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その日は家のなかにいようと、外から雨音がその輪郭を教えるように明瞭に聞こえていた。窓から見える景色は昼過ぎとはいえ薄暗く、日を隠す灰色の雲がおおきく膨らんでいて分厚い。緑色の森の上では鳥が飛んでいるようすはない。生き物の声でさえ聞こえてこなかった。風はすこしだけあるようで、木々が揺れている。硬めであり力のある雨粒で青い葉が叩かれている。踊るように水の弾けるようすが、水たまりや木の葉たちの上で見受けられた。
タイロンは雨の日であろうと、昨日、述べたように早朝に村近くの町に出掛けていった。彼はひさしぶりに強めな雨が降っていようが関係はないようで、早い時間に起床してからためらいもせず支度をしていた。持ち物はそれほど多くはない。泥で汚れた背負い鞄と散弾銃を携帯しているぐらいで、ほかに目立つものは持っていなかった。(散弾銃がそうだが)その見た目からして、やはり町に出掛けていくのは狩りのためのようだった。雨具を準備していることから、今日一日はずっと雨が降ると彼は知っている。準備のあいだ、一言も話さず彼は考えていた。まるでその姿は地に根を下ろして成長してきた高齢の樹木のようであった。黙ったまま背負い鞄を運び、それから散弾銃の点検をする。より時間をかけた点検は前日には済ませているだろう。銃を持って、森に出掛けていったその日の夜は、必ずと言っていいほどに銃を手にしている場面が家のなかで見られる。それでも、今朝の彼は「簡単には」だが、入念に調べていた。銃弾を数えるようすは、雨に脅えるネズミのようでもあった。
獲物は決まっているのか。どんな内容の仕事なのか。タイラーには最後までよくわからなかった。タイロンは真剣な顔をしている(もしかするとそれは雨のせいかもしれない)。とりあえず、町には彼の仕事があるらしい。
タイラーはこのところ寝台で就寝する前と目覚めてからの後で思うことがあった。エマが隣で寝るようになって寝台が狭くなった。そして、ソラが来て、さらに自分の部屋が狭くなった。似たものでいえば、数日と空けてから入る、温かいお風呂と同じだ。エマは静かに寝て、静かに目覚める。ソラも静かに寝て、静かに起きる。だから窮屈を感じるだけであって、睡眠は阻害されていない。不満があるのかといわれるとそうではなく、「狭くなったな」と思うことが増えた。好ましくにぎやかな。
竜は寝台で眠るもんなのか、という疑問はタイラーの中からもう消えていた。眠るときは、床で眠る。だが朝になると、床でも寝台でもなく、胸の上か足の上で眠っている。だから、重いな、と彼は思う。
午後を過ぎて雨音が強くなった頃、タイラーは居間の窓から外のようすをしばらく眺めていた。彼は雲と木々のぐあいを見ていた。明日もひとしきり雨が降っているかもしれない。そのような雰囲気が居間にある窓の向こう側では見られる。風が吹いて、雨が打ち付けられている。枝は大きく揺れていた。嵐ほどではなかったが、見たところよく雨の降る一日のようだった。
おじさん、大丈夫かな。雨音がいくぶん弱まったことを知って、タイラーは思う。
「タイラー、晴れない?」
エマがそう問いかけた。彼女は空の機嫌でも心配するように眺めている。
「今日中は、無理そうだな」タイラーは灰色の雲を見て言った。
「タイラーの言ってたとおり、雨が降った」
「だな。ざあざあ降ってる」
「よく降ってる」
「これだと、外に出ると、ずぶ濡れだな」
「外に出る?」エマは首を傾げると、片腕を上げて壁を指さした。「外で、遊ぶ?」
「いいや、外には出ないぞ」
