怪談作家の怪異相談室

他山小石

呪い問答

 畳に座布団の和室で、テーブル越しに二人の男が向かい合う。

「呪いというものは本当にないんですか」

「いやあるよ」

 スーツ姿の思いつめた男とジャージ姿のとぼけた眼鏡。


 眼鏡の男は「またですか」とため息をつく。

 陰陽道をかじった怪談作家、 馬頭千行(ばとうせんぎょう)は定期的に心霊相談を受けている。

 相場の3分の一だ、と本人は言っている。評判がいいらしく、そこそこ多くの依頼人が訪れる。


「ではどのように呪えばいいんですか」

 先生、と呼ばれ、ジャージ姿の男は頭をかきむしる。

 

「あれは手続きが面倒なんだよ」

 面倒そうに答える。

「誰もが嫌悪するような、 モチーフ等を煮詰めて、固めて。必要な形にして、……任意の方向に飛ばす」


 スーツ姿の男は返事もせず聞いている。

「流派で異なるが基本はこんなものだ」


「ではその通りにやればいいんですか」

「いやそうでもない。そうだな……呪いは相手の心身に不調をもたらす」

 うーん、と顎に手を当て「先生」は答えた。


「例えば陰口でもそうだ。理不尽な陰口、現代だとネットでの炎上なんかそうだね。あれは呪いの一種みたいなもんだ」

 あれは、どういう形になっていくかわからないから怖いよね、と。


「だがそれも受け取らなければダメージはない」

 酷い言葉も、見なければ、聞こえなければ。


「受け取る側に、受け取る能力がなければ意味もない」

 文字が読めない。読んでも理解できないならば。


「別の言い方をすると繊細な奴ほど受け取って傷つき、鈍感な奴ほど迷惑を振りまく」

 また一つ、ため息。

「呪いは効かないが、迷惑な奴ほど。あー、存在そのものが呪いみたいなもんだ」

 多くの人々に呪われても本人には届かず、周囲を漂い、鎧のようになる。


 スーツ姿の男はうつむいて、弱弱しい声でたずねる。

「俺はどうしたら……」


「例えば近くの公園で自殺があったよね」

「……」

「それも駅前の通り魔が自殺したんだよね」

「……」

「男の幽霊が出ると噂されてるね」

「……」

 小さい公園。人通りも少なく、古い遊具とベンチ、後はいくつか木が生えている。そこで首を吊ったのだ。


「駅前で女を何度も殴って、何か喚きながら逃げ出して、ついに公園で一人で首を吊った、男の幽霊だそうだ」

「知ってます」


「君は呪いの専門家じゃないよね。でも呪いは素人でもかけられる」

 テーブルの上には冷めたお茶が二つ並んでいる。


「その呪いは本当に受け取るべき人の元には向かわず、別の誰かを苦しめる」

 静かな部屋で、説明を続けた。


「僕の頭の中には別の話が浮かんでくるんだよね」



「駅前で襲った女は男にとって誰でもよかった相手ではなかった。三年付き合った後、必ず返事をするからといって、そのまま消えた女」

「そして二年後、街中で偶然見かけた女の薬指には指輪があった」


「知らないうちに女は既婚者になっていた。だがそんなことは周りの人々は知らない。通り魔に襲われた可哀想な女と頭のおかしい男にしか見えない」

「この男は、哀れな被害者でもあったのだ。 男の無念はどれほど大きなものだったか」

 先生は、首を鳴らして、不機嫌そうに答える。


「ただね。女は男のことを忘れていたのだ。どんなに男が思っても女にとってはもうどうでもいい存在だった。それどころか殴りかかってきた加害者」

「男がどんな言葉を投げかけても受け取ることはない」

 軽く咳ばらいをして先生は続けた。


「その先が問題だ。困ったことにマスコミは大きく報道してしまった」

 そして。

「心霊スポットとして噂は広がった」


「人々の思い込みが男を縛り上げるんだ。頭のおかしい通り魔が死んでも、なお現世に残って、何年も。近づく人々を呪っていると」

「頼んでもないのに、人々の思いが呪いに形を与えてしまった。本来一人の呪いなんてそこまで大きいものではない。そこに力と形を与えてしまった。最初はなかったものなのに」

 大きくため息をつく。スーツ姿の男はじっと動かない。


「シンボル、象徴を用いた呪いは、心の共鳴現象なんだよ」


「嘘でも多くの人々が思い込めば、一つの大きな力になってしまう」


「本来の相手には決して届かないのに。だから呪いというものは虚しいものなのだよ」


 ようやく男が口を開いた。


「呪っても意味はないと」


 先生は、ああ、と答える。

「この場合はそうだね」

「先生、あの世というものはあるんですか」


 うーん、と一息ついて、僕はいったことはないからね、と。


「ただね。一つ言えることは、あったとしても我々には感知できないということだ」

 男は返事を待っている。


「例えばあの世があって、僕たちは今ここに居る。それは大きな屋根の下、建物の中にいるのと同じことなんだよ」


「家の中にいるのに、屋根を外から確認できる人なんかいないだろ」

 男は動かない。

「実際に、外に出なければわからないもの」


 男はうつむいたままたずねる。

「では外に出れば」


「中でとどまって苦しむよりも、正しい選択だと思うよ」


 男の中で何か、決着しがたいものがある。

「それは……」


 先生は提案する。

「僕が、真相を書こう。届かなくても、形を残そう。そうすれば……」



 男はいつのまにか消えていた。




 人の世で呪いに包まれて、地獄を味わうよりも。

 行くべき場所で眠ればいい。

 眼鏡をいじり、浅くため息をつく。


 二つだけ。言いたいことがあった。


 せめて、生きてるときに来てくれたら……。

 あとは。

「依頼料……」

 

 いつも通りだった。


 彼は、こうして消えていくはずだった魂の記録を続ける。

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