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・12
ある日のことだ。タナラ村付近にある森で、一人の魔女が立っていた。見た目は若く、身長は高めで、黒色の長髪、丈の長いスカートのドレスを着ている。見た目よい彼女は、自身について「ジュナ」と名乗った。しかしながら見た目よいといっても、表情の変化には乏しく、感情が上手に外へと表れない。そんな彼女は自分が『魔女』であることをすぐに認めた。問われてから答えるその振る舞いからは、偽るつもりも隠すつもりもいっさい無いようだった。銃口を向けられても、顔色一つ変えない姿は、溢れる自信とは違ったものを感じさせる。魔法を使えること以外に、それが彼女にとっては怖い対象ではないのだろう。魔女にとって銃というのは、引き金を引けば死を生むものではないようだった。
タイロンは彼女の正体について知っていた。彼女の名前は、「ジュナ・コーデン」。彼はそう言っている。またの名を『赤森の魔女』。「赤森」というと、タナラ村から遠く離れたこの国テルベラノの北東に位置する「ドラの森」である。目の前にいる女は、そこに長く住んでいる魔女だというのだ。
彼は彼女に銃口を向けて、直ちにこの村から立ち去ることを要求した。べつに彼は『魔女』という存在をひどく怖がっているわけではないだろう。もちろん、彼も魔法の使えない人間だ。恐怖の対象ではあるかもしれない。だがそれよりも、彼は魔女がこの村にいることで、(望みもしない)好ましくない出来事が起きることを避けようとしていた。たとえていうなら、死食鬼がこの村にやってくるみたいな。不幸を運ぶと。
この場合、異分子がいる、と例えるのがいいのだろうか。タイロンは何事も起きないように排除しようとしている。
しかし魔女は彼の要求を聞き入れなかった。ジュナはその場で頷くこともしなければ、その要求に似合った正しい答えも返さない。数秒と黙っていた。彼女は聞く耳を持つつもりがないようだった。その美しい唇が動いて発せられた言葉たちは、話として何一つ噛みあっていない。
なぜなら、「理由があるから」になるだろう。彼女はタイラーに会いに来たのである。
庭で一時の時間が流れ、樹木の葉がはやしたてるように揺れた。タイロンは考えを改める。ここで頑固となり、頑なに意見を変えない態度を取っていると、魔女も岩のようにうごかない。相手は(おそらく)譲る気のない用事があり、それが終わらないと帰らない。
気持ちとしては否定したかった。彼は魔女という存在を嫌っている。だが、ひとまずジュナを家のなかにいれることにする。庭で、このような状況で、見回りをしている隣町の兵士が新たに加わるのも気分が悪かった。
タイラーは家に入ってからはじめにソラの熱烈な歓迎を受け入れる。一日も経っていなければ半日も経過していない。それなのに、その元気ある証拠は、彼に喜びを与えた。
ジュナをテーブルにつかせる。すこしも困難なことはなかった。彼女は多くを語らないし、時々その表情や声をほんのわずか変えることはあっても、「機嫌を悪くした」といったように撥ね付けたりはしなかった。
ジュナは椅子に腰を下ろしてから部屋を見回していた。家のなかにいる。壁、天井、皿といったものが目につくようだった。
タイラーは彼女の向かい側の席に座っている。タイロンもそうだった。エマとソラは隣の部屋で遊んでいる。
「なにしに来た」
タイロンが額にしわを寄せて、腕を組み、低い声で誰よりも先に問いかける。テーブルを囲んでいるのに、三人とも口を開かないのだ。彼が尋ねるしかなかった。
「彼に会いに来た」
「タイラーに?」
彼女は黙っている。自分の口からは、細部を言わない。中身を引き出して欲しいわけではないだろう。言わないのか、とくべつ言う必要がないと思っているのか。
「それ、俺も森で聞いた」タイラーは隣の彼に向けて言う。「帰り道に、森のなかで一人で立っていたから。だから、どうかしたのかって聞いて」
「お前に会いに来たって?」
「うん」
二人は揃って相手を見る。それは息が合った無言の問いかけだった。
「口数が少ないな」
タイロンは手元の銃を見た。
「タイラーに会いに来たというのはわかった。それで、会って、どうするつもりでいる」
ジュナは口を小さく開けて、間を置く。「心臓を返してほしい」
「心臓?」
「しんぞう?」
二人は似た反応をした。とりわけタイラーは彼女の言葉の意味が理解できない。
タイロンは思考を巡らしている。「心臓……」と彼は言った。
「何を言っている?」
「心臓を盗まれたの。それを返して欲しくて。貴方に会いに来た」
ジュナは胸に手を当てるとタイロンではなく、もう一人を見る。彼に向けて告げていた。
タイラーは状況が理解できない。その目で見つめられたところで、そのような言葉と動作を見せられたところで困惑するしかなかった。森で見た瞳だ。
「ふざけるのもいい加減にしろよ」タイロンは態度を変えなかった。「なにが『心臓』を盗んだだ。お前は生きている。俺たちの目の前で。魔女も元は人間。身体の構造は人間と変わらない。人は心臓が無ければ、生きてはいられない。もう一度言うぞ。お前は生きている」
ジュナはふたたび黙ると、相手側の言い分でも噛み砕くような時間を取る。しかし彼女はそれ終えて、最後には「奪われた」とだけ言った。
タイラーは隣に座る彼の顔を見る。乱れを整理していくにはあまりにも要素が足りない。
「魔女は、心臓が無くても生きていけるのか?」と彼は問いかける。
「なわけがあるか」
それはそうだよな。心臓が無ければ、人は生きていけない。タイラーは思う。この人は動いている(亡くなった人は家に帰ってこなかった)。たしかに生きている。
