【09】カガミさまの正体


 時間は冒頭に戻る。


「グェエエエエエ……」

 篠原は奇声をあげたあと我に返った。周囲いた警官たちが驚いた様子で自分の方を見ていた。それらの視線を絶対零度の睨みで蹴散らすと、篠原は咳払いをして茅野との通話に戻った。

「……それで、どういった状況なのかしら?」

『犠牲者は東京から来たテレビ局のロケ隊ね……』

 と、茅野が淡々と現状報告をし始めた。

 それに耳を傾けながら、篠原は考える。茅野はさっきの奇声について、どう思ったのだろうか。まったく言及されなかった事で、逆に恥ずかしくなってくる。顔が火照り、いまいち話に集中できなかったが、聞く限りではかなりの大事になっているようだ。

 生存者三名のうち、二名が憑依されており、早く除霊しないと命が危ないらしい。しかし、九尾天全の見解だと、その二名に取り憑いた霊は巧妙に正体が隠蔽されており、そのせいで除霊が困難なのだという。

『……そういう訳で、すぐに動ける霊能者を手配した方がいいわ』

 篠原は九尾と連絡を取ったのなら、なぜ九尾に頼まないのかと質問し掛けて口をつぐんだ。もう、いい加減、九尾天全がどういう人なのか解って来ていたからだ。きっと晩酌中だったのだろう。そもそも、彼女は例の阿武隈邸から押収されたおびただしい呪物の処理に掛かり切りで、昨今はかなりお疲れ気味であった。

 ここは九尾ではなく、腕利きの“狐狩り”である田中太夫に頼むべきだろう。彼ならすぐに動けるはずだった。

「……それで、その氏神の使いの正体は、解っているのかしら?」

 この質問に茅野はあっさりと答える。

『ええ。正体は蛇よ』

「蛇……本当なんでしょうね?」

 茅野の博覧強記ぶりと推理力については、篠原も認めていた。しかし、彼女は霊能力を持ち合わせていない普通の・・・女子高生・・・・なのだ。一応、そう思った根拠を聞いておく事にした。

『そもそも、この村に着く前から、赤目家の氏神は、蛇に関係があるのではないかと推測はしていたわ』

 と、茅野が言い終わると、桜井の『なんで?』という声が少し離れた場所で発した声か受話口から聞こえた。茅野が答える。

『この辺りには蛇に関する地名が多いからよ。例えば“蛟谷集落”の“蛟”は、水に関わる竜神、または蛇神の事だし、“泥月キャンプ場”の“ぬかづき”は、硫酸の酸に脳漿のうしょうの漿と書けば、鬼灯ほおづきの古名の一つとなるわ』

『鬼灯と蛇って関係があるの?』と桜井の声がして、茅野は『ええ』と返事をしてから話を再開する。

『鬼灯は昔から、赤蝮あかまむしの頭に形が似ているとされ“加賀智カガチ“や“赤加賀智アカカガチ”などの別称もある。この“カガ”は蛇を意味する古語ね』

『あー、カカショニ』と、何やら納得した様子の桜井の声が聞こえた。茅野の解説は続く。

『……更に“八十上村”なのだけれど、これは日本神話に登場する大国主おおくにぬしの兄弟にあたる神様の総称である八十神やそがみという言葉を連想しがちだけれど、本来は“やそがみ”ではなく“やとがみ”と読むのだったら?』

 そこで篠原は、はっとして言葉を返す。

「“やとがみ”といえば、常陸国ひたちのくに風土記ふどきに登場する夜刀神やとがみの事ね?」

『そう。夜刀神は有名な蛇神ね。そして、日本神話に出てくる八岐大蛇ヤマタノオロチについて、古事記には次のような描写があるわ……』

 と、前置きして茅野はそらんじる。

『彼の目は赤加賀智・・・・ごとくして、身一つに八頭八尾有り』

赤加賀智アカカガチは鬼灯……つまり目が赤い……」

『その通り。赤目家の家名は間違いなくここからね。そもそも鏡の語源も、蛇の目を表す“カガメ”という言葉が由来という説があるわ。だから、私には“カガミさま”の正体が蛇神である事は、半ば確信していた。そして、九尾先生から、氏神の使いの正体が、その氏神を象徴する何かの動物であると聞いたとき、自らの推測が正しいと確信したわ』

『どゆこと?』

 と、桜井が促し、茅野は語り出す。

『玉城さんは、氏神の使いの見た目について、般若の面を着けていると言っていたけれど、それは般若ではなく“真蛇しんじゃ”なのではと考えた』

『しん……じゃ……?』

 と、桜井が疑問系の声をあげ、茅野は解説し始める。

『能で使われる怨霊面の一つで、般若より更に嫉妬心が強くなり、蛇となった女を表しているというわ。“道成寺”などの演目で使われる。般若とそっくりだけれど、耳がないなどの違いがあるわ。九尾先生が“普通はどこかに動物の痕跡が残っている”と言っていたけど、たぶんこれね』

