第5話 0の数で決まる

「遅なってもうてごめんやで」

 二瞬ほどの差でヒクマトが現れた。満身創痍で服が破れて際どい場所が見えそうで見えない。

「……他の連中は?」

 逆海老固めをアランに掛けたままでカジミールは訊いた。完全に八つ当たりである。彼女はフレデリークにジャンピエロ、エリクの四人で行動していたはずだ。

 戦闘が終わったと思うと出血が多いパコは貧血で倒れ、蒼い顔して横たわっている。切断された脚をヒクマトが付けてやった。処置は早ければ早いほどいい。

「神官服の奴にアルファーロはやられたやろ?」

「おう」

「あれゴメスいうねん。ケルク・ジュール監獄から脱獄させたやっちゃらやな」

「おう」

「追い付いた思たら待ち伏せされとって、ゴメスだけやない手下共がおってや、他の三人は病院送りや」

「何人いた?」

「死体は九個。手間取っとる間にゴメスに逃げられたんや。転移の航跡を辿ったんやけど、遅かったな」

 恐る恐る村人達が広場に踏み込む。止められないから大丈夫と見たのか彼らを囲んだ。

「先生が何したっていうの?」

「テレザさんを手当てさせて」

「貴様は先生が逃げようとするのを邪魔してたな」

 カジミールを見下ろしながら男が訊いた。詳細を知らない為に半信半疑ではあるが責め口調だ。

「ソランジュの告発を聞かなかったか?」

「聞いたが、ありゃ子供だ」

 ソランジュは子供で家族を殺され動転しているし、贔屓からどちらかというと神官の方が悪っぽく見えてしまっている、という訳だ。告発が聞こえなかった者もいる。同じ神官服の男がデュソー先生を助けて逃げた。看護師のテレザは身を挺して先生を守り倒れている。

