2-6 折田桐子、よその子に説教する
静かな室内にカチャリ、カチャリ、と破片のふれあう音だけが響く。
薄い布の上に、割れた花瓶の破片が表側を上にして並んでいる。
白地に紺色と金色で描かれたツタが絡み合い、所々に花が咲いているシンプルなデザインだが、普段くっつけてる縄目だけ延々と続く縄文土器、いや無文の平安時代の土師器なんかに比べたら・・
(楽勝だね)
フッ、と小さく笑って、私は最後の破片を置き、割れた上半分は並べ終えた。破片が全て残っていたのはラッキーだった。
「次はこれを仮止めします。えーと、“リプの葉”をお願いします。」
「はい。」
袋から取り出したのは瓶に入った何枚かの丸い葉っぱだ。それをザラーッと机の上に出し、一枚を手のひらにのせ、二つに折りたたむ。
「では、オリータ様、これを手のひらで挟んで勢いよく叩いて下さい。」
パン!と叩くと、葉の裏側だけが破れ、中から粘着質の物質が出てくる。これをテープのようにはさみで細長く切り、開いて破片同士にくっつける。普段は土器を傷めないよう、貼ってはがせる製図用テープを仮止めに使っているのだが、ここにはないので、ローエンさんがこの葉を用意してくれたのだ。
二人で葉を叩いては切り、貼り、つなげ・・
「できた。」
丸めて俵の形にした布の上に、リプの葉でつなげた破片を重ねて置く。花瓶本体の復元は、着手してから2時間で仮止めまで終了した。だが、太陽は山に沈もうとしている。
花瓶の修復の締め切りまであと、1日半。
「王太子様の様子見てくるね。」
「では私は先生に経過を報告して、食事の手配をして参ります。」
ケミスさんが出て行き、私は王太子様のこもる隠し部屋のドアをノックする。王妃様の依頼もあって二,三度見に行ったが、どうにもはかどっていないようだった。
「王太子殿下ー。進捗どうですかー?オリータですー。」
返事がない。
「王太子殿下ー?」
ノーリアクション。
どうした?
音がしないようにドアノブをひねって、そーっとドアを開ける。思春期の息子がちゃんとテスト勉強しているか、覗いてチェックするために身につけたテクニックだ。
「あ!」
私は思わず隠し部屋に走り込んだ。王太子様は机の上に倒れ伏して・・
「寝とるんかーーーーーい!!!!!」
腕の下に敷かれたままの紙に描かれているのは女の子の顔が数個、後はミミズがのたくった曲線が描かれているだけだった。
後1日半、1日半なのに!!
「王太子様!!ちょっと、起きて!!何やってんのーー!!」
「うう・・あ、姉上か?!」
「オリータですっ!なんで寝てるんですか、デザインは?!薔薇を加えた女の子は?!」
「・・何も・・何も浮かばないのだ。頭の中が真っ白だ・・こんなことは初めてだ。」
「だからって寝てる場合じゃないでしょが!」
「い・・いつの間にか・・疲れて・・ツボルグ特使への謁見が思いの外疲れて・・」
「だってそんなの、王様になれば・・」
しょっちゅうあることでしょ、と言おうと思ったが、飲み込んだ。
学生時代の“修羅場”を思い出したのだ。
大学の頃に初めて経験した修羅場は、卒業までに十数回に及んだ。
印刷所への入稿が3日後なのに、全員まだ下書きのままの原稿しかない、いやそもそも下書きにもなってないとかそんな状況の中、誰かの家に集まって最後の追い込みにかかる。
まず各自、すぐ食べられるカップラーメンやパン、チョコレートや飴などのカロリーがあって甘いもの、そして何よりお金の限りを尽くして栄養剤を買う。
授業はサボらない。修羅場から大学に行き、修羅場に戻る。もちろん修羅場には泊まり込み。お風呂も修羅場会場の家で借りる。そのために期間中の教科書一式と着替えも持って修羅場入りする。そしてひたすら描くのだ。
寝る者がいれば誰かが、「寝たら死ぬぞー!!」などと叫び、栄養剤を押しつける。
お風呂はできれば短めにシャワーだけで済ませる。暖まると寝てしまう。
食事はもちろん、描きながら。満腹にはしない。お腹いっぱいになると寝てしまう。
