<3-5 3人のお人好し>

 ああ、今日は天気が悪い。空はどんよりと曇り、今にも雨が降りそうだ。

 洗濯物は部屋干しだな。部屋干し臭がしないといいなあ・・

 「!」

 「オリータ!!」

 がばっと跳ね起きた私に、王女様が抱きついた。

 「ああ、良かった、オリータ!」

 ふわりと王女様の香水の匂いが漂い、月の光にも似た美しい金髪が目の前で揺れて、気分が上向く。

 「大事ないか、オリータ。」

 王女様の向こうからヨシュアス殿下の心配そうな顔が覗いた。手をグーパーしてみたり、足を動かしてみたけど、何ともない。ヨシュアス殿下が安堵のため息をつく。

 「無事でなによりだ。エルが、もしそなたに何かあれば本国の夫や子らに申し訳が立たぬと言って、泣きそうだったのだ。」

 「すみません、ご心配おかけしまして。」

 王女様が私に寄り添うように枯れた丸太に座り、ヨシュアス殿下はその向かいの丸太に座った。 

 「ところで・・ここ、どこですかね?」

 私達の周りには、荒涼とした荒れ地が広がっていた。木や草は生えているがどれも背が低かったり枯れかけていたりする。花はもちろん、青い草など1本もない。遠くに鋭く尖った山の峰が連なり、空は先ほど見た曇天、空気はちょっと冷たい。太陽が雲の隙間から見え隠れしている。

 「おそらく・・いや、おれの記憶に間違いがなければ、ここはザグレト山脈の麓だ。ガルトニの北の国境線を越えた地だな。」

 前回の訪問時に見せてもらったエリオデ大陸の地図を思い出す。

 確か、ガルトニ王国の北側にごつごつ尖った地形が描かれていたな・・それがザグレト山脈か。

 「さて・・ここからガルトニの国境までどのくらいあるのだろうな。」

 「心配しないで、ヨシュ。私は歩きますから。」

 「あ、私も頑張りますよ。」

 方角はわかるけど、何日歩くかわからない。でも、歩かないと帰れない。

 「心強いな。だが、過酷な旅になるぞ。食料も水も今のところないし、武器もおれの長剣一本だ。しかもこのザグレト山脈には蛮族が居住する。最大の勢力を誇るアルメリア族を初めとし、その数は十数にも及ぶ。それぞれが敵対と同盟を繰り返し、常にいがみ合っているが、我がガルトニ王国にあまり良い感情を持っていない点では一致している。」

 おう・・じゃ、見つかれば・・

 「捕らわれ、最悪の場合は父王への見せしめとして処刑ということもあるな。」

 おおう・・冷や汗がこめかみを伝う。

 「だが、そなたらは救う。犠牲になるのは直接敵対関係にあったガルトニの者である、おれ一人で十分だ。」

 「いけません、ヨシュ。その時は私も。」

 「いや、そなたにはオリータをつれて故国に帰ってもらいたい。惚れた女を巻き込んで死ぬのは嫌だ。だが、まあその前に・・エル、魔石は持っているか?」

 王女様は胸元からネックレスを引っ張り出した。こっちの世界のムーンストーンに似た、乳白色の石が下がっていた。ヨシュアス殿下が同じく胸元から取り出したのは、濃い赤の石だった。

 「私の石はバドルトス。星は7つです。」

 「おれのはグラナトス、同じく星は7だ。ふむ・・7では転移はできんな。」

 「そうですね・・転移の力は星が8以上の高位の石でなければ・・」

 「あ、すいません、私のブラゲトスにその力、あります。」お二人が同時に私を見た。星6の石にそんな力が付いた経緯を話す。「ただですね、今までやった転移は常にクローネさんの介助付きです。つまり、一人で転移の力を使うのには慣れてません。変なところに飛ばされたらもっとまずいことになるかもしれないです。言っておいてこの体たらくで、ホントにすみません。」