 彼らは情報が少なくて、この恐怖や不安、怒りを何処に向けて発すればいいのか分からずに苛立っていた。

「デュソー医師は継ぎ接ぎロランだ」

 何だそりゃ?と問う声、知る限りの情報を話す声、だが、人の善かった医師が噂に聞く殺人鬼とは繋がらずやはり信じられずに戸惑っている。

「先生が継ぎ接ぎロランだってどうやって証明するんだ。あんた達が本当に警官なのかも怪しいぜ」

 同意があり不信の目が向けられて、彼らの結論が嫌な方向に向こうとしていた。

「デュソーはね、私の家族も殺したのよ」

 冷たい声がそれを変えた。テレザが起き上がっていた。口内に溢れる血をペッと吐いた。

「テレザさん。あんた先生を庇ってたじゃないか?」

「勿論私も殺されて、ロランの支配下にいたの」

「テレザ、口を閉ざせ!」

 痛みに呻きながらもアランの鋭い声は彼女を刺すようだった。

「俺の尻の下で男が喋るな」

 口枷をされた上に背中で両手足が棒に繋がれる。

「卑猥な拘束の仕方すんなや」

 ヒクマトが抗議したが有効な拘束法ではある。

 それにはどこ吹く風でカジミールはテレザに上着を貸した。棘の付いた鞭で打たれた看護服はヒクマト以上にボロボロだ。怪我も酷い。

「マルジョリーの配下になったか」

「何でも話すわ。だからこの地獄から私を解き放って!」

 心の底から解き放たれた悲鳴だった。

「そんな…テレザ…」

 村の女性が声を掛けようとして戸惑っている。

「私はテレザじゃないわ!何人もの人間の継ぎ接ぎなの」

 血を吐くような叫びが村民に伝わった。

「そんな…」

「夫と孫と出掛けていた所を囚われて…」

 涙と嗚咽で後が続かない。

「もういいよ。何と呼べばいい?何て名なんだ?」

 元の名で呼ばれたくなかった。別人にされてしまったから。頭を横に振って「十四号でいいわ」とようやく告げた。

 何故十四号なのかは訊かないことにした。どうせ愉快な答えは返らないに決まっている。

「はい、お待たせ」

 転移で広場の人気のない場所にマルジョリーが現れる。卑猥な姿のアランを目にして眉を顰めたがノーコメントである。カジミールの仕業なのは一目瞭然だ。

「一体転移して逃げられたけど五体動けなくした」

「上出来マルジョリー」

 ヒクマトが手を挙げるとそれを掌で叩いて応える。

「お疲れヒクマト。そそる格好だね。服の趣味変えた?」

「男の好みに合わせる可愛いうちやけど今回は別~」

 薄手の長いコートをマルジョリーが貸してくれる。

 ゴッ

 いきなり巨大な気配が動いて音と共に大地が揺れた。

「何?」

「ダンテが診療所ごと茜府に転送した音だと思う」

「はあ?」

 皆が口を揃えた。

 人一人転送するのもかなりの魔力を消耗するのに、建物ごとなど聞いたことがないから疑うのも無理はない。

「マジだよ。死霊が十六体、人の部分がたくさん地下にあってさ。見るのが気分悪いってそのまんま送るってさ。あいつ何者?」

 彼女はダンテと仕事で関わるのは初めてなのだ。彼女だって地下にある物を見るのは辛かった。

「訳ありの非正規雇用者」

 そんな説明で納得しろというのも無理があった。

「何でこっちに来てくれなかったかねぇ」

 罵声を堪えてカジミールが呟いた。

「知らんの?血ぃ見んの嫌いやからって、助っ人料法外設定やのに戦闘参加料金はさらに法外な額要求しよんねやで」

「マジで⁉」

「マジマジ、29ヴァンヌフの班長に料金表見せてもろたことあんねん」

 0が多くて目が飛び出そうだった。

 29ヴァンヌフは特捜班の一つだ。事件によって番号も構成員も変わる。29、39、49などヌフ番号は特捜班でも特に危険な捜査を任されている。トゥーサンの率いるこの班は19ディズヌフである。

「この件が終わったら奢らせてやる」

「うちはグランメゾンでしこたま食べてワインがぶ飲みするで」

「あんたら何訳の分からんことを喋ってんだ!」

 一般の村人よりは身形の良い若い男に叱られる。村長の息子だ。父はブリスの家を覗いてから魂が抜けたままでいる。

 説明にカジミールを残すと、他は蜘蛛の子を散らしたように証拠保存作業と広場の修復作業を始めた。

「狡いぞお前ら!」

 マルジョリーは幾つにも分かれたヘナロの遺体とブリス家の遺体を回収、保存魔法を施す。ヒクマトと貧血から脱したパコは破壊場所を元通りに直し、飛び散る血の跡を消した。

「班長遅いな。今朝一で来るっつってたのに」

 班長が来ていれば彼に任せられた、パコがブー垂れる。

「ベタンクールとなんか話があるらしいで、それで出発がちょい遅れるて遠話あった」

 ベタンクールはトゥーサンの上司で特にヌフ班を統括する。

「班長にもなると難しい駆け引きがあるんだろうなあ。ゴメスの身元は?やっぱり聖ルカスから派遣されたのかい?」

69ソワソントヌフに事件をかっさらわれるかもしれへん」

「ええ!」

「少なくともセルファチーの件は捜査権が移るやろな」

「それって…」

「聖ルカスはセルファチーを欲しがってる。流血は全部そん為や」

 苦々しい思いにヒクマトの顔が歪む。奴に何をさせたいのかは知らないが、その為にアルトワ・ルカスの市民に被害をもたらすなど言語道断だ。

「うちがゴメスの事をちゃんと報告したらな」

「まだ報告してないの?」

「一通りはしたやん。けど追跡中やったから事細かに報告、いう訳にいかんやろ?」

「ああ」

「捜査権が移る前に絶対捕まえたんねん」

 パコも強く頷いた。

「だな、絶対僕達で捕まえよう!」

 血の跡がキレイに消されると見計らったように仔羊のダンテが現れる。顔色の悪いルトフィー・イェシルメンも一緒だ。診療所の地下を目にして嘔吐し出したからマルジョリーに置いて行かれ、ダンテに連れて来られた。

