第3話 約束をしよう
夜が来た。
断崖絶壁の小さな窪地でソランジュは動くこともままならずにいた。
まだ安全な座標を確実に取れもしないのに咄嗟に転移してしまったからだ。失敗して崖と一体になったりしていないのは幸いだといえた。だが冷静になるともう一度転移を試す勇気が湧いてこない。
今夜は月もなく、人家の灯も見当たらない真の闇でソランジュは恐怖に震えているしかなかった。
誰もいない家に帰るのは勇気がいる。
「時薬が治してくれる」
と言った大人もいたが、未だ効いている様子はない。
父と娘の二人暮らしで、つまりそれは毎日だった。帰宅時間をずらしてずらして、夏の陽がとっぷり暮れてからイヴェットは玄関前に立った。
灯りが付いて気配が動いていたから、父には怒られるだろうがイヴェットの心は軽くなった。
開ける前に父が扉を開けてくれる。
怒られるかと身構えたが父は何故か上機嫌だ。
(仕事で何かあったな…)
落ち込んだ時、ありがたいことに父は難しい人にならず明るく振舞う人になる。
「何してた?この不良娘。俺はまだ警官を続けたいんだ、辞める羽目になるようなことは慎んでくれよ」
これは怒られない。明るく振舞うことに集中して多少のことは目に入らなくなっている。そして台所方面から美味しそうな香りが漂っていた。
「夕飯作ってくれたんだ。待たせちゃった?ごめんね父さん」
「どうってことないぞ、丁度出来上がったところだ」
仔牛の胸腺のパイ包みや鴨のオレンジ煮込みなどなどの肉料理が食卓に並ぶ。サラダもスープもなく後はパンだけだ。こんな時は兎に角肉料理に挑みたくなるらしく、出張中なのだろう部下という消費要員がいないのは痛手だ。これらは食べ切るのに数日かかり、それでも食べ切れるかどうかの量だ。明日にはカジミールあたり帰って来てくれないだろうか。
そんな思いはこれっぽっちも良い娘は顔に出さない。
「あたし凄くお腹空いてたの父さん、嬉しいなぁ、帰ったら食事が出来てるなんて」
「そうか、父さんもイヴェットに喜んでもらえて嬉しいぞ」
父娘揃って空々しい会話を交わすと互いに消費に励んだ。
こんなことはままあることなのでトゥーサンの料理の腕は上がって、イヴェットを味覚障害にはさせなかったが、今回、イヴェットはイヴェットで食の進まない気分なのである。かといって会話はさらに辛いものがある。
トゥーサンにしても会話したくても、彼女が一日の大半を過ごす学校の話は普段から禁句なのである。コラージュから元妻の浮気相手で再婚相手の娘と同級になってしまったからだ。
あちらは金持ちだからもっといい学校に進むだろうと思っていたのに、悪くはないが地元の学校の優等生範囲だ。それを見越してイヴェットもランクをチョイ下げで学校を選んでいる。リセにしても聖女を目指すにしてはちょっと地味でオーレリアには相応しくない気がした。
コラージュに通い出してから性格の変わった娘に、それとなく転校を仄めかしてみるが、負けん気の強いイヴェットは素直になれない。思春期に突入してさらに気分が変わり易くなった。
話しに聴くような父を毛虫の如く嫌うことはないが、言葉の端々に反応するから言葉選びも難しい。
「父さん考えたんだ」
「うん?」
「怪我が治ってから休んでないだろう?」
我ながら唐突だが娘との意思の疎通は重要だ。
「そうだね。忙しいのは理解してるよ。市民の平安を守ってくれてるんだよね」
言うことが思いつかない時の台詞だ。
「今抱えてる事件が片付いたら、メロディのとこに行かないか?」
「かなり北じゃん。いつ?」
「事件が片付いたら……いつとは確定出来ないが」
「でもあたしバカロレアが…」
「飛び級する頭があるんだから延ばしても問題ないだろう?」
確かに人より二年も先に受験しようとしているだけだ。それもこれもリセから早く離れたいからで、リセに行かなくていい、それはイヴェットにはとても魅力的に響いた。しかし、