そんなことを繰り返し、疲労が極限に達してからどれだけ経っただろう・・と、霞のかかる頭でぼんやり考えながらも、手は美少年と美青年を描き続ける。取り憑かれたように描き続ける。朝の陽光を感じながら、誰かが電話している声を聞く・・ああ、印刷所に電話してるわー、遅れますって・・もうちょっと待ってって・・ゴメン、印刷屋さん・・バタン、と音がする。脱稿した者が床に倒れたのだ。間を置いてコトン、とペンを置く音が、ガサリ・・と何かに寄りかかる音が続く。皆終わったのか・・ああ、私もあと3コマ・・あと2人・・吹き出し1つ・・
終わった・・誰かが言う。終わった・・終わった・・と共鳴する私達。やがて、よろよろ立ち上がる。戦いはまだ終わっていない。原稿を耳をそろえて印刷所に持って行かねばならないのだ。
印刷所まで皆で自転車を漕いで向かう。皆で行く必要は無いのだが、そこを考える頭がない。さわやかな朝の光の中、ぼさぼさの髪と顔色の失せた顔で連なり、自転車を漕ぐ数人の女子大生達・・さぞや不気味であったろう。
印刷所に原稿を渡すと、また自転車を漕いで帰ってくる・・そして、修羅場の跡に戻るなり、一人また一人と倒れていく。授業のある者は這うようにして何か食べ、最後の栄養剤を飲んで学校に向かう。あとは泥のように眠るのみ・・
(まあ、あれだよね。友達がいたからできたことだよね)
一人だったら絶対無理だ。他に同じ境遇の者がいて、彼女らも一生懸命描いていると思うからこそ、踏ん張れるのだ。
深呼吸して私は言った。
「では、私がデザインを手伝います。」
王太子様ががばっと身を起こした。
「本当か?!」
「はい。頑張りましょう。」
「うむ!」
私はは丸椅子を持ってきて、紙に向かい、考えた。
今回のキャラは欲張りの女の子。でも、水面に映った自分をそうと気づかず脅そうとする、ちょっとお馬鹿な子。となると・・
顔は愛嬌がある方がいいだろう。クールな感じだとただの悪役だ。憎めない感じにしたい。色白の丸顔で、髪は・・思い切って地面まで届くような長い金髪ツインテール。唇はポテッと厚め。年の頃は、15、6くらいにする。
「オリータ・・そなたがこんな絵をかけるとは・・」
「ありがとうございます。どうですかね、こんな感じの顔で。」
「いいと思うぞ!とすると、衣服は・・」さらさらと王太子様の手が動いた。「ルシッサは花の精霊だというので、このような感じはどうだろう。あまり派手さはないが・・」
古代ギリシャの女性が着ていたようなドレープの美しい服が描き加えられた。さらに腕や髪につるバラがアクセサリーとして追加された。
「いいんじゃないですかね。あと、ポーズですが・・」
棒人間で、花瓶の縁にほおづえついて中を覗いている姿を提示する。
「・・すばらしい、オリータ!礼を言う!・・あ。」
「王太子殿下!」
よろけた王太子様は机に手をつき、ドアの外で心配そうに見ていた小姓の子が慌てて走り込んできた。2人で支えて何とか肘掛け椅子に座らせる。
(いかん・・勝負はこれからだというのに)
隠し部屋の外で音がしたので出て行くと、ケミスさんと2人の侍女さんが食事をのせたワゴンや飲み物を持ってきたところだった。
そうだ、ケミスさん。
「ケミスさん、回復魔法ってできます?」
「いえ、残念ながら・・」ケミスさんはかぶりを振った。「私は薬草学が専門で、魔法の方はとんと。」
ローエンさんの弟子なのに、と思う気持ちが顔に出たのか、ケミスさんは慌てて言った。
「先生を呼んできます。」
「お願いします。」
王太子様にはとりあえず、ゆっくりとパンやスープを食べてもらう。私も昔を思い出し、腹六分目くらいにとどめる。自分の仕事は終わったが、王太子様を手伝って夜更かしする予感がするのだ。
と、ケミスさんが帰ってきた。
「先生は召喚魔方の準備で抜けられませんでしたので、これをお持ちしました。」
ケミスさんは小さな籠に入った何本ものガラスの瓶から1本抜いた。
「魔法には及びませんが、回復の効能のあるポーションです。」
栄養剤来たーーー!
なのに、王太子様は露骨にイヤな顔をした。
「薬は嫌いなのだが・・しかもその番号・・」
「だから、んなこと言ってる場合じゃないんですって!」
何を言ってるんだ、この子は。今具合が悪くなったばかりだというのに、それでも作業をしなければならないのに!よその子で王太子様だが・・もう、辛抱たまらん!!