 相前後してトゥーサンとティボー・デマレも村に現れる。

 修復された広場には石畳の割れも血の跡もないが、血の匂いは微かに漂っていた。

 ダンテが何処からともなく書類を取出す。

「危険度が上がったんで、これ料金表」

 0が多い料金表にトゥーサンは苦い顔だ。

「是非俺の手料理を振舞いたいんだが」

「それでも0の数は変らない」

 サラッと流される。

「俺に恩を売っとけよ」

「早朝料金と診療所の転送料金はロハにしてある」

「………」

「それにしても血の匂いが酷いね。被り物しててもプンプンしてる」

 血が嫌いなのは料金を吊り上げる嘘ではない。

「立ってらんない、座らせてもらうよ」

 古びたベンチに腰掛ける。

「ひ弱なボン(坊ちゃん)やな。連中の転移の航跡読めるか?」

 会話にヒクマトが割って入った。

「読めない。キレイに消された上にフェイクを幾つか蒔いてる」

「やっぱ、只者ちゃうなゴメスは。他に追跡の方法は?」

「ある」

「どないすんの?」

「企業秘密」

「ほんなら確実にやったって。逃がしなや」

「料金表をご覧下さい。S級追跡の二番に相当します」

 皆の目が料金表をなぞり目が飛び出しそうになる。

「ぼったくりやないか!」

「まけろ!こんな大金出せない」

「市民の安全が掛かってんだぞ」

 一斉に抗議の声が上がる。

「やかましい凡才共。俺は能力有有だからって毎日のようにヤバい現場に引っ張り出されてんだ。会計の仕事もこなさなきゃならないのにな」

 ここに集まったディスヌフの連中は誰も凡才ではない。だがダンテの破格の才能の前には凡才も同じだった。それに誰にも代われない危ない仕事を引受けているのも事実だ。高額料金だが。

「安い方の料金で何とか出来る方法はないか?お前会計方なんだから料金が通るかどうか分かるだろう?」

 肩を落とし気味にトゥーサンは問うた。

「俺、書類通すだけだから分かんないね」

 無情である。

「御事情に合わせて料金プランの相談はお受けしておりますよ。勿論相談料は発生しますが」

「悠長な事言ってくれんじゃねぇか。この間にも犠牲者が出てるかもしれねぇんだぞ」

 カジミールが気色ばんだ。

「それはない。セルファチーは支配欲が強い癖に確実に自分より弱い奴じゃないと自分では殺さないし、連れてったのも作ったばかりの継ぎ接ぎだからゴメスに敵わない」

「別の隠れ家に隠してるかもしれないじゃない」

 診療所の地下が脳裏に浮かんだ。あんなものがマルジョリーの大切な祖国に幾つもあるなど怖気が立った。

「潰した。診療所で得た情報で他の隠れ家を追えたから捕獲用の罠を仕掛けといた。けど…ついさっき一つに現れてゴメスに見破られた。配下も有能なの連れてる。航跡は…やっぱり追えない」

「え~~~」

 その能力には舌を巻いた。いつの間にどれ程の事を成し得ているのか空恐ろしくもあった。パコなどは素直に感心しているがカジミールはさらに表情を険しくした。

「料金を相談させてもらえるかな、ダンテ君」

「ご相談には誠意を以って答えさせて頂いております」

 トゥーサンとダンテは静かに話せる場所に席を移した。

「あれやな、0の数で誠意が決まるってやつやん」

 残された者達が頷いた。


 0の数に悩んでいるのは父ばかりではない。善は急げとブティックを梯子するイヴェットもだ。

 今日はさぼりではなく、午後からは必修科目が一時間しかなかったのだ。センスの良い男の子を連れて行く。だが冬も寒いは寒いが北より遥かに過ごし易く秋の長いトロザでは冬物が出回るのはまだ先の話だった。

「お父さんの言う通りだな。向こうで良い服買ってもらって要らなくなったのは捨ててくればいいんじゃないかな」

 何軒回っても良いのが見つからないのでセルジュが言った。

「今ならこれ買えば?」

 女子の間で流行りかけている、リボンで布を抓んで所々肌を見せるカーディガンだ。色も布質も良く一枚あれば重宝しそうなのだが、庶民の少女が背伸びし過ぎたのか0が多いのだ。

「やっぱ普段行ってる店より高いね~」

「俺も勧めてて何だけど吃驚してる」

 正直に笑った雰囲気がいい。

 取巻きの中でセルジュは異色だった。品が良くて彼だけがイヴェットの中身を見てくれている気がした。

 女にしては背の高いイヴェットは大人びていて体型も良かったから、遊び慣れた風に見られてしまって、リセの男の子達も性的な要求をチラつかせて近付いて来る。簡単にやらせてもらえると勝手に勘違いするのだ。彼女がその期待に応えねばならない謂れはない。適当に遊んで肘鉄を喰らわせていた。

