君が望んだぼくたちへ
荒川 麻衣
第1話 落ちた芸能人
間接的殺人命令書。正式名称、「給水停止命令」。行政法において、日本国憲法の条文よりも上司の命令は絶対であり、逆らってはいけない。それが人の命を奪う命令書であっても、上司命令はそれを上回る権限を持つ。
公務員は。上級国民である。役者を続けていれば
「この土地なんですけど、市で譲渡する予定はあります?」
「ああ、その件でしたら、土地開発課で、別の階にありますので、案内しますよ」
思考は、時々芸能界、妄想、役者を続けていればかなわなかった地位と安定性を手に入れた。私は35歳、すでに盛りを過ぎ、胸元に光るネームプレート、首からかかる青いひもは、公的な奴隷のあかしだ。
ぐるっと見渡す。よし、しばらくは席を離れても問題はないだろう。
私のファンだったかもしれないし。
30歳を過ぎ、公務員試験に受かる年齢ギリギリだと気づいた時、母は失望しながら、予備校への金を出してくれた。美しい母、この人より美しい存在を、私は見たことがない。だから、異性に興味はない。
アイドル時代、14歳だった頃には、こんな未来は妄想もしていなかった。引退するなんて、普通の仕事をする自分、上司にぺこぺこする自分、そんなものはまったく想像もつかなくて。
だから、仕方なく、この地味で、誰も僕のことを知らない場所で、芸能人だったことを知らなくても。
役所は、役人は、芸能界から最も遠い場所だ。先日、年下の先輩がこう話すのを聞いた。
「役所に、芸能人なんているんですかねー」
「いないに決まっているだろー」
残念ながら、携帯端末で自分の名前を調べれば、芸能活動の履歴は出てくる。小さな、500人規模の劇場、公共施設の、公共事業の一環で、脚本家になるために劇団に入ったのに、気づいたら刀持たされて子役として。いや、子供向けの劇団だから全員が役者、舞台に立つ以上はプロだとたたきこまれ、出演料はでなくても、チケット代500円だから、舞台に興味ない人間を演劇に興味持たせて、引きずり込むのがお前らの役目だと。
でも今じゃあ、誰も俺のことなんか興味ない。
同期は全国ツアーを実施するような音楽家の岡崎 山田(おかざき やまだ)わ年末のテレビ番組のオープニングをかざったダンサーの清野 群平(きよの ぐんぺい)、と、そうそうたるメンツなのに、俺の翼は蝋で固めた大きな羽だったから、太陽に近づき過ぎて、落下した。
大体の場合は、芸能界をテーマ、主題に置いた作品は、努力が報われて成功をつかんだ人間が、大衆を魅了する作品ばかりで、引退したり落ちたり、炎上したり、だいたいが芸能活動の頂点で終わる。芸能界に夢見過ぎだろ。
俺みたいな、挫折した人間のことなんて。
昼休みのチャイムが鳴る。中学時代と違うのは、チャイム、時報が鳴っても席を立たずに談笑する連中がいることだ。俺はその中に入れない。排除されているから?
小学5年生。岡崎 山田が主演で、脇役として舞台に立ったあの頃からそうだった。友達はいた、でも。
翌年、小学6年生で、ひとつ下の子たちの公演を見て、
「来年一緒に出ようね」と言ったら、ことわられ、そのまま、喧嘩して、送った年賀状の返事はかえってこなかった。あの日に戻れないし、連絡先も行方も知らない。
中学受験に失敗し、戻ってきた劇団には、知っている人間は誰もいなかった。ひとりきり。
お世話になっていた、劇団の支配人に聞いたら、
「みんなやめたよ。あなたが一番の古参だ」
あの時。2年前に聞いてはいた。
「これから先、芸能界に生き残るのは」
君が望んだぼくたちへ 荒川 麻衣 @arakawamai
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