「休み取れるの?これまでだって三回に二回は仕事が入って反故にされたよ」
「うん、悪かったな。だが今度は仕事を辞める羽目になっても休む」
そうでもせねば娘とのまとまった時間が取れない。
「帰って来た時とは言ってることが違う」
メロディは高祖母の友達だが若々しい高祖母とは違ってもう髪も真っ白な老婦人だ。トロザを訪れる用があると必ずトゥーサンの家に寄ってくれるから、高祖母より親戚のおばあちゃんな感じがする。
曽孫の代で子孫が途絶えたそうで独り暮らしだから、寄れば必ず遊びにおいでと誘われるが、イヴェットの言葉通りで休みが取れても日にちは短くなるのが常で、こちらから訪ねたことがない。トゥーサンは子供の頃に行ったことがあるはあるのだが、もう記憶も薄れてしまっている。
彼女が住む北の大都市サマロブリワは湿地帯にある為に水上都市の景観を擁している。市の中心地は船での移動になり、幼少のトゥーサンをはしゃがせた。メロディの家は中心部を外れた乾いた土地の区画にあったが目と鼻の先に水路がある。
「具体的にはどれ位休むつもり?」
「に…二週間、位…かな?」
「やっぱ思い付きで話してるんだ」
疑わしそうに目を細める。
「違うぞ!父さん本気だぞ。最低でも二週間は滞在するってことだ」
「……モルガーヌはどうするの?」
「へ?」
「ほっとくの?他の男に盗られちゃうんじゃない?」
「二週間位大したことないだろう」
「それが考え違いだっつーの!その二週間が積もり積もってくのよ」
流石に娘も女だ。痛い所を突いてくる。
「しかし、彼女にも仕事があるしな…」
今日、関係がちょっと微妙になったことは告げられない。
イヴェットにしても親の婚前旅行だか新婚旅行だかに付き合わされる気はない。
(う~ん、だけどこの機会を逃がしたくないしなあ)
メロディに聞かされていた水の街の様子を、この目で見たいとは常々思っていた。
「本気なのね、父さん」
じぃ~っと父の様子を探る。
「本気だ。明日にでも休暇届を出す」
トゥーサンも腕を組み力強い声で答えた。
「本当の本気なんだよね」
「本当の本気で休みを取る」
「本当の本当の本気なんだね!」
「本当の本当の本当に本気だ!」
「絶対、本当の本当に本気だね!」
「くどいぞ!父さんは本当に本気だ!」
信用の無さにちょっと傷付く。
「分かった!だったらあたしも明日がバカロレアの試験当日だって日でも学校に休み申請するからね⁉」
「え、いやそれはちょっと…」
受けてから行けばいいじゃないか、と小声で呟く。
「何よ⁉」
「いや、それでいいぞ、うん」
「いいよね。じゃああたしは父さんの休みがどうなろうとメロディおばあちゃんちに向かうことにする!」
「はあ?一緒に行かないのか?」
「休暇が取れたら一緒に行けるでしょ。ちょっと待ったァ、っていつもみたいに邪魔が入ってもあたしだけは絶対行くの!決まり!それとどうなっても二週間は向こうにいるよ、これも決まり!今回は父さんの都合には一切振り回されないってことで決まりね⁉」
反論しようとして、それ位の勢いがないと我が家に旅行は無理かもしれない、と考え直した。
「分かった、メロディには連絡しておくから、いつでも出掛けられる用意はしとけよ」
「つったって今日明日に事件は解決しないでしょ、ゆっくり支度しますとも。だけど北の冬は早いんだから、さっさと片付けて出掛けられるようにしてよね」
「精一杯可愛い娘の為に頑張らせてもらいます」
「その意気だトゥーサン⁉」
父の背を強く叩いた。その程度ではびくともしない筋肉の存在が感じられた。
「ねぇねぇ、持ってる服、もう子供っぽい物ばっかりだから、思い切って買い揃えちゃっていい?」
「構わんが、向こうは本当に冬が早いんだ。気候を調べて買わないと折角買っても無駄になるぞ」
「え~、秋物でダメなの?」
「向こうの秋なんて二週間もない、肌寒くなったと思ったら一気に気温が下がるからな」
