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 転校して二週間ほどが経過した。


 北条の言う通り、うちのクラスの連中はみんな人が良く、教室には緩慢としたなごやかなムードが常に流れていた。外からやってきた僕を排除するようなことはせず、むしろ快く受け入れるスタンス。何かあるたび、頼んでもいないのに僕に声をかけてくるほどだった。



「――柳楽くん、体育館の場所まだわからないでしょ? 一緒に行こうよ!」「――柳楽くん、昼休みはいつも屋上で一人で昼食を食べているんだって? 寂しいじゃん。今度僕たちと一緒に、食べようよ!」「――柳楽くん、六月にある中間テストだけどね、実は数学の授業、必勝法があるんだ。今度教えてあげるよ!」「柳楽くん――」「柳楽くん――」


 正直なところ、僕は彼らの態度に違和感を感じていた。


 僕自身に、他人と交流を持つ気がないことを差し引いても――みんながみんな、ここまで好意的なのはちょっと異常だ。台本ゼリフをそのままなぞったような彼らの口調に、ヒューマノイドロボットみたいな笑顔を浮かべる彼らの表情に、僕は薄気味悪さすら覚えていた。


 ……他人に対して悪口や文句の一つも言わないなんて。できすぎっていうか、どちらかといえば不自然だ。僕たちは、自我が形成される思春の真っ最中である高校生なんだ。強いあこがれを抱きながらも同時に空回ったり、カッとなってつい人を攻撃をしたり、逆に自分を過度に傷つけたり――そういう、未発達な状態である方が普通なんじゃないだろうか。


 少なくとも、僕や咲月は。

 ……。


『ステロ』


 胸に広がった黒い記憶に対して、僕はすぐにフタを閉じた。



 式部紫乃とは、転校初日のあの時以来、一度も会話をしていない。 

 放課後になると早々と帰宅し、休み時間中もどこかに姿をくらましてしまう彼女と接触をはかるのは中々に難儀だった。最初、心魔と呼ばれる存在について彼女に問いただそうと息巻いていた僕だったが、様々な思考が待ったをかけはじめる。


 それを知って、何になる? 例え僕が真相を知らないままだったとしても、僕の人生には何の影響もない。むしろ余計な情報を耳にすることで、厄介事に巻き込まれる可能性すらある。

 人に対して過度に干渉しない。首をつっこまない。僕はそう決めていたんじゃないか。


 時が経つにつれて、僕が式部の姿を目で追う回数は少なくなった。心魔の正体についても次第に興味を失っていった。このまま何事もなく、僕の高校生活はひそやかに終息するんだろう。


 そう思っていた。けど。 

 我がクラスを包む、なごやかなムードがぐにゃりと歪む事件が発生する。

 きっかけとなったのは、僕の発言だった。



 とある日の特別ホームルームの時間。檀上に立っている北条と松喜の学級委員ペアが、お行儀よく着座している僕らに目を向けていた。北条がニコニコと得意気な笑顔を浮かべながら、拡声器にこされたようなバカでかい声をあげる。


「――と、いうわけで、来週月曜日の放課後は、みんなで町内の清掃活動に参加しようと思うんだ! 僕らが安心して学園生活を送れるのは、この町の皆さんが僕らによくしてくれているからだよね! 恩は、何か形にして返さなくちゃあいけないからね!」


 北条が、歯の浮くような台詞をスラスラと。……マジかよ。学校行事として決められているならまだしも、ゴミ拾いなんて生徒主体でやるようなことか?


 しかしそんな疑問が脳によぎったのは、どうやら僕だけだったらしい。クラスの連中は相変わらずというか、「いいね! やろうやろう!」北条のトンデモ提案に対して一切の反抗を示す様子がない。


 掃除か、正直めんどうくさいな。心の中で一人タメ息を吐くも、しかしここで一人だけ不参加というワケにもいかないだろう。彼らと仲良しこよしを決め込むつもりは毛頭ないが、悪目立ちはしたくない。


 そういうワケで、僕は押し黙ってクラスのムードに流されることにした。でも。

 一人の生徒が吠えた。


「――っざっけんな。ホーカゴまでお前らとなんか一緒にいたくねーよ。町内清掃なんか、やるギリねーっつーの」


 敵意むき出しの甲高い声が教室中に響く。明智真琴が同調圧力に真っ向から対峙した。

 和やかな喧騒が収まり、教室中の視線が明智に集まる。もちろん僕も目を向けた。


 彼はいつもの仏頂面。授業中にも関わらず携帯ゲーム機をカチャカチャと操作している。

 少しの沈黙が流れたのち、北条がはぁっと大仰なタメ息を吐いた。肩をすくめて、わざとらしい所作を露骨に。


「……明智クン、キミは報恩謝徳ほうおんしゃとくという言葉を知らんのか? 町内の皆さまに対して、感謝の気持ちは持ち合わせていないのか?」


「んな早口言葉、知ってる奴の方がすくねーだろバカ。オレ、別にこの町に住んでるわけじゃねーし。むしろ歩いているだけで知らないオッサンにたまにキれられるから、ムカついているくらいだよ」


 それは、お前が歩きながらゲームをしているからじゃないか? 心中のツッコミを、僕は喉奥へとしまいこむ。


 明智は頑なに北条の提案を受け入れない様子だ。ゲーム機に目を落としたまま、顔をあげようともしない。でも次の北条の発言によって、ボタン操作音がピタリと止んだ。


「まったく……。どうせキミなんて、家に帰ったところでテレビゲームで遊んでいるだけだろう? たまには、社会の役に立つ行動をしてみたらどうだ?」


 北条は口調こそ穏やかだったものの、その台詞からは明智に対しての軽蔑の念が溢れ出ていた。隠そうともしない卑しめの態度。


「……あっ?」明智がゲーム機から目を離して、ようやく顔をあげる。


 そのまま猫のように丸い瞳をギロリと歪ませて、北条を睨みあげる。徐に立ち上がった明智が携帯ゲーム機を机の上に置き、置いたかと思うと――自身の椅子を右足で思いっきり蹴り飛ばした。耳をつんざくような固い音が僕の耳に響く。周囲の生徒から「きゃあ」だの、「ひぃっ」だの、小さな悲鳴が漏れ出ていた。


