことに負けてどうする、などと自分に言い聞かせて、修行僧の水ごりのように何度も冷水をかぶりました。なぜそんな意味のないことをしてしまったのか、今でも分かりません。でも、恋というのはそういうものなのかもしれません。


銭湯から帰宅しました。当時一番気に入っていた服に着替えました。でも、なんだか周りの人から見て、郵便局に行くだけなのにとても気合いが入っていると思われるのもなんなので、ちょっと力を抜いた感じを出そうかと思って別の服に着替えました。しかし悩んだ挙句、やっぱり女性への第一印象が大事なので、当時一番のお気に入りの、花柄のシャツと茶色のジャケットにしました。


さて、身なりも整い、いよいよ出発だと思ったのですが、いざ行こうとするとなんだか膝がカクカク、胸がドキドキしてアパートのドアを開けて外の世界に出ることすら急に怖くなりました。こんな感覚初めてでした。今でもなぜそんな感覚に襲われたのか分かりません。でも、恋というのはそういうものなのかもしれません。


そのとき時刻は2時半、郵便局の窓口は4時までなので、まだ時間がありはしましたが焦りました。どうすればいいのか分からないまま、部屋の中で困っていると、以前友達が置いていってくれたバーボン、ワイルドターキーが目に入りました。当時まだお酒になれていなかった僕は、その強い独特の風味に耐えられず全く飲まず、さっき掃除をしたときに捨てようかとすら思ったものでした。これを少しだけ飲んだらドキドキが直るかもしれないと思ってコップに入れて一気にグイッと無理やり飲み干しました。なんだか気持ちいいような気持ち悪いような、そういう感覚に気をとられたせいか恐怖感が薄れてきたような気がしました。もうちょっと飲んだら完全に恐怖を克服できるかなと思い、さらに飲みました。さらにもうちょっと飲んでみました。


気が付いたら飲めなかったワイルドターキーをがぶがぶ飲んでべろんべろんになっていました。 時刻は3時15分を回っていました。そろそろいかないと思い立ち上がりました。恐怖感も全くなくなったわけではなかったのですが、かなり薄れてきていました。一円玉と五円玉を持っていこうとして靴下を手に取ったのですが、ずっとお金を入れていたせいでちょっと靴下が伸びきっていてみっともないことに気付いたので、きちんとした別の靴下に入れ直そうと思いました。一番新しくて上等な靴下はそのとき履いていた靴下でした。服装をきちんとしなければと思って履いていた上等な靴下だったのですが、この際カウンター越しに女性に渡す靴下の方を優先しなければと思って、片方靴下を脱いで、それに一円玉と五円玉を取り出して入れ替え、代わりにその伸びきった靴下を履きました。今考えれば小銭は瓶にでも入れればいいわけですし、また、わざわざ伸びた靴下を片ちんばに履く必要もなく、別のちゃんとそろった靴下に両方とも履き替えればよかったのですが、なぜかそういうことには全く気が回りませんでした。でも、恋というのはそういうものなのかもしれません。または、酔っていました。


ドアを開け放って外の世界に飛び出しました。郵便局の中に入りました。お目当ての女性はその日も素敵に輝いていました。何列かある中の、その女性のいる列に並びました。列の前に進むにつれてさすがに酔っ払っている僕でもドキドキしてきました。早く手紙を渡して楽になりたい気持ちと渡す瞬間が怖くて列が進むのがつらい気持ちとが交錯して、もうどうにかなってしまいそうでした。そんな二択の感情を嘲笑うかのように隣の列が若干早く進んでしまい、なんの魅力もないヒゲのおじさんから、


「そちらの列の方、どうぞ。」


と、言われてしまいました。ここで列を移動したら何もかも終わりだと思って、


「い、いや、ぼ、僕、こっち、こっちで。」


とか言って必死に拒否しました。なぜ列を動くのがいやなのか理解できない様子のまま、僕の後ろの人がヒゲのおじさんの窓口に行きました。僕の前の人の用事が終わり、ついに僕の順番が来ました。来てしまいました。とりあえず靴下と通帳を出して、


「これ、入金お願いします。」


と、言いました。靴下を受け取った女性は奥の機械の方にそれらを持っていき、お金をざあっと入れました。靴下は途中曲がっているので途中小銭が引っ掛かって、機械に入れにくそうでした。 その後間もなく金額の新たに記入された通帳と、空っぽになった靴下をなんとなく二つ折りにして僕に返しながら、


「284円ありました。」


と、言いました。意外に少なかったなと思いました。そんなことより、今しかチャンスはないと思い、


「すみません、これ、もらってください。」


と、手紙の入った封筒を差し出しました。女性は、


「えっと、これは?入金ですか?」


と、訊きました。


「いや、これ、あなたに渡したいんです。もらってください。」


もはや相手の顔を直視できませんでした。下を向きながら強く両手で封筒を差し出しました。すると、ちょっと間があってから、


「そうですか。わかりました。」


と、本当は意味が分からないような感じで淡々と受け取ってくれました。尚、その、和紙で作られた、鳥の模様の入った綺麗な装飾のついた封筒というのは、社会人となり冠婚葬祭を何度もこなしてきた今振り返ってみると、どう考えても五万から十万ぐらいの高額な祝儀を包むための、鶴の形の水引のついた豪華なのし袋だったのですが、当時の世間知らずの僕にはそんなこと知る由もありませんでした。 のし袋だったために入金と間違われ、受け取ってもらうまでに時間がかかったせいで周りの客と局員にやり取りを見られてしまったので、渡した後は恥ずかしくて恥ずかしくて足早に郵便局を去りました。でもとにかく、渡したことは渡したので達成感がありました。あとは待つだけでした。きっと来てくれるはずだ。酔っぱらっていたためかなぜか根拠のない勝算がありました。


六甲道駅の南口で寒い中五時ぐらいから相当長く待ってみましたが、さすが六甲道駅の南口で寒い中五時ぐらいから相当長く待ってみましたが、さすが僕が惚れた女性だけあって、意味もなく水ごりなどをしたうえ靴下片ちんばで花柄のシャツを着て、べろんべろんでたった284円を靴下に入れて入金しに来て、のし袋で告白するような男の誘いに乗って、一方的に決められた待ち合わせ場所に姿を現すようなことはありませんでした。酔っ払って何時間も寒い中立っていたので次の日は当然風邪を引きました。また、それ以来ちょっと遠くの郵便局を使うようにもなりました。あと、最近の十九歳はのし袋と封筒の区別が付くお利口さんばっかりだなと思います。

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