発想の転換






 迷宮メイズで見付けた銀箱を、十日で開ける。

 昨晩、酒の席にて交わした約束を思い返しながら、ヨルハは悩んでいた。


「一ヶ月って言っとけば良かったかな」

「同じことだと思うけど」


 複雑な縫製の衣服を脱ぎ、繕う手を止めぬままクララが返す。

 必然、裸身をヨルハに晒しているのだが、双方共々気にした様子は窺えない。

 まあ日頃、平然と男湯に着いて行く時点で今更なのだが。


「忘れたの? キミが何をやっても、あの箱は開かなかったんだよ?」


 瞼を閉じれば克明に蘇る、つい先日味わった苦渋と辛酸。

 殴ろうが、蹴ろうが、噛み付こうが、拝み倒そうが、びくともしなかった銀の宝箱ギフト


「忘れるかよ! あんにゃろう、箱の分際で人間様に楯突きやがって!」


 指輪の収まっていた鉄箱も開けるまでに苦労したが、針金でどうにかなった。

 今にして思えば、あれはあの迷宮に於いて最上級の大当たりだったのだろう。

 まさか、あんな指輪に一万ガイル以上もの価値があるなどと、夢にも思わなかった。


「つっても俺のネックレスなんて値引きされて三万だからな」


 どうにも美的感覚の合わぬ首飾りを掴み、椅子諸共に仰け反る。

 その辺を考えたならば、寧ろ安価な部類か。

 何れにせよ、百ガイルで一喜一憂するヨルハにとっては目玉の飛び出る大金だけれど。


「大体、なんでそんな拘るのさ。いいじゃん別に、返して貰えば」

「駄目だね。ま、分かってくれとは言わねぇよ」


 直し終えた服を着込んだ後、ヨルハの肩に止まるクララ。

 実も蓋も無い言い分を、にべも無く突き放す。


 そんなヨルハの頑なな態度は、周りからすれば意固地と映るやも知れない。

 実際、他ならぬ本人も自覚はある。譲る気が無いだけの話。


 何より。知っているのだ。


「……今更、取り上げられっかっつーの」


 ここ数ヶ月、誰よりも長くシャクティと時間を過ごした彼は、知っているのだ。

 彼女が本心では、どう思っているのかを。


 ふとした瞬間、彼女があの指輪を、嬉しそうに何度も眺めていたことを。






「なートクさんよぉ。どんな錠前でも開けられる鍵って無い?」

「無いねー」


 部屋で唸ったところで妙案など浮かばない。

 故、前進の取っ掛かりを求め立ち寄った雑貨店。

 半ば冗談で手向けた問いの答えは、やはりと言うか全くの予想通りだった。


「もし持ってたら、殺してでも奪い取ろうって人達がわんさと押し寄せてるだろうねー」

「ですよねー」


 似た効果を持つ魔具もあるにはあるらしいが、王室が厳重に管理しているとのこと。

 悪用された際の被害を考えれば、確かにそれが順当。

 あらゆる錠に通ずるマスターキーなど、とても世に出回らせて良い代物ではない。


宝箱ギフト専用の鍵ならあるよー。鉄箱にしか使えないけどねー」

「俺が開けたいのは銀箱なんだよなぁ……」


 中規模、小規模の迷宮メイズで銀箱が発見されることは稀。

 そのため、値が張る銀箱用の鍵など仕入れるだけ無駄。


「注文すれば取り寄せられないことも無いけど、届くまでに三週間はかかるかなー」

「やっぱ一ヶ月って言っておけば良かった!」

「あと、一本で五千ガイルだよー」

「どっちにしろ買えねぇじゃんか畜生!」


 地獄の沙汰も金次第。

 所詮この世はどこまで行っても金金金なのだと、ヨルハは絶望する。


「金を稼ぐにも金が要るとは……ふざけた世の中だぜ、全く」

「元気出してヨルハ! ほら、鍵開けの極意が書いてある本を見付けたよ!」


 相方を元気付けようとして課、黒文字で題が記された薄い背表紙を指差すクララ。

 ボミットエイプでも分かるピッキング術、とそこにはあった。

 これを極意書と呼ぶのは、幾らなんでも各方面に失礼であろう。


「あーそれ、欲しいならあげるよー。もう処分しようと思ってたやつだしー」

「いいの? やったねヨルハ、この本を読んだら銀箱も開けられるよ、きっと!」

「や、無理だろ常考」


 ぱらぱらページを捲って流し読むと、タイトルに反し内容は割と真面目なもの。

 しかし、多少ピッキングを齧ったところで、通用するとは思えなかった。


 何せ銀箱。

 ミリ単位の手ぶれですら即失敗に繋がる、探索者泣かせのデビルボックス。

 さしものヨルハとて、付け焼刃でどうにか出来ると考えるほど間抜けではない。

 事実、先日は針金で鍵を開けようと試みたけれど、全く手応えを感じられなかった。

 等級が一つしか変わらないにも拘らず、鉄箱とは比較にならない相手だった。


 分かり易く大雑把なステータス要求値で言えば、技巧D+以上。

 成長限界込みならギリギリ届くが、現状Eランクのヨルハでは手も足も出ない。


 八方塞か。

 ガラにもない熟考で些かの頭痛を覚えつつ、嘆息するヨルハ。


「――待てよ?」


 されど、捨てる神あれば拾う神あり。

 高くより雫が滴るように天啓を得たのは、俯きかけた瞬間のことであった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る