<4-1 折田桐子は息子の通学カバンをひっくり返す>

 ここは私が勤める某県市文化財保護課別館・・という名のプレハブ。私はここで“内勤さん”として、遺跡の発掘調査で出土した土器や石器などを整理する仕事・・土器の破片を洗って乾かしてボンドでくっつけて復元したり、その復元した土器や石器を図にしたりと、発掘の成果を報告書にするための準備やお手伝いが主な仕事だ。(報告書を編集するのは正職員である白田さんの仕事)

 初雪が降った日の夕方、同僚の月(つき)舘(だて)晴(はる)海(み)さんが言った。

 「折田さ~ん、今日の広報委員会行く~?」ん?「広報委員会。今日6時からあるでしょ~?」

 天馬市立三口中学校に子どもが通う私と月舘さんは、PTAの広報委員会に所属している。いうて年に3回PTAの広報誌を出すだけの簡単なお仕事なのだが・・

 「私~、今日ちょっとだけ遅れていくから、委員長の花村さんに~」

 「ちょっと待って!それって今日?!」

 「うん。」

 「しらんかった・・」

 「おっと~ヤバいんじゃなーい?」ニヤニヤしているのは、私達チーム白田の内勤副チーフ中(なか)井(い)美(み)紀(き)子(こ)さん。「またまたストーカーネオのイヤミが炸裂するね。」

 「あうう・・」

 「広報委員からのお知らせ来なかった~?」

 私は涙目で月舘さんを見、かぶりを振った。

 息子駿太(しゅんた)はそんなもの見せてない・・

 

 我が息子折(おり)田(た)駿太(しゅんた)(13)は、小学校の頃から学校の配布物をよく出し忘れる子だった。中学に入学してからはいっそう酷くなり、近頃は全く出さなくなった。嫌がらせとかじゃなく、単純に忘れているのだが、おかげで今日のこの事態である。仕事が終わると私は馴染みのコンビニ、ひまわりマート三(さん)口(くち)町店に走った。

 「いらっしゃいませ・・あ、折田さん!」

 迎えてくれたのは、このコンビニで働く年下の友人クローネ・ランベルンさん(17)。隣にはこれも顔見知りの柳沢さんもいる。

 「いらっしゃっせー。お久しぶりっす。」

 「ども!」

 二人とゆっくりお話ししたいところだが、我が家は三口中学校から車で25分かかる。ただ今5時18分。家まではこのコンビニから10分かかる。広報委員会は6時から。ギリだ、ギリ!

 「お願いします!」

 コンビニ弁当とフリーズドライの味噌汁を4つずつと、ダンナのおつまみ用の何か(適当につかんだのでなんだかわからん)が入ったカゴをドン、とカウンターに置く。

 「ゴメン、クローネさん、会計、超特急でお願い!!」

 「ちょう・・?」

 「めっちゃ急いでってことっす。おれ、袋に入れるんでバーコードたのんます。」

 柳沢さん、ありがとう!クローネさんは動体視力と運動神経がものすごいので、実に的確な役割分担である。

 で、30秒で会計を終え、またどうぞの声に後ろ手を振って車に飛び乗り、スピード違反を犯しながら帰宅。

 家の鍵を開けると、つーんと臭いズックの臭い・・駿太がすでに帰宅していた。テスト期間なので、いつもより帰りが早いのだ。奥からおかえりー、と娘の沙緒里(さおり)の声もした。

 「駿太ーーーー!!」

 食卓にコンビニ弁当を置いて、まっすぐ部屋の前に駆けつけ、ドアを連打する。

 「なに?うるさいんだけど。」

 本当に嫌そうな顔で出てきた息子に、歯がギリギリ鳴りそうになる。

 「学校のカバン出しなさい。」

 「は?なんで?」

 「いいから、出さんかーーーい!!」

 1話目を読んだ方はてきぱき料理を手伝う姿を見て、いい息子さんと思ったかも知れない。でもそれは、料理の時だけのかりそめの姿で息子の大体2割くらいでしかない。あとの8割は思春期&反抗期に少々の自意識過剰をふりかけた生意気盛りの中学生だ。

