1-2
顔をあげると、男女二人の生徒が僕に対してにこやかな笑みを浮かべている。一人は眼鏡をかけた短髪の、いかにも真面目そうな男子生徒。もう一人は長髪ストレートが清楚な印象の、少し背の高い女子生徒。先ほど声をあげたのは彼女の方だ。僕が「えっ?」と間抜けな声を返すと、言葉のバトンを繋ぐようにメガネの男子生徒が口を開いた。
「もし柳楽クンさえ良かったら、校内を案内させてもらおうかと思ってね。……ああ! ゴメンゴメン、まずは自己紹介が先だよね。僕の名前は
「私は、副委員長の
松喜と名乗った女子生徒が首を傾けながら柔らかく目を細めた。まるで母親のように優しい微笑。いわゆる、クラスのマドンナってポジションの子なのかな。ちなみに結構な巨乳だ。僕の見立てではDカップは固い。
「柳楽クン?」、すぐに返事を返さない僕に対して、北条と名乗ったメガネの男子生徒が窺うような声をかける。
ハッとなった僕は条件反射で「あ、ゴメン。是非そうさせてもらうと嬉しいな」
しまった。了承してしまった。僕はこの学校で、他の生徒と交流を持つ気なんてなかったのに。僕の目の前で、二人が再びニコリと快活に笑い「それじゃあ! 早速行こう!」と、北条がやたらとでかい声をあげる。ボイトレでも通ってんのか。
……まぁ、転校初日で無下な態度をとるのも、それはそれで悪目立ちしてしまうかなと「よろしくね」僕は無理やり笑顔を作ってみせた。
うちの高校は公立のわりには広い敷地面積を有していて、ぐるり校内を一周するだけでも結構な時間が経過していた。最終的に僕は地下一階のフロアに連れてこられ、「ここが学食だよ。購買部も一緒になっていて、総菜パンなんかを買うことができる」北条が得意げにそう言い「うちの学校は屋上も解放されているから、天気のいい日は外でお昼をいただく子なんかもいるみたい」松喜が北条の言葉に補足を加える。……なるほど。いいことを聞いた。静かそうだし、これから昼休みは屋上で過ごすことにしようかな――僕が胸中で画策を立てていると、北条が「せっかくだから」と言葉をつづける。
「よかったら今日のお昼は僕たちと一緒にどうかな? うちの学校のことでまだまだ、キミに教えたいこともあるし」
どうやら北条はおせっかい焼きのきらいがあるらしい。面倒な奴に目をつけられたな――僕は内心で舌打ちを鳴らしていたが、この流れで誘いを断るのはやはり不自然だろう。「うん、そうさせてもらうよ」僕はなるべく愛想のいいトーンで言葉を返した。
北条と松喜は弁当持参組のようだ。「昼食は教室でいただこう」と北条が提案したため、僕は購買部で豆パンという名の最も安価な総菜パンを調達して、三人は来た道を戻る運びとなる。
廊下を歩いている間も、北条の口は留まることを知らない。「うちの学校はね、どうも去年までは治安が悪くて、問題を起こす生徒も多かったみたいなんだけど。僕たちが入学した去年あたりから、風紀が良くなってきたんだ」。どこかで聞いたような話……、あ、担任教師もそんなこと言っていたっけ。特段興味もなかった僕は「へぇ」と相槌を打つ。
「学業でも、部活動でも、うちは取り立てた功績のある学校ではないけどね。うちの学校……、とくにうちのクラスはみんな仲が良くて、もちろんいじめなんて一切ない。陰口をたたく生徒すらいない。『平和』という意味では、わが校は全国のどの高校にも負けないんじゃないかな。それが僕たち生徒の誇りなんだ。柳楽クンのことも、みんな暖かく迎え入れてくれると思うよ!」
北条は相変わらず声がでかい。そしてコイツの言葉は台本セリフを読み上げたようにどこか白々しい。……まぁ、こういうキャラなんだろうな――僕の胸中では相変わらず、やさぐれたような空風が吹いている。
いじめなんて一切ない、ね。
心の中で陰鬱と辟易を、僕は同時にこぼした。
「あっ」我がクラス2ーAの教室の前まで戻ってきたところで、並んで歩いていた北条が声を漏らす。彼はピタリと足を止め、習う様に僕と松喜も足を一時停止する。北条が後ろを振り向いて、「ちょっと」と誰かに向かって声をかけた。
声を掛けられた『彼』もまた足を止めて、こちらに身体を向ける。だけど、彼の視線はその手元――彼が両手で握っている携帯ゲーム機に向けられていた。
声を掛けられた彼は前髪が長く、顔半分が覆い隠されている。だぼだぼのパーカーにジーンズ姿、背丈は僕や北条の胸元くらいまでしかない。……なんで、小学生の男の子が高校に紛れ込んでいるんだろう? 僕の脳裏に疑問符がよぎるのは必然だった。
北条が呆れたような声を彼に向けて。
「明智クン、何度言ったらわかるんだ。廊下を歩きながらゲームをするのは止めないか。人にぶつかったら危ないだろう。というかそもそも、学校にゲームを持ってくるのが校則違反だ」
明智と呼ばれた彼はゲーム画面に視線を落としたまま、カチャカチャと器用なボタン操作を止める気配はない。でも彼には北条の声が届いていたらしい。その証拠に、彼はコチラを見ぬまま、やさぐれたような返事を返した。
「……相変わらずうるせーなホージョーは。センコーでもねーのにセッキョーしてくんじゃねーよ。だからお前ドーテーなんだよ」
彼の言葉を受けて、北条が「なっ……ッ!」と露骨に慌てたような声をあげる。そのまま、ただでさえでかい声の、更に1.5倍くらいの声量で金切り声をまくし立てる。
