46、愛する人
「――どうして?」
理解に苦しむといった表情で、ビアンカはベルンハルトを出迎えた。自分が駆けつけることは、彼女にとって予想外だったということだろうか。そんなにも自分は、物わかりの良い人間だったのだろうか。
(そんなはずないだろう)
だから今ここにいる。ユーディットを連れ戻すために。ユーディットに伝えなければならないことがあるから。
「きみの提案はやはり却下させてもらう」
「ベルンハルト」
「ユーディットはどこにいる?」
案内しようとしないビアンカを置いて、ベルンハルトは勝手に出て行こうとする。客間にユーディットの姿はなかった。とすると他の部屋だろう。スヴェンも、きっとそこにいる。
「あの子のどこがそんなにいいの」
茶会に呼ばれた他の客がいるというのに、ビアンカはベルンハルトを堂々と問いただした。ベルンハルトがユーディットのもとへ行くのを許さないというように立ち塞がって、真っ向から睨みつけてくる。
「ただ若いだけじゃない。家柄が良いわけでも、お金持ちなわけでも、容姿が飛びぬけて美しいわけでもない。どこにでもいる、平凡な娘じゃない」
どうしてそんな女が愛されるのだ、と訴えるビアンカの顔は怒っているようで、泣いているようにもベルンハルトには見えた。
自分には手にすることができなかったものを、彼女もまたずっと欲しがっていて、諦められずにいる。
「それともあなたも、同情で抱いたの? 憐れみであの子を可愛がってあげるつもり?」
たしかにユーディットの境遇にはそそるものがあって、興が乗った。誰かのために、自分を犠牲にできる姿を憐れんだ。ベルンハルトには到底できない献身さがあって、嘲笑する気持ちと裏腹に、美しいと思った。
でも、たぶんそれはきっかけにすぎない。
「はっきりとした理由なんか、ないさ」
アルフォンスの名を彼女の口から聞くたび、面白くない気持ちになった。まるで嫉妬しているみたいだと気づいた時は、愕然としたものだ。
まさか自分が、と思った。二十も下の娘に対して。容姿だって、ビアンカの言う通り決して醜くはないけれど、絶世の美しさとは言い難い。
でも柔らかな髪や、困ったように笑う際の眉の下がり具合とか、「ベルンハルトさま」と少し低く呼ぶ声はとても好きで、それでももう少し自分の意見は強く主張して欲しいという不満もあったりして、でもやっぱり誰に対しても優しい所は好ましく思って、他にも上げたらきりがないくらい……
「気づいたら好きになっていたのさ」
「いつか飽きられるわ」
「そうならないよう、最大限努力する」
ビアンカは向き合うことを逃げた。簡単に愛してくれる人を拠り所にしようとした。心の奥底に燻る、夫への未練を隠すために。
「きみが私に執着するのは、きみが得られたかもしれない未来を、認めたくないからだ」
「違うわ!」
違わないさとベルンハルトは微笑み、くるりと背中を向けた。これ以上ビアンカの時間稼ぎに付き合うつもりはない。使用人が戸惑い、お待ちくださいと彼女の家の家令が止めようとしても、彼は相手にせず振り払った。
「ベルンハルト!」
ビアンカが遅れて、追いかけてくる。彼女は先ほどベルンハルトが言ったことを否定する。私はあなたを愛しているからだと、だからこんなことをしたのだと必死に訴えかける。
――認めるのは、誰だって怖いだろう。もう手に入らないもの。壊れてしまったかもしれないもの。
(ユーディット)
ベルンハルトも、恐ろしくてたまらない。鍵のかかった取っ手を回しながら、身体をぶつける扉の先で、妻は別の男に抱かれている最中かもしれない。自分が望んだことなのに傷つき、裏切られたと思うだろう。
それでも、どんな結末であっても、自分は彼女を手放すことはできない。
「ユーディット!」
涙に濡れた彼女の顔。ベルンハルトを見て、今にも泣きそうな、それでいて、安心したような表情だった。
「ベルンハルトさま……」
ベルンハルトもまた、ひどく泣きそうになった。
ユーディットはベルンハルトを責めた。初めて、激昂した姿を見せた。自分はやっぱり彼女を泣かせてしまって、これ以上ない罪悪感を抱いたけれど、同時にベルンハルトは嬉しかった。ようやく、彼女の心の声を聴けた気がしたから。
言いたいことがあるなら、もっとどんどん言って欲しい。我儘にねだって欲しい。これからずっと一緒に歩いていくのだから。
「――あなたを、愛します」
許してくれた彼女を必ず幸せにしよう。もう泣かせたりなんかしない。大切で、愛おしい人。ベルンハルトの愛する人だ。
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