<5-9 覚悟>
朝。
サーシャさんが用意してくれたこちらの服に着替え、朝食を食べていると、なにやら廊下が騒がしくなった。
「しばらくお待ちを。」
音も立てずに小走りで部屋を横切って、ドアに耳をつけるサーシャさん。
さすがに緊張して無言でパンケーキとベーコンを飲み込む私達。
と、
「オリータ!オリータ!」
「「オリータ~~~!!」」
サーシャさんがドアから離れ、私達を見た。声には聞き覚えがあるので、開けていいよ、という意味を込めて頭上に両手でわっかを作る。
「「「オリーターーーーーーー!!!!」」」
なだれ込んできたのは、ヴェルトロア王国王太子ラルドウェルト様と、双子の妹姫様で第二王女殿下ミルデリーチェ様、第三王女殿下リルデレイチェ様だった。背後で「お待ちください、まだお食事中でございますよ!」と諫める声がするのは、双子姫様方の乳母さんのシュレジアさんとみた。お三方は私と結月ちゃんが座る食卓に詰め寄った。
「えーと、おはようございます、王太子様、王女様方。どうしました?」
「どうもこうもない、ガルトニの王太子殿下がこの城にいるというのは本当か?!父上から先程知らせが来て、客人として滞在しておられる故ご挨拶し、朝食を共にせよとの仰せだ!」
「あ、そうなんですか、陛下から。だったら大丈夫・・」
「いやよ、怖いわ!大体、あの恐ろしい王太子殿がどうしてこの国にいるの?!」
「何しに来ているの?戦争をしかけにきているの?!」
あちゃ・・ちょっと目が合った結月ちゃんも複雑な表情だ。
「落ち着いてください、いくらなんでも一人じゃ戦争はできませんよ。」
「でも、ガルトニの王太子殿下は素手で熊を殴って倒したのでしょう?!」
「武闘大会で10人の騎士を血みどろにしたって聞いたわ!それに本を読んでいた兵士をむち打ちにして傷だらけのまま地下牢に放り込んだって!」
うーむ、噂にさらに尾ひれがついとるな。
「それ、全部嘘です。根も葉もない噂です。だから安心してご挨拶してきてください。」
「・・本当か?」
恐る恐るラルドウェルト様が言う。
「本当です。取って食われたりしませんよ。でなきゃ、あのエルデリンデ王女殿下がおつきあいしてるわけ無いじゃないですか。」
「お付き合い・・?」
ミルデリーチェ様が首を傾げる。
「お姉様は・・ガルトニの王太子殿下とお付き合い?あの、それはその、恋人同士・・ということ?」
リルデレイチェ様が恐る恐る尋ね、
「本当か?オリータ。私は全く知らなかったのだが。」呆然としてラルドウェルト様が言う。「ああ、まあ仕方が無いか・・大陸第一、第二の国の王太子と王女の結婚となると影響は多大だ。安易に公表していいものではない。だがあの王太子殿の噂はどうも・・」
「うーん・・王太子様、そんなふうに思ってるとヨシュアス殿下はがっかりするかもですよ?未来の義理の弟になる殿下がこんなに自分を怖がっていると知ったら。」
「ガルトニ王太子殿下が未来の・・義兄上・・」そう、口の中でつぶやいた王太子様。何度かそれを繰り返すうちにはた、と顔を上げた。「義兄上・・私に兄ができる・・?」
「そうですよ。」
「兄か!兄上か!!」右手を握りしめ、晴れやかな顔になった王太子様。「オリータ、私に兄ができるのだな!私はずっと男兄弟が欲しかったのだ!!」
ヴェルトロア王家の4人のお子さんの中で、男の子は王太子様だけである。
「それはよかったです。じゃ、はりきって挨拶に行かないとですね!」
「「私はいや。」」
おっと、今度はミルデリーチェ様とリルデレイチェ様か。
「「兄上は要らないわ。」」
「おい!」
「だって、ウェルト兄様、うるさいんですもの。勉強しろとか、宿題やったかとか。」
「学院からの手紙は全部出せとか。」
「いえ、あの、お兄さんは間違ってませんけども。」
私もしょっちゅう子ども達に言ってるし。
「でも、本当にいちいちうるさいの!」
「それも、人がマンガを描くのに集中したいときに限って、言うんですもの!」
なんだか納得顔で結月ちゃんがうなずいているけど、スルーしておく。
「お前達・・兄のことをそんな目で見ていたのか・・」
「だからもう、これ以上お兄様は増やさなくていいわ。」
