さよなら青春、そしてようこそ青春。
絶望太朗
プロローグ
出会い
人生というのは退屈だ。
起床し、朝食をとり、歯を磨き、学校に行き、昼食をとり、帰宅し、夕食をとり、風呂に入り、歯を磨き、そして寝る。同じことを繰り返すだけの日々は退屈なことこの上ない。
普通は、友人や恋人を作って遊んだり、趣味や特技にお金を費やしたり、将来の夢に向かって努力したりと、各々のやり方で人生に彩りを添えていくのだろう。
…………俺の場合は違った。ただただ、生理現象と義務感に従うだけの毎日を送っていた。
もちろん、望んでこんな生活を送っているわけではない。俺だって、自分の人生に彩りを添えようと色々努力をしてきた。
同級生に声をかけて人間関係の構築を試みたり、様々な娯楽に手を出して趣味を見つけようとしたり、いっぱい勉強して自分がなりたいものを探したりした。
結論から言うと、すべて徒労に終わった。
声をかけても同級生からは白い目で見られるだけだった。娯楽に手を出してもいまいち熱が入らなかった。将来的になりたいものがないからそもそも勉強がはかどらなかった。
何をやっても長続きせず、結局、生理現象と義務感に従うだけの毎日がやってくる。
退屈だった。苦痛だった。虚しかった。毎日、同じ景色を見せつけられるのはもううんざりだった。
結局このまま青春というものを体感することなく学生生活を終えるのだろうと、そんな予感がしていた。
しかし、高校生活も三年目に突入したとき、俺の生活に僅かな変化が訪れた。
それは帰りのホームルームが終了し、いつものように誰とも言葉を交わさずに教室を出て、帰路に就こうと昇降口にやって来たときのことだった。
「こんにちは、
「―――え?」
聞き覚えのない女の声に、俺は思わず情けない声を上げてしまう。
授業中やホームルームに教師から声をかけられるとき以外、俺の名前が呼ばれることなんて滅多にないため、意表を突かれた形だ。
「えっと……俺に何か用?」
理由もなく声をかけてくるような人物に心当たりはない。当然、何かしらの用事があって声をかけてきたのだと思ったのが……。
「ん-、まあないことはないんだけど……逆に用がないと声をかけちゃいけないかな?」
実に呑気な答えが返って来た。正直、イラっとしてしまう。
まともな学園生活を送っていれば、これぐらいの些細なやり取りは日常茶飯事なのかもしれない。だが、事務的なやり取りしかしてこなかった俺にとって、何も進展しない会話はただただフラストレーションが溜まるだけだった。ましてや、知らない人と雑談をこなせるようなスキルなんて持ち合わせていない。
「俺とお前は身のない会話を交わすような間柄じゃないだろ。良いからさっさと用件を言ってくれ。そうじゃなければほっといてくれ」
強めの口調でそう言いながら、俺は上履きから外履きに履き替える。
つっけんどんな物言いと、素っ気ない態度を以て、これ以上雑談を交わす気はないという意思を言外で示した。
これで本当に大した用事がないのならさすがに引いてくれるだろうし、逆に用事があるのならさっさと本題に入ってくれるはず。
俺は振り返ることなく、昇降口を出る。
十数歩ほど歩を進めると、やがて後ろから小走りで追いかけてくるような足音が聞こえてきた。
その足音の正体が例の彼女であると判断し、俺はその場に立ち止まる。するとそれに呼応するかのように、足音もパタリと止んだ。
数秒の沈黙ののち。昇降口のときの明るい声色とは一変して、酷く冷静で大人びた声で彼女は囁くように言った。
「放っておけるはずがないよね。―――目の前に、自殺しようとしている人がいるのに」
「…………っ」
あまりに突飛な発言に、俺は絶句してしまう。
驚愕。焦燥。動揺。様々な感情が綯い交ぜになり、俺の心がぐちゃぐちゃになる。
誰にも心の内を見せたことはない。というか見せる機会なんて皆無だったはずだ。なのに、なぜ彼女は知っている?