タイラーはそれはおかしいと思い、表情をゆるめた。どうしてこのような日に外で遊ぶのだろうと彼は思った。実際には、雨の日に外で遊ぶのはいいかもしれない。雨に濡れる、というのも気持ちがいいだろう。水を吸った服は体温でも求めるように肌に張り付き、内側の下着も断固として離れまいとへばりつく。靴は重くなり、変な音が鳴り、歩きづらくなる。だから靴を脱いで、裸足になる。おもいっきり遊んでいれば、気にもしなくなるはずだ。忘れてしまうはずだ。とはいえ、この天気だ。体は冷え、ずぶ濡れになることは決まっている。地面は朝のうちから雨が降り、おかげで水たまりができており、草花を踏めば滑りもする。お互いに衣服どころか体中、泥水で汚れる未来が見える。
タイラーはちいさく息を吐いた。やめようという気持ちが働いて、それが肺から出てきた。
「濡れるの嫌だろ。それに、服、泥だらけにしたらタイロンおじさんに何言われるか」
「濡れるのは平気。怒られるのは、いや」
エマは言いながら状況を浮かべているようだった。彼女は髪の毛やら足が雨水に濡れようがそこはかまわないらしい。外に出たいのかもしれなかった。といってもタイロンの顔を浮かべて、顔を俯かせている。
「じゃあ、無理だな」タイラーは窓の向こう側を見る。
「うん」
どうしようかな、とタイラーは思う。風がひと時だけ強まった。
「ソラは?」彼はそう言って振り返る。
「ソラ、寝てた」
午前のあいだは、ソラは自由に家のなかを飛び、床では脚を上げて音を立てながら歩き、ときおりエマの頭の上で翼を休ませていた。眠そうなようすを晒していた。午後でも彼女の頭上にいたはずだった。どこかで眠っているのか。
「でも、起きると思う」とエマは言う。
「エマ、かくれんぼをするか?」
「かくれんぼ? かくれんぼ」
エマは嫌ではないようだった。それがどんな遊びであるのかも理解している。だが、道の上に出っ張りでもあるかのように一時的に止まっている。
「やる」とエマは言った。
すると、ソラが居間にやって来た。翼を大きく揺らして、響き渡るように鳴く。容姿は幼いが、飛ぶ姿は「竜」と言えなくもない。そのはずだ。
「ソラ、これからかくれんぼをするぞ。親は一人、残りは隠れる。三人しかいないからな」
針尾竜は鳴いた。声だけだと、『かくれんぼ』がわかっているのかはあやしかった。
「昨日、タイロンおじさんに言われただろ。国の兵士に見られるのはよくないってな。だから、これからそのための練習をしようと思う。うまく隠れたものが勝ちだ」
エマは身体の向きを変えた。「ソラが見つかるとだめ。じじ、言ってた」
ソラは鳴いた。しかしその声だけでは――理解できているのか――判断は難しい。
「いざという時の為だ。わかったか?」
ソラは続けて鳴いた。調子からして返事のようではあった。昨日のこと、何を言われたのかは覚えているのだろう。低い位置から見上げる、そのときの食事風景も。
「それで、かくれんぼをするわけだが、親はそうだな」
タイラーはふたりを見る。
「俺がやろうか。俺が時間を数えて、そのあいだにエマとソラが隠れる」
「イヤ、隠れるの」彼女は首を横に振った。
「いや? 隠れるより、探すほうがいいのか?」彼には彼女の反応が意外だった。
「探すほうがいい。隠れるの、嫌。エマ、隠れるのイヤ」
タイラーは二秒ほど雨の音を聞く。「変わってるな。自分から親をやりたいなんて。エマなら隠れるほうがいいだろうと思ったのに」
『かくれんぼ』というと、タナラ村の子供たちのあいだではよく行われる遊びの一つだった。親を決めて、親が数を数えて、ほかは村のなかの範囲内で上手に隠れる。「隠れる」、「見つける」だけで、とくべつ難しいルールなどない。幼い子でもやれる。
ルールを守れば、遠くに行くことだってない。森に行くよりも明らかに安全な遊びだった。親の役というのは、タナラ村では人気がなかった。
「ほんとにいいのか?」
タイラーはもう一度問いかける。エマとかくれんぼをした経験はなかった。ソラのこともあり、だから彼は自分からやると言い出したわけだが。
「うん。エマが見つける。タイラー見つける」
「そうか、エマが……、やるか。でも、見つけるのは俺だけじゃなく、ソラもな」
「タイラー、見つけて。ソラ見つける」
「俺が一番先か。わかった」