「いや、でも、ガルトニの王太子殿下はお姉様のですね、」
「婚約者だ。」
「「「「「「「!!」」」」」」」
全員が声がしたドアの方を見た。
ガルトニ王国王太子ヨシュアス殿下が立っていた。
初めて会ったとき、ヨシュアス殿下は肩に着くかどうかくらいまでのロン毛だった。二度目にあったときは髪を後ろで一つに結っていた。今はその結っているチョコレート色の髪が背中の中程まで伸び、触角の如き前髪があごの辺りまで伸びている。要は、初めて会ったときよりちょっと大人びて、より知的に見える。
ポカンとしているヴェルトロアのお王太子様と妹姫様方・・しょうがない、仲介するか。
「おはようございます、ヨシュアス王太子殿下。」
「おはよう、オリータ。お前の声かと思ってのぞいてみれば、これは・・」
と、ラルドウェルト様が一歩進み出た。
「おはようございます。ヴェルトロア王国王太子ラルドウェルト・ブリングスト・ヴェルトロイと申します。ガルトニ王国ヨシュアス王太子殿下にはご機嫌麗しゅう。」
なんだかんだ挨拶はきちんとできた。偉いよ、ラルドウェルト様。
「おお、そなたがエル・・デリンデ姫の弟か。では、そちらの双子の姫が・・」
お二人がそろそろと私の背後に隠れるので、私がご紹介する。
「第二王女殿下ミルデリーチェ様と第三王女殿下リルデレイチェ様です。目の色が濃いほうがリルデレイチェ様です。」
「うむ・・すまぬ、今すぐには区別が付かぬ。慣れるまで何度か間違いそうだ、許せよ。」
ヨシュアス殿下はそう言って微笑んだ。
「姫様方、どうぞご挨拶を。」
乳母のシュレジアさんが厳格に告げる。でも、お二人は私の背後で逡巡している。
と、ヨシュアス殿下が進み出て、王女様方の目の高さまでかがんだ。
「もしや、兄はもう増やさずともいいと言ったことを気にしているのか?」
「「!」」
王女様方とシュレジアさんが凍り付く。
「なに、気にはしておらぬ。国の妹達にも時々言われるからな。こちらは学院の勉強や習い事のことなど心配で言うのだが・・なあ、ラルドウェルト殿。」
「殿下にも妹御がいらっしゃっるのですか。」
「ああ。10才と8才のな。13才の弟もいる。」
たしか、加えてお兄さんもいたはず。ガルトニ王家のお子さんは総勢5人か。
「10才と8才と13才・・私達より年下・・」
ミルデリーチェ様がつぶやき、リルデレイチェ様が私の後ろから顔を出した。
「ということは・・私達がお姉様になる?」
「「もう一番の年下じゃなくなるのね!!」」
「そうだな。」はは、と笑うヨシュアス殿下。「一度に弟妹が3人も増えることになるが、仲良くしてやってくれ。ラルドウェルト殿もな。」
「もちろんです。弟までできるとは本当にうれしいです。姉と妹ではわかってもらえぬこともありますので。」
「あら、ウェルトはそんなふうに思っていたの?」
真打ち登場だ。
朝日にふわりと光る長い金髪。優雅な歩みと白百合を思わせる美貌。
第一王女エルデリンデ様だった。
「エル!おはよう。」
「おはようございます、ヨシュ。よく眠れて?」
「もちろんだ。寝室に色々手配してくれたそうだな。すまぬ。」
「いいえ・・これから大事をなそうという御身ですもの。私にできることは何でもいたします。オリータ、ごめんなさいね、食事中に弟や妹達が邪魔をして。」
「いえいえ。皆様、将来のお義兄さんに会うのに緊張していらっしゃったみたいで・・でも、もう大丈夫・・ですよね?」
ラルドウェルト様はにっこり、双子姫様方はちょっとだけぎごちなさの残る微笑みを見せた。
「よかったわ。お父様もお母様もお待ちですので、参りましょう。」
「うむ。」そこで芝居がかった咳払いをするヨシュアス殿下。「まずいな、オリータ。今度はおれが緊張してきたぞ。」
「大丈夫ですよ、国王陛下も王妃陛下もいい方達ですから。」
「うむ。ではな。」
殿下はニッと笑い、王女様と出て行った。ラルドウェルト様は片手を上げ、双子の王女様方は小さく手を振って去って行った。
と、王女様だけが長衣の裾をからげてささっと戻ってきた。
「例の件、ナナイから聞きました。計画の方は進めてくださる?」
おお!ナナイさんたら抜かりがない!
