第4話 老人行列の才能
近所の三宅橋では、年に一度、老人行列祭が行われる。
町内の80歳以上の老人が自然発生的に集まり、ぞろぞろと橋を渡り、土手から川にダイブする。
最近は春先に行われることが多い。
老人と言っても、皆、スポーツクラブに通っているような人々だ。
少し前の時代では、80歳は後期高齢者扱いだったが、現代では、定年世代だ。
身体はピンピンしているけど、世間的には昔のなごりで老人というポジションにしている。
なぜ橋を渡り、川にダイブするのか。
形式的ではあるが、世間との関係を一度断ち切るという儀式的な意味合いで始まった。
川にダイブした後は、世間に口を出さない。
社会や若者のことを考えてくれる善良な老人たちだ。
最高齢が140歳を突破した社会では、超少子高齢化が進んでいる。
姨捨山ブームが来たこともあったが、山の奥地に捨てられた無数の高齢者は、村を形成し、いつしか経済活動を行うようになっていた。
知識や知恵、経験だけが辛うじて頼りだった高齢者群に抜群の体力がプラスされ、今では無敵な存在となり、ひ弱で経験値や地頭の弱い若者たちを食い物にするようになっていた。
犯罪者の80%は90歳以上の老人グループ。
知能犯が多い。
90歳以上の老人たちは、超就職氷河期、ロストジェネレーション、5080問題、ひきこもり(60万人)を若い頃に経験している。
約90年間子ども部屋で過ごし、社会と断絶しながらも、しかるべき時期にしかるべき反撃をすることを考え、力を蓄えてきた者たちが多い。
社会への恨みレベルが半端じゃない。
川に飛びこむような老人は、若い頃、就職や結婚、子育てを一応経験し、孫もいるような人々だ。
ダイブしたことで、時々ケガをしたり、死んだりすることもあるが、ある程度は納得している。
人間としての役割を昇華しているし、未練も無い。
三宅橋が爆破された。
老人たちは一人残らず、川に落ちた。
橋の残骸とともに、多くの老人が下流に流された。
今回、橋に集まった老人たちの中に67歳の中年が数人混ざっていたことが後々判明した。
祭りとはいえ、規則が存在する。
70歳以下が参加する場合は、老人への冷やかしと捉えられ、実行委員長がそれなりの判断をする。
この世界は、年齢が支配している。
年齢が免罪符(才能)の一つとして価値づけされているのだ。
ぼんやりと行列に参加した67歳は、恨みをもった老人たちにとっては才能の持ち主だった。
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