 渋々持ってきた学校カバンをひっつかんだ私は・・

 「とりゃーーーーー!!」

 逆さにして中身を全部廊下にぶちまけた。

 抗議を一切無視して、教科書やノートを脇に寄せると、ぐしゃぐしゃの蛇腹折りになった紙が数枚現れた。

 「これ何?!」

 「あー・・」

 目が泳ぐ息子。押しつぶされて蛇腹折りになった紙を次々伸ばし、4枚目で今日の広報委員会のお知らせを発見した。

 「これ!今日のPTA広報委員会のお知らせだよ!月舘さんから聞かなかったら、すっぽかすところだったんだよ!」

 「・・・・」

 「つーわけで、今日はもう晩ご飯作ってるヒマ無い!そこにコンビニ弁当があるから、チンして食べて!」

 「わかったー♫」

 と、元気よく答える娘と、カバンとぶちまけられた中身をのろのろ回収する息子を残して、私は再び玄関を出た。

 色々ご意見はあろうが、とにかく広報委員会に向かいます。

 イヤミを言われるから?

 ええ、そうです。でもそれが私に対してなら、どうってことはないのですよ!


 「遅刻する委員がいるのは、委員長であるあなたがしっかりしてないからじゃないの?花村さん。」

 あたふたと私は謝罪に入る。

 「すみません、遅れたのは私なので、言うなら私に言って下さい、花村さんは何も・・」

 「いいえ、委員長がちゃんと委員を引き締めないからこういうことになるの。花村さん、わかってる?」

 「ええ、あとで折田さんには話しておくわね。そろそろお仕事を始めましょう。」

 「ちゃんと言っておいてよね?PTA会長までやった人なんだから、その辺わかってるわよね?」

 「はいはい。さあ、律子さんもそろそろ席について。」

 「こういう所では根尾さんって呼んで!けじめってものが・・」

 「いいから、さあさあ。」

 広報委員長花(はな)村(むら)さんに背中を押されて、ちょっと、とか押さなくても良いわよとか言いながら席に着いたのが根(ね)尾(お)さん。

 夕方、中井さんがニヤニヤ混じりに言った“ストーカーネオ”とは彼女のことである。

 SFの何かのような字面だが、要は“ストーカー根尾”ということで決して名誉な渾名ではない。

 高校の同級生である中井さんに寄れば二人は長年の、というか小学校以来のライバル関係にあるのだそうだ。

 「と思ってるのは、多分根尾さんだけなんだよね。花村さんは根尾さんに何言われても、あんまり気にしてる風じゃなかったもの(それは今もそう)。ただねえ、いつも負けるのは根尾さんの方なんだよね。しかも、僅差で。」

 例えば根尾さんがテストで80点を取れば花村さんは83点、走って根尾さんが10秒出せば花村さんが9秒9とか。

 「花村さんにしてみればたいした違いじゃないんだけど、根尾さんはしょっちゅう負けてるのが許せないわけよ。で、高校も大学も、花村さんと同じ所に進学して、就職も同じ県庁に入ったのね。ところがある年の人事異動で、根尾さんがサブリーダーとかいうのになって・・」

 私が住む某県は知事の下に~課、その課の中にさらに~グループと別れ、グループを統括するのがグループリーダー、サブリーダーはその補佐にあたる。

 「花村さんの名前が新任のサブリーダーになかったから、根尾さんはこれでやっと花村さんに勝てたって喜んだんだけど、実は花村さん、寿退職を決めてたの。それでまた根尾さんが腹立つ訳よ。結婚で先を越されたって。でもそこで諦めないのがストーカーネオで。」

