第32話 祖父
「り、離縁って、嫌です!!」
今みたいに一時的ではなく、離れ離れになるなんて嫌だ。ふわふわ笑う母と偶に厳しくも楽しい父と一緒にいるのがいい。
「あの国王は何をするかがわからん。そして、お前の両親を色んな意味で嫌っている。お前の父が嫌がることをするだろうな」
ふう、と叔父がため息をついた。叔父はあまり国王陛下を好いてはいないようだった。まじめで硬い叔父にそんな風に言われる王様ってあんまり信用はできなさそうだ。一応、僕のおばあちゃんらしいけど。
「ぼくは、それだけじゃないと思うけどね。おそらくはヴィーとコラリアは餌だと思うよ。使い出があるのは確かだろうけど。ここの所集めている情報からすると、ルプスコルヌの当主を引き出したいんだと思う」
君のおじいさまだよ、と言われた。つまり、ルプスコルヌ家の現当主だ。
「引退されているけれど、非常に有能な外交官だったんだ。避けられる争いはすべて外交手腕で切り抜けてきた。十二年前の戦争だけは無理だったけれどね」
それを口実に引っ込んだらしい。十二年前の戦争は、他国に派遣されている際に勃発してしまったのだという。当主は譲らなかったが、隠居状態である。普段は人当たりが柔らかく、穏やかで、懐に入り込むのが得意だったが、大事なところは一歩も譲らなかったそうだ。
その人を、国王は引っ張り出したがっているのではないか、というのが彼の弁である。正直言って、きな臭い。何かが起ころうとしているのは確かだろう。
新しい情報でおなか一杯になりながらグーグーに抱きかかえられていると、ふと、腹を抱えられていると徐々に手に力がこもっていった。亡国ルドゥンとかかわりがあるようだから、悲惨な経験があるのかもしれない。
そっと、その手に自分の手を重ねると、少し力が緩んだ。
「一度、君はルプスコルヌ伯爵にお会いしたほうがいいかもしれない。面識を持っていた方がいいだろう」
「……貴方がこの子の外出を禁止したんですよ。会わせようにも難しいでしょう」
あきれたように叔父が言う。それはそうだ。彼のおかげで僕は今日もこうしてここにいる。叔父と一緒においしいものを食べる予定だったのに。がっかりだ。
「なに、直接面識を持たなくても通信鏡がある。フォルトゥード女史にお手伝いいただこう。仲が良かったはずだよ」
そうして、僕は保護者に付き添われて再び図書館へと行くことになった。
____________________________
叔父の図書館入室許可証を得るため、ヴィルトトゥムは学長室へ行ってしまい、叔父とグーグーと三人になる。学長は味方なのかどうかよくわからないが、この学校の教師の中ではかなり話が分かる方らしい。
そんなわけで、よく話す先生がいなくなると、とたんに部屋が静かになった。
「おい、オジサマよ。こいつに土産を持ってきたんだろうな」
「おまえにオジサマと呼ばれると気色悪いな。ラーディで構わない。……それはともかく、持って来ているぞ。せっかくだから、今、渡そうか。魔法袋を持っているんだろう?」
彼は腰に付けた袋を広げると、中から色鮮やかな包みをいくつも取り出してきた。どれもリボンや飾りひもなどがつけられ、きれいに包んである。誕生日でもないのに申し訳ない。
「あの、そんなに気を使ってくださらなくても大丈夫ですよ?その、先生とご結婚されるとなれば資金も必要でしょうし」
そう言うと、嬉しくなかったか?といいながら、叔父がしゅんとしてしまう。嫌とか迷惑とか言うわけではなく、むしろうれしい。だが、今まで親族とそういうやり取りをしたことがないだけでよくわからないのだ。
「バッカだなぁ。お前、ガキはもらっておけばいいんだよ。なあ、ラーディ。お前が好きでやってんだろ?」
グイッと僕のことを引き上げ、ほおずりしながらグーグーが言った。グーグーはどうしても僕を子ども扱いしたいみたいだ。
お日様の匂いがする髪の毛が頬を首筋をくすぐる。こんなに甘やかされることはあまりない。叔父と張り合っているのかもしれなかった。
「そうだ!こういうのを選ぶのは楽しいものだな。迷惑でなければもらってほしい」
「ありがとうございます。その、嬉しいです」
明けてみろと促され、包みを開く。叔父からの贈り物は綺麗な装丁の本と新しいお出かけ用の服、それに筆記版だった。
「うわぁ! すごい。筆記版って本当にあるんだ」
