第2話 真っ白な空間で

 真っ暗な空間。無数にあるモニターの光が、彼女の顔を薄く照らしている。彼女は、一際大きな液晶画面を見ながら、流れてくる機械音声に耳を傾けていた。


―人体解析完了。死因は急性の静脈血栓塞栓症と脳出血と断定。

――特定完了。階級、労働者。宍戸ユウキと断定。

――「年齢は?」

――18歳。正確な生年月日はデータバンクに無し。管理情報の少なさから出生不明児と断定。

――この人材は代替可能と判断。心臓部に終了措置を提案します。

――「他に健康状態は?」

――複数の軽傷、打撲痕を発見。それ以外に目立った以上なし。労働適性ありと判断。

――心臓部マキナ、決断を。


――「蘇生させましょう。命は平等だもの」


彼女の声を最後に、けたたましい機械音が鳴り響く……。


 ユウキが目を覚ますと、そこは薄汚れた自室ではなく、汚れひとつない真っ白な部屋だった。どうやらベッドに寝かされていたらしい。右手にはケーブルに繋がれており、そのケーブルは見たことのない機械に繋がれている。そのうちの一つの画面には、緑色の線が一定間隔で山を作っているのが見える。労働者として様々な機械を見てきたユウキだったが、こんなものを見たことがなかった。ここはどこだ?俺はなぜここにいる?様々な疑問が頭に浮かんできたが、最後に出てきた疑問は……


「なんで、生きてるんだ?」


 記憶を何度辿っても、自分が生きている理由が見つからない。あの鮮明すぎる感覚は紛れもなく「死」であった。しかし今こうしてベッドに寝かされていて、たった今目を覚ますことが出来た。体も自由に動かせるし、ものも掴める。確かに生きている、死んだはずなのに。


「宍戸ユウキさん。お加減はいかがですか?」


 ドアが勝手に開いて白い服の女が入ってくる。一体誰だ? 俺の名前を知っているようだが俺は知らない。と言うか俺の知っているやつに、こんな清潔感がある女はいない。そうこうしているうちに、女は俺のベッドの前まで来た。機械に映し出された情報を手元の端末に打ち込んだのち、服を脱がし始める。


「おい」

「緊張なさらないで大丈夫ですよ。ただの触診ですから」


 どうやらこれはショクシンというやつらしい。ユウキは体を隅々まで触られ、所々で軽く押された。痛みはそれほどなく、困惑が勝っていたが、途中で、身体中に無数にあった痣や傷が消えているのに気がついた。


「だいぶ良くなってきてますね。これならすぐに退院できますよ。」


 タイイン。聞いたことがある。人は怪我をした時、普通ならビョウインという場所に行くらしく、そこで怪我を治すらしい。それが一般階級の常識だとラスカから聞いていた。タイインをするというのなら、もしかしてここはビョウインなのではないか。初めて掴んだ現状を逃すまいと、その手がかりに食いついた。


「もしかして、ここはビョウインか?」

「ええ。そうですよ。ここはデクトリア首脳地区中央総合病院です。」

「は? 首脳地区?」


 聞き間違いか? ユウキは耳を疑う。首脳地区は支配階級の生活区画だ。かつてはアメリカと呼ばれていた場所だとラスカが教えてくれたな。どうやらここでは人は歩かないようで、足の代わりに移動用モービルでどこへでも行ける。光と最新技術にまみれた世界らしい。生来のエリートたちが生活をする空間で、このデクトリアの中でも圧倒的に豪華な暮らしが送られている。もちろんこの国の行く末を決める人たちが暮らすのだから、作りも警備も一際厳しく配備されているので、一般階級の人たちもそうそう気軽に立ち入れる場所ではない。労働者階級なんてもってのほかだ。


 また、ユウキ含め労働者階級はそもそも病院で治療を受けることはない。病院が機能していないからだ。医者は支配階級の人間にのみ許された仕事で、わざわざ薄汚れ、汗と血で塗れた人間を治療をしたがる医者なんていない。医者が来ないものだから、治療なんて出来るわけがない。労働地区の病院は長いこと廃屋になっている。  


 ユウキにとって初めての病院が首脳地区の大病院で、自分が死んだと思っていたら生きている……。ますます訳がわからないが、その事実だけは確かなようだ。ユウキが困惑している間も看護師は手元の端末を操作している。


