<3-8 鈍色の暁星、白金の大楯>

 突然、いろんな音がした。布がビリビリ裂け、木が折れるバリバリ、ガリガリという音、最後にとんでもなく重いものを落とした音がして、床も軽く振動した。

 (何?!)

 恐る恐る目を開いた。埃がそこらじゅうに舞い、人影しか見えない。

 「王女様、ヨシュアス殿下!」

 「私は無事です!」

 「おれもだ!」

 少しずつ埃が晴れ、王女様はアゴニトさんの側に、ヨシュアス殿下はその王女様の近くにいて、けがの一つも無かった。私も無事。向こうで咳き込んでいるのはマリリスちゃんのようだ・・無事だろうか?ダンデラさんは?

 『見いつけたああああっーーーーーー!!』

 「?!」

 今度は思わず耳をふさぎたくなるような、子どもの大声。

 『やあ・・っと見つけたぜ。おい、そこの人間!!』

 誰も返事をしない・・だって皆人間だし。

 『お前だ、お前!無視するな!』持っていた棒で指したのは、私。『よくも伯母上におれの悪口を言ってくれたな!!おかげで父上にまで怒られて大変だったんだぞ!!』

 「えーと・・ぼく、どこのお子さん?」

 『なんだとー!!』

 だって、知らんがな。私を名指しして文句垂れてるのは、10歳くらいの男の子。真っ赤な髪に金色の瞳、身体の周りには薄赤い炎のようなものがゆらゆらと揺れている。裸の上半身に赤いボレロだけを着て、ズボンは白のニッカーボッカーみたいな形、靴は赤いショートブーツ。そして手には50センチくらいの棒を持っていた。ただし、先端に鎖が付いていて、その端っこにトゲトゲの付いた鉄球がぶら下がっているという凶悪な代物だ。

 『おれを忘れたとは言わせないぞ!!我が名はボイダン!軍神レイアダンの4番目の息子だあ!!』

 「「・・・・・・・・・」」

 私は半目でボイダンくんを見た。見れば、王女様も微妙に嫌そうな顔で見ていた。

 そうか、この子がボイダンくんか。この子があの・・

 『き・・斬るよ~~ん・・』

 か細い声がした。ボイダンくんのブーツに踏まれて、棒人間がシャキ、シャキ、と小さく刃を打ち合わせていた。

 『斬る?誰に向かって言ってんだ、羽虫が。』

 ブーツから火が吹き上がり、踏まれていた棒人間はあっという間に灰になって散った。 「おお!ありがとう、ボイダンくん!一撃で葬るとは、すばらしい!」

 『へへん、すごいだろ!』

 「いやあ、さすが軍神のお子さん!帰ったら何か美味しいもの神殿にあげますね!ささ、王女様、ヨシュアス殿下、行きましょう。それじゃ、そういうことで!」

 部屋を出ようとした私達の足下に、トゲ鉄球が叩きつけられた。あの鎖、伸縮自在か。

 『逃がすか!お前が伯母上に密告したせいで父上にも怒られて、おまけに夕ご飯抜きになったんだからな!ぜーんぶ、お前のせいだぞ!天罰を下してやるっ!』

 「はあ・・?」

 何、この子。誰が何をやってそんなことになったと思ってるわけ・・?!

 「だったら人の腰撃って歩かなきゃいいでしょ!あのくそ忙しくて大変なときに、プロの絵師さんも彫刻家さんも頼れなくて、伯母さんに助けてもらわなきゃ、今頃王女様はツボルグにお嫁入りしてるとこだよ!」

