第10話 選抜

 その異様な雰囲気から、誰もがいつもの日常じゃないと悟っていた。


 時計の針がⅦを指している。いつもなら起床チャイムが寮中に鳴り響いているはずだった。ところが今朝、起床チャイムが鳴るかわりに聞こえて来たのは、管理官の声だった。


「起床せよ。本日、労働者の選抜を行う!繰り返す。本日、労働者の選抜を行う!直ちに食堂に集合せよ」


 いつもなら労働者たちのため息や文句などのけだるげな喧噪が聞こえる時間帯だったはずが、今日は違った。寮内の簡素な窓ガラスが割れんばかりの歓声があちらこちらから聞こえる。


「選抜だってユウキ!! ほら!あの時教えた特殊制度だよ!! 僕たちが報われるかもしれないんだ!」

「静かにしろラスカ。ほら、もう起きてるから」


 やはりラスカも喜び、ユウキをまくし立て、起こす。耳元で叫び、その手で何度も叩かれる。それだけラスカは興奮状態だ。ラスカと同室になり、起こされてきたことは何度もあるが。今日ほどうるさく起こされたことはないし、体中が痛くなるような事も無い。しかし怒るような事も無かった。いつもより少し早めに体を起こし、準備を始める。いつもより手早く、無駄のないように……。全て身支度が終わったときには、もうラスカは部屋を後にしていた。全く。何処まではしゃいでるんだアイツは。ラスカの後を追うようにして、ユウキも走る。体が勝手に走っていた。ユウキ自身は一日が騒がしくなっただけだと心の中で思おうとしていたが、この非日常感に心をどこか踊らせてしまっていたのだ。


 選抜。それはランダムに労働者を選び、一般階級以上に引き上げる救済措置だ。労働者を条件に合わせて無作為に選出し、一般階級に押し上げる。端的に言ってしまえば救済措置だ、とラスカから教わった。しかしこの救済措置は、デクトリアが建国してからこの1000年間で一度たりとも行われたことがないとも聞いている。彼等はまさに歴史的瞬間に立ち会っていた。労働者という劣悪なこの環境から逃げ出せる機会がついに訪れたのだ。


 集められた食堂も、やはり騒がしかった。話題はもちろん、誰が選抜に選ばれるか。我こそはと名乗りを挙げるもの、地獄から抜け出せるかもしれないと期待の表情をするもの、ユウキのように関係ないと高を括り、誰が選ばれるか予想するもの。誰が行くか、行かないかを予想し、賭けに興じる者……。労働者たちは、それぞれがそれぞれの面持ちを胸に、これ以上ないほどの活気を見せていた。長らく行われたことがないという事は事実なのだろう。85年も生きているあのシュウゾウさんですらどこか落ち着かない様子だった。


 食堂の大きな液晶画面がブンと音をたて、光を放ち始める。そこには、総督席に座り、ニタニタと笑うロムル=デクトルが写っていた。


「諸君。こちらはデクトリア国家総督、ロムル=デクトルである。この放送は、全国の労働地区に放映中である」


 映るや否や、あれだけ騒がしかった食堂がしんと鎮まり返る。世界中の労働者が、彼の言葉を心待ちにした。彼の言葉ここまで耳を傾けている労働者を見るのは初めてかもしれない。


「突然のことだが、本日、大規模な選抜を行う! これまでのデクトリアの発展は特に目覚ましいものであった。君たちの健闘を買い、今ここに、労働者階級の人口の10%、1億人を選抜することをここに誓う!」


 歓声が広場を包み込んだ。しかしユウキは1億という大きな数字に違和感を抱く。そこまでたくさんの労働者を一般階級にすることで、何にも不都合が出来ないのか。そこまで一般階級の暮らしは豊かなものなのだろうか。全く、それだけあふれているのなら、少しぐらいこっちに分けても良いだろうよ。いつものように邪推をする。そうこうしているうちに、いつの間にか放送は終わり、管理官たちが工場に入ってきた。そこにはガランドも、いつも踵の高い靴を音立てて歩く、ロムルの秘書もいた。


「ただいまより、選抜の対象者を発表する!」


 そう管理官が告げると、次々と名前を呼び始めた。どうせ選ばれないだろう。ユウキは頭の中でそう思っていても、心臓は微かに早く鼓動をしていた。万が一、いや、文字通り億が一に自分の名前が呼ばれたのなら……。そう本能は期待していた。やがてサ行の名前が呼ばれ始める。ユウキの鼓動が速くなる。ユウキの苗字は「宍戸ししど」だ。いつもの無気力に振る舞う態度を忘れ、宍戸ユウキの名前が呼ばれるのを心待ちにした。


 シアナ、シウバ、シェイク。し行の名前が呼ばれ始めた。自分のキャラも忘れ、期待を胸に持ち始める。心臓は平然を装うのを忘れ、飛び出さんばかりに激しく脈打っていた。宍戸、来い。頭の中で、そう切望するのを辞められなかった。


「……バーナード、  シスイ……、」


 ……呼ばれなかった。まぁ、こんなもんか。所詮労働者の10%。そうそう当たるわけがないか。少しばかりの落胆を胸に、なんとか理性で納得すると、驚きの名前が聞こえた事に気がつく。今、ラスカの名前が呼ばれなかったか? ふとラスカが並んだあたりに目を向けると、目を輝かせている。やはり呼ばれていた。ラスカは選抜に当たったのだ。いつもであれば、ジェンドールだから選ばれたのだろうと邪推が頭をよぎる。しかし昨日の今日、真に打ち解けた間柄、ラスカが選ばれたことがなぜか自分のことのように嬉しかった。


 対象者を全て発表し終わる時には、もう太陽が橙色になっていた。ここまで長丁場になったので、今日は労働は無しになった。これから労働者は夕食を取り、明日に備える。明日からまたあの代わり映えのないいつもの日常が戻ってくるというのに、管理官が離れた後、広場は大騒ぎになった。呼ばれなかった怒りを体現するもの、呼ばれたことに素直に喜ぶもの、賭けに勝ったことを喜ぶ者。そして、仲の良い同僚の選抜を喜ぶもの……、ユウキもその一人だった。側には、選抜対象のラスカ。素直におめでとうと伝えてやらないと。


「ラスカ、おめでとう」


 祝いの言葉をラスカに向けると、ラスカは目を真っ赤に晴らしている。どうやら自分がやっと報われたことで、感極まっているようで、選ばれてからずっと泣き腫らしているようだ。


「ユウギ……。やっとみんなの元に帰れるよぉ!」

「何というか、その……。よく頑張ったな」


 伏せた頭に手が伸びる。なぜだか、ラスカの頭を撫でたくなった。しかし、手がラスカの頭に乗っかる前に、遠くからの大声に邪魔された。ベネットだ。


「ユウキ!俺、選ばれたぞ!」

「は?お前もかよ!!」


 驚きの声を挙げる。ラスカのことに気を取られていたが、ベネットも呼ばれていたらしい。管理官が帰還した後、真っ先にユウキの元にやって来たようで、肩を切りながら走ってやってきた。自分の知り合いが二人も選ばれていたという事実にただ驚いた。10%という確立は意外とバカに出来ない。


「ラスカも選ばれてたんだな!」

「うん!」


 ラスカは鼻声で答えた。その後二人はしばらく二人で喜んだ。自分をおいて喜ぶ二人の様子は、まるで、対岸の祭りのようだった。しかしユウキには。不思議と前のような不快感はなかった。むしろ、他人事であるはずなのに、どこか嬉しいような……。言うなれば、兄が弟に抱くような穏やかさがあった。ベネットはひとしきり騒いだ後、ユウキが騒ぎに入ってこないことに気づいた。


「お前は……?」

「選ばれなかったよ」


 二人の祭りが一気に冷めた。目の前で大騒ぎしていた罪悪感か、なんか悪いなと、理由もなくベネットは頭を下げる。そのしおらしさが何故かおかしく見え、思わず吹き出してしまった。ユウキが笑うなんてそうそうない。周囲の労働者達はあまりにも珍しい光景に目を丸くする。


「別に気にしちゃいねぇよ。完全に確率だろ? 俺が外れて、お前たちが当たっただけだよ。気にする気も起きねえよ」

「でも……」

「ゴタゴタ言うな。お前らが喜ばなくてどうするんだよ。俺のことなんか気にするな」

「でも……」

「しつこいぞラスカ。お前も笑えよ。やっと報われたんだろ」

「僕たち、もう会えないのかな……?」


 途中でラスカが口を挟む。それは、不安を孕んだ声だった。さっきまでうれしさで泣いていたラスカが、今度はまた別の理由で泣きそうになっている。確かに、2人が一般階級になったら、超えられない壁の向こうに行くことになる。ラスカはそれを心配していた。ユウキは労働者以外の階級が大嫌いだ。ラスカやベネットが関係を続けたくとも、ユウキが一般階級になった自分たちと関係を絶ってしまうかもしれない。今まで通りの、友人としての関係は終わってしまうだろうか。ラスカにとって、それが新たな不安のタネになっていた。彼は離ればなれになりたくないのだ。


「何言ってんだよ。俺のことをバカにしに来ればいいだろ」


 押しつぶされそうな不安をよそにユウキはあっさりと答えた。それは憎しみでもなく、怒りでも、嫉みでもない。ただ、関係を続けるという意思表示だったように思えた。ラスカにとってそれは、何よりも暖かく、代えがたい友情の言葉だ。


「きっと、僕たちはすぐに会える!神様がなんとかしてくれるよ!」

「あの美人な神様がか?」

「そうだよ!きっとなんとかしてくれる!!」


 その言葉をきっかけに、ベネットとラスカはユウキに強く抱きついた。ベネットも、ラスカと同じものを感じ取ったようで、二人で勢いよくユウキに抱きついた。それはそれは、とてつもなく暑苦しい抱擁で、ユウキはそれが不快だったはずだ。しかし、今日はその不快さも、なぜか心地がよかった。