 残念なのはイヴェットより少し背が低いところだ。

「どうしても買いたい?無理しないで他の安いとこ行こうよ」

「だね~。この値段だったら一揃え揃えられちゃうね」

 水を向けられて諦めて服を返そうとすると、上品で明らかに上流階級の女性がカーディガンを取った。

「良い服じゃない。諦める必要はないわ、私が買って上げる」

 上流階級の女性に知人はいない。だが何処か記憶層に働きかけられるものがあった。セルジュが酷く気を遣った様子で、どうしていいか迷っている。彼は女性を知っているのだ。

 問い掛けるイヴェットの瞳にセルジュは躊躇いがちに告げた。

「シュザンヌさんだよイヴェット」

 敢えて母と口にするのは避けていた。理解すると一気に血の気が引いて戻って来る。

 覚えているより華やかだ。こういう生活をしたかったのだと悟った。

 無視して行こうとしたイヴェットにシュザンヌは慌てた。

「イヴェット!どうしても話をしたかったの!トゥーサンから私のことを悪く吹き込まれているのでしょうけど、直接会って話して私を解かって欲しかったの」

 イヴェットは足を止めた。

「誰から、何をって?」

「彼の言葉を鵜呑みにするのじゃなくて、実際の私と話して判断を下して、お願い」

「実際のあんたがしたことを忘れたの?」

 チラッとでも思い出したくないのに思い出してしまう記憶。

「理由はあるの。説明させてくれたら理解してもらえると……」

「有得ない!」

 強く低い声で答えた。

「うちでは一切あんたの話はしない。父さんはあんたの悪口なんて一言だって口にしたことない!」

「イヴェット…」

 こんな嫌な場面なのにセルジュは母とイヴェットの間に立ってくれた。それだけでイヴェットは感謝と感激を覚えた。

「他家の問題に口出ししたくはないのですけど、いきなりは失礼だと思います」

「そうね子供に口出しして欲しくはないわね」

 やんわり言ったセルジュにシュザンヌの方が子供のようでイヴェットは恥ずかしくなった。

(この人の血を引いてるんだ)

「今までもこれからもあんたと話すことなんてない」

 セルジュの手を取って行こうとしたが進路に立たれる。

「お願い、話だけでも聞いて欲しいの」

「どいてよ。あんたの顔を見てるだけでも吐き気がするんだから」

 本当だ。未消化の物が逆流しようとしている感覚がある。

「酷いわ、私は貴女の母なのよ」

「ええ、酷いよねあんたが母だなんて」

 シュザンヌが言葉を無くしたその時である。

「止めなよ母さん!」

 少年の声が響いてノーランが現れた。母を同じくする弟だ。なのにイヴェットに憎しみの籠った瞳を向けている。

「ノーラン、だって…」

 今度はセルジュが震えるイヴェットの手を引いた。

 いつの間にか泣き出した彼女にハンカチを渡して人気のない場所に案内してくれる。珈琲売りが回ってくると濃いのを二杯注文した。

「おやおや、彼女を泣かすのはちょっと早いんじゃないか?牛乳?生クリーム?」

「生クリーム!」

 彼を悪者にしない為にイヴェットは大声で答えた。

「俺も」

「ハイハイ、たっぷり入れとくよ」

 ワゴンに取って返すと素焼きではなく陶器の茶碗に淹れて運んで来てくれた。

 熱い砂に小さな銅の鍋が置かれると瞬く間に沸騰する。淹れてるのは奥さんだろう。集まる客とお喋りの花を咲かせながら手も止まらない。どうってことはないのに見飽きることのない光景だ。

「美味しい…」

 眺めながら並んで座って熱い液体を啜った。

「ホントだね。いい珈琲売りにあたったね」

 珈琲売りが近くにいるので人気が増えてしまったがそれは気にならなかった。

「ありがとう、やな思いさせちゃったよね」

「気にしないでいいよ。実はうちの一番上の姉さんも離婚係争中なんだ」

「え、本当?」

 そう言えばセルジュの家のことを何も知らなかった。

「ホントホント。毎日うちに来て母さんに愚痴言いまくってる」

「へ…へぇー」

「父さんはさっさと子供連れて帰って来い、って言うけど母さんは夫婦でやり直す道を探せ、って」

「えー、お姉さんだって嫌いな奴と一緒に居たくないと思うけど」

 諸手を挙げてお父さんに賛成だ。

「そういうものでもないらしいよ。好きだから気持ちが伝わらなくてすれ違うのが辛いんだ。姉さんの愚痴を聞いてたらそんな感じだった」

(大人だ…)

 開いた口が塞がらなかった。

「セルジュ」

「何?」

「今夜うち来ない?」

 セルジュは珈琲を吹き出した。

「え?え?えぇ?」

 真っ赤になって狼狽える。

「父さんがさ、何かあるとすっごくたくさん料理作る癖があってさ」

「あ、ああ」

「今日から出張なのにすっごい量が残っちゃってんだ。食べに来ない?」

「ああ、ああ、そういうことね!」

 安心と残念が同時だ。

「そうだよ、どうかした?たくさん食べてくれると嬉しい」

「わ、分かった、行かせてもらうよ。うん、喜んで」

 リセで初めて友達が出来た。

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