 「いや、最後の最後に頼るものとなろう。うむ、多少は安堵した。」

 「あ、でもさっきみたいにローエンさんに連絡取れるかな!」

 「連絡?!どういうことだ、オリータ!」

 私はローエンさんに実況中継していたことを話した。

 「でも、連絡しただけで、あんまりお役に立てませんでした。」

 「いや、剣や魔法に不慣れなそなただ、連絡を付けただけでも十分だ。今話せるかどうか、やってみてくれ。」

 「了解です!」

 わくわくしながら念じてみたけど・・ダメでした。魔石にも圏外があるらしく、うんともすんとも言わなかった。

 「でも、転移の力は心強いです。いざとなれば、私達の魔石の魔力も役立ちましょう。変なところに飛ばされたら・・その時はまた考えましょう。」 

 王女様はクスッと笑い、ヨシュアス殿下も笑顔になる。

 「相変わらず、妙な剛胆さがあるな、エルは。ではその意気や良しとして、太陽の位置で方角はわかった故、歩くか。またぞろさっきの呪術師が現れては面倒だ。」

 「そういえば見当たりませんね。王太子様を迎えに来たとか言ってませんでした?」

 「そうだな。迎えに来てこんな所に放り出すとは訳のわからんやつだ。のたれ死にするのを待っているのかもしれんが・・それならそれで、せめて抵抗はしよう。では、ゆくぞ。」

 ヨシュアス殿下が立ち上がり、私達もそれに続いて歩き出す。幸い私はショートブーツ、王女様もいつもより丈の短いドレスにしっかりした感じの靴だった。

 「ヨシュ、やはり北方の部族とは関係が悪いのですか?」

 「近頃はそうでもないのだ。特にアルメリア族とはな。最後に交戦したのは5年前でおれの初陣だったのだが、その時も双方に軽傷者が出ただけで終わった。戦というよりは小競り合いだな。父の代に至るまで代々の王達と争った歴史がある故、積年の恨みはくすぶっていようが、ここ2,3年はガルトニの商人が交易をしている。」

 「じゃ、あの呪術師は一体何のために・・」

 「さあな。いずれ、ろくなことではあるまい。ああ、エル、一応その王女の冠は外しておくか。身分を伏せておく方が良いだろう。」

 王女様は何かを言いかけ、でも結局冠を外し、私が預かってハンカチでくるんで、背負ったままだったデイパックに入れた。

 「その背嚢には何が入っているのだ?」

 「はいの・・ああ、デイパックっていうんですけど、そうですね、他には財布と・・家と車の鍵、ハンカチとティッシュと・・ゲホゲホ、色々です。」

 咳き込んでごまかしたのは余裕があったら読もうと思っていた、湖畔のヴィオラさんの新作を含め、3冊のウスイホンが入っているからだ。

 暇つぶしがてらヨシュアス殿下は他にも色々、私や日本について質問してきた。

 この70数年日本が戦争をしていないと言うと、大きなため息をついた。

 「早く我が国もそのようになりたいものだ。ガルトニは戦いすぎた。結果、恨みを周囲に積み上げ、力で押さえつけても時折こういう形でそれが吹き出る。」

 「でもヨシュ、・・最近はガルトニ王国が関わった戦はありません。」

 「うむ。父がそう決めた。」

 「国王陛下が?」

 「25年前、大河エリリューを挟んで戦われた、“エリリューの会戦”での惨状を見て、これまでのガルトニのやり方に疑問を感じたのだそうだ。あの戦いでは貴国ヴェルトロア王国との死闘で多大な死者を出した・・累々と横たわる屍を見て、悲しさと虚しさを覚えたのだそうだ。代々の王が周囲の民を征服することで国が豊かになり、国の格を上げたと信じる家臣が多く、すぐにこれまでのやり方を変えるのは難しい状況だったのだが、母上の遺言が背中を押した。」

 ヨシュアス殿下が10歳の時に亡くなったというお母さん、ヴァレンティアさんはガルトニの正妃で、美しいだけでなく大変男前な性格で、ダンナさんである国王陛下も一目置いていた・・ひいては家臣の皆様も一目置いていた方だったそうだ。

 「母は、これ以上国の内外の母親を泣かせてくれるな、血で王国を汚すなと言ったそうだ。最後の父への援護であり、王妃としての命令だった。それで父は勅令を出し、ガルトニはこちらからは戦を仕掛けぬこととした。」

 つまり専守防衛に方針を変えたわけだ。

 「今では皆が納得を?」

 「いや・・武闘派の家臣は代替わりや何かを利用して宮廷から退去願ったが、まだ古株が何人か残っている。今の父には腑抜けだの、先祖への恥だのと陰で言っているようだが、父は聞き流している。」

 歩きながら、ヨシュアス殿下は王女様を見た。

 「エル、今このように詳しく話したのは、そなたが嫁いで初めて知るより良かろうと思ったためだ。手紙ではなかなか書けぬことだし、そなたは剛胆かつ聡明だ。我が国宮廷の内情を知っておけば、それなりの備えをして嫁いでくるだろうと思った。」

