第4話
フニが初めてリガミアの声を聞いたのは、十歳のときである。
【貴女の両親は五分後に死にます】
それは知ったからといって、どうすることも出来ないお告げだった。
「え、なに……?」
脳裏に響いた声が怖かった。
でもその声の内容が嘘だとは思えなかった。
「走って!!お父さんもお母さんも、もっと速く走って!!」
フニは二人の手を握り、全力で逃げた。何から逃げれば良いのかも分からないが、とにかく全力でその予言から離れようとした。
――グチュ。
大好きな二人が、ただの肉塊になった瞬間の音は今でも覚えている。
「え、ボクのせい……?」
分かっていたのに、助けられなかった。
「お父さん?」
もっと上手くやれたのではないか。
「お母さん?」
何か方法があったのではないか。
「あれ、あれ?」
或いはもしかして、自分が二人を死に向かって走らせてしまったのではないか。
「ごめん、なさい」
それは不意の事故よりも、遥かに深くフニの心を抉り――そして、遂には自分が両親を殺したと錯覚するようになった。
ああしていれば、こうしていればと無意味な空想を繰り返す。終わりの無い後悔に苛まれるうちに、フニの精神はボロボロにすり減っていく。
そうしていつしか、フニは現実逃避をするようになる。
「……リガミア様の言葉は絶対なんです。だからボクが何をどうしようと、お父さんとお母さんは死んでいた。あれは初めから決まっている未来だったんですよ」
その日、フニ・サーチレイが生まれた。
「――リガミア様の言葉は、絶対に正しい」
☆ ☆ ☆
「……クイナ?」
フニの言葉に疑問符が付いた理由は、受け入れ難い光景に動揺したことに加えてもう一つ。顔の原型が残っていなかったからだ。頬も額も痣で青色に染まり、あまりにも酷い腫れで輪郭すらも分からなかった。
ただ衣服が昨日と同じだからという理由で、フニはその死体がクイナであると理解した。
「また……ギルヴァが来た、のですか?」
クイナの全身は、白濁とした液体に染められている。特に口周りと股下から、酷い臭いが漂った。これは一体、何人分だろう?少なくとも二桁は下らないか。
「……なぜ?」
どうせ常人に推測できる狂気ではないと分かりながらも、考えずにはいられなかった。フニはただ呆然と、クイナだったモノを見る。苛立ちよりも先に、困惑が前に出た。
「……あ」
もう一つ、死体を見つける。荷台に隠れて気づくのに遅れたが、それは紛れもなく見知った人物だった。
「クイナのお父さんまで……」
肩口から斜めに振り下ろされた、巨大な斬り傷。恐らくはクイナを助けようとして斬り殺されたのだろう。その頬には、涙の伝った跡があった。
既に死んでから数時間は経っている。地面に流れる血痕が、もう乾いていた。
ふとフニの背後に人の気配。振り向くと、麻袋を携えた三人の男が立っていた。
「恐れ入ります、フニ様。我々役人の者で、この付近で死体が見つかったとの報告を受けて参りました。そちら、回収させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……ええ。ご苦労様です」
脱力しきった二つの死体が、荷物のように運ばれていく。どうしようもない無力感と無気力さに、フニは静かに空を上げた。
そうしてぼうっとしていると、元より薄暗かった空はあっという間に日を落とす。辺りはすぐに暗闇に包まれ、ポツポツとランプの光が見え始めた。
「ああ……もうこんな時間ですか。急いで戻らないと、サーシャが心配してしまいますね」
ギルヴァの蛮行で流す涙は、とっくの昔に枯れ果てた。許すつもりは毛頭なくとも、同じような光景を幾度となく見てきた故に、無意識に心は凪のように静まってしまう。
フニは光の消えた瞳で前を見つめる。無心のままに帰路を往く。自分が唇を噛み切っていることすら気づかずに、地面に赤色の雫を垂らして歩いた。
「戻りました。フニです」
屋敷の大きな玄関扉を開き、中へと入る。すると入口のすぐ側にサーシャが立っていた。どうやら丁度、玄関周りの掃除を行っていたらしい。