「脳内の血栓の上に十数箇所の打撲、擦り傷……。私、それなりの人数治療して来ましたけど、ここまでボロボロな人見たことがありません。今まで病院に行っていましたか?」

「いや……。」

「ダメですよ。いくら青あざとはいえ、放置していたら痛みが残るんです。ちゃんと通ってください」

「そんなこと言われても、行けねぇよ」

「あら、どの区画にも病院はあるはずですよ。」

「まぁな。あるにはあるよ。でも医者がいねぇ」


 看護師の顔が曇る。彼女にとって病院に医者がいるのは当たり前。そんなことは普通はありえない。そう、ありえないのだ。


「失礼ですが、階級をお聞きしても……?」

「あ?労働者階級だけど」


 え? という小さな声を出して看護師の顔が引き攣る。ここは支配階級のための病院で、相手をするのはお偉い様達だ。それに労働者階級は普通、治療を受けることはない、蘇生治療なんてもっての他だ。本来は国家に有益な人材に施されるものであり、いつでも替えの聞く労働者階級に施されたのは前代未聞だろう。そしておそらく彼女にとっても初めてなのだろう。彼女は労働者に触れてしまったという同様を隠そうと、さっきとは打って変わった、ぎこちない、ひきつった笑顔を必死にみせ、ユウキに待つように促すと、荒々しく手を洗ってから病室を出ていった。


「そりゃそうなるよな」


 ユウキは分かっていた。労働者階級は不潔で泥臭い、これがこの国での常識だ。だから忌避され、一般階級に許されることは労働者階級では許されない。ユウキは今、労働者という立場で病院のベットに寝る、これは普通ではない。看護師も、ここに寝ているのは支配階級か、余程重症な一般階級の人間だと思い込むのは当たり前だ。一般階級だと思っていた患者が実は労働者階級だったなどと言われれば、どんな人間でも取り乱してしまうだろう。


 だからか、先ほどから病室の外が騒がしくなっていた。ヒステリックな金切り声と低く響く男の怒号。どうやらさっきの看護師と院長らしき男が言い争いをしているようだ。そんなことを無視して再び眠ろうとしても、外の騒音が鬱陶しい。


 確かにユウキがここにいるのは異常だ、だがわざとではない。ユウキにとっては、一度死んだはずなぜかがここに寝かされていた、というのが紛れもない真実だからだ。好き好んで忍び込んだわけではない。それなのにゴタゴタと文句を言われるのは腹が立つ。この際だ、思う存分寝てやろうか。ユウキは支配階級への当てつけに、布団よ汚れろと、分厚く、暖かい布団を深々と被った。


 暖かく、柔らかい。初めての布団に意識が奪われるところ、誰かが扉を開ける音が聞こえてきた。またあの看護師か、それとも他の看護師か、そんなことを考えていると、声が聞こえてきた。


「良かった。ちゃんと生きている」


 先ほどの看護師とは違う声だった。か細く、若く綺麗な声。ユウキはかぶっていた布団をめくる。目の前に立っていたのは、そもそも看護師ではなかった。その女は汚れ一つない看護服ではなく、変わった服を着ていた、生地は白く、汚れひとつ無い。所々に金の歯車が装飾としてあしらわれている。立場上、さびた歯車をよく見ることはあった。しかし、それとは明らかにかけ離れた、まぶしいぐらいに輝いている歯車だった。そして見た目は、同い年ぐらいの女だった。


「初めての蘇生措置、上手くいくか心配だったの」


 無機質だかどこか暖かい笑顔を見せる。今までユウキは様々な人間に出会ってきた。労働地区の同僚、同室のラスカ、そして、地区の上からのぞき込む上の階級の奴ら達。その女は誰にも似ていなかった。人間であるということに違和感すら感じる、不思議な雰囲気をまとった女、その女が今、ぼそりとつぶやいた。まるで蘇生措置をあたかも自分が行ったように。