 親に頼んで次々お見合いをして、年末には式を挙げたという。

 「なんとしても花村さんと同じ年に結婚したかったのね。で、運良く・・というか、子どもも同じ年に産んで。」

 それもなんと2人も。家が近所なので、子供達は2人とも同じ保育園に入園した。

 「で、花村さんが保育園の父母会に入れば根尾さんも入る。役員をやれば役員会に入る。小学校のPTAも同じ。中学校では花村さんはPTA会長にまでなったんだけど、二人目の子どもさんの時に他の人に会長職を譲って広報委員会におりたのね。そしたら、根尾さんもあっさりPTA副会長の座を捨てて広報委員会に入ってさ(←今ココ)。子どもの塾も一緒らしいよ。どこまで勝負する気か知らないけど、よくやるわ。」

 ・・というのが根尾さんのストーカーの歴史であり、その結果があの会話なのだ。根尾さんは遅刻した者を責めるのではなく、花村さんを責める方に出てしまうのだ。

 これがイヤだったのである。

 「職場では根尾さんはいい課長なんだけどね。仕事はできるし、部下の面倒見もいいし。あたりがキツいのは、花村さんにだけみたいだから。」

 何とか委員会をやり過ごしての晩酌時、ダンナがそう言った。部署は違うけどダンナも県庁職員なので、“ストーカーネオ”の噂は聞いていた。

 「もうたまんなかったよ・・悪いのは遅刻した私の方なのに、花村さんを責めるんだもの、肩身狭くて。」

 うんうんとうなずいたダンナが「そういうことだぞ、駿太。」と、私の背後に向かって言った。そこにはお風呂上がりの駿太がばつが悪そうな顔で立っていた。

 「駿太がPTAのお知らせを見せ忘れたせいで、お母さんだけじゃなく、他の人にまで迷惑がかかったんだぞ。」

 「・・部活やってると忘れる。」

 「駿太はそれですむかも知れないが、お母さん達はそうはいかないんだ。気をつけろ。」

 駿太は口の中でうんとか何とか答えて自分の部屋に入っていった。

 普段は蜂蜜好きの黄色い熊さんのごときおっとりしたダンナだけど、たまにこうしてビシッと言ってくれることがあるので助かる。

 

 その夜11時。

 (できた・・)

 私は鉛筆を置いた。

 私以外の皆が寝静まったリビングダイニングの食卓で、私は原稿をやっていた。

 もちろん広報委員会のそれではない(広報委員会は原稿を取り立てる側)。

 十数年ぶりにオタクの世界に復帰して以来、初の同人誌作りに取り組んでいるのだ。

 とはいえまだリハビリ中なので、現役バリバリで本を作っている職場の同僚の鈴沢柚月ちゃんと、二人で出すことになっている。十数年のブランクが心配だったが、いざケント紙を前にすると妄想がわき出て止まらない。「なんだこりゃーはははははは」と笑いながら、家族が寝静まった深夜に作業を進めた。ただし、学生の頃と違って眼精疲労と首・肩のこりが半端なく、そこは経年劣化を感じる。

 とにもかくにもネームは終了して、明日からはペン入れだーと、両手を組んでうーんと背伸び。

 (折田――――!聞こえるかあっ!!!)

 「うわっ!!」

 思わず声が出て、寝ている家族の様子をうかがう・・幸い誰も目覚めた様子はない。

 私の頭の中に怒鳴ってきたのは、知り合いの魔導師ローエンさん。

 (何なの、ローエンさん、いきなり!)

 (何度も呼ばんと返事をせんからな。ならば最初から怒鳴った方が早かろう)

 (心臓止まりそうになったよ!ちなみにこっちは夜中なんだけど、何か?!)

