1-2 大魔導師は脅迫する
感想をなんと言ったかよく覚えていない。
クローネさんが大丈夫と言うから、まあ、無礼は働いていないと思われる。
「折田さん。あの・・大丈夫ですか?」
「え・・ああ、うん。」
愛想笑いが引きつる。
「もうおわかりかと思いますが、王女殿下のご病気というのはあれです。」
「はあ。」
「あれなんです。」
「ああいう本を読むというのが・・病気?」
「はい。」
「・・・・」
「どうですか?やはり重症ですか?」
どうって言われても・・
「お・・王女様っていつからああいう本を読んでるの?」
「私はよく知らないのですが・・でもそうですね、2年ほど前から突然あのような本が城下に出回り始めましたのは確かです。薄くて安価で、時には無料の人形や何かのおまけがつくこともあります。内容は先ほどご覧になったような・・その・・」
「うんうん、いいよ。言わなくて。」
「王女殿下は、はじめはほんの好奇心からお手に取られたようです。ですが我々が気づいたときにはすっかりのめり込んでおられて。殿下だけではありません、先ほど茶菓を持ってきてくれたナナイ殿も同好の士です。王女殿下付きの女官にはあの類の本の愛好者が多いと聞きます。」
「はあ、なるほど・・ん?」
廊下の曲がり角に一人のおじいさんが立っていた。
紺色の長衣に同じ色のローブを羽織り、てっぺんに光る石を嵌め込んだ長い杖を持っている。白いあごひげはおへそくらいまで伸び、て灰色の目が眼光鋭い。と、やおら手が上がり、ちょいちょい、と手招いた。
「ローエン様!」
「いいから来い。」
「はい!」
ローエン様?アレがそうなのか。
少し元気が出たクローネさんが、私にうなずきかけた。
導かれて入ったのは、プレハブ4つくらいの広さの研究室だった。向こう半分は大きな作業台が真ん中にどーんと鎮座し、理科の授業で見たような道具が色々おかれている。壁を埋め尽くす棚には草や木の乾燥したもの、なんだかわからない黒くひからびた、様々な色の液体が入ったガラス瓶が整然と並んでいる。作業台の向こうの暖炉には大きな釜で何かがコトコト煮込まれている。絵に描いたような魔法使いのお部屋だ。
私達が立っている入り口付近、つまり部屋のこっち半分は壁が本棚で埋まり、大きな窓を背にする白木の机の周りにはサイドテーブルがいくつも置かれ、上には本や紙が山をなしていた。
「まあ、座れ。」
クローネさんが無造作に置かれていた丸椅子を2つ引っ張ってきて、私にも勧めてくれた。
「で、折田。王女殿下のご病状をどう見た?」
折田?オリータではないのか。
「ん?お前は折田桐子ではないのか?」
「折田です。いえ、皆さん私の名前が言いにくいようだったので、さくっと発音されたことにびっくりしただけです。」
「指輪を介してこの水晶玉でお前を見とったからな。名前も聞き慣れた。」
「見て・・のぞき?!いや、ストーカー?!」
「ちがうわ!仮にも王女殿下に会わせるとなれば、身辺調査ぐらいするじゃろうが!故に、お前の過去も頑張ってのぞいてみた。」
「のぞいてみた・・動画のタイトルか!ひどい、そんなに疑わしいんなら、医学の知識の欠片もない人間を病気を治すために呼ぶなっ!!」
「疑わしいが、仕方なかったからな。」
「なんて言いぐさ。仕方なく呼んだ割に責任がめっさ重いんですけど!いいんですか、そんないい加減なことで。もういっぺん言うけど、私は医者じゃないんですよ。王女様の病気が治せなくてこの国が攻められたらどーすんですか?!」
「で、王女殿下のご様子をどう見た?」
「はあ?」抗議をスルーされた。「どうって・・どうなんでしょうね?」
「とぼけるな、お前にはわかるはずだ。」
「いや、だから私はいっかいの・・」
「オタクじゃからな。」
「ん?」
・・・・んんんんんんんん?
今、なんて言ったのかしら??
「わかるはずだ。お前はオタクじゃ。」
「・・・・・・・・・」
「オタクやっとったろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「オタクよの?」
「・・卒業しました。」
「いや、だが、」
「卒業しました。」
「しかし、学生の頃あれほどに、」
「卒業しました。足を洗いました。今の私はいっかいの市の臨時職員で2児の母で平凡な人妻です。」
「・・・・」
「ああいうことにはまっていたのは昔のことです。もう忘れました。」
「ああいうことって何ですか?」
クローネさんがリスみたいに首を傾げた。
「この者はな、学生の頃、王女殿下と同好の士だったということよ。」
「ええっ!!」
まるで雷に打たれたかのように椅子から飛び上がったクローネさん。
「指輪はその過去を見透かし、この者を王女殿下の病の治癒者に指名したのじゃ。」
「そ、そんな・・折田さんが・・折田さんが・・あのような本を読んでいたというのですか?」
「読むだけではない・・自ら執筆していたのじゃ!」
「うっ!」
「折田さん?!」
「自ら文章を書き、さらに挿絵までつけておった。それを業者に持ち込み、本として整え、売っておった。同じ嗜好を持つ仲間数人とともにな。徹夜もいとわず食うや食わずで締め切りに間に合わせるなどいうこともたびたびあった。それを“修羅場”と呼んでその極限状態を楽しんですらおった。違うか?」
「折田さん・・そこまであのような本に入れ込んで・・?」
「び・・」
「び?」
「BLだけじゃない!普通の二次創作もオリキャラの話も書いてた!あと、ちなみに当時はBLじゃなく、“やおい”!」
「「・・・・」」
人間、切羽詰まると何が口から飛び出すかわかったものじゃない。
「さあて、改めて聞くが、王女殿下のご病状のほどをどう見た。」
「いやー、まあ・・けっこう、はまってるかなー、と。」
「病は重い、ということじゃな。どこをとっても我が国自慢の姫君だが、あの一点を以て台無しじゃ。」
「・・普段はどうなんですか?もうあの世界にどっぷりはまって寝食も忘れる感じですかね?」
「そこまではいっとらん。数多あるご公務はきちんとこなし、あれ以外の本も読み、楽器や刺繍をたしなまれ、お庭の手入れなども熱心にされておる。」
「・・・・」
「何じゃオタクとして不満か。」
「いや逆です。だったらいいじゃないですか、どこに文句のつけようが?お仕事しているし、他のことにも目を向けて、外にも出てるし。」
「オタクとは外に出ないのですか?」
クローネさんが怪談話でも聞くかのように尋ねた。
「家に引きこもってゲームやマンガ三昧という人もいるにはいるよ。」
そういうとこなんだけどね、“一般人”があれこれ言うのは。全てのオタクがそういうわけでもないんだけど。
「折田さんが今は卒業したというのは、本当なんですよね?」
顔をのぞき込むようにして尋ねるクローネさんに、私は大きなため息をついた。
「・・卒業したよ。それは事実。就職してきっぱり止めた。んで結婚して、子どもができて、また仕事始めて・・あんな妄想三昧な生活、現実世界で手一杯の今はおくれません。」
クローネさんはほうっ、と息を吐いた。
「安堵したか、クローネ。おそらくこれが、指輪がこの者を選んだ理由だ。この者はあの病を自ら克服したのだ。その経験を王女殿下の治療に生かせると、指輪は踏んだのだろう。」
「なるほど・・!さすがローエン様の御家に代々伝わる至宝“リンベルク”!」
うむ、とローエンさんはうなずいた。
「というわけで折田!お前の経験をもとに王女殿下を説得するのじゃ!実のところ、王女殿下はあの病についてガルトニの王太子の理解は得られまいと縁談をお断りになったのだ。だが、そのために王太子の怒りを買い、我が国の危機を招かんとしておる。いいか、王女殿下の病が治癒されねば、結婚話はまとまらず、我が国はガルトニにいいように蹂躙されよう。王家は断絶、民は貴族から庶民まで奴隷として使われ、売られる未来が待っておる。頼むぞ、折田!」
「いや、だからちょっと。」
「頼んだぞ、折田!!」
「でもですね、」
「いや、お前はやればできるやつだ!」
「なに言ってんですよ、無理無理無理無理!第一あれ、病気って病気じゃないから!心の病ですらない、ただの趣味嗜好の問題!」
「亭主にばらすぞ。」
「は?なにを?」
「お前の過去を。」
「ぐふっ!」
「オタクはこれを“オタバレ”と称して嫌うのではなかったか?」
「くっ・・卑怯な・・!」
「わしだとて卑怯は好むところではない。だが、幼い頃より手塩にかけて魔術をお教えしてきた姫君のためじゃ。使えるものは何でも使うわい!」
どーんと胸を張って卑怯を肯定する大魔導師様。
私はがっくりと床に崩れ落ちた。
ローエンさんの研究室を出て、私は海より深いため息をついた。
「大丈夫ですか?押しの強い方ですみません。それで、あの・・王女殿下のことは・・」