「蘇生措置、あんたがやったのか?」

「そう、でも厳密には違うわ。私はただ決めただけ。」

「決めた?」

「そう、決めたの」


話が全くかみ合わない。ユウキは苛立ちを隠せなかった。


「話が全く見えてこねぇ。どういうことだ?」

「私が蘇生措置を決めて、で、この病院で治療させたの」


 ユウキはやっと、自分がなぜこんな状況に置かれているのかを理解する事が出来た。


どうやらやはりあの時自分は死んでいたらしい。しかしこの女のおかげで、(本当かどうかは疑わしいが)命を救われ、このような場違いな場所にて治療をうけている。


 これが現在ユウキが置かれている状況であった。ひとまず理解する事が出来たが、ユウキはまだ納得は出来ていなかった。


「なんで俺なんかを生かしたんだ?」


 素直に疑問をぶつける。そうだ。労働者階級は身寄りの無い連中か、生まれながらにして何か欠陥をもった連中、犯罪を犯した前科持ちの連中、その他諸々……。言うなれば救いようがなく、代わりの効く人材だ。いくら若いとはいえ、18歳の同い年の人間なんてごまんといる。実際腕を折り、仕事を続けられなくなった同い年の男が次の日処分されたのを見ている。それなのに、この女は俺を生かした。訳が分からない。


 率直な疑問をユウキはその女にぶつけるが、その女は、命は平等だもの、と返す。絵に描いたような、きれい事だらけの返答に思わず笑えてくる。


「馬鹿かよ。命は平等じゃないだろ」

「いえ、平等よ」

「それじゃあんたが世間知らずなだけだ。命が本当に平等なら、なんで外は騒がしいんだろうな?俺に触った女が騒いでるんだぜ?」


 ……。女は考え込んでしまった。なんというか、こいつは同じ人間に思えない。綺麗な身なりをしていることから、支配階級の生まれであるのに違いない。上の階級であれば俺たちを見下すように教育するはずだ、教育せずとも、自然とそう学んでいく。それなのに、こいつは労働者のユウキを前にしても一切同じない。目をそらさないし、避けもしない。


 まるで本当に命は平等で、助けられるべき物だと言わんばかりにユウキの前に立ち、そして理由を思案していた。しかしその頭じゃ結論がでなかったのだろう。女は口を開くと、わからないと答えた。


「本当に世間知らずなんだな」

「ええ。命は平等だと、デウスはそう教えてくれたのに。私、貴方を蘇生させると決断したとき、管理監全員に笑われたの」


 デウス。本当にこの女はそういった。デウスというのはこの国の神様の一部の名前だ。


 デウス=エクス=マキナは三部に別れている。この国のすべての情報を管理し、必要に応じ知識と演算をする頭脳部デウス、監督官から労働者達、この国のすべてにあらゆる指示を出す司令部エクス、そして、そのはじき出された可能性を比べ、すべての決断を下す心臓部マキナで出来ていて、デウスが知識と記録から計算、マキナが行動を決定し、そしてその決定に従って、エクスが各所に指示を出す。これがデウス=エクス=マキナの正体であり、この国のやり方だ。そのぐらいの教養は労働者達にも与えられる。


 だからこそ今まで以上にユウキは混乱した。もし本当にデウスに教わったのだとしたら、目の前にいる女はエクスか、マキナ。どちらにせよこの国の神様だという事になる。しかしそんなはずはない。この国の神様が、こんな所で油を売っていていい訳がない。しかし今までの言動、現実の物とは思えない白い服、蘇生措置を行ったという言い分、そして何も知らない世間知らずなところ。今までの情報を合わせて考えても、神様だからという理由以外は出てこなかった。


「安心して。措置は施された。貴方はもう一度働くことが出来る。あと数日でまた戻れるわ」


 その女は最後にそう言い残すと、立ち上がり、そして母親のような、柔らかい微笑みを向けた。機械のような、でも柔らかい笑い。その微笑みに何も言えなくなると、やがてドアに歩いて行った。


「名前!」


 ユウキは呼び止めていた。いつの間にかそうしていた。神様が目の前にいる。その事実がユウキを駆り立て、叫ばせていた。どうか違うと言ってくれ。願わくば嘘であってくれ。神様にであう準備は全く出来ていない。これ以上理解できないのはたくさんだ。様々な考えが頭を巡り、考えがまとまる前に突き動かしていた。はやる気持ちを抑え、なんとか、お前は誰なんだ?そう訪ねると、女はドアが締まる直前にこう答えた。


「マキナ。これからの人生に、幸多からんことを」


うるさいはずの病院内に、からんとこの声だけが響いたように聞こえた。

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