シャクティ=ブラフマー
「――暇だわ」
いつものようにギルドハウスのカウンターで紅茶を飲みながら、ふと呟いてみる。
声に出したところで、何か変わるワケでもないけれど。
「暇」
エルシンキはザ=ナ王国の西端に位置する小さな町だ。
森の奥にひっそりと在る、人口千人を回るかどうかの片田舎。
一帯の森は豊かで、年中食べるには困らない。魔獣除けの外壁も上手く機能している。
治安だって悪くない。寧ろ十分に良いと言えるだろう。
まさしく、平和を絵に描いたような町。
だから必然、自警団を兼任する
何せエルシンキ支部に属する探索者はたったの十人。
その上、単身でブラックドーベル級の魔獣と渡り合える人材は、精々二人か三人。
こんな現状ですら、舞い込む依頼を片付ける人手は足りている。
本当、欠伸が出るくらい平和。
お陰で職員の私が手掛けるべき事務仕事などの案件も、微々たるもの。
他の支部と比べれば、それこそ雀の涙。
にも拘らず、日中の大半をティータイムに費やすだけで悪くない額の給金が貰える。
実に安定した、然したる労も伴わない、割の良い仕事。
「でも、あんまり暇過ぎるのも考え物よね……」
今日も汗水流して働くヨルハに聞かれたら、怒られそうな独り言。
退屈が招いた溜息を飲み込んで、ティーカップを満たす赤い水面を揺らした。
太陽が真上に昇る少し手前の頃合、ドアベルが鳴る。
ずかずかと騒がしく踏み入って来たのは、顔馴染みの
「どうもブラフマーさん! 本日もお日柄良く!」
「アニキ、いつもながら声でかいっす。些かキモイっす」
「気を惹こうと必死なのよ。涙ぐましい無駄な努力よね」
「おめーら、うるせーぞ!!」
貴方の方が煩いです、と小さく声に出してみる。
彼等はここ一年くらいエルシンキに滞在する、物好きな
それぞれ名前は、鎧姿に大剣を担いだやかましい男がカスパール。
薄着の上に分厚いマントを被った、露出狂予備軍の赤毛の女性がニルヴァ。
体格に不釣合いな大荷物を背負った小男が、ノックスという。
ちなみに苗字は覚えてない。書類に控えてはあったと思うけど。
正直、あまり興味も無い。
「本日は如何な御用件で? 手頃な依頼は今のところありませんが」
出来ればさっさと帰って欲しい。
醜男に色目を使われても、鳥肌が立つだけだし。
「へへへっ。いや、こいつを引き取って欲しくてですね!」
えらく勿体ぶった調子でカウンターに置かれた、竹編みの籠。
その中で縮こまる、銀色のシルエット。
怯えを湛えたつぶらな瞳と、目が合った。
「……シルバーラビット?」
「ええ! 森を見回ってる時、たまたま見付けましてね!」
生け捕りなら三万ガイル近い高値で取引される希少動物。
ずば抜けて素早く、そう簡単には捕まらないと言うのに、よくやったものだ。
以前にも黄金林檎を探し当てたことといい、相当な上り調子なのだろう。
景気が良くて羨ましい限り。
「分かりました。輸送の手続きをしておきます」
「お願いします! ところで、今晩良ければお食事なんか……」
「申し訳ありませんが、今宵は酒場の仕事が控えていますので」
用が済んだなら帰れ。
昼。ヨルハの分と一緒に作った昼食を済ませる。
今日のメニューは、直々にリクエストされたハンバーガー。
手軽に食べられて腹にも溜まる労働者の味方……とは彼の弁。
まあ、ヨルハは何を出しても美味い美味いと平らげるんだけど。
作る側からすると、少しばかり張り合いに欠ける。
美味しいと言われて、悪い気はしないが。
「見た目も私好みだし」
私にとって容姿とは、謂わば試験の答案用紙に書く名前のようなもの。
どれだけ答えが完璧だろうと、名が汚くて読めなければ零点以下。
読める程度の名前が書いてあって、そこで初めて採点を始めるに値する。
高慢と思うだろうか。性悪だと思うだろうか。
だけど、そもそも人間は美点や長所より、欠点や欠陥の方が遥かに多い生き物。
ならせめて、外見くらい念入りに選り好みしても罰は当たらないと思う。
第一、男の側だって、その辺は私と大きく変わらないだろうし。
不細工に好かれて嬉しがる男なんて、少なくとも私はお目にかかったことが無い。
結局のところ、見てくれが何よりも優先される。
そうじゃなきゃ、こんな愛想の欠片も無い女、一体誰が相手にすると言うのか。
「でも、やっぱり中身もある程度は考えるけど」
夕刻。そろそろ帰り支度を始める時間帯。
変わり映えしない内容の報告書を纏め、戸棚の鍵を閉じる。
「お前は、どうしようか」
籠の中のシルバーラビットを見下ろす。
図太いもので、震えていたのは最初だけ。今など丸くなって寝息を立てている。
兎は臆病と相場が決まっているけれど、やはり野生たるもの強かさが肝要なのだろう。
取り敢えず、餌と水を与えてギルドハウスで一夜過ごさせることに。
明日の早朝あたり、都市行きの馬車へと乗せればいい。
精々、可愛がってくれる金持ちに買われることを祈りなさい。
「――ようシャクティ! ご機嫌如何かな!」
「かなー!」
妙に上機嫌な、けれどどこかくぐもった声音。
振り返ると、黒い妖精を引き連れた熾火色の髪の男。
つまり、ヨルハとクララが居た。
「どうよこれ! このハーフマスク! こないだの収入で買っちゃった!」
「ちょーカッコいいよね!」
顔の下半分を覆う、顎骨を模したデザインの面頬。
身に着ける者を選ぶ意匠だが、悪くはない。
と言うか見覚えがある。ギルドから雑貨屋に販売を委託した魔具のひとつだ。
確か、装着者が吸う空気を清浄なものへと整えてくれる効果があった筈。
「はいはい素敵ですね。で、幾らしたんですか?」
「五千二百! トクさん、三百ガイルも値引きしてくれたんだぜ!」
要するに、前の銀箱で得た金を殆ど注ぎ込んだことになる。
悪い買い物ではないにせよ、少しは後先を考えて行動すべきじゃなかろうか。
「……クララも何か買ったんですか?」
「んーん。ボクはしばらく貯金しとくの」
お気楽極楽な妖精の方が余程しっかりしている事実。
いっそ面白くて、少し笑ってしまった。
「ふふっ……もう閉めようと思っていたところなので、一緒に酒場まで行きますか?」
「お? おお、そうだな。働きまくりで腹減りまくりだわ。今夜は何食おっかな」
「ボク、シチューがいいー!」
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