チャム

見鳥望/greed green

「ね、可愛くない?」 


「え、めっちゃ可愛い!」




 友達の紗枝さえが見せてきたスマホには犯罪的に愛くるしい顔をこちらに向けるポメラニアンが写されていた。




「可愛いでしょ? この子がいるから今生きているようなもんだよ」


「ちょっとどうしたのよこの子?」


「いやさーこの前彼氏と別れたじゃない」


「あー……」




 そう言われてなるほどと思った。


 紗枝には数か月前まで付き合って三年近くになる彼氏がいた。お互い社会人で二十五歳という年齢で結婚も意識していた仲だった。が、残念ながらそう思っていたのは紗枝だけだった。


 別れの原因は彼氏の浮気だった。そして最悪な事にこの男は紗枝と付き合う前から付き合っている女がいて、彼にとってはそちらが本命で、紗枝は遊びだったという事実だった。


 紗枝が鈍感な事で全く彼の本性に気付く事が出来なかったが、たまたま紗枝の別の友達が紗枝の彼氏が別の女と歩いている所を目撃し、一気に彼の印象がグレーになり、問い詰めた所浮気が発覚したという流れだった。




 彼女の落ち込みようは相当なもので、しばらくは食事もまともに出来ず、外にも全く出なくなってしまった。


 心配した私も合間を見て連絡したり会いに行ったりもして、だんだんと元に戻ってきてくれて今ではこうやって二人で外で会ったり出来るほどに回復してくれた。




「やっぱりさ、なかなか寂しさって埋まらなくってね」


「そっか」


「一人暮らしでわんちゃん飼っちゃったら婚期が遠のくかもって思ったりもするんだけどね。やっぱり、男って生き物が怖くて。しばらくはいいかなって」


「いいと思うよ。紗枝が元気でいる事が一番だもん」


「うん、ありがと」




 確かに男ってのはバカな生き物だ。私にもまだ付き合って数か月程だが彼氏がいる。バレてないとでも思っているのか、予測変換一つちらっと見ただけでも何やら性欲を満たすようなワードが散見していて汚らわしく感じる瞬間もある。


 エッチなの見てるでしょ? と聞いてみると、いや見てないよと平然と嘘をついてくる。全くもってバカだ。もしこいつが浮気をしたら私は一瞬で見抜くだろう。




「チャムっていうの。もうほんと、目に入れても痛くないぐらい可愛いよー」




 写真に写るチャムを紗枝は心底愛おしそうに眺めていた。













「森下さん、大丈夫?」


「へ?」


「いやなんか、顔色悪そうだけど」


「あー……なんか、ちょっと熱っぽくて」


「無理しなくていいから、しんどかったら帰りなよ」


「すみません、ありがとうございます」




 いつも通り出社し事務を行っていたが、確かに調子が悪くあまり捗らない。最近急に冷え込んできたせいで、体調を崩してしまったのかもしれない。


 ただ早退する程ではないので、私はそのまま定時まで仕事を続けた。




 家に着いてから身体が少しだるいので座ってゆっくりしていると、ぽん、とスマホの通知音が鳴った。




『チャムしか勝たん』




 紗枝からのlineだった。またかと思いながら開くとチャムがおもちゃの小さな骨をくわえてじゃれている様子だった。見ているだけで和む可愛い動画だった。




『チャムが優勝』




 それだけ返し、私は疲れていたのかそのまますぅっと眠りに落ちた。















 紗枝はすっかり元気な様子だった。二人でランチやカフェに出掛けたりして楽しく過ごせるようになっていた。もうすっかり立ち直ったようで元気な様子だったが、彼氏をつくろうという気はまだない、というかやはり当分ないようで、




「人は信用できないから」




 と言うばかりだった。


 恋なんてのは無理やりするものではないし、かと言って自分のペースで進められるものでもない。突然降ってくるように幸せを掴む事もある。今はまだ彼女にとってその時ではない。




 ーー私もそろそろなー。




 そう思いながら、今付き合っている男は将来を考えるのは難しい。




 ーーもっと良い男いないかなー。




「チャムがいれば私は十分だよ」


「ほんと可愛いもんねー。ってか紗枝さ、TigTogとかやりなよ」


「え?」


「こんなに可愛いんだもん。もっといっぱい色んな人に見てもらった方がいいって。この可愛いさだったらバズるよ絶対」


「いいかも! 一花の言う通りだ。もっとチャムを見てみんなに愛してもらえるもんね」


「そうそう。やってみなよ、教えたげるし」


「ありがと!」




 紗枝はあまりSNSに興味がないようだったので、もともとTwitterぐらいしかやっていなかった。彼女の隣で色々と教えながらアカウントを登録し、テスト的に投稿してみた。