「王太子様、これは・・戦争です!」
「何?」
「これは、ツボルグとの間の戦争です!ここは戦場なんです!」
「・・・・!」
「負ければ、お姉さんを取られるんですよ。しかも疑り深い策謀好きと評判のツボルグ王と親戚になるんですよ!」
「ツボルグ王と・・親戚・・」
「今の王様が死んでも、王太子様が即位してやっぱり親戚関係は続きます。ツボルグの王太子さんがどんな人か知らないけど、お父さん似の人だったらどうします?しかも、王太子妃さんは、お姉さんが嫁いだために追い出されたなら、一生それを恨んだりして・・そうなったらお姉さんは、いつ復讐されるかわからない針のむしろに座るんですよ。しかも、10年、20年とどちらかが生きている限り、もっと悪かったら王太子様の甥っ子か姪っ子の代までその恨みが続くかもなんですよ!そんな剣呑な親戚、ほしいですか?!」
「・・・!」
「1日の徹夜でそれが回避されるなら、安いものですよ?」
「・・・・!!」
キュッ、とひねって蓋を取ると、王太子様は一気にポーションを飲み干した。一瞬吐きそうになりながらこらえる。
「おお・・力が漲る・・よし、これならやれる!オリータ、すまないがもう少し手伝ってくれ!」
「承り―!」
私も一応、ポーションを1本もらって飲んだ・・うげ。鋭い苦みとだるい甘みが鬼のように主張しあって妥協しない、雑な味つけ・・隠し部屋から顔を出して尋ねる。
「ケミスさん、このポーション、誰が作ったの?」
「作ったのは私ですが、開発したのは先生です。」
なるほど、開発者の性格が忍ばれる。
2時間後。
「もうダメだ・・」
「王太子様ー!!」
机に突っ伏した王太子様の前には、デッサン人形並みくらいには粘土を貼り付けられて、しなをつくる人形がいた。
「せめて、せめてもうちょっと作り込みましょう!どこがダメです?」
「背中・・背中の形がわからん・・本物の背中が見たいが・・」
「私は無理です。」
お肉のたるみと道徳的な意味で使えない。
「女官達も無理だし・・」
王太子様が女官さんに背中を出せとか、パワハラかセクハラだ。
「どこか・・どこかに・・何の支障も無く見られる背中はないものか・・」
王太子様がパワハラにもセクハラとかにもならずに、モデルにできる女の子の背中。
そんなんあるか・・
「あ!」
「あるのか!」
「記憶が正しければ・・ちょっと帰国してきます!」
「ええっ!!」
「王太子様は何とか頑張って、できるところを肉付けして下さい!では!」
隠し部屋を飛び出すと、部屋の中で警護にあたるカルセドくんがいた。
「カルセドくん!クローネさんに会いたいんだけど!」
「私も会いたいので、お連れします。陛下の執務室で警護をしているはずです。」
さらりと私欲を織り交ぜたカルセドくんと、王様の執務室に向かう。
侍従長のエルベさんが取り次ぎ、すぐにクローネさんに会えた。
「クローネさん、至急日本に帰りたいんだけど。王太子殿下の創作に必要なんだよ。クローネさんにも是非来てほしいの。」
「近衛騎士団長殿、私が一時警護は引き受ます。」
「申し訳ありません、エルベ様。」
クローネさんは礼をしてすぐにパレトスの付いた指輪を取り出した。私もブラゲトスを握りしめる。
「場所はクローネさんのコンビニ。」
「了解です。では・・」
私達は同時に叫んだ。
「「ひまわりマート三口店へ!!」」
ガシャ、と音がしたのはクローネさんが騎士の鎧姿のままだったからだが、それにかまっている時間は無い。
「今すぐあのフィギュアをケースから出してほしいの。ピンク色のやつ。」
「なるほど、転移のお手伝いだけではなかったということですね。」
魔法騎士エレメンツの一番くじ景品であるフィギュア・・柳沢さんが愛情注いでポージングさせたやつが、ケースの中で凜々しく立っている。ただし、その足首には盗難防止のチェーンが付いていて、店員さんでないとケースを開け、それをはずせないのだ。つまりクローネさんの出番である。
私達が出発した直後の時間に戻ってきているので、柳沢さんは奥でまだ掃除している。でも、クローネさんの鎧姿を見られては困る・・そうだ。
「クローネさん、フィギュアをお願い。私は足止めがてら柳沢さんと話してくる。」
スマホを取り出し、奥へ走る。
「あ、いらっしゃっせー。」
柳沢さんはすぐに気づいてぺこりと頭を下げた。
「お忙しいところすみませんが、ご協力願いたいんです。実は知り合いでフィギュア製作に行き詰まってる人がいまして・・しかも締め切りが明日いっぱいなんで、励ましてほしいんです。」
「お、なかなかヤバいっすね。自分でいいっすか。」