「了解いたしました。頑張ります。」と、結月ちゃん。
「楽しみです。執筆に張り合いが出るわ。」
「え・・まさか、新作ですか?もう?速くないですか?!」
うふふ、と王女様は笑った。
「そろそろ主人公2人の恋に決着をつけないと。それに新しい作品の構想もあるの。」
「「えっ?!」」
「私も頑張ります。それでは。」
「はい、それでは・・あの、無理なさらないでくださいね。」
「日程は王女殿下に会わせますから。ね、ベアテちゃん。」
「はい、もちろん!お忙しい体でいらっしゃいますから。」
「ありがとう。」
王女様が珍しくお茶目に手を振って去って行き、サーシャさんがドアを静かに閉め、私と結月ちゃんは顔を見合わせた。
「一体ホントにいつ執筆とかされてるんですかね・・」
「しかも新シリーズの構想まで・・」
「王女殿下の一日のご予定は驚異的です。」サーシャさんが言った。「執筆は主に私達侍女も寝静まった頃に一人、心落ち着けてなさっておられますが、夜中を過ぎることもしばしばです。ですがそれが日頃の御公務や勉学に支障を来したことはございません。」
「すご・・何てお方だ。」
「私だったら実測しながら確実に船こぎますね・・それにしても、ガルトニの王太子様。」
「ああ・・まあ、ああいう感じよ。」
「普通・・ですね。」
「私は初めて間近で王太子殿下を拝見しましたが、なんというか・・根っからあのような人柄だったのですね。」
「サーシャさん、それはどういう?」
「何かの宣旨をするときに何度か国民の前に出て、演説をしたのを見たことがあるのです。噂とはまるで違うようなとは思いましたが、国民の前ですので、さもあろうかと思っておりました。」
「ああ、国民の皆さんの前だから、猫かぶってたんじゃないかと。」
「はい。ですが、どうも違うようです。これでも前の仕事柄、人を見る目はあると自負しております。」
「ああいう人だって伝わればいいですよね・・今日、直接ヴェルトロアの国民の皆さんに王太子様からお話しするんですよね?」
「うん・・」
まるで自分の子どもが大仕事をするみたいな緊張を感じる。
「信じてもらえるといいですね・・」
「そうだね・・」
それから続きを食べた朝食は何となく味がしなくなった。
王女様の侍女でBLの同士ナナイさんがやってきたのは1時間ほど過ぎた頃、私と結月ちゃんがヴェルロアでのコミケについて詰めていたときだった。
「オリータ様とベアテ様のお二人に、陛下より依頼を言付かって参りました。本日10時に王女殿下とヨシュアス王太子殿下の婚約が布告されます。そのときに城下の皆さんの中に入り、布告に対する反応を伝えて欲しいとのことです。」
具体的には私が国民の皆さんの反応をブラゲトスの通信機能を使ってローエンさんに伝え、ローエンさんが魔道具リンベルクで王様に伝えるということだ。
「了解しました。頑張りますとお伝えください。」
色々支度があって急いでいるのか、ナナイさんは「ありがとうございます。」と礼を取ってすぐに立ち去った。
「今何時だっけ・・8時か。“マウステンの塔”の開店時間は・・」
「9時です。」と、サーシャさん。「おいでになりますならば、お供いたします。お二人の護衛も命じられておりますので。」
護衛、と聞くと少しひやりとする・・日本ではほぼ感じない命の危険がこちらではある。こんな、一介の庶民で市の臨時職員で平凡な人妻で2児の母親である私に。
その心配は結月ちゃんも同じらしく、お茶を飲みながらも顔に緊張を隠せない。
「多分、命の方は何とかなるよ。私のブラーくん・・ブラゲトスのことなんだけど、ローエンさん謹製のものすごい強力な守護魔法が仕込まれてるの。ね、サーシャさん。」