 王女様は歩みを止め、ヨシュアス殿下を見つめた。

 「ヨシュ、私は嬉しい。私のような者をそこまで信頼してくれて。貴方の言う通りになるでしょう。貴方の言葉故に私は何も恐れません。」

 「うむ。良かった、さすがはおれの見込んだ姫だ。」ヨシュアス殿下もまた、王女様を見つめた。「本当は天幕の下、そなたの茶を飲みながらもっと落ち着いて話す予定だったのだがな。デナウア家の親子げんかについ、興味が向いてしまった。なにしろ原因が下着の洗濯だ。」

 王女様が微笑み・・ふと、表情が曇る。

 「将軍殿は大丈夫でしょうか・・クローネをかばって、魔のものの攻撃を受けて・・王女として詫びの一言も言えませんでした。」

 「途中まで癒やしを施されていた故、何とかなっていると思いたい。貴国の大神官ミゼーレ・ガイゼルは、その法力ではつとに聞こえている。あの触手が引いて法力が回復していれば癒やしの続きもできようし、クローネ・ランベルンが無事なら、エライザのコーネリア女王に連絡を取り、何らかの処置がとれよう。それに、オリータが魔導師ローエンと連絡が取れている。うむ、すでに我が国とヴェルトロア、エライザの3国で何か動いているやもしれぬぞ。」

 なるほど・・ローエンさんは私達にちょっかいを出したのが北の呪術師だと気づいているから、こっちに向かって人が出ているかもしれない。

 「どこで会えるかはわからんがな。まあ・・今は余計なことは考えまい。歩くのみだ」

 「そうですわね。」

 「ん・・あれ何かな。」

 見やった方向に、何かモサモサしたものが落ちていた。近づくにつれ、それが茶色い毛皮・・熊の毛皮とわかった途端、私達は足を止めた。

 「さっきの呪術師じゃないですか!あ、ちょっと、ヨシュアス殿下!むやみに近づいたらダメですよ!」

 「だが、あの老人なら我々を少なくともガルトニくらいには帰せよう。」手が長剣の束にかかる。「そうさせてやる。」

 「あああ、ちょっと待って~!」

 専守防衛に方針転換したとはいえ、代々好戦的だった血筋はあなどれないな。

 「あ、いいもの見つけた!!・・ヨシュアス殿下、これ、使いましょう!」

 「む?」

 私が持ってきたのは3mほどもある枯れた枝だった。長いけど枯れているので存外軽い。

 「これで、どつけばいいんじゃないですかね。死んだふりして私達が近寄った途端にさっきの黒いの呼び出されでもしたら、まずいですからね。」

 で、ちょうどいい位置にあった岩の陰に3人で隠れ、3mはなれたところから枝の先で呪術師をどつく。

 最初はチョンチョンつついていたが、反応がないのでちょっと力を入れた。

 「そりゃっ!」

 あ、グサッっていった。

 「ぬああああっ!」

 「うわ、起きたっ!!」

 枝を投げ出して頭を引っ込める。

 「誰じゃ・・誰じゃあっ!!アルメリア王の呪術師アゴニトを刺すとは!!」

 「呪術師アゴニト・・」

 「ヨシュアス殿下、知ってます?」

 「いや、名は今知ったが・・あの毛皮や獣の牙で作った首飾りには見覚えがある。アルメリア王の呪術師と言ったな・・おれの初陣で戦った時に付いてきていた者か?」

 アゴニトさんは周りをきょろきょろしながら、つばを飛ばして怒鳴っている。

 「出てこい!卑怯者があ!出てこ・・ゲーーーッホガッホゴッホ、ゲッゲッ、ホッ・・」

 かなりお年を召していると見えるのにあんな大声を出したせいか、盛大にむせ始めた。

 「いや、無理しなきゃいいのに!」

 「まったくだな。あ・・また倒れたぞ。」

 「まあ・・大丈夫でしょうか?」

 アゴニトさんは元のようにうつぶせで倒れて、ぴくりとも動かない。

 「どうします?」

 「うーむ・・ここに放置していくのが一番良いのだろうが・・」

 「あの・・あんな目に遭っておきながら・・私、それではいささか寝覚めが悪く・・」

 「寝覚め、な・・うむ・・」

 はあ、と3人でため息をつき、そっと岩陰から出てアゴニトさんに近づいた。

 念のため、ヨシュアス殿下は長剣を抜き、私と王女様はないよりましということで、さっきの枝を手頃な長さに折って一本ずつ持っていった。

 長剣がほんのりと光り、刀身に青い文字が浮かび上がる。

 「ガルトニ王家の王太子が持つ剣“ブルヌローグ”だ。刀身に呪文が彫り込まれ、持ち主の意思に応じて自ら魔力を帯びる。クローネ・ランベルンのように魔術の素地がある者は、祈願の詠唱で神や聖霊の加護を剣に付与できるが、おれやデナウアのように魔力の弱い者はこの方法で剣に力を付与する。」