 明智がジーンズのポケットに両手をつっこみながら、身体を斜めに傾けながら、唸る。北条の一言が彼のかんしゃくに触ったのは、誰の目から見ても瞭然だった。


「勝手に決めつけてんじゃねーよ。っていうかそうだとしても、だったらなんだっていうんだよ。オソージなんざ、やりたい奴が勝手にやりゃあいいじゃねーか。ホーカゴ、オレが何して過ごそうが、オレの勝手だろ」


 一触即発の雰囲気が教室内をピリつかせた。明智は断固として反骨の意志を貫くつもりらしい。しかし北条とて明智の威嚇に身を引く様子はない。北条はもはや先ほどのニコヤカな笑顔を一つも浮かべてはいなかった。無色透明の顔つきで、犯罪者でも見るような眼差しを明智に向けたまま黙っている。


 静寂が空間を支配した。沈黙という名の空気が、約三十名の若人の背中にのしかかる。こんな状況で声をあげる生徒は誰もいないだろう。僕とて、ダンマリを決め込んで事態の収束をただ願おうと画策していた。して、いたんだけど――


 正直に言うと、僕は北条たちよりも明智の態度にシンパシーを覚えていた。ウソみたいにお真面目なクラスの連中に辟易していた僕は、明智が感じた苛つきの方に、同調していたんだ。


 そりゃあ、町内清掃は良いコトだと思うし、感謝の気持ちを忘れないのは、人として大切なことだろう。でも。


「あのさ」気づいたら僕は声をあげていた。椅子を引いて立ち上がっていた。


 約三十人の若人の視線が僕に集まり――僕はしまったと、秒で後悔にさいなまれる。


 さきほどまで北条を睨んでいた明智が、きょとんと子供みたいな顔で僕を見た。さきほどまで明智を見下すような目つきをしていた北条が、ポカンと口を半開きにしながら僕を見た。


 僕は焦燥して、緊張している。しかしこうなってしまった以上、すごすごと引き下がれない事実も同時に理解していた。僕が何かを言わない限り、この世界はきっと止まったままだ。

 意を決するように両掌の拳を握って、張り付いた唇を無理やりはがして口を開く。


「町内清掃とか、ボランティアと呼ばれるものってさ。したくない人を無理やり――っていうのは、違うんじゃない? 自分の意志でやるから意味があるっていうか……。放課後の時間はやっぱり、個人の自由が認められるべきだと、思うんだよね」


 シンッ――と。無音が僕の背中にのしかかる。約三十名の若人の視線が僕に集中しており、彼らはまるで静止画のように微動だする気配を見せない。僕は、数多の剣山で周囲を囲まれたような心地に陥っていた。


 時間の経過がいやに長く感じられる。後悔の念が、どんどん胸の中で大きくなっていく。


 ――何故、こんなことをしてしまったんだろう。余計なことはしない。他人に過度に干渉しない。荒波を立てぬ静かに生きていこうって、そう、決めていたのに――


「確かに、やりたくない人を無理やりっていうのは、私も違うと思うわ」


 凍り付いた空気に生ぬるい白湯を注ぎ込んだのは、安寧に満ちた松喜の声だった。


「来週の町内清掃は有志にして、可能な人だけ参加って形にするのはどうかしら。北条くん?」


 北条の隣りで、それまで口を挟まなかった彼女がニコリ。屈託ない笑顔を浮かべながら首を斜め四十五度に傾けた。松喜に問われた北条はハッと理性を取り戻したような顔になって、視線を泳がせながらポリポリ頭をかきはじめる。


「……ああ、そうだね。確かに柳楽クンや松喜クンの言う通りだ。強制は、よくない」


 北条は力ない声で、白旗をあげた。


 ピンと張りつめていた空気の糸が徐々にたゆんでいく。二の句を継げなくなった北条に代わって松喜が、「じゃあそういうコトで、今日のホームルームはおしまいっ」解散宣言を出した。それまで一切の音が鳴っていなかった空間に、遠慮がちな喧騒が流れ始める。


 全身から力を抜け落ちるような感覚を覚えた僕は、へなり、情けなく自席にへたりこんだあげく、長い長い息を吐き出していた。いつの間にか、呼吸するのを忘れていたらしい。


 ぬぐい切れない後悔と、危難を脱したという安心感と――プラスとマイナスの感情がごちゃまぜになった僕は内心を整理することができず、しばらくボーッとしていた。


 半覚醒状態の僕だったが、「おいっ」甲高い声によって意識を引っ張り上げられる。声のする方に顔を向けると、すぐ隣に明智が立っていた。

 彼は、ばつの悪そうに視線を斜めに落としながら、もごもごと口を動かしている。何事かと僕がしばらく彼を眺めていると、やがて明智が、遠慮がちに視線を僕へと移ろわせて。


「……ありがとよ」


 言うなり明智はすぐに僕に背を向けた。さきほど蹴り飛ばした椅子を元の位置に戻して、机の脇にかけていた鞄をひょいと掴んで、そそくさと教室の外へ退場する。


 返事を返す余地も与えられず、僕にやれることといったら、小柄な彼の背中を目で追うくらいだった。

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