 (困ったことが起きた。今すぐクローネとこっちに来い)

 まったく・・あちらの世界きっての大魔導師のくせに頼み方が雑だ。あちらの世界、とは縁あって三度ほど訪れているヴェルトロア王国を含む、まあいわゆる異世界である。初めての訪問の際、魔力を持つ魔石をいただいたのだが、それに通信機能が仕込まれていて、こうして心の中で会話ができる。できるのはいいんだけど。

 (いや、さっき言ったの聞いてました?今、夜中ですよ。もう寝るんですけど)

 (第二・第三王女殿下のことで問題が生じた。わしの見たところではお前の案件だ。)

 (第二・第三?・・て、エルデリンデ王女様やラルドウェルト王太子様の妹さんってことですか?!)

 (知らんかったのか。双子の妹君がおられる。)

 (へえ~!そうだったんですね!)

 あちらに行くときはだいたいバタバタしてて、関係者としかお会いできずに帰って来ちゃうからな~。

 (クローネにも連絡する故今すぐ・・おお、殿下。そのようなお顔をなさいますな、折田は王女殿下のためとあらば、今すぐにでも馳せ参じますぞ)

 ん?王女様がいるの?

 王女殿下とはあちらの世界のオタ友でヴェルトロア王国第一王女エルデリンデ様のことである・・ああ、それで“第一”王女様だったのか!第二・第三の王女様がいるから!

 (オリータ?オリータ?聞こえているかしら・・?)

 (はいはい、それはもうばっちり聞こえてますよ!)

 (ごめんなさいね、夜遅くだというのに・・)

 (ぜ~んぜん、日本では“秋の夜長”といいまして、深くなった秋の夜を誰かと語らいつつ過ごすのは風情のあることなんですよ)

 (まあ、そうなのね。それでは少しお話しできて?)

 (はい、それはもう)

 (折田、貴様、何という裏表のあるやつだ)

 (何のことです?)

 人徳の故だ。人にものを頼むのにいきなり怒鳴りつける雑な魔導師と、王女という地位にありながら人を気遣う王女様との間に、扱いの差ができて当然である。

 ほう、と王女様が息をついたのが聞こえた。

 (よかった・・話を聞いてもらうだけでもよかったのですが、それにしても滅多な人に話せることではなくて・・)

 んん?

 (どうしたんですか?)

 (実は・・お父様に側室を望む声が上がっているのです。妹たちの素行のせいで)

 (はい?)

 側室?・・そくしつ?

 私の知る限りそれは二番目以降の奥様、という意味だ。しかもそれを望む声が上がったのが、妹さんたちの素行のせいで、とは?

 (どういうことかというと・・ええと、何から話せばよいかしら・・ごめんなさい、オリータ、少し動揺しているみたい・・)

 今度はこっちが動揺した。

 普段の王女様は優雅にして冷静沈着、剛胆ですらある人だ。なのに、動揺して話がまとまらないなんて・・

 心配になってきたところに雑な声がした。

 (折田、聞いての通りだ。王女殿下におかれてはたいそうなご心痛だ)

 (何があったんですか、側室とか・・何で妹さん方が関係するんですか)

 (だから来ればわかるのだ。待っとるぞ。わしだけではない、王女殿下が、だ)

 (ちょ、待っ・・)

 それっきり何度呼んでも返事はなかった。

 くっ・・人の心配につけ込みおって。

 正直眠い。原稿を印刷所に出すまでのスケジュールに多少の遅れが出ていて、必死でネームを作ったのだ。でも・・

 「あー、もー!!王女様のためじゃ断れんわっ!!」

 原稿と画材をまとめて100均のプラケースにしまい込み、それをデイパックに入れて着替え(パジャマで原稿してたので)、コートを羽織ったところで頭の中に声がした。

 (折田さん・・聞こえますか・・?)

 クローネさんだ。応答すると、我が家の居間にクローネさんがやってきた。

 「お邪魔します。もう入ってしまいましたが・・玄関の外だとノックしなければならないと思いまして・・」

 それだと家族が起きてしまうだろうという彼女の配慮に感謝する。

 「んじゃ、行きますか。よろしくお願いします。」

 「はい。こちらこそ。我が国王室のために夜遅くすみません。」

 「なんてことないよ。さ、行こう。」

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