「秋物は売ってるけど、冬物なんてまだ出回ってないよ」
「取敢えずなるべくあったかい服を持ってって向こうで買ったらどうだ?サマロブリワは織物の街だぞ」
「父さんは北で冬を過ごしたことあるの?」
「ある。祖父ちゃんと祖母ちゃんが喧嘩して、祖母ちゃんの実家で一冬過ごした」
「お祖母ちゃんって北の方の人だったっけ?」
「サマロブリワに近い小さな街で…」
いきなりトゥーサンは言葉に詰まった。
(言えない…)
イヴェットにとって優しい祖父が、父より遥かに気の利かない男で、妻に心労を掛けっ放しのその上に浮気の多い男だったなどと。
母の両親、つまりトゥーサンにとっての祖父母は娘が早逝したのは婿の所為だと確信していて、以来祖父母とは絶縁状態なのだ。
(うちの家って⁉)
素直に話題にするにはしこりの多い家系だった。そのことに今さらに気付く。一つ思い出せば連鎖式に蓋をして忘れていた記憶が溢れてくる。
「どしたの?父さん?」
「いや、何でもない。料理を作り過ぎたな、包める物は明日職場に持って行くか」
「そうして」
「それと…明日朝一から出張で帰れるかわからん」
「マジッ!出張が分かっててこんなに作ったの⁉信じらんないよ父さん」
そして困ったことに「友達でも呼びなさい」と言いたくても、友達らしい友達のいない娘には言えない。
(何て困った家なんだろう)
やはりイヴェットが成人する前に建て直すべきだ。
「どうすんの?あたしこんなに食べらんないよ」
ぎゃんぎゃんと娘に責められながら決心を新たにした。
グチグチと繰り返される言い訳を聞くのにメダルドはいい加減飽きていた。起承転結もなく進んだと思っては戻ってくる話し方にうんざりする。
何杯目かの珈琲を淹れる。豆には拘りを持っていたのにこんな状況では簡単に手に入る粗悪な品で我慢するしかない。
「だからさ、お父さんには、その…」
結局はそこだ。モルガーヌからある物を取返して来るのに失敗したことを、上手く父・セルファチーに報告してくれ、といいたいのだ。
そのある物が何であるかはどちらも聞かされていない、そう言えば分かる、と告げられただけだった。しかしメダルドはもう知っている。地下に貯められた死霊が教えてくれた。
「聞いてるの?ねぇ」
置かれている家具は全て大きい。七、八歳位の少年は珈琲茶碗を置くと椅子に昇った。身体は子供中身は大人のメダルドには自分の現実を突付けられていい気がしない。
「聞きたくなくても聞かせてるだろうが、さっきも分かったと俺は言ったぞ」
言い様は大人、声は子供だ。
「そうなんだけど…」
そしてまた同じ言い訳が始まる。
「あの女幸せそうだったじゃん。だから前からムッとしててさ。一人だけのうのうと……分かるよね、この気持ち。皆な父さんに支配されて…、あ、嫌とかそういうんじゃないんだよ。そんな風には絶対に報告しないでね。絶対だよ」
弱い者には何処までも強気で、強い者には何処までも卑屈になる。生前からそうして猟犬のように獲物を探しまわり、強い者に差出して点数を稼いでいた。セルファチーを追跡していてその才能に目を付けられたのが運の尽きだった。
自分を殺したセルファチーに反抗する気はない。生前と同じく強い者に媚を売るだけだ。首尾よくモルガーヌを探し当てて監視していたのだが、彼女に男がいてよろしくしていることに嫉妬を覚えた。だから男の前で正体をばらしてやろうとしたが、男が強過ぎて命じられた目的の物を取返すのも彼女の正体をばらすのも失敗したのだ。要はそういうことだ。
「だからさ」
「ってなるじゃん、それでね」
「~って感じでぇ」
簡単な報告を万の言葉で言い訳して何度も繰り返している。我慢強く人の話を聞くのには馴れていたメダルドでも流石にイラつきを覚えた。
「分かった分かった、それで、その男の正体は?ちゃんと調べてあるんだろう?」
それも言いたくないことの一つだと察していた。きっと強いのだ。
