ひまわり畑へ行ってみようと思い立つ
@from_koa
第1話
何か違和感を覚えたのは、残暑見舞いが届いて少し経ってからだった――。
夕暮れの早くなった空にヒグラシの鳴き声が響いた。
仕事から帰り、マンションの集合ポストを確認すると残暑見舞いの絵葉書が届いていた。
「もうこんな時季か……」
夏の終わりの物悲しさに呟いた。
ざっと目を通し、他の郵便物と共にテーブルへ置く。缶ビール片手に、そういえばと絵葉書を手に取り直したのは二日後の夜。相変わらず住所も名前も変わっていない。差出人の名は
彼女とは、十八年前旅行先のオーストラリアで知り合った。
旅行中、ツアーに申し込むと学生の二人組の女の子がいた。一人は英語が得意でもう一人は無口で写真ばかり撮っている子。日本人は彼女たちと俺だけで、何となく話をしている内に住んでいる地域が同じで、更には使っている電車の路線まで同じだと分かって話が盛り上がった。
「撮った写真、家に送ってもいいですか?」
「あぁ、いいよ。俺はかまわないけど……」
まだその頃は今のようなネット社会でもなく、連絡手段は携帯電話か普及し始めた電子メールがせいぜいだった。今のように写真も容易くは送れず、手紙のやり取りもまだまだ普通にしていた。住所と携帯電話の番号を交換しあい、そこからやり取りをするようになった。
[また、手紙を送ってもいいですか? 返事はいりません。たまに、返事をもらえたら嬉しいですけど……。]
それから、宣言通り彼女の方から一方的に手紙を送ってくるようになった。季節の便りだったり、何か行事や出来事があると報告して。最初のうちはこちらも面白がって返事を出していた。けれど筆まめな彼女のようにはいかず、忙しいタイミングとも重なり、出す機会を逃すと二回に一回。五回に一回。と返事を出すことが減っていった。
受け取る側は彼女の近況を知り楽しんだ。それはまるで足長おじさんのようで、けれど物語と違って金持ちでもなければ何か援助してあげることもできず、ハンサムでもない。ハンサムなど死語か。そんな言葉のチョイスしか出来ないしがない男に、彼女は手紙を送ってくる。
こちらが決まって出すのは年賀状くらいだ。彼女に出すことを念頭に置いて、毎年、来年の干支は何かと年末になると思案するのが恒例となり楽しみでもあった。そんな中、一度だけ俺の方から積極的に出した手紙があった。仕事の都合で関東を離れた時だ。住所変更のお知らせを兼ね、遊びに来ないかと誘いの手紙を書いて出した。
[とても良い所です。彼氏と一緒に旅行がてら遊びに来ませんか!]
[嬉しいです! 遊びに行きます!! 予定を立てたらケータイの方にご連絡します。楽しみです!]
そうして、彼女は新幹線に乗り本当に遊びに来てくれた。
「遠藤さーん!」
待ち合わせの駅まで迎えに行くと、彼女は控えめな笑顔と共に手を振って再会を喜んでくれた。
「彩恵子ちゃん。彼氏くんも、よく来たね」
「お世話になります」
その時は、彼女とその彼氏、俺がその当時付き合っていた相手の四人で観光地を周り、当地の旨い物を一緒に食べて過ごした。
[先日はありがとうございました。とっても楽しかったです。未だに思い出話が尽きず、余韻に浸っています。
いい写真が撮れたので送ります。
また遊びに行きたいで~す!]
この時もこうやって、お礼の手紙と写真を送ってくれた。
[残暑お見舞い申し上げます。夏が終わるのが寂しいよ〜
いつまでも続け夏っ!
