1-3 縦ロールは揺さぶりをかける
「折田さん、折田さん。」
「・・ん?」
「10時ですよ、休憩しましょう。珍しいですね、ボーッとして。」
「ああ、うん。」
私は周りを見回した。同僚達が三々五々自分のカップを手に給湯室に歩いて行く。私に声をかけてくれた、鈴(すず)沢(ざわ)柚(ゆ)月(づき)ちゃんもシロクマ柄のカップを持っている。
マグカップを持って給湯室に行くと、チーフの権(ごん)田(だ)久(ひさ)恵(え)さんが私の顔をのぞき込んだ。
「折ちゃん、大丈夫?あんまり鉛筆動いていないみたいだったけど。」
「あー・・すみません、ちょっと考え事があってつい・・」
ここは私の職場である某県天馬市文化財保護課別館・・というと聞こえはいいが、要は市役所の敷地の片隅に建てられたプレハブで、市内の遺跡を発掘した成果を整理するための場所である。私の仕事は発掘された土器や石器の実測図を書いたり、写真撮影や報告書作成の手伝いなんかをすることだ。今は石(せき)鏃(ぞく)、つまり石で作られた鏃(やじり)の実測図を担当している。このプレハブでは私を含め5人が同じような仕事をしており、通称“内勤さん”と呼ばれている。
権田さんはうちのチームの最年長でチーフを務める大ベテランだ。土器を組み立てさせれば並ぶ者はいない。小太りの体型とハスキーな声、面倒見の良さが青い猫型ロボットを連想させる。
「石鏃なら午前中で3枚書く折田さんが1枚しかあげてないからさあ、体調悪いのかなって心配してたんだよ?」
これは副チーフの中(なか)井(い)美(み)紀(き)子(こ)さん。権田さんの次に内勤経験が長く、土器の実測図が早くて正確。体育会系の出身でキビキビサバサバした人柄が好感度大。
「これ飲む~?折田さんの好きそうなやつだと思うんだけど~。」
日だまりの猫のようにのんびりしたしゃべりの月(つき)舘(だて)晴(はる)海(み)さんがスティックタイプのミルクティーをくれた。ここに来たのは去年だけど、旦那さんの転勤で某県に来る前は青森県の有名大遺跡で発掘作業員&内勤をしていたので、経験も知識も豊富である。
「ありがとう。うわ、これ高いヤツじゃない?」
「いいってことよ、お飲みお飲み。」
ありがたくカップに入れた粉末にお湯を注ぐ。ああ、いい香り。
「折田さんってミルクティーが好きなんですね。私、お勧めの喫茶店がありますよ。」
「情報求む。」
はいはい、とスマホで検索しだした鈴沢柚月ちゃんは最年少25歳。大学を出て2年会社勤めをした後、ここに来た。絵心があり細かい仕事が苦にならないという期待のホープであり、明るさと天然ボケでチームを和ますムードメーカーでもある。
そこにガラガラッと戸が開いて職員の白(しろ)田(た)佐(たすく)さんがご帰還した。
私達内勤を率いる市職員で、ひょろりと背が高くおっとりした人柄故に私達はひそかに“キリンさん”などとかわいく呼んでいるが、その実態は県の考古学界でも縄文時代のエキスパートとして知られる割とすごい方である・・らしい。
「白田さん、なんか飲みますー?」
「あ、コーヒー飲みたい。権田さん、どろどろに濃いのお願い。」
「また手が震えますよ。実測図のチェックが待ってますからほどほどにして下さい。」
「会議で死ぬほど眠くなってさあ。寝ていい?」
「ダメです、あ、ちょっと、机の下に段ボール敷かないで下さいよー。」
実測図のチェックに手が震えると困るので、白田さんには普通の濃度のコーヒーが権田さんによって運ばれた。
私達の実測図はプロである白田さんのチェックの後、修正・清書され報告書に掲載される。中井さんの机の上に山と積まれた土器の実測図を見て、うへえとなった白田さんは机に突っ伏した。その姿に思わず笑いが起きる。
考え事で重くなっていた心がちょっと軽くなる。