「え、っと…正直に言うからね、父さんにはその…上手くね、報告してね」
唾を吐きたくなった。上目遣いでメダルドを見る少女の中身は元男だ。何という精神的同化率だろう。それとも元からその手の資質があったのか、生前を知らないメダルドには判断がつかなかった。
目の前の娘が作られたのはメダルドが水槽に沈められていた頃だ。
死霊使いは数多いても、死者の肉体を継ぎ接ぎして、使い物になるように作り直せる才能まである者は稀である。死んだ瞬間から肉は腐っていくものだからだ。その才能を何に使うのか、彼を脱獄させ聖ルカスに連れて行く、それがメダルドに与えられた任務だった。
脱獄させ聖ルカス行きを承知させるまでは順調だった。アルトワ・ルカスに彼の居場所はない。ただその前に、セルファチーはある女の行方を探して回収したい物があると申し出た。
予め調べてあったから、その女が禁忌の魔法の結果として処分される運命を拒否し、一人逃げおおせたことは判っていた。セルファチーとの契約関係を解消しなくても、彼から二年も離れれば衰弱死するのが他の人工人間で判明していたから、捜索は早々に打ち切られた。創造主を告発した一人でもあったから、人間に危害は加えるまいと判断されもしたのだ。
理想の女を作る。モルガーヌは人間の肉体を繋ぎ合わせる能力を持つ男なら、誰でも考える夢なのだろう。
雪のように白い肌、流れる様な金の髪、澄み渡る湖を思わせる青い瞳、動けば劣情を刺激する唇、男心をそそる完璧なボディライン。連れ歩けば男達の羨望の眼差しが突き刺さる、そんな美貌の女だった。
メダルドは苦笑を禁じえなかった。
特異な才能を有していても女の好みはそこいらの男と変わらない、何の個性もない。好みというよりステータス性が感じられた。
むしろ彼が娘として作った少女の方に個人の好みが反映している。ブリュネットの可愛らしい仮面の裏に邪悪さを隠した少女。
兎に角セルファチーは迷惑な話だが丹念に材料を集め、妥協することなく自身が傑作と豪語する女を作った。その身体に封じられる死霊は、常に一緒にいて彼の助手が務められるように看護師が選ばれた。連れ合いには優しさを求めたのか、知人の医師の下で陰日向なく働く朗らかな娘だったという。
明るく優しい妻、父に似て邪悪で卑しい娘。
(嗤える)
脱獄して追手から目を逸らす為にセルファチーは家族を揃えることを思いついた。
上からの命令で散々手を汚して来たメダルドなのに、それでも幼児を使おうとするのは許せなかった。
相棒のロレンシオと連絡を取って隠れ家に戻ると、檻の中で少年は小さな身体をさらに小さく丸めて泣いていた。檻から出してやると震えながら必死にしがみついてくる。
「心配ない。必ず親の元に返してやる」
「ありがとう、優しい人なのにごめんね」
次の瞬間には少年が手にした刃物で首を斬られていた。教えられた通りに血管を狙ったから血が勢いよく噴き出した。
「心配ないよ。取返したらちゃんと聖ルカスには行くさ、君と一緒に」
急速に薄れゆく意識の中でセルファチーは楽しそうに告げていた。
再び意識を取り戻した時、メダルドは赤味の強いブリュネットの癖っ毛の少年になっていた。
「折角作ったのに、あの子は「こんな体で生きたくない。殺してくれ」ってきかないんだ。腹が立ったから君を殺すのと引き換えに壊してやった」
何という傲慢だろう。
「何故、俺を…」
自分が少年のあどけない声を発するのが信じられなかった。
「君が偉そうに指図するのが気に食わなかっただけだよ。これで少しは私好みになった。お父さんと呼んでくれていいんだよ」
唖然とした。この男の狂気には気を付けていたはずなのに、所詮常人の神経では計り切れなかったか。
「大丈夫、前に言った通り聖ルカスには行くさ。まだまだ作品を作りたいしね。しかし君の死霊は強情で扱い難かったな。封じるのに時間が掛かって…体に馴染むのにも時間が掛かるかもしれない。そんな目をしないよ、聖ルカスに着いたら身体を返してあげよう。だから、お父さんの言うことは、よく聞くんだよ坊や」