暑い日がまだまだ続きます。ご自愛下さい。]
十八年前から変わらない独特な雰囲気の文面だった。それなのに、ふっと違和感を覚えた。何度も読み返してみるが分からない。
大事な書類や手紙と共に、今まで届いた彼女からの手紙はすべて取ってあった。大事に取ってあったのかと思われれば気持ち悪がられそうだが、別に付き合った彼女の品を大事に取っておき、眺めて思い出に浸っていたというのとも訳が違う。ただ漠然と取ってあっただけで、振り返り読み返したことは一度も無かった。
あっちの棚こっちの棚としまっていた記憶を頼り、何通かまとめて束にしてあった物もあり引っ張り出した。今回来た残暑見舞いと共に読み返してみるが、その違和感が何なのか、やっぱり分からなかった……。
違和感が分からないままにやり過ごしてしまい、季節が流れるように過ぎていく。
配送の作業員は作業着の上にジャンパーを着込み、寒さに思わず手を揉んだ。
「寒くなってきたね。今年の営業はいつまで?」
「ウチは三十日までですよ」
仕事場で年末の予定をやり取りするのが挨拶の決まり文句になり始めた頃、変わらずクリスマスカードが送られてきた。
今年も出さなかったな……。
秋から冬は世界が物悲しく嫌いだと書いてある。
[冬の唯一いいところは空気が澄んでいるところだけ! キレイな夜景を写真に撮ってクリスマスカードに出来れば良かったんですけど……。良いお年をお迎え下さい]
市販のカードにパソコンで打たれたと思われる別紙のメッセージカードの形で入っていた手紙。
あ……。
そこで今まで覚えていた違和感に何となく気付いた。
そんな頃、親から電話がくる。いい加減いいおっさんの俺を心配して。
『年末は帰って来るの?』
「いや……三十日まで仕事なんだ。三十一日は部屋片付けたいし、元旦には帰るよ」
『おせち食べる?』
「そうだね。でも友達と飲み行くかな……」
年が暮れ、新年になり年賀状が届いた。SNSの時代になり年賀状も少なくなったとはいえ、友達や仕事関係から届いた年賀状。その中に彼女からの物もあった。その文面にクリスマスカードで気付いた違和感が確かなものになった。
「やっぱり手書きじゃないな……」
いつからだったのか、宛名も、一言添えられた文章も、手書きではなくなっていた。たとえ市販のポストカードや宛名が印刷だったとしても、彼女は必ず手書きで一言添えた手紙を送ってくれていた。それは必ずだ。勿論、手書きが出来ないことだってそりゃあるだろう。でも彼女はそれが無かったんだ。それが違和感の正体だった。
「文章は彼女のものなのに」
何か手書き出来なくなった理由があるんだろうか……。何か嫌な予感のようなものを覚えた。
「明けましておめでとう」
『おめでとう』
遠距離で付き合う恋人に電話を掛けた。お互い仕事の都合で年末年始に会えないことは話し合い済みだった。電話で新年の挨拶をする約束をしていた。けれど、膨らむばかりの悪い想像が不安となり、抱え込みきれずどこか上の空だった。そんな俺に恋人は気付く。
『どうしたの? せっかく新しい年を迎えたっていうのに、何か、トーンが低いっていうか……そんなに会えなくて寂しかった? それとも何かあった?』
「いや、それが……」
電話越しに事情を説明すると、真剣に聞いてくれた。
『何か、妬けちゃう』
「そんなんじゃ」
こちらが困っているのが分かって、恋人は声を出して笑う。
『それは置いといて。彩恵子ちゃん、だっけ?』
「あ、あぁ」
『そういう時だってあるでしょ? 例えば……怪我をしたとか?』
「そうなんだけど」
手を怪我したとか、病気になったとか、どうしてか悪いことばかりが頭に浮かぶ。
「何か、いい方向で手書き出来なくなった理由がないかな」
『いい方向って?』
「例えばそう、子供が出来て子育てに時間を取られているとか!」
いや、それなら手紙を送ってくることも出来ないし、文章を考えてパソコンで打つなんて時間も無いだろう。自分で言っていて自分につっこんでしまった。それに、まず結婚だ。結婚したら真っ先に報せてくるはずだ。
『子供いるの?』
「いや。結婚したとも聞いてない」
百歩譲って未婚で子供を産んだとしても、彼女なら絶対報せてくる。ただたんに忙しいだけ。パソコンなら、合間にちゃちゃっと! そんな雰囲気の文面では無かった。もしそうだとして、彼女自身が忙しくて手紙を書けない。という他の理由が思い浮かばない……。
年が明け、実家に帰る前スーパーに寄った。ありがたい事に元旦から大型スーパーがやっている。正月に時間を持て余した家族連れや一人暮らしの若者らしき姿でまま混んでいた。実家への手土産とレターセットを手に入れる。
「こんなのしかないのかよ……」
今どきレターセットなど探しても売っていなかった。“便箋”と表書きされた堅苦しい物だけ。彼女はいつもどこで手に入れていたんだ?
「これじゃいかにもだろ……」
透かし柄に線の入った紙に手紙をしたためれば、彼女も俺のことを随分おじさんになったと思うだろう。さすがに、おじさんだと自認していてもここまでおじさんじゃないし、思われるのは不本意だ。そう呟きながら売り場で一人物色してる時点でおじさんだが。
レポート用紙と当たり障りない白い封筒を買うことにした。これなら何度でも書き換えられる。実家への手土産は銘菓を選び五分と掛からず済んだ。
実家では何やら歓迎され、鯛や平目の舞い踊りよろしくおせちや酒を振る舞われた。兄弟の家族も来て、甥や姪からお年玉をせびられたが賑やかで楽しかった。二日目には地元の友達と飲みに行き、正月休みを満喫した。三日目にはもうやる事も無く、時間が出来た。居間で親父が見ている騒々しいテレビを横目に、思い出したようにレポート用紙をテーブルに出してみる。
「あら何、仕事?」
「いや、休みで時間のある内に手紙を書いてみようと思って」
「手紙?」
母親は訝しげに眉間寄せる。今どき? と言いたげだ。そんな母親に今までの長い経緯を話て聞かせた。
「知らなかったわ、アンタがそんな子と手紙のやり取りしてたなんて」
「歳はいくつなんだ?」
話を聞いていたのか、突然親父が割って入ってきた。
「十歳くらい下だったかな……、初めて会った時、あっちはまだ学生だったよ」
「それじゃ向こうはまだ若いんだな」
「あぁ、こんな長い付き合いになるとは思ってなかったよ。ま、だから手紙書こうと思ってさ」
手紙を出せば彼女は必ず返事をくれる。それを期待して――。
[いつも季節の頼りをありがとう。返事を出さなくてすみません。毎回近況を楽しみにしています。
最近はどうしていますか? 旅行へ行ったりしていますか?