「おかえりなさいませフニ様。随分と遅くまでクイナ様と遊ばれたのですね。どちらまで行かれたのですか?」
サーシャはハタキを構えたまま、フニに問いかける。
「いえ、クイナは――」
そのまま事実を話そうとして止めた。わざわざ伝えることでもないとフニは判断した。
「……今日は西側の門から出て、壁の外を少し回ってきました。魔物の出る地域までは行きませんでしたが」
「それはまた随分と遠くまで……。ちゃんと楽しめましたか?」
「あはは、実は最後に喧嘩しちゃいました。まぁボクがはしゃぎ過ぎたのが悪いんですけど。きっと嫌われてしまったので、クイナとは二度と遊ばないと思います。……ではボクは部屋で休むので、失礼します」
「え?……あの、フニ様――」
サーシャの呼び止める声は鮮明に聞こえたが、しかしわざと聞こえないフリをして、そのまま自室へと歩いた。バタンと部屋の扉を閉じると、外から入り込む全ての音が消える。まるでこの世界から、自分一人だけが隔絶されたような気分だった。
「……狂ってる」
安全なハズの王国内の街中の、それも人混みの中で何度も何度も人が死ぬ。しかもそれを国中の人間が許容するとなれば、狂気以外の何物でもないだろう。
「……ギルヴァが一位で、ボクが二位」
極論。この国が狂っているのは自分のせいだ、とフニは思う。いつまで経ってもギルヴァに劣る、弱い自分が悪いのだと。
しかしギルヴァとフニの間には、順位以上の格差があった。
かつてフニは『第九位』だったが、しかしある日突然『第二位』に名を置くことになる。理由は単純で、ギルヴァが『旧二位』から『旧八位』まで全ての人物を殺したからだ。要するにフニは、勝手に空いた席に座らされただけなのだ。
ギルヴァは二位から八位まで七人を、同時に相手し殺し尽くしたという。つまり事実のみで評価を下すなら、『フニより強い人間が七人で襲いかかっても敵わない』のがギルヴァだった。
「……」
ふと机の上を見ると、手紙の束が置かれていることに気づく。十日に一度、フニ宛の手紙をメイドが纏めて運ぶのだが、どうやら今日がその日だったらしい。
その中身は、大抵決まって二種類である。
一つはフニのファンに属する人々からの、応援の手紙。
そしてもう一つは――
「……今回は、いつもより多いですね」
――ギルヴァを殺してくれ、という懇願の手紙。
『理想の女を一から育てると言って、五歳の娘が攫われました。そして一ヶ月後、餓死した娘の死体が届きました』『ギルヴァの持つ人形が壊れたから、その代わりになれと両足を切り落とされ遊ばれた』『結婚したばかりの妻を奪われた。生きているか分からないが、どうか助けて欲しい』『アイツは私の両親を魔物に喰わせたんです。私と、妹の目の前で』
涙の粒で文字が歪んでいたり、紙の端に血が飛び散っていたり。その一枚一枚の全てに怨念が篭っていた。
そんな「応援」と「怨念」とで両極端の二種ではあるが、しかし終わり方だけは同じだった。
「――『フニ様。ギルヴァを殺して、どうか第一位に』」
要するに国を救ってくれと。そういう内容なのだ。
フニは床に座り込み、机の脚に背を預ける。膝を抱えて、小さく、小さく、うずくまった。
「……ごめんなさい」
リガミア様の声がする。遥か遠くから響く心地良い声だ。それはフニにとって予言であり、未来を記す道標であり――そして、「絶対」だった。
「……本当に、ごめんなさい」
謝ったのは、己を信じてくれている全ての人に対してだ。ギルヴァに挑みすらしない自分を情けなく思う。惨めに思う。申し訳なく思う。
しかしそれでも、フニはギルヴァには挑まない。
「……リガミア様が、ボクでは勝てないと言うのです」
リガミア様の示す占いは絶対で、リガミア様の言葉も絶対。フニの中でそれら重さは、己の意志よりも上なのだ。
幻聴だの思い込みだのと言われようが、フニはリガミアの声に耳を傾ける。その盲目的なまでの信仰に、フニと深く関わった人々はフニを避けていく。そして唯一残ったのがサーシャだった。
――ふと、扉を叩く音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます