【11】後日譚


 橋本スガ子の白骨が見つかって以降、橋本帆波は夫と共に県庁所在地にある親戚の家に身を寄せていた。

 自宅の裏庭から失踪したと思われていた母親の白骨死体が見つかったという事件の異常性は、マスコミにとって格好の餌であった。この親戚の家にもマスコミは盛んに襲来してきた。もちろん、取材はすべて断っていた。

 さておき、すぐに茂房の前妻である栖美が逮捕された事により、そちらの方にマスコミの興味は移ったようだ。昨日からマスコミの取材依頼の電話や訪問は途絶えていた。

 因みに夫の茂房は、あの日以来憔悴しょうすいして仕事も休み、寝込んでいる。

 無理もない。ずっと探していた母親の死が発覚したのだ。更に前妻が、その母親を殺害したとなれば、平常心でいられるはずがない。

 何にせよ、そろそろ頃合いかもしれない。

 この日の前日、夫への事情聴取に訪れた刑事から、あの家の裏庭の立ち入り禁止が解除された事を告げられた。

 その一報を耳にした帆波は、あの家へと向かった。電車で藤見市まで向かい、タクシーで自宅を目指した。




 桜井梨沙と茅野循は学校を出ると、速やかに橋本家に向かった。

 門の左横のブロック塀に沿って、自転車を止める。

「誰もいない。鑑識作業も終わっていて、犯人も捕まって犯行を自供し始めたなら、警察もこちらに用事はないと思うわ。好都合よ」

「正々堂々と不法侵入できるね」

 などと、呑気な調子で会話を交わしてから二人は門を通り抜け、裏庭へと回る。すると、死体の埋められた穴は、まだそのままになっており、近くにあった盛り土にはスコップが突き刺さったままになっていた。そして、物置小屋の前にはベージュ色のトレンチコートをまとった女の後ろ姿があった。

 女が二人の気配に気がついて振り向く。橋本帆波だった。

「あら。えっと、桜井さんと茅野さん……」

 彼女はぎこちない笑みを浮かべてコートの右ポケットに物置小屋の鍵を素早く入れた。当然ながら、それを見逃す茅野ではなかった。

「成る程、物置小屋の中ですか」

「なっ、何の事かしら?」

 橋本は明らかに動揺していた。対する茅野は見るからに余裕があり、その口元に浮かぶ笑みは勝利者のものであった。

「……あの白骨死体の身元が十年前に失踪した橋本スガ子さんであると聞いたとき、私は違和感を覚えました。それは、例のブログに、この家の絵が投稿されたのは、橋本スガ子さんが失踪するよりずっと後だったからです。カサンドラが本物の予言者で、例のブログの絵が未来の事件現場を描いたものなら、辻褄が合いません」

「まあそうだよね」

 桜井が声をあげると橋本帆波は、鼻を鳴らして笑う。

「ちょっと、まってよ。予言者? 未来の事件現場? 馬鹿馬鹿しい。いったい何の話をしているの?」

それもですよ・・・・・・

 茅野がしてやったりといった調子で口角を歪めた。

「それも……それもって、何なのよ?」

 その橋本帆波の言葉に茅野は答える。

「例の白骨が見つかった日、私は例のブログを貴女に見せましたね。そのとき、貴女はあのブログを知らない風だった」

「え、ええ。そうね。あんなブログ、あの日、初めて見たわ」

「その言葉に嘘はないのかもしれません。ですが、貴女は、あのブログにアップされている絵がどんな意味を持つのか少なくとも知っていた。私はあのとき、あのブログについて『夢で見た場所を探しています』というタイトルと、ブログ主のカサンドラが、あの絵の場所を探していた事、更に不思議な力を持っていたのかもしれないとしか言っていません。ですが、貴女は、そんな私の言葉に対して『兎に角、私には信じられません。そんな予知とか予言みたいなのは』と言っていました」