▽……▽……▽……▽


 選抜の夜、ユウキは夜風に当たっていた。ユウキは夜風が嫌いだった。労働地区は乾燥していて、砂埃がよく舞う。せっかく体を綺麗にしたのに、それがまた土埃で汚れるのが堪らなく二度手間で、面倒だと思っていた。たった一度のシャワータイムを無駄にしたくない。だから、ユウキが夜風に当たるなんてことは、これまで一度も無かった。しかし今、ユウキは寮のベランダに居て、乾燥した夜風に当たっている。なぜだか今日はそうしたかったのだ。理由のわからない感情を神様は知っているかのように、今日は不思議と、風は強く吹きあれることはなかった。


「寂しいのか?」


 突然の声に振り返る。そこにはシュウゾウが立っていた。一仕事を終えた後のシャワーがよっぽど気持ちよかったのか、それとも何か思うところがあるのか、どこか柔和な面持ちだ。シュウゾウはそのままユウキの側までやってきた。


「分かんね」


 ユウキは答える。2人きりで話すなんて何年ぶりだろうか。親の居ないユウキにとってシュウゾウは育ての親だ。シュウゾウはユウキがまだ乳の味も知らないような頃から、今に至るまで様々なことを厳しく教えてきた。これまで何度も衝突してきた間柄だからこそ分かる説教の気配は今はなく、ただ、祖父のような、どこか優しい居心地だった。


「選抜、残念だったな」

「へっ。あんな確率なんてハナから信じちゃいねぇよ」

「まぁ、お前が選ばれるとは到底思っちゃおらんがな」

「なんだそれ。そんなに俺はふさわしくないか?」

「あの素行で、選ばれる訳ないだろう」


 鼻で笑いながらシュウゾウはそう答えた。そして、ほれと、円柱状のものを手渡した。そこには、第一種清涼飲料水3式と書かれている。ユウキはそれが何か知っていた。仕事の失敗、初めての懲罰、初めての管理業務、その他……。シュウゾウは、ユウキが初めての事を経験する度、この缶ジュースを与えていた。ユウキにとっては、シュウゾウからのご褒美であり、ねぎらいだった。それを黙って受け取ると、上部についたプルタブを爪で起こす。カシュッと音を立ててその缶が開いた。柑橘系の甘酸っぱい匂いが広がる。中身を腹の中に注ぐと、懐かしい甘さが口の中に広がる。


「ラスカとは仲が良かったんだろ」

「……まぁ、ね」


 ユウキはしばし抱いている感情を考察し、肯定する。そしてあとから付け足した。


「でも、あいつは元々ジェンドールだろ。いつかはこうなる気がしてたよ」

「……知っていたのか」

「あいつから聞いたよ」

「そうか」


 どうやらシュウゾウも缶を持っていたようで、プルタブに指を掛けて、封を切る。そして中身を飲む。ユウキも、それをまねするように缶の中身を飲む。いつの間にか中身はほとんど残っていないようで、数少ない一滴を残さないよう、口の真上で缶を逆さにして飲み干した。


「じいさん。神様っていると思うか?」


 ユウキは、飲み干した缶をいじりながらそう訪ねた。ラスカが「神様がなんとかしてくれる」と言っていたことを思い出していたのだ。シュウゾウは、無神論者だと思っていた彼の口から意外な言葉が出てきたことに驚く。


「ラスカが言ったのか?」


 ユウキは黙って頷く。これまで18年間、ユウキは神様なんて存在しないものと考えていた。蘇生措置をうけてからずいぶん変わったものだ。いや、ひょっとしたら、5年前から変わっていたのかもしれない。デウス=エクス=マキナがいるだろ、そう答えても、ユウキの面持ちは変わらなかった。


「……ああ、いると思う」


 しばしの沈黙の後、シュウゾウはそう答えた。缶をいじっていたユウキが顔を上げる。


「どこに?」

「ここに」


 シュウゾウはらしくもないいたずら心で笑い、心臓を親指で指さしした。途端にユウキは怪訝な顔をする。ため息をついた後、あきれ顔でこう言った。


「冗談言った訳じゃねえんだけど」

「いいや。本当にいるもんだ。長く生きてるとな、自分の心に従った方が良いこともある、そう理解するもんだ。なんでも言う事を聞いてくれる神様はいねぇが、進んだほうがいい道を教えてくれる神様はいる。ここにな」


 そう言うと、シュウゾウもまた缶の中身を飲み干した。ほろ苦い香りがユウキの鼻をかすめ通る。言葉のない、ただ心地よい静寂が二人を包む。風がぴゅうと音をたてて吹き始めた。いつの間にか吹き始めた風の音だけが、二人の間で唸っていた。

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