第14話


「……その人に、触るな……ッ!!」


 右腕だけで、地面を押し込む。歯軋りと共に、片足を持ち上げる。ただ立ち上がることすら、地獄の底から這い上がるくらいに辛かった。


 血を吐きながら、全身から血を噴きながら、唸り声を上げながら……


【立ったところで無意味です】


――リガミア様の声がした。

 

「……ッ」


 不意の神託に、ピクリと震える。だがフニは首を振り、どうにかその言葉を拒絶した。

 これは無意味だとか、そういう話ではない。立たねばならないのだ。立ってギルヴァを斬らない限り、フニ・サーチレイとして死んだも同然なのだ。


【代わりに生き残る手段を教えます】


「……え」


 だが続けられたリガミアの言葉に、ほんの少しだけ興味を惹かれた。フニにとってはギルヴァとの勝ち負けより、サーシャと共に逃げきることが最重要だったから。

 たとえ国から追い出される羽目になっても、サーシャと幸せに過ごせるなら、それはフニにとって受け入れられる現実だった。


 フニはリガミアの神託に耳を傾ける。どんな過酷な手段でも、やりきってみせると覚悟を決めて。


【ギルヴァに二つのことを告げなさい】


「……二つ?」


 それだけで良いのか、と驚いた。


【一つは『サーシャは自殺を考えている』と】


 なぜ?とフニは疑問に思うが、口は挟まない。きっと何か、自分如きには理解できない理由があるのだろうと――


【そして二つ目に『サーシャの姉は、聖地シャルネで暮らしている』と】


「――は?」


 フニは固まった。リガミアが告げた神託の、意図が分かってしまったから。


「……ははっ」


 サーシャが自殺を考えていると知れば、ギルヴァは自殺を止める方法を探すだろう。そんな状況でサーシャの家族の居場所を教えれば、話がどう進むかなんてすぐに分かる。


『サーシャが自殺できないように、サーシャの家族を人質に使ってくださいね』


 遠回しに、そう伝えろとリガミアは言ったのだ。


「あはは。……それを交換条件に、ボクだけは見逃して貰えと?」


 あぁなるほど、確かにボクは生き残れる。サーシャを犠牲にして、サーシャの最後の逃げ道すら断ち切って、ボク一人だけ生きていくことができますね、とフニは笑う。


 相も変わらず、恐ろしいほどにリガミア様は正しかった。絶対的に正しかった。きっとリガミア様が把握する無数の未来の中で、それが最善なのだ。それが一番マシなのだ。


「――――。」

 

 フニの動きが完全に止まる。思考すらも停止した。それはまるで、羽化を直前にしたさなぎのようで――


「……もう黙れ、リガミア」


――有り得ぬ憎悪を解き放った。


 フニの透き通る紫色の髪から、徐々に色が抜けていく。毛先から少しずつ、白銀の光沢へと変化していった。


「……」


 親愛し、敬愛し、礼賛し、尊信し、推重し、崇拝し、畏敬し、賛仰し、敬服し、賛美し、恭謙し、憧憬し、欽慕し、礼拝し、恭敬してきたリガミア様へ。


「……この後に及んで、まだサーシャを犠牲にしろと言うのか」


 貴方の瞳には、何が見えている。


「……ボクの為に泣いてくれたサーシャの姿が見えないのか?ボクの為に、全てを投げ出そうとしているサーシャの言葉が聞こえないのか?」

 

 もし貴方に、それが届いていないのであれば――


「――もう二度と、ボクに口を出すな」


 完全なる拒絶と同時、フニの髪色が白に染まり切った。


 フニはもう一度、全身に力を込め始める。


「う”、がぁぁぁ……ッ!」


 消えた左腕から血が溢れる。着ていた服は赤に染まり、元の模様など分からない。


「絶対に、助ける……ッ!!」


 痛まぬ箇所など何処にもなかった。ありとあらゆる身体の部位が、休むべきだと本能に訴えた。


「うる、さい……ッ!!」


 さっさと立って、サーシャを救え。全てを斬り裂いて、未来を変えろ。


 限界を超えるのがリガミアにとっての予定通りなら、さらに超えてやれば良い。それすらも予定通りなら、さらにもう一度超えてやる。


「サーシャの、為ならッ!何度でも……ッ!!」


 超えて、超えて超えて超えて。未来が変わるまで繰り返す。

 リガミアの言葉など知ったことか。


「ボクの未来は、ボクが……ッ!!」


――そのとき。フニの瞳に変化が起きた。


 橙色の瞳の内に、水晶玉の如き無機物さを宿す。その夕暮れに彩られた煌めきに、人特有の柔らかさは皆無で――ただ全てを見透かすような静けさだけを持っていた。

 