「結構簡単だね! うわーチャム可愛すぎ無理」


「簡単でしょ? 私も楽しみにしてるからこれからいっぱい載せてよ」


「そうする!」




 喜んでもらえて良かった。正直個別のIineでチャムの写真や動画がなかなかの頻度で送られてきて鬱陶しいという気持ちも少しあったので、これならそれも防げるし可愛いチャムも落ち着いて見れるしで一石二鳥だ。




「それより一花いちか、大丈夫?」


「ん? 何が?」


「なんか、最近体調悪そうだけど」


「あーうん。なんだかね。もう歳なのかねぇ」


「まだ私と同い年でしょ」




 言いながら二人して笑ってはいたが、確かに体調不良がずっと続いていた。Twillerでたまにそんな事も呟いていたので心配してくれたのだろう。




「気をつけてね」


「ありがと」

















 【cham_charm】




 自分の名前ではなく、あくまでチャムを前面に押し出したアカウント名で紗枝はチャムの動画をTigTog投稿し出した。綺麗な毛並みと愛くるしく潤った瞳、にぱぁっと口を開けると嬉しそうな笑顔を見せる可愛いをぎゅうぎゅうに詰めこんだチャムの姿にSNS上で虜になる人が続出し、フォロワーも始めて一週間足らずで1000人を超えた。


 紗枝も楽しくなってきたのか、動画の編集や加工にも凝り出した。どうやら彼女にはそのあたりの才能もあったようで、動画のクオリティとチャムの尊さも相まって瞬く間にフォロワーは一万人を超えるようになった。




 何気なく言った私の一言が彼女の人生を明るく照らしたような気がして誇らしく思ってもいたが、当の自分の体調不良が一向に良くならず悪化する一途だった。会社も休みがちになってしまい、休日も気力が湧かずあまり動けないような状態になっていた。




『大丈夫か?』




 何人かの男や知り合いから連絡が来ていたが、返信する気力もなかった。困ったことに医者からも原因が分からないと言われてしまい、手の打ちようがなかった。




 イヤホンをスマホに差し、ぐったり横になりながらスマホを眺める。紗枝は今日も元気にチャムの動画を投稿していた。開くと上手にお座りやお手を繰り出すチャムの姿が映っていた。




『可愛いねえ、可愛いねえ』




 親バカのように繰り返す紗枝の声も入っていたが、その時に初めて気付いた事があった。


 生活音と、静かにだが流れるBGM、そして紗枝の声。そういった自然な音とは別に、何やら他の音が入っていることに。


 それはもごもごと籠っていて、イヤホンをして音量を少し大きめにしてようやく気付けるような微かなものだった。




 雑音? 物音?


 何か分からない。音量を上げてみる。








 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。








 全く聞き取れない。しかしこれが、雑音でも物音でもなく、何かの声に聞こえて途端に気味が悪くなった。声のようなものは動画が始まって5秒後ぐらいから動画の最後までずっと入っている。




 ーーなにこれ?




 私はそのまま一つ前の動画を確認してみる。








 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。






 


 ぞわっと鳥肌が立った。


 全く同じ声のようなものが一つ前の動画にも入っていたのだ。という事は、今回の動画にたまたま入ったものではない、という事になる。私は恐る恐る他の動画も確認してみた。








 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。


 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。


 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。


 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。


 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。








 その声は確認した全ての動画に入っていた。いつの時点からと思い、初めて投稿された動画を確認した。一番最初は紗枝と一緒にテスト的に配信したものだ。




 そこには、入っていなかった。しかし、その次の動画からは既にこの音は入り込んでいた。






 ーーなんなのこれ……。






 私の気のせいなのか。


 他の人には聞こえてないのか。最新の動画のコメント欄を確認する。








kanemia0321


今日もチャムちゃんめっちゃ可愛いー!




takano_yuzuko


一日の癒し♡




drrrrrrrrrr9999


なんか変な音入っていない?


 mizuno_sat1102


 @drrrrrrrrrr9999 入ってますね。音ってか、声みたいなのがずっと。




xxx6969


今回も動画内に声が入ってる。キモい。








 コメント欄を見ると、他にも音について言及しているものがあった。自分だけではないという事で安心したが、それらに対して紗枝からの回答は一切されていない。彼女の意図が全く分からなかった。直接彼女に尋ねようかとも思ったが、なんとも言えない不気味さのせいで気が進まなかった。