『般若ってパワーアップすると、蛇になるんだねえ』

 その桜井の呑気な感想のあとで、篠原は声をあげた。

「……兎も角、そのロケ隊のスタッフに憑依した氏神の使いの正体は、蛇であるというのは納得できたわ」

『霊能者さんに、伝えておいて頂戴。それから私たちは、もう一人の憑依されたスタッフを確保しにいくわ。もちろん止めないわよね? 時間がもったいないし、ここには私たちしかいない。貴女もすぐには動けない』

 篠原は思わず「ぐぬぬ……」と声に出して言いそうになった。

『……安心して。余計な事はせずに、ちゃんと後から来る霊能者さんに引き継ぐから。それから、最後に一つ忘れていたわ……』

「何?」

『何かずいぶんとストレスが溜まっているみたいだけど……』

 きっと、思わず奇声を上げてしまった件だ。篠原の頬が再び熱くなる。

『たまには、ゆっくり休むといいわ』

 そこで通話が打ち切られた。

 篠原はそこで歯軋りをしながら地団駄を踏む。

「誰の! せいだと! 思って! いるんだ!」

 しかし、今宵、彼女たちが八十上村にいかなければ、更なる犠牲者が出ていた可能性が高い事も事実である。

 篠原は複雑な気分のまま田中太夫と連絡を取って、事の経緯を説明した。




 通話を終えた茅野に玉城は、ずっと不思議に思っていた事を質問する。

「あの……」

「何かしら?」

「何故、私が喫煙者だって解ったの? それも何か関係があるの?」

 茅野はそれがまるで自明であるかのように述べる。

「蛇は昔から煙草が苦手だと云われているわ。恐らく鏡を見たのに、貴女だけ氏神の使いに取り憑かれなかったのは、喫煙者だからじゃないかと思ったの」

「なるほど……」

「もっとも、蛇は煙草が苦手というのは科学的な根拠はないのだけれど、今回の事を考えると単なる迷信という訳ではなく、何か霊的な“相性”が関わっているのかもしれないわね」

 そう言って茅野は微笑む。すると、桜井がまるで蝉取りに行く子供のような調子で声をあげた。

「そろそろ、もう一人の人を探しに行こうよ」

「そうね。取り敢えず、赤目邸へと行ってみましょう。玉城さん、案内を頼みたいのだけれど……」

 もう、玉城は心身共に疲れ果てていたが、この少女たちと離れる気にもなれなかった。三人で赤目邸を目指して歩き始める。

 最初はあまりの異質さゆえに恐怖を覚えた玉城であったが、さっきの茅野の見事な推理を耳にして考え方を改めた。今回の一件で唯一の幸運は、彼女たちに出会えた事だったのだと……。

 そして、村外れに辿り着き、ライトの明かりの向こうに赤目邸の棟門が見えてきた頃だった。玉城は再び驚愕する事となる。

 門の前をウロウロする、まるでゾンビのような鵜飼の姿を遠目で見るなり、桜井が「うおー!」と可愛らしい声で雄叫びを上げて走り出した。

 それに反応した鵜飼も桜井目掛けて奇声をあげながら駆け出す。

 そして、接敵する直前で、桜井は大きく跳躍し鵜飼の頭部を両手で抑えながら右膝を振り上げる。

 刹那、岩が割れるときのような音がして鵜飼は仰け反りながら倒れ、虚ろな目付きで夜空を見上げたままとなった。

 地面に着地した桜井が振り向いて右手を振る。

「おーい、終わったよー」

 玉城が唖然とする内に、倒れたまま動かない鵜飼を茅野が拘束する。

 このあと、意識を失った鵜飼を桜井が担ぎ、三人でロケバスを停めた扇型の空き地へと戻った。

 鵜飼と見上をロケバスの中に押し込むと、ミラジーノの中で待機する。玉城は二人から、これまでの心霊ロケの裏話や霊体験を根掘り葉掘り聞かれた。

 そうするうちに、蛟谷集落の方から黒いジープに乗った田中太夫と名乗るハンター風の格好をした偉丈夫が現れる。桜井と茅野は彼に一通り事情を説明すると、何事もなく帰っていったのだった。

 そのミラジーノの後ろ姿を見送りながら、田中太夫がぼそりと呟いた。

「あの二人が、あの・・……」

あの・・? どういう事なんです?」

 玉城は気になったので田中に問う。

 すると、田中はミラジーノが消えていった暗闇を見つめたまま言う。

「あの二人がいたという事は、今回も楽な仕事になるだろうな」

 玉城には何の事かまったく解らなかったので「へ、へえー」と気の抜けた返事をするしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る