 橋本帆波の顔が一気に青ざめる。しかし、茅野の言葉は止まらない。

どこで・・・貴女はカサンドラ・・・・・・・・が予知や予言・・・・・・の力を持っている・・・・・・・・と思ったのでしょう・・・・・・・・・?」

「それは、不思議な力を持っていると、あなたが言っていたから……」

 その言い訳に茅野は首を横に振った。

「私の話だけでは、カサンドラの不思議な力は“夢で遠くの行った事のない風景を見る能力”だと解釈するのが普通ではないでしょうか?」

「不思議な力って言っても色々あるもんねえ……」と、桜井が得心して頷く。そして、茅野は悪魔のように微笑んだ。

「百歩譲ってギリシャ神話のカサンドラとブログ主の名前を結びつけ、私の『不思議な力』という言葉だけで本当に予知や予言を連想したのだとしても、貴女はあのブログが・・・・・・・・・何について予言・・・・・・・したものだと・・・・・・考えたのでしょうか・・・・・・・・・?」

「それは……」

 橋本帆波は完全に言葉に詰まってしまった。そんな彼女を茅野は更に追い詰める。

「兎も角、あのとき、貴女が嘘を吐いているかもしれないと疑った私は、その理由を考える事にしました。なぜ、あのブログを知らないふりをしたのか……そして、私は、ある有名な事件を思い出しました」

 そう言って茅野はスマホをポケットから取り出し、その画面に目線を落とした。

「二〇〇〇年六月、営団地下鉄※※線渋谷駅五番六番線ホームで発生した薬物中毒者による無差別殺傷事件。四十歳男性と二十五歳女性が死亡した」

「そ、それが、何なのよ!」

 帆波の顔色が一気に青ざめる。茅野は構わず話を続けた。

「オカルトマニアの間ではよく知られた話ですが、この事件の前に、まるで犯行を予言するような事を叫び散らしていた女が現場近くにいたそうです。そして、この事件では十九歳の女性が犯人に右手を切りつけられて怪我を負っている」

 その言葉を耳にした橋本帆波は、無意識に自らの右手を左手で覆い隠すように握った。それを見た桜井が目を丸くして声をあげる。

「まさか……」

 茅野は静かに頷いて言葉を続ける。

「あの日、リビングでブログを貴女に見せて、スマホを返してもらったとき、掌に傷痕があるのに気がつきました。あれは・・・このときの・・・・・防御創ですね・・・・・・?」

「あああ……」

 橋本帆波は右手を更に強く握りしめて狼狽うろたえ始めた。茅野は尚も語る。

「……恐らくカサンドラは、夢の場所や、その場所でいつ事件が起こるのかまでは解らなかった。しかし、この無差別殺傷事件については別です。少し調べれば、この場所が※※線五番六番ホームである事は解っただろうし、時刻表や時計、行き交う人々の格好など、日時を特定する情報も沢山ある。カサンドラの目的が、事件を止める事ならば、この場所に居合わせていた可能性が高い。その叫び散らしていた女が本当にカサンドラだったとしたら? それを貴女が・・・・・・覚えていたとしたら・・・・・・・・・?」

「だっ、だから、何なのよ!」

 その問いに、茅野は極めて冷静に答える。

「カサンドラが、この家にどうやって辿り着いたのかは解りません。誰かが例のフリーメールで住所を教えたのかもしれない。兎も角、カサンドラは、この家にやって来た。たぶん、夫が仕事でいない昼頃だと思うのだけれど……」

 なぜ、この茅野という少女は、まるで見ていたかのように真実を語るのか。この少女もまた、あの薄汚い女と同じような不思議な力の持ち主なのか……。

 橋本帆波は続く茅野の言葉に耳を傾ける。

「……そして、玄関口で応対した貴女は、その訪ねてきた女が※※線の事件のときに見かけた人物であると気がついた。その女は貴女にこんな事を言ったんじゃないかしら? “もうすぐ、この家で女が一人死ぬ”」

「あ……ああ……もう、やめて」

 その懇願こんがんを茅野は聞き入れない。

「彼女の言っている事が、現実に起こると知っていた貴女は焦った。この家に住んでいる女は貴女一人。つまりカサンドラの予言通りに死ぬとしたら、それは貴女自身に他ならない。どうにかしなくては。引っ越すか? しかし、同居者に何と説明すれば良いのか。到底信じてくれるとは思えない。もし信じてくれたとしても、すぐに家を出る訳にはいかない。あと、どれくらい? 何時間何分……下手をすれば、数秒後まで迫っているかもしれない。そこで、恐怖に刈られた貴女は閃いてしまう。死の運命を回避・・・・・・・する唯一無二の・・・・・・・方法を・・・

 桜井が「あー!」と、なぞなぞの答えを聞いたときのような声をあげた。

 橋本帆波は、あのときのように考える。ほんの少し先の未来にまで迫った破滅の運命から逃れる方法を……。

 そのとき、穴の近くの盛り土に刺さったままのスコップが視界の端に引っ掛かった。茅野が決定的なその言葉を口にする。

貴女はカサンドラを・・・・・・・・・殺して・・・予言を実現・・・・・させた・・・カサンドラの予言・・・・・・・・では死ぬのは・・・・・・女一人・・・カサンドラが・・・・・・その一人になって・・・・・・・・しまえば・・・・自分が死ぬ事・・・・・・はない・・・

 橋本帆波は六年前の昼さがり、訪ねてきた薄汚い女を殺した。彼女の頭を玄関の下駄箱の上にあった大理石の置時計で二回殴った。

「そして、その死体を、そこの物置小屋に隠したままにしていたんですね? これまで処分しあぐねていたけれど、今回の一件で怖くなった貴女は、カサンドラの死体をどうにかする事にした。そうね。橋本スガ子さんが埋まっていた穴に、カサンドラの死体を埋め直すつもりだったんじゃないかしら? 一度、死体が発見された場所に、新たな死体が埋まっているだなんて誰も思わない。それから、立派な花壇でも作れば、掘り返される事もない。どうかしら? 当たっているかしら?」

 その言葉が終わる前だった。

 橋本帆波はスコップに手を伸ばして腹をくくる。

 この二人も殴り殺してやればいい。そして、この疫病神のような少女が自分で言ったみたいに、ここに埋めてやればいい。一つが三つに増えるだけだ。どうという事はない。

 茂房はこの家や土地を手放そうとするだろうが、きっと、こんな事件の起こった場所など買い手がつくわけがない。

 何にせよ、今は目の前の危機を何とかしなければならない。

 しかし、その彼女の目論見もくろみは脆くも崩れさる。それは、伸ばされた右手の指先がスコップの柄に掛かる寸前の事だった。

「え……」

 その手首を桜井梨沙が、がっしりと掴んでいた。おもりつきのリストバンドでも巻きついたかのような桜井の握力に驚愕していると、腹部から背中に掛けて凄まじい衝撃が突き抜ける。

 腹パンであった。

「うっ」

 橋本帆波はあまりの痛みに膝を折り曲げて腹を抱えた。桜井は、素早く彼女の背後に回り込んで裸絞めを決める。そこで、彼女の意識は完全にブラックアウトする。

 そして、茅野が鞄から取り出した結束バンドで地面に倒れ込んだ彼女を拘束すると、コートの右ポケットから物置小屋の鍵を取り出した。そのまま、扉を開ける。すると……。

「これは、また警察ね」

 茅野が特に何の感慨もなさそうに言う。一方の桜井も特に何の感想もなく、ネックストラップのスマホで、警察に通報し始めた。

 物置小屋の床には、布団用の真空パックに包まれた女性の木乃伊ミイラが横たわっている。それを眺めながら、茅野は面倒臭そうに溜め息を吐いた。


 そうして、じきにやって来た藤見署の警官たちが「流石におかしいだろ……」と、呆れた事は言うまでもない。






(了)

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