「フィギュアへの愛を込めて、魅力から語ってくれます?」
「そっすね・・やっぱ、紙やアニメで平面でしか見ていなかったものが立体になって現れて、命持ったみたいにそこに立ってるってだけで、まず感動すね。それに360度いろんなアングルからキャラを見れるんで、アニメじゃ正面からしか見れない変身ポーズを横やら背後から見ることで新しい魅力発見したりとかてのもいいっす。」
「なるほど。柳沢さんも作ったりします?」
「あ、やりますよ。ガキの頃からガンプラとか作るの好きだったんで。今はフィギュア専門で美少女系もリアル系も両方やってるっす。アニメの名シーンが自分の目の前で立体で現れた瞬間は最高っすね。あと、オリジナルで作るときも、髪のなびきとか服のしわとかの再現がはまると、気分爆上がりっす。作ってるのは人が一人でも、世界を創造した気分になれるんすよ。」
「ほほお・・」
「だから・・その知り合いの方も、時間なくて大変すけど、限られた時間の中で今自分にできる最高の表現をしてほしいっす。すんません、月並みで。」
「いえ・・創作活動はそれにつきますよ、うん。」
同人誌も同じだ。修羅場という限りのある時間の中で最大限の力を尽くす。
プロの芸術家でもないのに偉そうな、と思うけど、素人は素人なりにベストを尽くそうという思いはあるのだ。
「ありがとうございます、柳沢さん。きっと知り合いを間に合わせます。」
「うっす、お疲れ様っす。」
頭を下げ・・なるべく柳沢さんの視界をふさいで鎧姿のクローネさんを見られないように走る。戻ると、クローネさんはケースを元通りに施錠し、鍵も返却し終えていた。手には“桃花の愛の戦士”フローレちゃんのフィギュア。
うん、記憶通り、フローレちゃんは背中が大きく開いたコスチュームだった。
「じゃ、帰ろう。場所は王太子様の部屋で。」
「了解です!」
私達はヴェルトロア王国に飛んだ。
「お帰り、クローネ、お帰りなさい、オリータ殿。」
部屋の中への突然の転移にも動じることなく、カルセドくんが迎えてくれた。
「王太子様は?」
「何とか我々でなだめすかして・・いや、励まして、鋭意制作中でおられます。」
「ありがとう!クローネさんもありがとう、エルベさんが待ってるだろうから・・」
「はい、戻ります。折田さん、ご武運を!」
何か言いたそうなカルセドくんをガン無視して、クローネさんは警護に戻っていった。
ケミスさんは新たなポーションを作りに工房に戻っているとのことで姿が無く、エリオくんが不安げな顔で、ぽつねんとソファに座っていた。
「オリータ殿、それは?」
「私の国のヒギアです。これと・・同志からの励ましのメッセージを王太子殿下に持ってきました。」
「ど、同志から・・では、すぐに殿下に。殿下、オリータ殿がお帰りです!」
うむ、だか、んー、だかわからないうめき声が隠し部屋から聞こえてきた。カルセドくんが私にうなずきかけて、私もうなずき返した。
「失礼します。」
部屋の中では、王太子様が何とかヒギアと向き合っていた。だが、手が動かない。少し動いては止まるのを繰り返す。そして止まる時間の方が断然長い。
「王太子殿下、背中です!」
私はフローレちゃんのフィギュアを王太子様の目の前に付きだした。フローレちゃんはボブカットなので、背中のラインがよくわかる。
「・・・・おお!これは・・!」
「私の国のヒギアです。」
「なんと・・これなら背中のラインがわかる・・オリータ、ありがとう!」
「さらにこれを聞いて下さい。」
スマホを起動させ、さっき撮った柳沢さんの動画を再生する。王国では馴染みのない言葉使いや用語がちょいちょい出てくるが、王太子様は真剣に聞いていた。そして、深いため息をついた。
「オリータ。」
「はい。」
「私は甘かったようだ。」
「・・何が・・ですか?」
「ヒギア作りに対する気持ちが中途半端だった。粘土の塊に命を吹き込み、世界を己の手中に創造する。そのためには時が限られていようとも、全てを尽くして最高の表現を目指す・・問題の大きさに負けてその心構えをすっかり忘れていた。」
「王太子殿下・・」
そうだった・・このヒギア制作はお姉さんの処遇と二つの国の関係に関わる、結構大きな問題なんだった・・それに王太子様はまだ17歳だ。
でも、王太子様は晴れやかな顔をしていた。
「大事なことを思い出させてくれて礼を言う。必ずや、良いものを作り上げてみせる。」
キュポッとポーションの蓋をひねって、一気に飲み干す王太子様だった。
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