ジュナは自身の胸に手を当てた。
「確かめてみる?」
「こいつ」
タイロンは彼女の言動により、不愉快な気分になった。「じかに触って、調べてみろ」とこの女は言っている。何を企んでいるというのか。不吉な予感しかしなかった。
「遠慮しなくていい」
タイラーはその誘いにどうすればいいのかわからない。ドレスの上からでもわかる、彼女のひとより大きな乳房に目はいくが、そこの部分に腕を伸ばし、手を当て、心臓の鼓動を確かめてみたいとは思えなかった。もし、彼女に近づいていったとしよう。香りがしている。肉体の温度や、その密度でも感じるように手を伸ばしたとする。それでそこに生命の証としての鼓動がなかったら。彼は魔女が嘘を言っているようには思えなかった。そこにはほんとうに「心臓」が無いのではないだろうか。身体の一部分が欠けている。大きな「穴」があるのだ。それなのにこの人は生きている。
「タイラー、触るな。魔女には近づくな」
二人とも席を立ちはしない。タイラーはなにも言えなかった。彼は彼女がかわいそうに思え、そして計り知れない怖さを感じている。
「ここが空っぽなの」
ジュナは感情なくそう言う。だが、溢れるほどの喪失感があった。
「心臓なんてしらない。残念だがこの家にはない。あったとしても、それはお前のなかにある」
タイロンに動揺の色はない。気味の悪さはあっても、相手に怖さを感じていないようす。彼はその調子で続ける。
「タイラーに会いに来たと言ったな。それと、お前のいう心臓に、何の関係がある?」
ジュナは小首を傾けた。黒髪が流れる。「貴方のお父さん、お母さんに奪われたの」
「ウォルターとトリッシュに?」
タイロンは眉間にしわを寄せた。その後、彼はなにも言わなくなる。
タイラーは彼のようすを見て、暗い森のなかでも眺めている気分になる。頭が回らなかった。彼女は俺に会いに来た。彼女は、心臓を失っている。返してほしいと言っている。それで、彼女の心臓を奪ったのは俺のお父さんとお母さんで。どういうことだ?
「だから」とジュナは言う。
「わからないな」タイロンは呟くように言った。「なぜ、ウォルターとトリッシュが」
ジュナは口を閉じた。姿勢を崩さず、相手を待っている。
「何もみえてこない」タイロンは冷静にそう言うと、顔を上げた。「だが、始めに言ったとおり、ここにはウォルターもトリッシュもいない。いるのは、こいつらだけだ」
ジュナは返事をしない。口を閉じていた。もう知っている、とでもいうのか。
「もしだ。タイラーに、なにかするつもりでここに来たのなら諦めたほうがいい。たとえコイツに何をしようが、アイツらがそれを知ることはない。絶対にだ」
タイロンは断言している。魔女の企んでいるであろう計画が無駄だと述べている。はるか遠くの森からここに尋ねてきたのは明らかに間違いだと。
「あと、当たり前だが、俺がそんなことをさせるつもりがないとも言っておく」
ジュナは表情を変えなかった。その目には落胆もなければ、疑いもない。出会った森のなかでもそうだったが、怒りもなかった。そのような瞳でまたタイラーを見る。
「居場所を聞いても無駄だぞ。アイツらとはもう何年も連絡を取っていない」
タイラーは会話を聞いて、自分からも伝えるべきだと思った。状況を細かい部分まで把握はできていない。魔女である彼女と、魔術師である父母のあいだに何があったのか(父さんも母さんも生きているようだ)。いくら頭を働かせようとしても、どこかの歯車が正常に機能していないかのように、なにも浮かび上がらない。それでも、彼は言うべきだと思った。自然とその身体、口が動く。
「俺は、父さんも、母さんにも、もう何年もあっていない。三年ぐらいかな。手紙も届かなくなった。だから、そのなんというか、何も答えてあげることはできない」
「……そう」
「手紙は二年前で一方的に途切れている」
タイロンが付け足すように言う。
ジュナは感情なく返事をする。姿勢をまったく崩さず、気落ちしているようすもなければ、『大事なものが奪われた』その盗んだ者たちの子供に悪意を向けるようすもない。そもそものはなしにはなるが、彼女の一つ一つの反応からは、張本人となるであろうウォルターやトリッシュにたいし「怒り」や「憎しみ」があるのかもとてもあやしい。無論、「心臓を失った」というのだから、そこにはおそらく怒りがあるだろう。そのはずだ。彼女はドラの森からタナラ村までやってきたのだ。何も感じていないのであれば、こうして彼女を動かしているのは。
風が窓を揺らした。すると、ジュナはなにも言わず席を立つ。カラスの鳴き声がする。
タイラーは追いかけるように相手を見上げた。
「どう、したの?」
ジュナは驚くほど口を開かない。その調子で、玄関のほうに向かおうとする。
「いつまで、いるつもりだ?」
タイロンが言った。彼は席に座ったままでいる。
ジュナが足を止める。振り返りはしない。返事もしなかった。
「いるって、どういうこと?」とタイラーが問う。
彼は溜息を吐いた。「まだ、なにも解決していない。コイツが『はい、そうですか』と帰るわけがないだろ」
ジュナはやはりなにも言わず、そのまま家を出ていった。
タイラーは魔女を追いかけて庭に出る。タイロンはそれに反対しなかった。彼はそれよりも散らばった欠片でも集めているようだった。机の上に慎重に集めて、そこに正解があるのかも疑わしいというのに手探りで組み立てようとしている。より深く考えごとをしている。
タイラーは彼女に問いかける。その後ろ姿は、特定の人物を思わせる。
「あのさ、その。しばらくここにいるの?」
「そうね」
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