筆記版は特殊な溶液を塗った板で、一定の操作を行うと、登録しておいた羊皮紙に自動で書き写されるものだ。呪文一つでいくらでも書き直せる。これさえあれば羊皮紙を持ち歩かなくても済み、間違えても削らなくていい。かなり値が張ったはずである。
色のついた本もうれしかったけれど、筆記版が何よりうれしい。思わず笑顔になると、叔父が嬉しそうに微笑んだ。
「喜んでもらえてよかった。父と選んだんだ。親族なのに一度も贈り物をしたことがなかったから、こんな時くらいはと思ってな」
後で茶菓子もあるぞ、という。ほのぼのとした時間が流れていった。その間、グーグーは器用に僕を抱えながら浮かせた茶碗からお茶を飲んでいた。両親との雨の日のお茶を思い出す。父の信条は晴耕雨読だったから、雨が降ると音楽をかけたり、詩を暗唱したり、のんびりと過ごしたものだった。
「ただいま。準備が整ったよ。早速行こう。フォルトゥード女史は喜んでいたよ。ルプスコルヌ伯爵は君にずいぶんと会いたがっていたみたいだ」
ヴィルトトゥムが部屋に入るなり、はやくはやく、とせかされ、図書館へと向かう。グーグーが犬型に戻り僕に乗った途端、叔父が僕の手をつないできた。
叔父は僕の面倒を見たくてしょうがないみたいだ。嬉しいのと同時にちょっと複雑である。そこまで子どもじゃないんだけど。
『そういってやるなよ。今だけだぜ。こいつ、きっと末っ子だから、お前のこと構いたくて仕方ないんだろ』
にしし、とグーグーが笑った。
「ん? なんだ?」
「何でもないです」
にっこりと笑ってごまかす。そうか、と言われて手を引かれていくと、そこはもう図書館であった。先日行ったばかりの立派な建物である。
「まあまあ。グラディウス、ラーディ!久しぶりね。学長から聞いていますよ。入って頂戴。用事が終わったら、プンちゃんにも会っていってね」
こうして、僕は初めて祖父に会うこととなり、フォルトゥードの執務室に通された。前回、ターシャが通された部屋の隣だ。木を基調としたもので、落ち着く雰囲気である。
「ルプスコルヌ君、じゃあこれからあなたのおじいさまと繋ぐわね。手順はどうするのでしたっけ?」
先ほど道なりに教えられた、簡単な礼儀を思い出す。祖父であるルプスコルヌ伯爵は結構、礼儀には厳しい人らしい。まあ、外交官なぞやっていれば当然だ。
「はい!ええと、通信鏡は相手が出たら、名乗ればいいのですよね。それから上位の人には目上に対する礼をして…」
「そうよ。きちんと覚えていていい子ね。今日はわたしがあなたのことを紹介するから、大丈夫だけれど、しっかり覚えていて頂戴」
後ろで叔父とヴィルトトゥムがハラハラしてみている。別に紹介されるのは彼らじゃないし、面識もあるだろうに。僕はよほど信頼がないようだ。
「じゃ、行きますよ」
壁にはめられた鏡の下に青い玉をはめ込む。人によって色を違えているそうだ。ここは固定型だけれど、祖父は携帯型を持っているので、おそらくいつでも出てくれるという。
手順を踏んで通信鏡を数度ちりちりと鳴らすと、パッとそれまでは室内を映し出していた鏡が、全く別の景色を映し出す。
≪久しぶりだな、ソフィ。何の用だ?いきなり≫
映し出されたのは、グラディウス叔父とそう見た目の年頃が変わらない、野良着を着た、ものすごく不愛想な男性だった。つまり、魔力が多いのだろう。なるほど、僕の魔力量は父だけではなく、こちらからも遺伝したのか。
「はぁい、ロス。お久しぶり。ちょっと面倒くさいことになりそうなの。だからね、その前に紹介しておこうかと思って。はい!こちら、貴方のお孫さん、ルセウス・ミーティア・ルプスコルヌ君。じゃ、ご挨拶~」
彼女に押し出され、鏡の前に出る。心なしか、鏡の中の顔が少し近づいてきた。
「は、初めまして。コラリア・ルプスコルヌとヴィリロス・フィリア・ルプスコルヌの息子、ルセウス・ミーティア・ルプスコルヌと申します」
緊張をしつつ、礼をした。愛想が好い、物腰の柔らかな男性と聞いていたのに、何というか、ちょっと…。
≪ランプロス・ルプスコルヌだ。てめぇか。コーラの息子ってのは。おお~、ヴィリロスに似てんなぁ。後ろにいんのは…ああ、マニュ。変わんねぇな。それ、とプラテアドんとこの下のガキか≫
……いや、ものすごく柄が悪かった。
気を取り直し、かくかくしかじかと説明をする。
≪ほー、あの女狐。ヴィーを利用して俺を連れ出そうってんだな。うちの娘と婿に難癖付けといてよく言うわ≫