最初に会ったあの旅行からもう十八年も経ちますね。僕を訪ねて赴任地に遊びに来てくれたのももうずいぶん前です。]
彼女からの手紙は春を過ぎても来なかった。
思い切って彼女を訪ねることにした。もっと段階はあったと思う。もう一度手紙を出すとか、十八年前に交換しあった携帯電話の番号に掛けてみるとか……。でも、虫の知らせのような何かが、彼女に会いに行かなければという強い思いを急き立てた。
住所はさほど遠い場所ではなかった。親しくなったきっかけでもある。
玄関チャイムを鳴らすと、部屋の中から母親らしき女性の返事が聞こえた。古い家だ、カメラの付いたインターホンではなかった。
「はい。どちら様でしょう?」
「私、遠藤と申します。彩恵子さんご在宅でしょうか!」
「遠藤、さん? どういったご要件で……」
「彩恵子さんにお会いしたくて、突然失礼かと思ったんですが訪ねて来たんです」
「娘からは何も聞いてませんが」
怪しまれても仕方ない。それは覚悟していた。今の時代ストーカーやら危ない事件が多すぎる。警戒はごもっともだ。
「彩恵子さんから今年も年賀状を頂いて。私からも年賀状と、それとは別に手紙を出したんですが……」
彼女から来た手紙を持って来た。まとめるとしっかりとした束になったことに驚いた。こんなに手紙をもらっていたとは。慌ててそれを取り出し手渡すと、見る見る母親の顔色が変わり、表情が引きつりだす。
「貴方が、遠藤さん?」
「はい。そこに彩恵子ちゃんと一緒に。あ、彩恵子さんと一緒に写った写真が。彩恵子さんが撮って送ってくれたんです!」
直ぐに見えるように、手紙の束の下には写真を挟んでおいた。
「……あの、上がって下さい。主人も、彩恵子の父親も居ますから、詳しいお話は中で」
招き入れられた時、嫌な予感が的中したのだと悟った。
通された居間は実家と同じような造りだった。汚い訳でもない。けれど四十年くらい前のどことなくくたびれた雰囲気の洋室。そこに彼女の写真が、小さな額に入って置かれていた。横にはカメラが置かれている。
嗚呼……。
心の中で重い溜息が出る。鼻から深く息を吐き出した。一番最悪で、想像することも避けた手紙を手書き出来ない理由。
「彩恵子さんは?」
白々しく聞いてみる。まるで意地悪のように。それでも彼女の両親は顔を見合わせ、それから穏やかな微笑みを俺に向けた。
「三年前に、旅立ちました」
三年? 三年も前に?!
何にも知らず、気付くこともなく、俺はこの三年間、年賀状以外返事も出さずに過ごしていたのか……。
「でもどうして手紙が……」
「それが彼女の、あの子の遺言だからです。死んだ事を気付かれないように手紙を出し続けてほしいと」
それならば、彼女は今留守だと嘘をつくことも出来たはずなのに、訪ねた俺を素直に受け入れてくれた。
「いつまでも黙ってはいられないだろうと、一月に手紙をもらった時に話ていたんです」
「先に、気付かれちゃったわね」
長く患っていた持病で亡くなったと話てくれた。最初に会った十八年前は既に、病と闘っている真っ只中だったと。英語が得意だった友人が、彼女の夢を叶えようと計画した旅行だったらしい。
「出歩くのが好きだったから。写真をいっぱい撮って……」
俺を訪ねて赴任地まで遊びにやって来た時も、手紙の内容も、そんな素振りは微塵も感じさせず、元気でアクティブな女の子だと思っていた。
「後、」
「はい」
「この先何年か分は書いてあるんです……」
後何年か分。病床の身で何年も先の自分を想像して絵や写真を選び、文章を書いたという。その作業が、彼女にとって楽しかったことなのか。なら、後何年か分を俺も楽しみに待とう。彼女が最後に何と書いた手紙が届くのか。
「それなら、今まで通り待っています」
「はい。そうして下さい」
数ヶ月後、長引く梅雨空の合間、良く晴れた暑い日に彼女からの手紙が届いた。
[暑中お見舞い申し上げます!
今年の夏は鳴子温泉のある宮城県大崎市に行ってみたいと思っています。一面に広がるひまわり畑が有名なんですって。見てみたい!]
「宮城か……」
スマホを手にすると旅行サイトを検索し開いた。今年の夏は、ひまわり畑へ行ってみようと思い立つ。
ひまわり畑へ行ってみようと思い立つ @from_koa
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