「お父さんの言うことは…」悪魔の囁きだった。父に好い思い出がない。悪い思い出にセルファチーのものが追加された。
メダルドの肉体はアランに使われていて、目にする度に複雑な気持ちになった。肉体を粗末にされたくないが、取り戻したとてセルファチーの支配下である。それに意味があるといえるだろうか。
幼い身体の所為か何度かセリーヌに付いて行ったのに、モルガーヌは彼がいても認識しなかった。今ではほとんどの時間をトロザの地下で、セルファチーが依然集めた死霊の世話にあてていた。 魂と身体が馴染むまで時間がかかったのもあるが、この姿を人に見られるのも嫌だった。
怨霊と化した死霊は捨てた。目を背けたくなるような地下の、新たな住人となるだろう。長い時を経てぼんやりとした意識だった死霊が我を取り戻すと、我が身を嘆いたりセルファチーを責めたりしていたが、まともに会話が出来る者もいた。セルファチーの下で働いていた看護師でマティアス・レネと名乗った。彼がセルファチーの固執するある物の正体を教えてくれたのだ。
イオアンネスの至宝
なる程、とっくの昔に亡くなっていなければならなかったモルガーヌが生きているはずだし、それならばセルファチーの執着も頷ける。
そしてそれがあればセルファチーの支配からも抜けられるのだ。
教えてくれたレネを彼の望み通り死に誘(いざな)った。セリーヌが首尾よく持ち帰れば持って逃げるつもりだったが、帰って来た彼女を一目見て失敗を悟った。
セリーヌは正直に言うと口にしながら無駄なことばかり口にして先延ばしにしていた。
「いいから、さっさと言え」
語気を強めると、幼児相手なのにビクンと身体を震わせ、そして恐る恐る打ち明けた。
「あたし達を探してる捜査官いるじゃない?ディズヌフって班。その班長でトゥーサン・ヴェシエールって奴」
(正真正銘バカだ、こいつは)
セルファチーがグズグズしているから念の為に捜査官を探っておいた。ごつい猪首マッチョの男で、班長に選ばれるような人物が簡単に手玉に取れる訳がない。
「それを知っててわざわざ居る時に襲ったんだな」
「あんなに強いなんて思わなかったから…」
知らなければ上目遣いも可愛いのだろうが、中身を知ってるだけに気色が悪い。
「まだ父さんには報告しない。今度は男がいない時に決行するぞ、俺も行く」
「え~、男がいないならあたしだけでも…」
「ヴェシエールが女に警護を付けないとでも思うのか?」
「あ!」
(バカが!)
拗ねられるとバカな行動をしかねないので罵声を胸の内にしまう。
「今度こそ成功させるから父さんには絶対報告しないでよ。お願いだからね。あ、そうだ」
持っていたバッグから珈琲豆の袋を取出す。
「好きなんでしょ、珈琲。口に合わなかったら別のを買って来るから、ね」
媚の売り方は心得ていた。
匂いが鼻腔をくすぐる。庶民用の物だが飲んでいる豆よりもよっぽど品は良い。
「分かったって」
「絶対だよ」
とどめとばかりに可愛らしくきゃぴッと身体をくねらせる。
(気色が悪い)
「父さんは俺の命令は父さんの命令だと思え、と命じたな」
「だね」
「それを忘れるな。どうにかしてモルガーヌのシフトを手に入れて来い。何が警護に付いてるかも調べてくるんだ」
「自分は何もしないんだ」
さっきの今で口を尖らせている。
「父さんに…」
「分かってるって、今直ぐ行って来るから。行って来ます!」
「いってらっしゃいお姉ちゃん」
可愛く言って送り出す。
セリーヌがいなくなると死霊達がざわめき出した。
〔坊や、坊や…〕
呼び掛けを無視する。
〔殺して、殺して〕
〔解放してお願い〕
心からそうしてやりたかったがメダルド坊やは「お父さん」に背けないのだ。
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