「……これ、は」


 ふと見えたのは、「首を失った自分の死体を、泣きながら揺するサーシャ」と「サーシャを見て大笑いしているギルヴァ」である。それはギルヴァが嘘でサーシャを安心させた直後に、フニの首を斬り落とした光景だった。


「……未来?」


 五秒後。ギルヴァの『断絶眼』が、フニの首を刎ねる。


 八秒後。サーシャの悲鳴が上がる。


 十四秒後。サーシャがフニの死体に触れる。


 十六秒後。ギルヴァの笑い声が響く。


「……」


 顔を上げると、ニヤけたギルヴァと目が合った。それはフニを殺すつもりの顔だった。

 しかし不思議と恐怖は感じない。ただの一度も躱せなかった『断絶眼』が、何の脅威にも思えなくなっていた。


――観える。


 フニは膝立ちの姿勢から、全力を振り絞りほんの一歩だけ横に跳ぶ。すると先まで自身の首のあった位置に、僅かな空気の歪みが生まれた。どうやら『断絶眼』を回避したらしい。

 

 ギルヴァは口を半開きにして、フニを見つめた。


「え、避けたの?いや、それよりなんだよお前……その目は」


「目?」


 フニは首を傾げるが、しかし視覚が変化した現状から考えて、己の瞳がギルヴァのように変わっていてもおかしくはないかと納得した。


「まぁ、見た目なんてどうでもいいんです。……それにしても本当に、貴方に


「ぬぬ?何言ってんだお前」


 死にかけの身体でフニは微笑む。どうやらリガミアの見た未来に、フニの開眼は含まれていなかったようだ。


 それは魔眼。名を『予知眼』。

 未来を見抜く瞳である。


「そういえば貴方は魔眼を使うとき、斬る場所をいちいち教えてくれましたよね」


「それがどうしたの?」


「いえ、お礼にボクも教えてあげようかなと。でもボクはいたぶる趣味は無いので……一瞬で、首を斬って終わりにします」


 正しくは「剣を振るうのは一度が限界なので、一撃で首を斬って終わりにします」だが、わざわざ正直に話す必要は無いとフニは思う。


「面白くない宣言だねぇ。叶うわけないよねぇ」


「いいえ。これは宣言ではなく、予言」


 フニはふらつき、口元からは血を垂らす。だがそんな満身創痍でありながらも、表情だけは穏やかだった。


「……では、斬りますね」


「やってみなよ。開眼したくらいで調子に乗らないでよね」


 今の傷だらけのフニに、初歩から最速に至る瞬発力はない。故に倒れ込むように歩を進め、段階的に加速する剣技を選んだ。本来は隙が多過ぎて実践的ではない技だが、しかし『予知眼』によって無類の剣となる。


「神威――……いや」


 癖のように呟いた一言を、フニは自ら訂正する。虎の威を借る狐ではないが、神の威を借るのはもう止めた。今から放つこの剣は、自ら生み出した剣である。


 これは予知と共に形を変える、神にも見切れぬ変幻自在の剣技。


「……。神幻――――」


 その場で適当に決めた名を、フニは半笑いで呟く。本音を言えば、技名などはどうでもよかった。


 フニの瞳には、二つの世界が重なって見えている。現在と0.1秒後の世界が、僅かにブレて映るのだ。


「は!?なんで避けれるんだよッ!」


 だから『断絶眼』がどんなに回避困難な攻撃だろうと関係ない。斬られた未来を元に躱せた。

 フニはギルヴァに向かって、一歩二歩と加速していく。決して掴めぬ幻のように揺らぎ、一切の減速なく近づいた。


「お前避けんじゃねぇよクソが!!」


 ギルヴァは後退しながら『断絶眼』を乱発させるが、足止めにすらならない。最早ふらついているだけにすら思えるフニに、ギルヴァの攻撃は掠りもしなかった。

 ギルヴァとフニの速度が拮抗したのはほんの一瞬。五歩も進めば、フニの速度が上回る。


「ち、近づかないでよぉッ!!」


 出来ることなら、苦しめてから殺したかった。


「近づくなって言ってるじゃん!!」


 少なくとも、クイナと同じだけの苦しみを与えてやりたかった。


「巫山戯ないでよ!どうして、俺がこんな雑魚に……ッ!!」


 でも今の身体にそんな余裕はない。だから、せめて想像を絶する地獄に落ちてくれと祈りながら――


「クソがクソがクソがお前が死ねぇぇぇぇ!!!」


「――――《七変鏡》」


 その喧しい首を、思い切り刎ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る