「はい、身を以て体験いたしました。私渾身の刃の一撃が全く通りませんでした。」
「ええ・・どんな目に遭ってるんですか、折田さん・・」
「ねえ、ホントにねえ。」苦笑するしかない。「でも、今度はサーシャさんが守ってくれるし、ブラー君の守護魔法も強化されてるから心配ないよ。それより布告は10時だよね。早めに町に出て“マウステンの塔”に行って、シルスさんに相談してみない?」
シルスさんは王室御用達の老舗書店“マウステンの塔”の経営者ナラハさんの孫娘である。現在ナラハさんは本の仕入れや鑑定を担当、店頭に立ってお客さんの相手をしたり、本の発注や資金繰りといった現場のことはシルスさんに任されている。そして、彼女の裏の顔は我々と同じBL愛好の士であり、王都ヴェルロアでのウスイホン流通の仕切り役なのだ。
「そうですね・・この国でウスイホン絡みのことを相談するならまず、シルスさんでしょうね。」
「じゃあ、行きますか。」
ということで、私達は身支度をし、サーシャさんは王女様の侍女さんの誰かに私達の予定を連絡しに走った。
結月ちゃんからコミケの構想を聞いたシルスさんは絶句し、それから涙目になった。
「ガルトニですばらしい催しがあったと聞いて、我が国でもと思っていましたが、その機会がこんなにも早く訪れようとは・・任せてください、月下のベルナさん。場所は見つけておきます。」
との頼もしい言葉をいただく。
と、何かの音・・ラッパに似たようなよく響く音が何か曲を奏でている。
「あれは・・」
シルスさんが店の外に出て、私達も後に続く。
「布告の角笛じゃ。」
頭上から降ってきた声に見上げると、二階の窓辺にナラハさんがいた。
「布告?なんの布告なの、おじいちゃん。」
「よい方の布告じゃな。」布告の内容によって曲が違うのだという。「国王陛下より何か吉報がもたらされるのじゃろう。どれ、行くか。シルス、店の鍵を閉めてお前も行くぞ。」
「わかった!お二人も行きません?滅多にないことですよ。お城の城門の上に陛下がお出ましになって、直接私達国民にお話しくださるんです!」
「そ、そうなんだ・・行こっか、結月ちゃん。」
「そ、そですね、折田さん。」
布告の内容はとっくに知っているけど、そうは口に出せないので期待感を醸し出しながら、サーシャさんとお城にとって返す。
ヴェルトロア城の城壁は二重になっている。つまり、城門も2つある。
私が初めてクローネさんとやってきたのは内側の城門だ。その外側にもう一枚、王都に面した壁があり、立派な石造りの城門には上に舞台が設けられ、そこに立って門前に集まった人達と相対することができる。舞台は日本の家の三階くらいの高さにあり、王様の声はローエンさんの魔法で拡声しないと、遠くで聞いている人には届きにくいそうだ。
私達がやってきたときは、早々と集まった人たちがすでに門前を埋めていた。門の上ではまだ大音量で角笛が奏でられている。
「なんだろうな、こいつはいい知らせの曲だぜ?」
「最後に聞いたのは、双子の王女様がお生まれになったときだったわねえ。」
「まさかまたお子様がお生まれになったんじゃ・・」
「まさか!」
皆さんはみんな笑顔だった。冗談など言い合いながら、布告を今か今かと待っている。そんなところにローエンさんからの通信が入る。
(折田、聞こえるか?)
(ばっちりですよ。皆さん、いいお知らせを待ってわくわくしてます)
(そうか・・)少し間が開く。王様に知らせているのか。(よし、陛下方がお出ましになる。集まった者達の最後尾で皆の様子を逐一知らせろ。そっちは陛下には反応が見えにくい。)
(了解!)