 そう言って、ヨシュアス殿下は長剣の先でアゴニトさんのほっぺをぴたぴた叩いた。

 「起きよ、アゴニト。お前はおれに会いたかったのではないのか?」

 アゴニトさんはプルプル震えながら、やっと顔を上げた。意識はあっても動けずにいたようだ。

 「く、ぐぐう・・叩くな!な・・なめたまねをしおって・・」

 「こんなところで、どうするつもりだったのだ。」

 「ふん・・ゲホ、無論、ザグレト山麓の覇者・我がアルメリア族の幕舎に帰るわい。」

 ヨシュアス殿下は周りを見回した。

 「見たところ、何も見えぬが?」

 「や、やかましい、わし一人で帰れゲーーーッホガッホゴッホ!」

 「無理じゃん・・」

 「うーむ・・エル、この者から黒い魔力は感じるか?」

 「いいえ、今は毛ほども。」

 「毛ほどもなどと言うなあっ!ゲホゲホゲホゲホゲホ・・」

 「いや、だから無理しないでって!あ・・もしかして気にしてました?毛。」

 激しい咳のせいで熊の毛皮が頭からずり落ち、ローエンさん以上に仕上がったつるりとした頭が丸見えだった。

 「やかましいわあっ!!今こうなったのは全て・・全て、ヨシュアス、貴様と貴様の父のせいだぞ!」

 「ああ・・うむ、そうだろうな。」

 シャキン、と長剣を鞘に収めて、あっさりとヨシュアス殿下は言った。

 「ゲホ・・んん?なんじゃ、薄気味悪い。まあ良い・・わかるというなら、わしを部族の元へ連れて行け!丁重に、て・い・ちょ・うに、だぞ!!」

 「そうだな・・致し方あるまい。」

 そう言って、背中を出しておんぶしようとしたので、私は止めた。

 「や、ダメですって!油断させといて、後ろからガツンとやられたらどうするんですか!あ、いいもの見つけた!」

 15分後、アゴニトさんは私が枯れ木から引っぺがしてきた木の皮を何枚か重ねた上に寝かせられ、落ちないように(または余計なまねをしないように)これも拾ってきた何かの蔓で皮ごとグルグル巻きにされていた。この蔓にさらに蔓を結びつけ、離れてそりのように引っ張る仕組みにしてみた。

 「な・・なんじゃあ、これはあ!ゲッホガッホ・・」

 「だからいちいち叫ばないの!ヨシュアス殿下に何かあったらヤバいけど、部族の所につれてかないとでしょ?これが折衷案です。」

 「丁重に、と言ったはずだぞ・・」

 「あのねえ・・寝てれば着くんですよ?」前述のように、私は割と根に持つタイプだ。「ただ寝てれば着くんですよ?人に引っ張らせといて、た・だ・ね・て・れ・ば。しかも、地面に直置きじゃなく、今なら木の皮までついてます。なんか文句あります?」

 ペンで書けていれば、私のこめかみには怒りの青筋が浮いているところなのだ。

 「さっさと道案内して下さい。こういう所って夜は寒いですよねー。我々はともかく、体力のないお年寄りは保ちますかねー?野宿になったとしても、自分がしたことを思えば、私達と同じく火に当ててもらえると思えますー?」

 「ぐぬぬぬぬぬぬぬう・・・貴様ら、このままですむと思うな・・」

 「いうて、さっきからあの黒いヤツの1匹も出せてませんよね?魔力切れですよね?」

 「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬう・・・!!」

 たっぷり1分ほどにらみ合ったところで、「ええい、好きにしろ!」とアゴニトさんが怒鳴り、私が勝利を収める。魔力切れはかま掛けだったけど、図星のようでよかった。

 結果、私とヨシュアス殿下が前で蔓を引いてそりを引きずり、後ろで王女様が見張るという構図で、アルメリア族の幕舎への旅が始まった。

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