 『知るか!おれは人間のくせして偉そうにしてるヤツらが我慢できなかったんだ!』

 「ちょっとかっこいい感じに言ってるけど、人に痛い思いさせてその周辺にまで迷惑かけてんだからね!!威張るところじゃありません!」

 『何を~~~~!!』

 「オリータ、ボイダン様が腰を撃って歩いたとはどういうことだ。」

 ガルトニ王国の守護神レイアダンの息子なので、様なんぞつけているが、ヨシュアス殿下の眉間には明らかに深いしわが寄っていた。

 「我が国で先頃、原因不明の腰痛が父王はじめ宮廷内で頻発したのだが、まさか・・」

 「ちょっと、ボイダンくん。」

 『ボイダン様と言え!』

 けっ。

 「あのね、君は私の守護神だっけ?」

 『違う。』

 「じゃあ、様は要らないよね。」

 『あ、そっか。』

 だまされたか。まだまだ子どもだね。

 「で、ボイダンくん。もしかして、ガルトニでも一撃食らわして歩いた?」

 『もちろん!』

 「なんと・・では、部族内で流行ったあの原因不明の腰痛は・・」

 静まりかけた埃の向こうで、ダンデラさんがふるふると震えていた。

 「ボイダンくん、こっちでも撃ってたの?!」

 『だから、偉そうなヤツは皆撃ったって言ったろ!』

 「胸を張らない!!全然全く、どこをどう押しても良いところ無いからね!怒られて当然だから!人に散々迷惑かけたんだから、甘んじて心底反省しなさい!!」

 『母上みたいな言い方するな!人間のくせに生意気だぞ!』

 「母上みたいじゃない、これでも子どもが二人いるんだから本物のお母さんだよ!!」

 『え・・じゃあ、言い方はあれでいいのか。』

 「そうだよ。」

 『そっか。』 

 「そうそう。もう夜になるからボイダンくん、早く帰らないと。好きなおかずは何かな?」

 『メルロー鳥のから揚げ!!じゃない!どうでもいいんだよ、そんなことーー!!!』

 今度はごまかせなかったか。

 『もう怒ったぞ・・子どもだと思って馬鹿にしやがって・・』

 「馬鹿にされるようなことするからでしょ!逆ギレも大概にしなさい!!」

 『黙れ!!』ジャラ、と鎖が鳴った。『神への・・えっと、ぼーとくだ!許さないぞ!こいつを喰らえーーー!!!』

 トゲ鉄球の付いた棒を振り上げたボイダンくんが飛んだ。

 このままじゃ脳天をあのトゲ鉄球が直撃だ!

 ああ、ダンナ、子ども達!お母さん、下手こいた・・!!

 頭を抱えて目を閉じた。

 そして・・

 本日二度目の大音響が響き渡る。

 今度は金属と金属がぶつかり合う、除夜の鐘の音を高くしたような音だった。

 

 空気中にゆっくりと飛ぶ金色の粒子の中に、女性が一人立っている。まるで桃の花を思わせる愛らしくも凜とした佇まいと、足まで伸びて桃色のグラデーションがかかった金髪に様々に色の変わる瞳には覚えがある。白の長衣の上に羽織る花と果物の刺繍が見事なマントにも。左手には何か大きいもの・・楯?を持っていた。どうやらこれがボイダンくんのトゲ鉄球を止めてくれたらしい。

 「フロインデン女神様・・ですか?」

 女神様は振り向いて微笑んだ。

 『はい、私です。久しいですね、オリータ。』

 「うわあ・・やっぱり・・ご無沙汰してました!その節はお世話になりました!」

 『いいえ、結果はともあれ、私もあの時は楽しかったですから。それより・・』きっ、とボイダンくんを見る。『勉強を放り出して慌てて出て行ったというから嫌な予感がして探してみれば、またこのようなことをしでかして。“悪ガキ”がまたも迷惑をかけたようですね、オリータ?』

 「恐縮ですが、その通りです。逆ギレされてます。」

 『あっ、お前、またそんな・・』

 「何も言うとこないでしょ!伯母さんが来てくれなかったら、私は今頃木っ端微塵だよ!悪ガキどころかクソガキだよ!!」

 『んだと~~~!!』

 『クソガキですか。ボイダン、貴方にとってこれほど適切な言葉はありませんね。さあ、天上に戻り、レイアダンに事の次第を報告しますよ。』

 『ぜ・・絶・・・・対いやだーーーー!』

 トゲ鉄球が横殴りに襲ってきた。それを女神様が楯で軽々はじき返す。

 「あれがフロインデン女神の白金の楯・・レイアダンは攻める戦いの神故戦槌をにない、フロインデンは守る戦いの神故大楯を構えるという。なんということだ、神々のお姿を直に目にしたばかりか、その神器まで・・」

 ヨシュアス殿下は感動しているけど、ボイダンくんはさらりとスルーしていた。

 あのクソガキちゃんは今も反省の一つも無く、伯母さんにがんがんトゲ鉄球をぶつけている。でも、女神様は身長の3分の2ほどもある大きな楯を易々と振り回し、時にはトゲ鉄球を逆に打ち返す。さらには直にボイダンくんをしばき倒す。

 「あのー、ヨシュアス殿下。私、楯って攻撃から身を守る用だと思ってましたけど・・」

 「小さな丸楯を殴打に使う場合はあるが・・あのような大楯をあれほど軽々と操って相手を殴打する女性は初めて見た。」

 『レイアダン!!』女神様が叫んだ。『レイアダン!いるのでしょう?降りてきなさい!息子の不始末をいつまで衆目にさらしておくのですか!!』

 ボイダンくんがギョッとして攻撃の手を止める。

 『レイアダン!クソ弟と呼びますよ!ここにいるガルトニ王太子に、貴方の好きなバルバロ酒の奉納を止めさせますよ!!』

 風が吹いたような音がした・・どうやらため息のようだ。

 『やーれやれ姉上・・淑女たるものがクソは無いだろうよ、クソは。』

 ゴオッ、と金色の炎が激しく燃え上がり、中から男の人が現れた。ボイダンくんと同じ赤い髪は腰まで伸びて波打ち、目は金色。イケメンなのにやさぐれ感が漂うのが惜しいところだ。裸の上半身にはボイダンくんと同じようなボレロを着ているけど、こちらは刺繍も施され精巧な彫金の肩当ても付いている。ズボンもボイダンくんと同じスタイルだけどやっぱり刺繍が美しく、ブーツはヘビメタの人が履くみたいな金具とベルトが一杯付いたものだった。これがガルトニ王国の守護神、レイアダンだった。