 次の日、また動画が投稿された。


 お座りしているチャムの顔をただアップで映し続けているだけの内容だったが、BGMや紗枝の声など一切ない、無加工無編集の動画だった。にも関わらず同様の声のようなものは今回も入っていた。


 他に音がない事で一番クリアに聞く事が出来た。しかしそれでもはっきりと内容は聞き取れなかった。ただ一つそれでも明らかになった事がある。やはりそれは声である事。そしてそれを囁いているのは、おそらく紗枝自身であるという事。




 今回の動画内容についてはチャムの事ではなく、この謎の声についてのコメントが多数を占めていた。気味が悪い。気持ちが悪い。何て言ってるんですか?


 声に関する様々なコメントで、今までとは違う意味で動画が賑わっている状態だった。しかしその中で一際気になるコメントを見つけた。






xxx6969


この女ヤバイ。やりやがった。






 他の動画でもずっと前から音についてコメントしていたユーザーの一人だ。他にも彼のコメントが気になり返信しているユーザー達のメンションがそこに連なっていた。彼はそれらに一気に答えるかのようにコメントを連投していた。






xxx6969


「おつかれさまでした」って有名なスレがある。


この女がやった事はほぼそれと一緒だ。これは呪いだ。




xxx6969


この動画の他にも同じような声が吹き込まれてる。


何て言ってるのかは分からない。でも今回の内容で声だとはっきり分かった。


まるで呪文みたいに何かを言ってる声だ。




xxx6969


この動画を見てから最近体調が悪くなったりしているやつはいないか?






 彼のコメントに他のユーザー達は騒然としていた。そう言えば私も自分も、といったコメントが書き込まれ出した。そして何より私自身も恐怖で染まっていた。


 体調不良が始まったのは、一体いつ頃だったか。




 私は慌てて紗枝から送られてきたIineを確認する。そして送られてきたチャムの動画を開く。














 ごもごもおもごももごもごおごもごもごもごごもごもごも。












 すっと血の気が引いた。


 これは一体、どういう事なのか。






 TigTogのコメント欄に戻る。体調不良を訴える人がいる中、全く大丈夫だと言う人もいた。これに対して彼は次のようにコメントしていた。






xxx6969


おそらく条件がある。何かの条件を満たしているものが呪いの対象になっている。






 呪いの対象。動画を見た全ての人間に影響があるわけではないという事か。


 しかしそうなると、私は呪いの条件を満たしている事になる。






xxx6969


おそらく条件がある。何かの条件を満たしているものが呪いの対象になっている。


 drrrrrrrrrr9999


 @xxx6969 条件って?




 xxx6969


 @drrrrrrrrrr9999 はっきりとは分からない。でも俺は対象らしい。心当たりはあるが、こんな所では言えない。








 条件。条件って、何だ。






 ぽん。






「ひっ……」




 Iineの通知音。


 紗枝からだった。開いて、いいのだろうか。でももう呪いの対象に自分が含まれているのであれば、何にしても手遅れだ。私は意を決して画面を開いた。






『一花、ありがとうね。でもバレちゃった』




 灰色が黒色になった瞬間だった。




『条件って、何?』




 もう私は言葉も選ばなかった。




『浮気、裏切り、って所かな。一花も心当たりあるみたいだね』




 あぁ、やっぱりそうなのか。


 そうだ。私自身は正当化しているが、私の行為は浮気になるだろう。


 いくら付き合っている彼がダメだろうと、彼との縁を切らずままにアプリやら何やらで色んな男を探し手を出し、場合によっては身体を共にし相性を確認した。罪の意識などない。自分の幸せ、将来の為、自分の為のどこまでも独善的な行為。




『凄いね。みーんな悪くなってる。こんなにも世の中汚い人間ばかり。そりゃ信用なんて出来ないよね。ちょっとはチャムで綺麗に出来たら良かったんだけどね』




 という事は、チャムはその為の道具でしかなかったというのか?


 紗枝、そこまであなたは、壊れてしまったの?




『チャムがいれば、何もいらない』










xxx6969


【cham_charm】 


直訳したら「チャムのまじない」ってとこか? 初めから無差別で呪うつもりでつくられたアカウントだったのか。とんでもねえ女だな。






  




 ぷつっと通話が切れた。


 終わった。私は、これからどうなるのだろう。

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