「あー、折ちゃん、起案の代筆お願い。」
休憩後、白田さんが紙を何枚か持ってやってきた。
「いつもの借り上げ起案だからさ、ちょちょいと片付けて。はんこもいつものとこね。」
起案とは役所で何かをしたいときにお伺いを立てるときに出すもので・・普通は正職員、つまり白田さんのお仕事である。
「・・今更ですけどいいんですか、代筆で?」
「折ちゃんの起案の方が正確だから。最近直しがないですねって総務グループに褒められちゃった。さすが元市職員。」
「いや、辞めて何年にもなりますから・・」
「折田さん、こっそりはんこ使ってお金借りちゃえ。」
「中井さん、それは勘弁して。折ちゃん頼む、おれ、石器を分類したいのよ。」
そう、私は大学を出て、市の職員として3年働いた。その後、ダンナと結婚して退職し、子ども達が学校に入ったのを機に家計の足しにとこの仕事を始めた。
白田さんは起案作成を大の苦手としており、私が市職員の経験者と知って以来代筆を頼むようになった。良い子はまねしちゃいけません、てヤツだ。
「折田さん、何で寿退社しちゃったんですか?あ、その、人生経験の一つとして聞きたくて・・」
見積書片手にキーボードをたたき出した私に柚月ちゃんが聞いてきた。
「いやあ、なんでだろね。そういうものだと思ってたのよ、なぜか。学校卒業して、就職して、いい年の頃でダンナ見つけて結婚して、家庭に入って子ども産んで・・っていう流れで人生過ごすものだと思ってたのよ。」
「後悔とか・・してます?何かあきらめたものとかあります?」
「んー?」
私は柚月ちゃんの顔を見た。
まじめな顔で私の答えを待っている。
「あきらめたもの、か・・」
『オタクじゃろう。』
「!!」
ふと、ローエンさんの声がよみがえり、手が止まる。
「すみません、折田さん、立ち入ったこと聞いちゃいました?」
「ん?ううん、全然。後悔は・・してないかな。今はそれなり幸せだし。あきらめたものは・・」
『オタクじゃろう。』
むむ・・
「・・あるにはあるけどまあ、なんだ、大したことじゃない・・よ。」
「そうですか・・ありがとうございます。」
柚月ちゃんは土偶の実測に戻った。
彼女が大学を出てすぐ就職したのは県内でも名の知れたIT関連企業だったが、2年で辞めた理由をまだ聞いたことはない。
「ねえ、折ちゃん、市の採用試験って難しいの?」
権田さんが土器の破片をくっつけながら言った。
「まあ、そこそこ・・あ、権田さんの息子さんって就活に入るんでしたっけ。」
「そうなのよ。公務員は安定してるからいいと思うんだけど、親の思うようにはなかなか行かなくて。」
「息子さん、何かやりたい仕事とかあるんですか?」
「ゲーム作りたいんだって。」
「ゲーム会社ですか。」
「なんかオタクみたいでイヤだから止めてって言ったんだけどさ。」
ゲーム=オタク=イヤですか。びっくりしたが、この際だ、オタクについて“一般人”の“見解をリサーチしてみよう。王女様の件について何かヒントが見つかるかもしれない。
「権田さんにとってオタクってどんなイメージですか?」
「オタク・・そうねえ、いい年した男がニヤニヤしながらアニメの女このポスター見てるとか・・仕事もしないで暗い部屋に閉じこもって。あんまりいい感じしないわ。」
うーん、マイナスイメージに満ちてるな。では・・
「女子もオタクやってる子、いる・・らしいんですけど・・」
「えっ?女の子がアニメのポスター見てニヤニヤするの?」
「えっと、まあ・・あとは好きなキャラクターで・・」少し迷ったけど思い切って一押しする。「BLマンガ描いたりとか。」
「BL・・って何?」
そこに中井さんが続けた。
「あれじゃない?最近本屋さんで見かけるの。ショートヘアの女の子が主人公のちょっとエッチっぽい漫画がやけに多いなあと思ったら、アレ女の子じゃなくて男だったわ。」
近頃BL本はショッピングモールの本屋さんあたりでも棚の一角を占めている。中井さんはうっかり手に取り中を見てしまったらしい。
「男同士でアレで・・なんかもう・・そういう恋愛を否定はしないけどさ、あんな風に絵に描かれるとそれはそれでちょっと・・」
「女の子のオタクはそういうマンガ描くわけ?いや~・・考えられないわ。」
権田さんは眉をひそめて、やれやれという風に首を振った。
「自分の子どもがやってたら引くね。ところで、折田さんはどうなの?」
中井さんに聞かれて言葉に詰まる。
「・・・・・・・っと、そうですねえ・・」最適解がわからないので、卑怯な手段に打って出る。「ゆ、柚月ちゃんはどう?女の子のオタクってどんなイメージ?」
弾かれたように柚月ちゃんが顔を上げた。
「え、う・・オタ、オタクですか?えーと、なんですかね、そ、そうだ、人に迷惑かけなければ良いんじゃないんですかね。うんうん。あ、そう言えば調べ物あったっけ。」
そう言って柚月ちゃんはくるりと背を向け、スマホを取り出した。
参った、何のヒントにもならなかった。それどころか“一般人”の方々の見解を聞くに、BL大好き王女様がお嫁に行って、先様に喜ばれる未来が見えない。
(でも、私だって・・)
ダンナは私の腐った過去は知らない。言えなかった。
ヴェルトロア王国から帰って3日目。
今日は土曜日でいつも通りまったりと休日を送っている。
ダンナ・折(おり)田(た)誠(せい)也(や)は180㎝90㎏のでかい体を小さなソファに押し込むようにして寝転がり、読書中。
中1の息子駿太(しゅんた)は開け放ったサッシの向こうの狭い庭で、バットの素振り中。
小4の娘沙緒里(さおり)はアニメ雑誌を見ながら、お絵かきの真っ最中。
私はというと・・
いつもならダンナと同じく読書したりスマホでニュースを見たり、だらだらしているところだが、今日は違う。
(うーむ、何を見ても集中できない)
もちろん、王女様の件である。
エルデリンデ王女様は病気じゃない。
単なるBLオタクである。
一応ご両親には隠しているが、それはそうだろう。気持ちはわかる。
(うちの親だって私があんな本作ってるとわかればどんな顔をしたか・・)
だから今に至るまでカミングアウトはしていない。
もちろん、職場の仲間にも黙っている。この間の会話を聞くに、これからもそうした方が良さそうだ。
(“一般人”との間には埋めようのない溝があるんだよね・・たぶん、ヨシュアス殿下と王女様の間にも)
(脳筋の冷酷王太子さんにオタバレして、良いことがあるとは思えないもんね)
自分の奥さんがそんな“病気”持ちとわかればどうなることか。
(馬鹿にするなとか、こんな妻をよこしやがってとか言って、ヴェルトロア王国に戦争ふっかけるとかしそう)
(でもいい年してアニメやマンガにはまって、おっぱい大きい女の子やらホモ漫画やら描いてたりしたら、よく知らない人たちからすれば“気持ち悪い”し“病気”に見えないこともないか・・)
「はー。」
沙緒里が鉛筆を座卓に投げ出してぱたりと後ろに倒れた。
「どうしたの。」
「疲れたー。」
小1時間ほどずっと座って絵を描いてたからね。
「何の絵、描いてるの?」
「”魔法少女騎士(マジクナイトガール)エレメンツ”のエアルちゃん。」
誰だそれは。
のぞき込むと百均のスケッチブック一杯に同じ女の子の顔がいくつも描かれている。
練習の甲斐あって本物にだいぶ似ている。
「上手く描けてるじゃない。」
「ううん。今イチ。髪が上手く描けないの。」
縦ロールだらけの髪型だった。さぞ難しかろう。
「ちょっと休んでまた描けば?そろそろお昼ご飯だし。」
そう、長く描いていると、いくら好きで描いていても煮詰まってきて、色々おかしくなってくるのだ。