いよいよだ。目で結月ちゃんに知らせ、結月ちゃんもうなずき返す。二人とも緊張していた。
「おお、おいでになられた!」
誰かが声を上げた。角笛を奏でていた人たちは演奏を止め、脇に退いて礼を取る。まず、宰相マースデさんと騎士団長エドウェルさんが先触れで出てきて道を空け、近衛騎士団が両脇について王様と王妃様が登場した。
大歓声が上がり、お二人がそれに応えるように笑顔で手を振る。それから、顔を見合わせてうなずき合い、間を開けた。何事かと歓声が一度静まり・・エルデリンデ王女様が静かに現れたのに呼応してまた歓声が上がる。
「まあ、相変わらずお美しい!」
「なにしろ、“黄金の白百合”ですからねえ。」
「我らが自慢の姫様だ、なあ?・・おい、誰だ、あれ。」
歓声が徐々に静まる。王女様の隣に見慣れない若い人が・・ヨシュアス殿下が立っていたからだ。
「ねえ、おじいちゃん、あの方どなた?」
「どこの文爵家にも武爵家にも見たことのないお顔じゃ・・あんな若様、いらっしゃったかのう。」
シルスさんとナラハさんが首を傾げる。
王室御用達の老舗書店を経営する二人は貴族の皆さんにも顔が広いけど、ガルトニの王太子殿下の顔まではさすがに知らないようだ。集まった人たちにも、困惑のさざめきが広がる。
「皆よく来てくれた。」
王様の一声で、さざめきがすーっと引く。
「皆に来てもらったのは他でもない。慶事を伝えるためじゃ。」人々の困惑が再び期待に変わる。「我が愛しき娘、王国の第一王女エルデリンデが婚約を結ぶ運びとなった。」
息をのむのがそこここで聞こえ、ついで王様の言葉の続きを待つ。
「婚約を結ぶはこれなる・・」隣に立つヨシュアス殿下の背に手を添える。「ガルトニ王国王太子ヨシュアス殿じゃ。」
一瞬静寂・・皆さんが、王様の言葉を理解するのにちょっと時間を要した。
「・・今、なんと言われたのかの?」
「ガル・・トニの王太子様?あの人がそうなのかい?」
「ウチの姫様のお婿さんが・・ガルトニの?」
ひそひそ声がさざ波のように広がる。再びの困惑に今度は・・
「心配そう・・ですね、皆さん。」
「うん・・」
そばにいるシルスさんは解せぬ、という顔。ナラハさんははっきりと渋い顔をしていた。
「ガルトニの王太子殿・・あのお方がのう・・」
そう言ったナラハさんは、例のヨシュアス殿下に関する噂を思い出しているのだろう。そして多分、集まった皆さんも。ざわめきが広がっていく。
と、また静寂。王様の手が上がったのだ。
「皆、驚いたことであろう。だが、これにより我がヴェルトロア王国とガルトニ王国とは和解する。和平を結び、以後は戦いのない平和な世に向かって歩み始める。これはわしとガルトニ王リヴィオス殿との間でそのように取り決めた。新しい時代に向かって進む二人をどうか祝福してやってほしい。」
人々は顔を見合わせる。
突然のガルトニとの和平の知らせと、王女様のガルトニ王太子様との婚約・・初めは理解が追いつかなかった人たちが徐々にまた、ざわめき出す。
「まさかだろ?だってガルトニの王太子といやあ、とんでもないお人だって話だぞ。」
「でも、なんだかそうは見えないわよ?」
「ばかね、王様や王妃様がいるのにふざけたまねができるわけないでしょ。猫かぶってるに決まってるわ。」
「そうそう、所詮はあの戦好きのガルトニの王族じゃ、あんな者に我が国の誇る白百合姫様をくれてやると・・?」
(雲行きが怪しいです、ローエンさん)
段々不穏になってきた町の人たちの言葉をブラー君で伝える。城門の上に立つ王様の後ろに控えるローエンさんの顔が曇るのが見える。
と・・
「おれのいとこはエリリュー河の戦で死んだんだ!!ガルトニのせいで死んだ!ガルトニは敵だ!!」
「「?!」」
すぐ近くで男の人が怒鳴って、私と結月ちゃんは飛び上がった。
ざわめきが大きくなる。
「そういえば私のいとこも傷を負ったわ・・ひどい戦いだったって・・」
「おれの爺さんもあの戦いで死んだ・・」
「あたしは兄さんを亡くしたよ・・ほんとにガルトニの連中ときたら・・」
「昔っから一方的に戦争ふっかけてきやがって・・ひでえ奴らだ。そんなガルトニの者に姫様をやれるか!!ましてや相手は冷酷非道と噂のお方だ!!」
最後に叫んだのは、さっきいとこをエリリュー河畔の会戦で亡くしたという方だった。
そして昔の傷が反発に変わる。
「そうだよ、あんな連中にウチの大事な姫様をやれるか!」
「エルデリンデ王女様はほんとにお美しくて、お優しくて賢くて、私ら自慢の姫様だよ、ガルトニなんかにお嫁に出せるかね!」
「そうだ、いくら王様の仰ることでもこればかりは承諾しかねる!」
逐一ローエンさんに報告しながら、冷や汗をかく。ていうか・・
「折田さん、あの人うるさいです!」結月ちゃんがイラッとして、「声デカすぎ!」
あの人、とは例のいとこを亡くした方。確かに一番声が大きいし、よく聞けば言ってることもヨシュアス殿下の悪口ばかりで、周りの人たちがそれに煽られる形になっている。
(・・煽られ・・いや、煽ってる?あの人?)