「…………わかるよ」
まるで俺の心の中を読んでいるかのように、彼女はぽつりと呟いた。
「君の目は、文字通り現実というものを直視していない。目の前で起こった出来事や、あるいは人物に対しても直視することなく、いつもどこか遠くを眺めている。まるでありもしない虚空の景色を眺めているかのようなその目は全く生気が感じられないから、見ていて不安になるんだよ」
「……抽象的でよくわからないな」
「例えるなら、勉強嫌いな生徒が授業そっちのけで窓外の景色をぼーっと眺めるのと同じだよ。目の前で起こっている『授業』という時間から目を背け、何を目的とするわけでもなく、ただただ漠然と外の景色を見ているかのような……そんな目。そしてそんな目をしている人は、みんな同じようなことを考えてるんだよ―――」
―――こんな時間、早く終われば良いのにって。
「授業という時間は、黙っててもすぐに終わりの時がくる。だけど現実という時間を終わらせるには―――」
「―――死ぬしかないってことか」
「……そういうこと」
なるほど。ようやく理解することができた。
そうか。俺は普段からそんな虚ろな目をしていたんだな。自分自身を客観的に見ることなんてないから、自覚はなかったが。
「お前の言う通りだよ。俺は俗に言う自殺志願者だ」
そう素直に白状すると、彼女の息を飲むような音が聞こえてきた。あれだけ自信満々に語っていたのだから確信はしていたはずだが、こうして改めて言葉にされると色々と思うところがあるのだろう。
「それで。俺が自殺志願者だとわかったところで、どうする? まさか慰めの言葉でもかけようとか思ってる?」
家族や友人が悲しむよ。頑張って生きていればきっと良いことがあるって。そんなちんけな言葉を貰ったところで、俺の心に響くことは一切ない。
いじめ、お金、人間関係。そんなわかりやすい理由であれば、もしかしたら悩みを解決するノウハウのひとつでも持ち合わせていたかもしれないが、俺の場合はそのどれでもない。
故に、彼女からどんな言葉をかけられたって何も変わることはない。
そう。思っていたのに―――。
「ねえ、部活入らない?」
「……え?」
彼女の突然の提案に、俺は面食らった。
いきなり何を言い出すんだろうか。そう疑問を呈しようと、俺はようやく振り返る。すると視界に、口元を緩め穏やかな表情を浮かべる一人の女生徒の姿があった。
「ようやく、見てくれたね」
「―――⁉」
…………思えば、俺は初めて彼女の素顔をまともに見たような気がした。
腰まで届くほど長い黒髪が風に揺れている。目鼻立ちは整っており十分美人の部類に入る容姿をしているが、若干細めの切れ長の目から放たれる視線は些か鋭い。身長はおおよそ一七〇センチ弱と女子にしては高いものの、制服のブレザーの袖と、ロングスカートからわずかに覗いた肌はやけに白くて細いため、病的な不安を感じさせた。
そんな彼女は今でこそ無邪気な笑顔を浮かべているが、何となく落ち着いた佇まいと、先程の冷静な口調も相俟って、幾分か大人びた印象を抱かせた。
―――君の目は、文字通り現実というものを直視していない。目の前で起こった出来事や、あるいは人物に対しても直視することなく、いつもどこか遠くを眺めている。
ここで先程の彼女の言葉が脳裏を過った。
……なるほど。俺は現実を直視していなかったから、彼女の姿を一度もまともに見ていなかったのか。
だが、今の俺はしっかりと彼女の姿を捉えている。それは即ち、現実というものを直視しているということだ。
―――ねえ、部活入らない?
俺が現実を直視するきっかけとなった彼女の一言である。
部活。そんなさして珍しくもない単語に、俺の心は惹かれたのだ。
俺の人生に全くと言っていいほど縁がなかった、青春っていうやつを味わえるのではないかと、期待に胸を膨らませている自分がいた。
人生においてやりたいこともやるべきこともなかった俺にとって、生きるという行為に何の価値も見出せていなかった。だから俺は死のうと思っていた。
しかしたった今、俺はやりたいことが見つかってしまった。それはつまり、死ぬ理由がなくなったということだ。
「部活……入るよ」
故に、彼女の提案を断る理由はなかった。
素直に承諾の意を示すと、彼女は心底嬉しそうに頷いてくれた。
「うん! よろしくね!」
こうして俺は、高校三年生にして初めて『青春』というものを体感することになったのだ。
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