 『おいこら、ボイダン。親父に恥かかせやがって。これじゃおれの躾がなってねえみてえじゃねえか。』

 なってません、という皆の心の声が聞こえたかのように女神様がうなずく。

 『みたいではなく、なっていません。今だって無実の人間をそのフレイルで撃ち殺すところだったのですよ。』

 レイアダンさんが私を見た。

 『あー、そりゃあすまんなあ。わりいわりい。』

 にへっと笑って、頭を掻くレイアダン・・軽い・・こっちは死にかけたとゆーのに・・

 『お、お前、ガルトニの王太子じゃねえか。んじゃあ、あれだ、こいつのことはがっつり怒っとくからよ、』と、ボイダンくんを襟髪つかんで猫の子のように持ち上げる。『バルバロ酒の差し止めは無しにしといてくれ。頼むぜ。』

 「・・はあ。・・」

 空いた片手で肩をバシバシ叩かれ、ヨシュアス殿下は複雑な顔だ。まさか自分の国の守護神がこんな軽い性格だとは思わなかったにちがいない。

 ただし自分を敬う国の王太子の顔をちゃんと把握している点は、褒めてあげるべきかも。

 (ん?)

 王太子の顔を把握してる?

 「・・はい!レイアダンさん、ちょっと聞きたいことが!!」

 『あ?なんだ。』

 「ヨシュアス殿下のことは前からご存じですか?」

 『そりゃあな。自分を敬ってるヤツらの顔は大概知ってるぜ。特にこいつは信仰心が篤いから、ガキの頃から見知ってるぜ。』

 「じゃあ・・じゃあ、」思わず生唾を飲み込んだ。「初陣の時のこと、覚えてます?」

 さあっ、とその場に緊張が走った。

 「何があったか教えてくれますか?」

 『おお、いいぜ。つっても、大したことはなかったがな。出陣前に一晩神殿にこもって必勝祈願していった割りに、戦いはあっさり終わったんで拍子抜けしたもんだ。』

 「ほほう、あっさりと。」

 『おうよ。たった20人の兵で倍ほどのアルメリア族を押し戻したんで、そのまま追撃するかと思ったら兵を退いたからな。まあ、戦力が劣るんだからそんなもんだろうが。』

 「その戦いで死んだ人って・・いました?」

 かかかっ、と声を上げて笑うレイアダン。

 『あっさりだって言ったろうが。あんな戦いで死ぬヤツは、よほどのマヌケか運のねえヤツだ。もっとも、アルメリア族のほうは運がなかったんだろうなあ。幕舎に帰る途中で、一緒にいた呪術師が呼び出した魔のものに斬り殺されたからなあ。下級の悪魔だが、あの両手の刃はなかなかの切れ味だったな。一ふりで人間を両断しやがる。』

 「!!」

 「何!!」

 『呪術師のヤツ、なんで味方にわざわざそんなことをするんだと思ったが・・それがどうかしたか?』

 「それって、確かですか?」

 『おいおい、仮にもおれは神だぜ?人間相手に嘘ついてもなんの得にもならねえよ。』

 「・・どうもありがとうございました。多分、バルバロ酒の奉納差し止めはないと思いますよ。ですよね、ヨシュアス殿下。」

 ヨシュアス殿下は片膝ついて右手を胸にあて、深く頭を垂れた。

 「無論だ、オリータ・・我が守護神レイアダンよ。感謝申し上げる。」

 『ん?なんか知らんが、これで良かったのか?』

 「はい。ボイダンくんについてはこれからですけどね。」

 『わかってるって・・今日からしばらく晩メシは無しだ。』

 『そんなー!!』

 「いやあ、夕飯抜きはかわいそうですよ、育ち盛りだし。ところでボイダンくん、奉納されるもので一番好きなものは何かな?」

 『ミモレ!』

 揚げた生地を蜂蜜にひたし、木の実を砕いてまぶしたお菓子だそうである。

 「じゃ、それを向こう10年くらい奉納無しってことで。」

 『うわあーーーん!!』

 『ミモレ10年禁止か・・ま、いいだろう。それで頼むぜ、王太子。じゃあな。』

 『ミモレー!』

 金色の炎が燃え上がり、軍神親子が消える。

 フロインデン女神様も楯を片手に微笑んだ。

 『では私もこれで。オリータ、また何か一緒に作りましょうね。』

 「そうですね!今日はどうもありがとうございました。」

 金色の粒子に包まれてフロインデン女神様も消えた。

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