と、サッと視界の隅で動いた人影・・サーシャさんだ。そして、
(オリータ様、ローエン様に伝えてください。先程来わめいているこの男、見覚えがあります。追います。)
サーシャさんはローエンさんから通信機能を仕込んだ魔石を借りていた。
「えっ?」ちょっと待って。「サーシャさんが“見たことがある”ってことはもしや。」
見やるともうあの男の人はいない。
ローエンさんに知らせると、ややあって返事が来る。
(サーシャが見覚えがあるなら追跡を任せよとの陛下の仰せだ。だがお前達は今少しだけ、民の言葉を聞いて欲しいとも仰っている)
見上げると、王様と王妃様は落ち着いてざわめく皆さんの様子を見つめていた。
王女様の顔には不安が見えたけど、ヨシュアス殿下は目を閉じて黙って皆さんの声を聞いているようだった。
「大丈夫ですかね、王女様とヨシュアス殿下。」
「・・頑張って欲しい。」
私には何もできない。
王室にちょっと足を突っ込んだだけの部外者だし、外国人だし、平民だしでそんな人間が声を上げても余計なことでしかない。それに・・
「ここは多分、お二人の正念場なんだ・・」
そわそわする。ざわざわする。何かしてあげたいけどできない焦燥感。
でも。
「でも、我慢して見守ることも時には大事・・苦しいけど。見てる方も辛いけど。」
「折田さん・・」
「ウチの子ども達にも、お二人に比べたらずっと小さいけど・・ううん、子ども達にとってはきっと大きな正念場があったのよ。でも、親が手を出したらダメでね。」
「・・・・」
ヨシュアスは耳を澄ませていた。
ここにはヴェルトロア王国の王都の民しかいない。王国民の一部ではあるが、それでも自分に対する評価、母国ガルトニに対する恨み辛みは聞こえてきた。
(これが戦いの結果か)
(各地に戦いを仕掛けてきた我が先祖達よ。貴方方がもたらしたものを見よ。得たものを見よ。戦は何を我が国に与えたのか?)
