【11】ファイア


 朽木と早瀬は坂澤を残したまま、裏庭を離れて潜伏場所を探そうとしていた。

 注意深く寂れた村内を彷徨さまようも、例の小面と一回も遭遇する事はなかった。その周辺の小面は桜井が掃討したからなのだが、そんな事は知るよしもない。

 ともあれ、狭い裏路地を進む途中に横たわっていた赤い襦袢の人形と割れた小面のめんを跨ぎながら、早瀬が怪訝な顔つきで先を行く朽木に向かって訊いた。

「ねえ……この動かない人形と割れたお面、何なの? ここに来るまでも、けっこう落ちてたけど」

「私に聞かないでよ」

 朽木が振り向く事なく答える。

 そして、その裏路地の出口に辿り着くと、朽木が注意深く表通りの様子を窺う。

 その頭越しに、何となく空を見上げた早瀬は、針葉樹の生い茂った山肌から立ち昇る三本の白い煙の筋に気がついた。

「あれ見て!」と指を差す。

 朽木は一度振り返ると、怪訝な顔で早瀬の指先を見た。そして、しばらくの間、いぶかしげに三本の煙を見つめていたが、何か思い出した様子で早瀬の方を振り向く。

「煙が三つ……あれ、遭難したときの救難信号だ!」

「本当!?」

 早瀬が大きく目を見開いて言うと、朽木は確信を持った様子で頷く。

「前にYouTubeで見た事ある! あそこに誰かいる!」

 朽木は興奮した様子だったが、早瀬は表情を曇らせて言う。

「でも……」

 北側へ続くエリアの小面はほとんど桜井が倒していた。しかし、それを彼女は知らないので、あそこに辿り着くまでに、小面に遭遇する可能性を危惧していた。更に救難信号という事は……。

「襲われてるのかも。あのお面に……」

 わざわざ危険に飛び込む事はない。

 その早瀬の見立てに朽木は即座に反駁はんばくする。

「あのお面に襲われているとしたら、あんな呑気に焚き火なんかできないでしょ」

「じゃあ、あの煙を見てお面たちがあそこに集まってきたら……」

 なおも不安がる早瀬に対して、朽木は苛立った様子で言った。

「あー、もう。悪い可能性を考えてたらキリがないでしょ。取り敢えず、確認するだけでもしておかないと……」

「そうだけど……」

 早瀬のその言葉に鼻を鳴らして、朽木は再び煙の方へと目線を向ける。そして、強い決意を含んだ声音で言った。

「私は、こんな場所で死にたくない。絶対に帰りたい。あなたは?」

 少し間を開けて早瀬が返事をした。

「私だって」

 再び朽木が早瀬に向き直る。

「なら、決まりね」

 早瀬は力強く頷いた。



「ふう。良く燃えるねえ」

 桜井梨沙が右手の甲で汗をぬぐうと、目の前の焚き火を長い竹竿で突っついた。その炎の中で燃えているのは、バラバラにされた小面人形であった。

 そこから右隣の数メートル離れた場所で、同じように焚き火をするのは茅野循である。

「さつま芋でも持ってくるべきだったわね」

「いいねえ。あたしは焼き肉!」

 桜井が元気良く答える。

 そして、茅野の更に右隣では、柏崎が膝を抱えて座りながら、虚ろな眼差しで揺らめく炎を見つめていた。

 もう、何も考えない事にしたらしい。

 そこは北側の高台の頂上にある大きな屋敷の門前であった。

 しっかりとした竹垣と御影石の門柱の向こうには、背の高い野草に覆われた庭先が広がっている。草葉の合間から窺える庭木や石灯籠を見るに、かつては立派な庭園だったようだ。

 その奥には平屋の和風建築があり、開かれた縁側や玄関扉の向こうから小面が首をかくり……かくり……と動かしていたが、一向に襲いかかってくる様子はみられない。

 どうやら、小面たちが特定の範囲を機械的に警備しているという、茅野の推測は当たっていたらしい。

 そこで三人は当初の作戦通り、ここに来るまでの階段で交戦した四体の小面人形を桜井の手斧でばらし、門前の空いていたスペースで狼煙のろしを焚く事にした。

「……取り敢えず、誰か来るまで狼煙を焚いて、そのあとで、屋敷の中を探索してみましょう」

「りょうかーい」

 桜井はどかりと腰を下ろすと、リュックの中から紙袋を取り出して、そこからラップにくるまれたビッグサイズの天むすおにぎりを取り出した。

「循の分もあるけど、食べる?」

「ええ」

 茅野が返事をすると、桜井は自らのリュックから再び紙袋を取り出した。

「循のは、普通サイズだよ」

「ありがたいわ」

 茅野は桜井から紙袋を受け取り、再び自らの担当する焚き火の前に戻ると腰をおろした。そして、水筒のキャップを捻りながら柏崎に向かって言う。

「貴女も何かお腹に入れておいた方がいいわ」

 柏崎は静かに頷くと、リュックからスポーツ飲料のペットボトルと板チョコを取り出して食べ始めた。

 そうして、しばらく経った頃だった。

 いち早く食べ終わった桜井の目に階段を登って来る二人の女の姿が目に入った。朽木と早瀬である。

 桜井は立ち上がり「おーい!」と両手を振り乱した。

 朽木と早瀬は戸惑った様子で足を止める。それから、顔を見合わせると、一つ二つ言葉を交わしたのち、再び階段を登り始めた。



「嘘……」

 柏崎は合流した朽木から尾畑と坂澤の死を聞かされ絶句する。

「尾畑さんも……坂澤さんも……私たちを逃がそうとして……それで、犠牲になって……」

「そうだったんだ……」

 柏崎がぽろぽろと涙をこぼし始める。そのやり取りを早瀬は暗い眼差しで見つめていた。そして、茅野が眉間にしわを寄せながら声をあげる。

「……不味いわね」

「だね」

 桜井も真面目な顔で頷く。

 朽木は早瀬と顔を見合わせると「どういう事?」と訊いた。

 すると茅野が忌山に伝わる“七”についての伝承を語る。それを聞いた早瀬は口元を手で抑えて絶句した。

「そんな……」

 朽木は大きく目を見開き、唇を戦慄わななかせると、両膝を地面に突いた。

「じゃあ、私たち、もう帰れないの……?」

「まあまあ、落ち着きなよ」

 桜井が気楽そうに微笑む。そして、茅野は門の奥へと目線を向けて言った。

「……取り敢えず、他に帰る方法が見つかるかもしれないわ。私たちは、このあと屋敷の中を探索するけれど」

「探索……」

 早瀬も門の向こう側へと目線を向ける。すると、屋敷の玄関や縁側からこちらを見ている小面たちの姿が目に入る。

 すでに茅野から、小面は特定の範囲を機械的に警備しているだけで、その範囲に足を踏み入れなければ襲って来ない事は聞いていた。

 つまり、すでに小面が倒された後のこの場所にいれば安全である。

「私たちは……待ってる」

 早瀬が先んじて意思を表明する。朽木と柏崎も残る事にしたようだ。それぞれ「私も」と声をあげた。

「そう。何か変わった事があったら、大声で知らせて頂戴ちょうだい

 茅野が特に何の感慨もなくそう言うと、桜井は苦笑した。

「まあ、素人さんにはきついか」

 こうして、桜井と茅野は再びリュックを背負うと、三人を残して屋敷の中へと消えていった。

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