「よーし、じゃあ今日の昼は沙緒里の好きなカレーチャーハン作るか。」
パタンと本を閉じてダンナが起き上がった。休日のご飯はダンナ主導で作ることになっている。
「カレーチャーハン?おれ、卵スープ作る。」
サッシから入ってきた駿太が手を洗って台所に入る。
「桐子さん、座ってていいよ。駿太とやるから。」
「ふえ?」
「なんか疲れてるんじゃない?ボーッとしてるよ。」
「・・いいの?じゃ、頼もうかな。」
私は今まで座っていた食卓の椅子に座り直した。
柔道で鍛えた熊みたいなダンナだが、ヨシュアス殿下と違い、優しく気遣いできる人だ。
「チャーハンチャーハン、カレーのチャーハン~わったっしは大好きカレー味~♫」
沙緒里は歌いながらカーペットの上をゴロゴロ転がっていったり来たりしている。
ダンナと駿太は「駿太、ネギ切って」「父さん冷凍ご飯出すよ」とか言いながら、ご飯支度をしている。
これが我が家の幸せな光景だ。
(もし今、私がオタクだったとばらしたら皆どうするかな)
沙緒里は理解できずにきょとんと・・いや、小学校4年生は所々大人だ。オタクのことはうっすら知ってるかもしれないな。中1の駿太は、オタクはヤバいという趣旨の発言を以前していたのでやや不安。
ダンナは・・市内でもトップの進学校→国立大学→県庁職員と“日なたの道”を歩んできた人である。
優しい人だが、はたしてオタクに理解はあるだろうか・・
夜。
最後にお風呂から上がって誰もいなくなった居間に来ると、座卓の上に沙緒里の絵が残されていた。
あれからまた延々エアルちゃんの絵を練習していた。我が子ながらその忍耐と執念には驚く。
「絵が好きなんだなー・・」
そうだよね。
絵を描くのは・・絵を描くのは楽しいものだから。
「沙緒里くらいの頃、お姉ちゃんの少女雑誌見ながらまねして描いてたっけ。」
その雑誌に美少年と美青年のカップルが登場するギャグ漫画が載っていた。それが私とBLとの出会いだった。
はじめは読むだけだったけど、高校生のある日、ふと思いついて自分で漫画を描いてみた。といっても、頭の中に浮かんだラブシーンだけを描いたもので、つかみも落ちも何にも無い。
(でもなんだか嬉しかったな。自分の世界観を自分の手で好きなように創造して描けるのが本当に嬉しくて・・楽しかった)
それでどっぷりと大学卒業まで創作活動に浸っていた。大学時代は県外で一人暮らしをしていたので、毎日描き放題だった。
(描いても描いても妄想がつきないでさ・・同じ趣味の友達に披露して、仲間内だけの盛り上がりだけど、毎日話してても飽きなかった)
目を閉じて思い出す。
学食でコーヒー一杯で延々好きなカップリングを語り合ったこと。
アニメや漫画の少年キャラを見ると、どっちが受けか攻めかで議論したこと。
栄養剤の空瓶とカップラーメンの空容器が散乱する修羅場の部屋の風景。
お風呂に入るとスクリーントーンの切れ端がお湯に浮いていたのも、懐かしい。
沙緒里の鉛筆が目に入る。
(描けるかな)
いや、無理でしょ。
アニメの絵とか10年以上描いてない。
でも。
私は鉛筆を持った。
エレメンツ・エアルちゃんの輪郭から描き始めた。
(あー・・)
手が動く。
するする線が延びていく。
鉛筆が女の子を作り上げていく。
縦ロールなんて本当に、本当に10年以上描いてないのに、手が動く。
(描ける。)
(まだ描けてる)
なんてことだ。
私は、まだこんな絵が描ける!
「桐子さん、何してるの?」
「うごっ!」
「あれー、これ沙緒里が描いてた・・え、桐子さんが描いたの?」
「・・・・」
私はゆっくりダンナの顔を見た。
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