「ど……、童貞かどうかなど、今は何も関係ないだろう! というか、勝手に決めつけるなッ!」
……あ、その反応、童貞っぽい。心の中で一人ごちた僕であったが、同じ感想を持ったのだろうか。ゲームから目を離さないままに彼がしてやったりと悪戯っぽく口元をニヤつかせた。その態度は北条の憤怒に油を注ぎ込むのに十二分だったらしく、北条は肩をワナワナと震わせたまま返す言葉もなく固まってしまう。
チラリ。それまでゲーム機の画面から目を離さなかった彼が、一瞬だけ顔をあげた。
猫のように丸い瞳で、獲物を射止めるような鋭い眼光で、彼は僕の顔に視線を向ける。
「……ソイツ、誰? 例の、テンコーセー?」
彼はすぐにまたゲーム画面へ視線を落とす。カチャカチャとボタン操作を続けながら、僕たちの返事を待っているようだ。固まってしまった北条に代わって、松喜が彼に返事を返す。
「うん、彼は今日からうちのクラスに編入してきた、柳楽くんよ」
彼はカチャカチャと相変わらず激しい指さばきを繰り出しながら、「フーン」抑揚のない声を漏らしたのち「なぁ、お前、ゲームとかやる? 格ゲー強かったりする?」
唐突な二問二答。僕は「えっ?」と漏らしながら、しりすぼみな声を返す。
「い、いや。ゲームはあんまりやらないし、うまくもないよ」
「……んだよ。ツマンネー」
不満げな声をこぼしたのち、彼はゲーム画面に目を落としたまま僕らに背を向ける。ようやく意識を取り戻した北条が、「だから、ゲームをしながら廊下を歩くなッ!」この場から離れようとする彼に怒声を浴びせるものの、しかし彼は北条の声を無視してスタスタ歩き去った。
取り残された僕たち三人はポツンとバカみたいに突っ立っており、僕は脳裏に浮かんだ幾多の疑問符を、そのまま二人に向かって投げかけた。
「ねぇ、あの子……、もしかして高校生なの?」
「ああ」何かを察した様子の松喜が、しなやかな所作で首を少しだけ斜めに傾ける。
「うん、うちのクラスの
マジかよ。女子ならまだしも、男子であの身長の高校生がこの世にいるとは――
「制服、着てなかったけど?」
「うちの学校ね、実は制服着用が必須じゃないんだよ。ほとんどの生徒は、選ぶのがめんどうくさいからって、制服で登校してきているけどね」
「あ、そうなんだ。……あれ? 同じクラス? 朝の自己紹介があったから、僕のこと知っているはずじゃ? なんか初めて見た、っていうリアクションしていたけど」
「たぶんあの子、さっき登校してきたんじゃないかしら。遅刻が多くて、午前の授業をサボることも多いから――」
松喜が困ったような笑い顔を浮かべる。彼……、明智真琴に関するすべての疑問符が解消された僕は、「なるほどね」と腑に落ちた声をあげた。
「心配しなくていい」いつの間にか機嫌を直した北条が、僕の肩をポンポンと無遠慮に叩く。何の真似だ。
「明智クンはイレギュラーだから。あのように反抗的な生徒も全くいないワケではないけど……、ごく僅かだよ。他のみんなはみんな真面目でイイヤツだよ。明智クンにあまり近づかない方がいい」……あ、心配って、そういうコトね。
僕はどういう表情を浮かべていいかもわからず、「ああ、うん」バカみたいな声を返す。
「ちょっと」彼女らしからぬ語気強い声で、八の字眉を作ったのは松喜だ。
「同じクラスの生徒に対して『近づかない方がいい』とか。そういうのはよくないと思うわ」
松喜の発言は、北条に対して明確な批判が感じられた。「ああ、いや」たじろぐように松喜から視線を外した北条が、「うん、確かに。僕としたことが失言だったよ」素直に自分の非を認める。どうやら北条は松喜に頭が上がらないらしい。惚れてんのかな。
同じクラスの生徒か……、そういえば――
「あのさぁ」気づいたら僕は声をあげていた。僕の脳裏によぎったのは狐面の彼女。
脊髄反射で口を開いた僕に対して、二人がキョトンと不思議そうな顔で見つめる。僕は慌てて言葉を並べた。
「うちのクラスの生徒に、狐のお面を被っている女の子、いるじゃない。端っこの席の……。あの子、何者なの?」
どう聞いたらいいものか。一瞬逡巡した僕だったが、しかし彼女に対しての謎は今のところ漠然としすぎている。『何者なのか』以外に、妥当な聞き方を思いつかなかった。
僕の質問を受けて、不思議そうな顔のまま二人が顔を見合わせる。
「狐面のっていうと……、式部クンのこと、かな?」北条の声はどこかフワついていて。
「……式部?」疑問を返す僕に対して、松喜が言葉を繋ぐ。
「
彼女の声もまたおずおずと、僕の質問意図を掴みあぐねている様子だ。ザワリ。僕の胸中に一抹の不安が広がった。「いや、さ」僕は二人から視線を外して、後ろ頭に手をやる。
どういうことも、クソも。
何故二人は、『そんな反応』なんだろう。『そんな顔』をするんだろう。
再び彼らに視線を戻して、呪いの言葉を口にするように、僕は喉の奥から声を絞り上げた。
「……彼女、おかしくない? なんで、狐のお面なんか被ってるのかなって。フツウの女子高生がそんな恰好しないでしょ。それこそ、校則違反なんじゃないかなって――」
僕の心臓を生ぬるい風が撫でる。一抹の不安が、百抹の恐怖に成り代わろうとしている。
世界が一瞬だけ止まってしまったような心地。
松喜が一言、「なんで?」と返した。
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