そんな風にあきれた声で言った。国王には思うところがあっても、父のことはそう嫌いではないのだろう。と、いうよりも気が合いそうだ。義父と義息子いうよりは同じレベルで遊んでそうである。
「法務部が首を縦に振ってはいませんが、婚姻に口出しをできないかと思っているようです。国王命令で上層部が資料を漁っていると、同期から忠告されました」
叔父の情報は同期の友人からもたらされたらしい。お互いに情報を融通しあっている仲だそうだ。
≪離縁は、ちっと面倒だな。うちの籍にヴィーが入ってるから、そうそう手が出せないんだが、離縁すると籍がプラテアド家に戻ることになる。そうすっと、国王も口出し易くなるだろうな。メリットもあるが、デメリットもデケェ≫
ぷかーッと煙管から煙を吐き出しながら祖父は言った。柄は悪いが、野良着を着ててもなかなかに格好いい人である。
≪うちは身分は低いが、監視者としての役割があるから王家も手が出せねぇ。だが、プラテアドってのは、王家の手足となるという目的で創設された家だから、そうはいかねぇわな≫
「あの、ルプスコルヌって、王家の守護者じゃないんですか?」
一角狼は守護の獣として扱われている。てっきり王家を守護するための家なのかと思っていた。事典などにもそう書いてあったから、疑いもしていなかったのである。
≪いんや。正確には王家じゃなくて王国の守護者だ。王家が馬鹿やんねぇように、いざとなったら牙をむき、角をつきたてるっつー役割がある≫
だから、ルプスコルヌ家の直系には手出しができないという。伴侶もその範疇に入っている。だから、拷問などの手段に訴えるのではなく、婚姻に口をはさんだのだろう。この国の礎となるのに等しい精霊との契約だそうだ。
「ほら、ロスも隠居生活に少し飽きてきたんじゃないの?賭博場で評判の悪いゴロツキに勝負を挑んでは素寒貧にしているって聞いたわよ」
そう言えば、父もサイコロ遊びや手妻などが得意だったが、祖父と渡り合ったりしたのだろうか。それとも習ったのかもしれない。
≪ありゃあれで楽しいんだよ。…ま、そこの孫がオレに頭下げるってぇなら行ってやらんでもないが≫
ちらちら、とこちらを見る。光の当たる加減が変わると、母に似た瞳の色をしていた。まあ、母が彼に似ているのだろうが。
後ろで叔父と先生が少し息をのんだのがわかる。来てほしいんだろうな、ということは僕でも察せた。フォルトゥードは仕方ないわね、という子供を見るような表情をしている。孫からお願いされたいけど、素直には言えないんだろうな、と思う。そう言う大人は結構多いものだ。
さて、どう頼むのが効果的か。
どんな人かほとんど知らないが、力のある人だというし、何といっても祖父だし、ちょっと見てみたかった。大分、評判と乖離しているが。
『前にオジサマにやってみたいにお目目うるうる~って感じでお願いしてみればどだ?』
グーグーも頭の中に直接話しかけてくる。それもそうだな、と思って目を潤ませて上目遣いに鏡の向こうの祖父を見る。口元には手をやるというおまけつきだ。僕の年齢だからこそできる技である。あと少ししたら使えなくなるだろうけど。
たまにやると、大人には効果的なのである。
「えっと…あの。僕だけでは心配なんです。きっと、来てくださると心強い良いと思います。お願いできませんか?その…おじいさま」
どうだ、子犬のような愛らしさだろう。ついでにまばたきも少し多めにしてみる。
すると、呆気にとられたように一瞬なったかと思うと、下を向いてルプスコルヌ伯爵は悶絶した。肩がフルフルと震えている。
「あら、まあ、ロスったら……」
『おまえ、こういうとこ、すっげーあざといよな…』
後ろでヴィルトトゥム先生がうなづいている気配がする。彼は、たまにグーグーの声が聞こえている気がするが、気のせいだろうか。
だが、何を言う。子どもならではの愛らしさを存分に利用した、効率的なお願い方法ではないか。大体、使う人を選ぶのだ。
ついでに、孫という利点を存分に生かした戦法である。まあ、ごく一部の人を除いて、孫ってかわいいもののようだから。
あの口ぶりからしてお願いされたがっているという風にしか思えなかった。
≪おっしゃ! 行ったらァ!!≫
少しして、悶絶から回復すると、祖父はそんな風に吠えた。こうして祖父が王都に来ることとなったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます