【File55】八十上村

【00】SAN値チェック失敗


 既に日は暮れていた。

 周囲は静まり返り、見上げれば青白い月光が、夜空の暗雲をおぼろに浮かびあがらせていた。

 それは、錬金術師の家から石化した死体を運び出す作業が始まる寸前の事。震度三程度の地震があった。そのせいで秘密の地下室へと向かうエレベーターが故障してしまい、お陰で三名の警官が取り残されてしまう。その救助作業がようやく始まろうとしていた。

 そんな状況下で篠原結羽は夜闇を背負う錬金術師の家を見つめながら深々と溜め息を吐いて独りぼやく。

「……本当にあいつらときたら」

 あいつらとは、とうぜんながら桜井梨沙と茅野循の事である。

 今回の一件もあの二人が何かをした訳ではない。むしろ、埋もれていた誘拐殺人事件を白日の元に晒したと言えるのだが、篠原はどうにも二人の行いを素直に称賛する気にはなれなかった。

 元々、篠原は県警警備部に所属する普通の警官でしかなかった。しかし、数年前に県内で発生した心霊絡みの事件が切っ掛けとなり“特定事案対策室”と関わるようになった。

 “特定事案対策室”とは、呪いや祟り、怪異、それらの常識では計り知れないものによって発生した事件や事故を“特定事案”と呼称し、その対処や情報操作を主な任務とする特別な部署の事である。

 “特定事案対策室”の存在を知って以降、篠原は県内で、その手の事件が発生するたびに彼らの任務に協力してきた。そして、それは一昨年前の事。ある“特定事案”を切っ掛けに自らにも“資質”があると知る。

 “資質”とは呪いや祟りへの耐性の事で、その有無は特定事案対策室の調査官“カナリア”になる為の必須条件となる。これを持ち合わせていた事により、篠原も県警警備部から正式に“特定事案対策室”へ異動する事になり掛けた。

 しかし、今年の夏前。穂村一樹警視より唐突に“県警に残って、ある人物たちを監視して欲しい”と言われる。

 その“ある人物たち”というのが桜井と茅野あいつら である。

 聞けば最強霊能者の九尾天全と共に、公的記録において最多の犠牲者を出したとされる悪霊“箜芒甕子”を打ち倒した一般人が彼女たちなのだという。

 特定事案対策室は、呪術師などの霊的な驚異を持った人物の監視も行っている。その手の力を持った二人なのかと問うと、穂村は首を横に振る。単なる一般人なのだという。では、何のために監視する必要があるのかと疑問に感じたが、給与など待遇面にも特に問題はなく、断る理由がなかった。

 そういった経緯で篠原は“あいつら”担当官となったのだが、当初彼女は二人の事を舐めていた。

 いくら最強の悪霊を祓うのに一役買ったとはいえ、普通の女子高校生・・・・・・・・なのだから、監視といってもそこまで手間は掛かるまいと……。

 だが、この任務に就いて早々に桜井と茅野がなぜ監視対象とされたのかを思い知る。二人は毎週のように心霊スポット探索に出掛けていって、訳の解らない事件を掘り起こし、そのたびに事後処理をしなければならないので、篠原の仕事はどんどん増えていった。想像を遥かに越えた激務である。

 兎も角、もう篠原はあいつらが普通の女子高校生だなんて欠片も思っていなかった。

 あの二人と関わる事は大災にあったのと同じなのだ。普通の人間は諦めて大人しく日銭を稼いで過ごすしかないのだ……。

「もう、あいつら放っておいてもいいんじゃないかな……」

 しかし、そういう訳にもいかない。この国では祟りや呪い、怪異は法律上、存在しない。よって、存在しなかった事に・・・・・・・・・しなければならない・・・・・・・・・。それも篠原の仕事である。

 この手の事件が起きるたびに辻褄を合わせ、表の報告書と裏の報告書を製作しなければならない。

 事件が解決するならそれに越した事はないと、篠原も内心では思っていたが、もう最近はオーバーワーク気味である。

 最初は単に危なっかしいから、あいつらが心霊スポットに立ち入るのを止めていた篠原であったが、最近ではすっかり解らされていた。

 何にせよ、これ以上、心霊スポットに行って訳の解らない事件を掘り起こされては、こちらの身が持たない。だから、その都度“特定事案”に関わらないように言い聞かせてはいるが、あの二人は完全に、こちらを舐めきっており、話を耳に入れようとしない。

「あー、もう、お願いだから、せめて、あと一月ひとつきくらいは大人しくしていてよ……」

 虚ろな眼差しで木々の間の闇を見つめていると、コートのポケットの中の端末が震える。手に取って画面を見ると茅野循からの電話であった。

 事情聴取や説教を済ませて、あの二人が廣谷から帰路に着いたのは随分と前の事だった。もうすでに帰宅しているはずだ。錬金術師の家で起こった出来事について、何か言い忘れた事でもあるのだろうか。

 篠原は何気ない調子で通話に応じた。すると茅野が開口一番に耳を疑うような事を口し始める。

『今、八十上村という、廃村にいるのだけれど』

「は?」

『人が死んでいるのを発見したわ』

「は?」

『電波が悪いのかしら? えっと、もう一度言うわね』

「ちょっ、ちょっ、待って、今どこにいるって?」

 大人しく家に帰ったのではなかったのか。

『八十上村よ。それで、人が死んでいて……』

 なぜ心霊スポットで死体を見つけた帰り道に、別な心霊スポットで別な死体を見つけているのだろう。もう訳が解らない。理解の限界を超えている。

「グェエエエエエ……」

 篠原結羽の絶叫が轟いた。

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