何か聞こえた。
目を開けるとエルデリンデ王女がこちらを見つめている。
青い瞳が不安げに揺れている。
「すまぬ、エル。」
なんとだらしない、とおのれに腹が立つ。愛した女性一人笑顔にできぬ。
(これで人の上に立つつもりか?ヨシュアスよ)
おもえば、このような言葉を聞いたのはアルメリア族の幕舎以来二度目だ。だが、今度はその数倍の国民を抱える大陸第二の国の民が相手だ。ここにいるのは国民の内の一部でも、今起きていることは今日明日の内に王国の隅々にまで知れ渡るだろう。
大きく息を吸い、深く深く吐く。父ほどではないが戦の経験のあるヨシュアスが、戦いの前に必ずやってきたことで、これが心を落ち着かせる。
(おれの本当の戦はこれなのだ)
そして、ヴェルトロア王に視線を向け、小さくうなずく。
王もそれを捕らえ、うなずいた。任せてくれるのだろう。
エルデリンデ王女に微笑みを送り、前に出る。
ヴェルトロア王都の民の視線を一身に感じる。
ヨシュアスはもう一度大きく息を吸い・・
「ヴェルトロア王国の民よ。我が名はヨシュアス・ヴァレンティオ・ガルティノス。ガルトニ王国王太子である。」
一瞬にして静寂が訪れる。
皆が“敵”国の王太子が何を言い出すのかと耳をすました。
「先頃までの我が国との戦により皆が被った体と心の傷跡・・この目と耳で確かに受け取った。我が国が犯した罪は否定はせぬ。私はガルトニ国王名代としてその罪をわびよう・・すまなかった。」
そう言って、ヨシュアスは頭を下げた。
広場の空気が変わったのがわかった。
いとこを亡くした男こと、メルゾは思わず舌打ちした。
(せっかく焚きつけてやったものを・・)
背中には堅い木の皮の感触。広場の隅の大木を背に追い詰められていたからだ。
「裏切って王国側に着くとはな、サシェ。」
「命を賭して守りたいと自ら思える御方が巡り会えたのだ・・しばらく見ないと思ったらメルゾ、この国で何をしている。」
「飴屋だ。」
「何?」
「飴を売っている。ガキどもに割と評判がいいんだぞ。」
「知るか。私と共に来てもらうぞ。“組織”の者があのような言葉をあのような場で吐いていたとなれば、国王陛下も色々と聞きたいことがあるだろう。」
「ふん・・」鼻で笑うも、冷や汗が背中を伝う。サシェとの実力の差は知っている。「捕まってた・・ぐっ!」
メルゾの両肩、腕、太ももにナイフが一度に突き立つ・・痛みをこらえて走り出そうとするも止まらざるをえなかった。のど元にサーシャのナイフが突きつけられていた。
「あのお方の命令か?」
「掟を忘れたのか?己の任務を敵に話すなどあり得ん。」
「!」
とっさにメルゾのみぞおちに拳をたたき込んだが遅かった。すでにメルゾの口元からどす黒い血が筋を作っていた。
ずるずると木の根元に崩れ落ちたメルゾの体から、サーシャは苦い顔で武器を回収した。
広場は静まりかえっていた。
誰もが自分の目を疑っていた。
建国以来百数十年、大陸諸国に戦を仕掛けては征服してきた国の、冷酷非道と名高い王太子が、先程まで敵国だった国の国民にわびて頭を下げている。
「ヨシュアス殿。顔を上げられよ。」
ヴェルトロア国王ブリングストはヨシュアスの背に手を添えた。
「のう、ヴェルトロアの民よ。なんとなれば戦をすると決めたは余である。わびるならそれは余の方が先じゃ。若い者に先に謝らせ、至らぬことであった。本当に皆には苦労をかけた。すまなかった。」
ブリングストが頭を下げた。
小さな悲鳴にも似た声が方々から上がる。
「それ故にのう、皆の怨嗟はわしに向けてくれ。そして、この若い二人が戦のない世を作る手助けをしてやってはくれまいか。」
「私からもお願いいたします。」
今度は王妃リュミエラが頭を下げ、また悲鳴が起きる。
「私も皆の悲しさ、つらさを陛下と共に引き受けましょう。それ故、エルデリンデとヨシュアス殿下には未来への道を進ませて欲しい。」
「お願いです、私達に時間をください。」
エルデリンデ王女が母、ヨシュアスと並び立つ。
「私は家族だけでなく、皆の愛も受けて育ったと思っています。城の外でかけてもらった温かい言葉の数々、私は忘れません。故に、今度はその愛に報いたいのです。報いて戦の無い世を作りたいのです。ですから、どうか時間をください。私とヨシュアス殿下に!」
そしてヨシュアスの手を握る。視線を受けたヨシュアスが再び口を開く。
「我が国がしたことを忘れろとは言わぬ。今すぐ許してくれとも言わぬ。だが、やらせて欲しい。我らの代で終われずとも礎だけでも築かせてほしい。皆の愛する姫と共に!」
皆さんは目に見えて困惑していた。ざわめきがまたも広がっていく。
王室の皆さんはともかく、ヨシュアス殿下の言葉をまだ信じられないでいる。
でも、私はその本気度を知っている。ヨシュアス殿下だけじゃない、お父さんのリヴィオス王様の本気度も知っている。
自分の息子の悪評より、ガルトニが再び戦争を起こそうとしている、という噂の方に怒っていたリヴィオス王様。戦争の噂は嘘だと親書を書いて、私に口頭でまで念を押した。
「信じてあげてよ・・」
「・・?何か言いました?オリータさん。」
問うたシルスさんの顔にもまた不安と不信が交錯していた。仕方ない。仕方ないよね。でもね。でもね・・!