「うーん・・」
王女様との会話を思い出した。
BL本を見せられた後のことだ。非痛感漂うクローネさんの視線に耐えかねて、思い切ってヨシュアス殿下との結婚話を振ってみたのだ。
『ああ、お聞きになったのですね。』
『ヨシュアス殿下はその・・お気に召さないですか?』
『・・噂を聞く限りでは、結婚した後に決定的な破綻が後すれるような気がするのです。私の好む音楽や絵画や文学、とりわけ文学世界における男の子同士の儚くも典雅な恋模様には理解は得られないでしょう・・私の周りの者ですら』と、ちらりとクローネさんを見る。『そうなのですから。』
ごもっともだ。日本でだってまだまだ偏見はある。
『ちなみに王女様がこういう・・あー・・作風をお好みだというのは、ご両親はご存じなんですか?』
『いえ、知りません。多分このような物語は御心にかなわないかと思い、話したことはありませんの。』
・・心得てらっしゃる。
『いっそ私がヨシュアス殿下に仕える美少年のお小姓などであれば良かったのかもしれません。雄々しき主にあこがれるも身分違いの許されざる恋。それでなくとも自分は男の身・・禁断の恋の炎に身を焦がす哀れな蝶々・・』薄紫色のBL本をそっと撫でながら、王女様はつぶやいた。『はっ・・もしや私にもこれで物語が書けるのでは?今までは読むだけだったけれど、私も・・』
『わーわーわー!』クローネさんが突然両腕を振って立ち上がった。『ご覧下さい、王女殿下、あそこに何か鳥のようなものがおります!うわあ、何だろう、すごいなあ!』
『え?どこ?クローネ、どこにいるの?』
『あ・・いや~、あの藤棚の向こうに入ったようです。残念ですー。では、我々はそろそろ失礼いたします。』
『まあ、もう?ああ、オリータ殿、よろしければこの本をお貸ししましょうか?』
『え、あ・・はい。どうも・・』
王女様の部屋を出て、クローネさんはほうっ、と息を吐いた。
『危ないところでしたね。この上ご自分であのような物語を書き始めた日には、目も当てられません。』
『うん・・』
だけど私は見てしまったのだ。
ドアが閉まる瞬間、優雅な歩みで机についた王女様を。
「クローネさん、私、いっぺん家に帰してくれないかな。」
「お、折田さん、それは・・」
私はクローネさんを見て微笑んだ。
「この話は奥が深いよ。ちょっと頭の中を整理してきたい。」
「・・わかりました。私は折田さんを信じます。・・あ。」
「どうしたの?」
「私も帰ります。シフト終わりまでまだ時間がありました。おでんの具合も見ないといけませんし。」
「王女様の病気を治す人が一応見つかったから、あのままお国にいるのかと思ってたよ。」
「それはそうなんですが・・ここの店長さんにはご恩があります。王国の騎士として、職務を中途半端に投げ出すのは良くないですし。」
「店長さんからのご恩って?」
クローネさんはコンビニ店員の服装に戻って、おでんにはんぺんを追加していた。着替えは例の指輪の力で早着替えができるのだそうだ。
「この指輪にこの国に送り込まれたはいいのですが、知り合いの一人もおらず途方に暮れておりましたところ、店長さんが声をかけてくれまして。」
騎士団の鎧姿で公園のベンチに1人座り込んでいたクローネさんを自分が経営するこのコンビニに連れてきて、ご飯を食べさせ、店員の仕事をくれたのだそうだ。
「おまけにこの上のアパートの一室にも入れてくれました。店長さんが大家さんも兼ねているのです。実に親切で豪儀な方です。」
ここのコンビニの上は店長庵の自宅とアパートになっていた。
「不法就労とか何とかは大丈夫なのかな。」
「そこはこの“リンベルク”がうまいことやってくれました。」
「なかなかよく働く指輪だねえ。」ふと壁に掛かっている時計を見た。「あ、ほんとに王国に行ってから時間がたってない。」
カウンターの上に置きっ放しだったお茶はまだ冷たいままだった。
「でしょ?これで心置きなく我が国との往来ができますね!」
「・・や、でもさ、これってヤバくない?周りより私が早く年を取っていくことにならない?」
「そこも大丈夫です。“リンベルク”が折田さんの老化を止めておいてくれますので。」
と、急にクローネさんが居住まいを正した。
「折田さん。」
「ん?」
「このたびお力を貸していただけること、本当に感謝の念に堪えません。」右手を胸に当てて頭を下げるクローネさん。「どうか・・どうか、王女殿下を、我が国をよろしくお願いします。」
おおう・・
「いや、その・・」
このコンビニにははもう来ないで、王国のことは放置、とも思った。
「・・一応、何か考えてみるよ。考えがまとまったらまた来るね。」
「はい!」
私はコンビニを出た。
「ありがとうございました、またどうぞー!」
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