タイラーは単純に勝負を挑まれたのだと思った。すぐに見つけてやる、と指を差して言われたような気がした。タイラーを見つけるのは簡単だよ。彼は彼女の評価を否定したい。やってみれば、結果で思い知ることになるはずだ。
「今日は雨が降ってるから、隠れていい範囲は家のなかだけな」
「家のなかだけ?」エマはそう言うと、窓のほうを見る。雨はやんでいない。
「外はだめだ。家のなかだけ。外は禁止。雨に濡れながら、隠れるなんて」
「わかった」
三人のかくれんぼは、エマの親で始まった。彼女は弱まりそうにない雨音を聞きながら、居間で一人となり声を出して数を数える。窓際に立ち、空を見上げていた。目を瞑っているわけではない。上のほうをじっと見詰めている。だから、彼女はかくれんぼというよりも――とてもゆっくりと――屋根から滴る雨粒を数えているように見えた。あるいは遠くから聞こえるカエルの鳴き声でも数えているようでもあった。
タイラーは居間から離れる前に、そんなエマの後ろ姿を眺めた。彼女が守るべきルールを破るとは考えていない。見つけ出せるのか、親の役をちゃんとやれるのか、そういった不安が過った。彼はエマの挑戦を真剣には受け止めていない。遊びだからというのもあるのか、彼はどうにも本気にはなれなかった。相手としては彼女をどうしても侮ってしまう。
ソラは食卓のある部屋でその身体を隠すつもりでいた。人間の子供のあいだで行われる遊びに混じって、人間の子供のように元気よく身体を動かしている。食卓の下に隠れようとしては、その裏側と椅子の脚を観察している。身を隠す場所としては気に入らなかったらしい。ソラは次に机の下から出て、翼を広げて、棚の上に登った。
高い場所で、ソラはタイラーを見下ろした。「ここはどう?」と言っているかのように彼を見詰める。鳴いたりしないのは、ルールを知っているからかもしれない。どんな遊びなのかを知っているからかもしれない。もしくは、タイラーにあわせているだけなのかもしれない。
タイラーはソラの姿を隠すところを最後まで見届けた。あれでは「隠れている」とは言い難い。だが、人目につかない場所を探すソラの姿は、「隠れようとしている」と思わせた。それだけで十分だった。いますぐに、もっとうまくできるようになるのは容易ではない。
タイラーはソラのいる部屋を出て、居間のあるほうを意識する。エマが数え終るのはもうすこしかかるだろう。彼女は他の人よりも(自分と比べても)数えるのが妙に遅い。ソラのようすを窺いながら、これまでの正確に過ごした時間を数えているわけではなかったが、彼はもうすこし余裕があるように感じた。
身を隠す場所の候補はあった。家のなかでも、隠れることはできる。屋外と比べて自由はなく狭さはあっても、かくれんぼには適している。
三階はどうだろう。自分の部屋はどうだ。
タイラーが選んだのは、二階の自分の部屋だった。
彼は部屋に入ってから寝台を一瞥すると、迷うことなくクローゼットの前で立ち止まる。彼は収納空間が自身の身体とあうことを知っている。圧迫に感じることだってないはずだ。身動きは制限されても困るほどではない。
タイラーは身を隠した。そして彼は衣服の匂いとほんのりと薄い木の匂いを嗅いで、暗闇のなかで思う。ソラはあの状態でじっとしているだろうか?
タイラーは衣服に手を伸ばして、押すように位置をずらした。
おじさんは人の匂いがつくと難しいって言ってたけど、どうなのかな。
すると、彼の前で板一枚がぐらつく音が響く。
それにくわえて、鳴き声が聞こえてくる。
「ソラ? どうした?」
扉を開けると、ソラが立っていた。「ぴゃー」と繰り返して鳴く。
ソラは跳ねるように飛んで、クローゼットに入った。
「同じ場所に隠れたら、意味がないだろ」
タイラーはそう言いながら、じわじわとかくれんぼが楽しくなった。
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