第2話

 

 小中高を通して見ると、私と最も多くの時間を過ごしたのは、彼女だったかもしれなかった。

 私が幼かった頃は、そこまででもなかったけれど、役者である両親は仕事で家を空ける事も多かった。

 と言うのも、私を頻繁に遊びに誘う親しい友人が出来た事。

 それを切っ掛けに、藍川家と紫藤家が、家族ぐるみの付き合いを得るに至った事。

 両親が、大好きな仕事を、私の為に減らそうとするなんて事を、私自身が強く嫌がった事。

 紫藤家の人たちがとても親切で、両親が不在の間、私を預かっても構わないと言ってくれた事。

 それらが、両親が一人娘を田舎に残し、都会での仕事に打ち込めるようになった主な理由だろうと思う。

 その事を寂しいとか、嫌だとか思う事は無かった。

 両親どちらかが仕事で家に居ない、と言うのは昔からの事で慣れていたし、中学生になったあたりで家事もある程度は自分でできる様になったから、特別に困る事もなかった。

 心の片隅で、きっと紅葉が私を遊びに誘うだろうと言う予想もあって、実際殆どその予想は外れなくて、寂しさを感じる余暇が無かった、という事もある。

 高校に上がった頃には、家族で借りているアパートから学校に通った回数よりも、紫藤家から通った回数の方が、もしかすると多いかも知れなかった。

 学校ではいつだって一緒に居たのだから、結果的に、私と紅葉は、最も多くの時間を共有したに違いなかった。


 親友である紫藤紅葉という女の子の事を、私は語らなければなるまい。

 この町では名の知れた染物屋『紫』の末の娘。少し年の離れた兄がいて、両親は健在。

 この事は、この町の人なら、誰でも知っている。

 良い染物を作るためには、仕立て裁縫を知らねばならない。との理由から、幼い頃から、和裁の手ほどきを受ける。

 これは、家族や、『紫』に関わる人なら知っている。

 そして、裁縫を真剣に学んでいると言う事は、おそらく、私しか知らない事だ。


 転校してきた日から、さして日を置かず、初めて紅葉の家にお呼ばれした時の事だ。

 私にとって年の近い友人の私室にお邪魔すると言うのは、初めての経験だった。

 紅葉の部屋は、散らかっていた。

 清潔でないと言う意味ではない。

 何に使うのか不明な紙切れ、布切れが大量に散乱していて、白い機械が乗った変な形の机と学習机の周りこそ、人間数人程度が座れそうな空間はあるけれど、お世辞にも片付いた部屋ではなかった。

 紅葉は、私を招き入れてから、初めて自室の惨状に気が付いたかのような反応を見せ、てきぱきと片付けを始める。

 何が、どこにあるのか。完全に理解しているような、無駄のない動きだった。

 ほんの数分、あれをそちらに、これをあちらにして、紅葉の部屋は、いくらかすっきりとした様子になった。

 私は、それは何、と白い機械を指さして聞いた。


「ミシン。布を縫うのに使う機械、見た事無い?」


 私の家にはミシンが無かった。使う機会がないから、持っていない。当然、見た事も無かった。

 けれど、その物々しい大きさや、明らかに動くらしい部分に頑丈そうな太い針などがあり、とても子供に扱えるような代物には見えなかった。

 だから思わず、紅葉に使えるのか。と尋ねた。


「当たり前やん?染物屋の娘なんですけど」


 紅葉は、自身の技量を見くびられてか、少し拗ねたような表情をして、言った。

 私は、染物屋の娘がミシンを使えて当然、という理屈がわからなかったけれど、当たり前とまで言うのだから、そういうものなのだろうと上辺だけで納得した。

 紅葉には、私が本心からは理解していない事が分かってしまったようだった。


「ほら、こういうのが作れる。綿入り」


 そう言った紅葉は、椅子に掛けてあった綿入りを両手で持って、私に見せた。

 紅葉が着るには、少し大きすぎる気がするサイズ感。

 縫物をする機械が、服を作れると言うのは、分かる。

 そのための機械なのだから、服が作れるのは当然。

 私が聞きたかったのは、紅葉がミシンを駆使して、何かを作るのか。という事なのだが。


「これ、私が作ったん」


 紅葉は自信ありげに、そう言った。

 実際胸を張って、鼻息をフンと吹いて、なんとも偉そうな態度で居たのだ。

 驚いて表情が固まった私を見、意気を増した紅葉は、この綿入り半纏が、どれほど上等に仕上がったか。この地域の厳しい冬には、どれほど室内防寒着としてよく働くか。そして、この綿入り半纏の出来が、自分の裁縫の師匠でもある母親から、花丸を頂いた物であることを、熱心に私に聞かせた。

 それは間違いなく自慢話だった。

 私は、その自慢話を、半分ほどしか聞いていなかった。

 だって、その綿入り半纏は。私は綿入り半纏という物自体を初めて見たのだけれど。それにしても、上等な物に見えた。

 つまる所は、紅葉が手に持った自作らしい綿入り半纏が、既製品のように見えたのだ。

 鮮やかな紫の生地には、いかにも高級そうな風情があって、襟元の黒に近い群青との対比は、合うのだろうか?という疑問を抱かずにはいられないのに、どこか家庭的な、深い温かみを感じさせるような雰囲気を生み出していた。中に詰められているらしい綿だって、ふんだんに詰め込まれている事が一目で分かる。充分に詰められた綿のお陰か、半纏の外形は美しく広がっていて、升目状の綿の膨らみには、贅沢さすら感じられた。それらの縫い目に、一筋の乱れも、ほつれもない。

 手作り品にありそうな、粗が見つからない。

 そのまま服屋に並んでいても、違和感はない。そういう逸品に見えた。

 私の家では、裁縫を目にする機会は、ない。

 父も母も役者として、舞台を仕事場にしている人間である。

 服は買うものであり、作るものではない。

 私は、服と言う物は、どこか知らない場所にある工場で、あるいは有名な職人が工房で、もしくは役者に着させる衣装などは衣装係など、その道のプロの手によって、作られる物なのだと、信じて疑わなかったのだ。

 そんな風に思っていたから、まさか、自分の家で服を作る人が居るとは、思いもしなかった。

 それも、私と同い年の、小学生が出来るなんて、いや、するなんて、思わなかったのだ。

 紅葉の自慢話は止まらない。

 話が止まらな過ぎて、お母さんの稽古が厳しいだの、小学生がやる事じゃないだの、どうせ店はお兄ちゃんが継ぐのに、など、知らぬ間に自慢話は愚痴寄りの苦労話になっているのだけれど。

 私は、なるほど紅葉は、自慢するだけの事をしていると思った。

 それだけの努力を続けてきたのだと言う証明が、私の目の前に晒されている、店に並べても何の遜色もないような、綿入り半纏なのだ。

 絶対に、私には作る事が出来ない代物だ。


「まあ、今は楽しいから、ええんやけど」


 紅葉は、そのように、話を締めた。

 苦労もした、嫌だと思った事もあった、けれども楽しい。だから、良い。

 そういう話だったように感じた。

 単純に。

 素直に。

 羨ましいと思った。

 だから無意識に、言葉が漏れた。

 そういうものが、私も欲しい。

 確か私は、そんな事を言ったのだ。


「そう?なら、あげるわ」


 紅葉は私に、会心の出来である綿入り半纏を押し付けて、とても嬉しそうに、笑った。

 もう、紫藤紅葉という女の子を好きにならないと言う事は、藍川紫苑にとって、有り得ない事だった。


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