「本気なんだよ、ヨシュアス殿下は!」
「オリータ殿?!」
ちょっと引いたナラハさんに向き直る。
「本気なんです、ヨシュアス殿下は!お父さんのリヴィオス王様も!誰が言ったか知らないけど、ヨシュアス殿下は冷酷非道でも何でも無い、割と普通の方ですよ!なんなら他人のために命をはれる方ですよ!」
「し、しかし・・」
「でなきゃ、あの王様や王妃様、何より聡明でならしたエルデリンデ王女様が、婚約を了承するわけないじゃないですか!」
「お、折田さん・・」
結月ちゃんの声に我に返った。
周囲の視線が私に集中していた。
「あ。」
やっちまった。
見守るとか言っておいて、やっちまった。
「あ、あの、えーと・・すみません、その・・異国の者が勝手なこと言って・・」
猛烈に申し訳ない気持ちになって、頭を下げる。この方達にとって戦争はたった20年くらい前の話。70年以上たった日本でもまだ爪痕が残っているというのに・・
「まあ、そうじゃの。王女殿下は口先だけの男にだまされるようなお方ではない。」
ナラハさんの重々しい声が聞こえて、私は恐る恐る顔を上げた。
「ヨシュアス殿下はともかく、国王陛下や王妃陛下、王女殿下の言葉は信じてもよいのではないか?」
「うーん・・」
シルスさんはおじいさんの言葉にうなる。
「まあなあ・・マウステンの爺さんがそう言うなら・・」
「でもよ、ガルトニに皆様そろって一杯食わされてたらどーすんだよ。」
「いや、ですから、ガルトニのリヴィオス王様こそが戦争放棄の言い出しっぺで・・」
あーもう!いや、怒るな怒るな・・仕方ないことなんだ、仕方ないこと・・
「皆には余や王妃、エルデリンデがヨシュアス殿下に籠絡されているのでは、との心配もあるかもしれぬ。」
「へ?!」
ローエンさん経由で私の心の声がだだ漏れたらしい。
「だがもしそうであれば・・どうしようかのう、ヨシュアス殿。」
ざわめきが停止。
「そうですね・・」ヨシュアス殿下はちょっと考えて、「であれば、この命を取られても仕方ありますまい。」
「ほう、そなたの言に命をかける、とな。」
「御意。」
重い言葉がシンプルに交わされ・・私の隣でゆっくりと拍手が起きた。
結月ちゃんだった。
「すごいです。そこまで言っちゃうとか。もうこうなったら、有言実行でやってもらうしかないじゃないですか。平和にしてもらうしかないじゃないですか。」
言ってることがいまイチアレだけど、その言葉は伝染していく。
「そうだなあ、命までかけるというならなあ。」
「信用・・するしかないのかしらねえ。王様方もああ仰ったことだし。」
「そう・・なのかねえ。」
「ようし、こうなったらそこの姉ちゃんの言うとおりにしてもらおうじゃねえか!だけどよ、俺たちの姫様を泣かせたら承知しねえぞ、なあ?」
「そうだそうだ!幸せになってもらわなけりゃあ!」
言ってることはアレだけど、拍手は広場一杯に広がっていく。
王様がヨシュアス殿下の肩に手を置き、微笑んだ。
王妃様がエルデリンデ王女様と微笑みあった。
そして最後にヨシュアス殿下とエルデリンデ王女様が握りしめた手を高く掲げた。
歓声が大きくなってよく聞こえないけど、多分、二人で皆さんにお礼を言っているように見える。
広場の皆さんからも次第に幸せを願う声、婚約を祝福する声が聞こえだした。
「ホントに大丈夫でしょうか。」
シルスさんが不安げに言う。
「大丈夫ですよ。」
私はきっぱりそう答えた。
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