【13】後日譚
それから数日後だった。『洋食、喫茶うさぎの家』の閉店間際の閑散とした店内にて。
「……あのスピリットボックス、『嘯く悪霊の館』の惨殺事件の犯人が所持していたもので間違いないみたいだわ」
例のスピリットボックスは、惨殺事件の犯人であるバーディ・グリシャムの遺体と共に発見されたらしい。その後、警察に押収されたが、事件の捜査が終わり、被疑者死亡のまま不起訴となったのち彼の遺族に返却された。
因みに、これらの情報は九尾の母のアビゲイル・クラマーからもたらされたものだった。
「……で、その遺族も自宅で首を吊って自殺したそうよ」
そう話を結んだのち、九尾天全はずるずるとナポリタンを
その隣で茅野がたっぷりと甘くした珈琲に口をつけてから言葉を発する。
「それは、とんでもなく凶悪な霊ね」
「その凶悪な霊が、あのスピリットボックスに取り憑いていたわけか」
カウンターの中から二人と向き合う桜井が言った。
因みに例のスピリットボックスは九尾天全の手に渡り、速やかにしかるべき処置がなされた。
「そう言えば、あのお婆さんの霊はけっきょく何だったんだろう」
桜井が不意に発した疑問に茅野が答える。
「あれは、私たちに教えようとしてくれたのよ」
「何を?」と桜井は首を傾げ、茅野が解説を続けた。
「彼女が指を指していたのは、あの棚に納められていた新聞紙の方じゃなくて、棚の上にあった古いラジオよ。恐らく彼女は、あのスピリットボックスに取り憑いていた悪霊の存在を私たちに警告してくれたのでしょうね」
「そっか。スピリットボックスって、ラジオと変わらないんだっけ?」
その桜井の言葉に茅野は「そうね」と、
「何か怖いお婆さんだったって話みたいだけど、実は優しい人だったのかもね」
桜井がそう言ったあと、九尾が口元をナプキンでぬぐいながら、心配そうに声をあげる。
「……それにしても、その悪霊に
「……薫の話だと、久保……男の子の方は、あれ以来、学校を休んでいるそうよ。失恋と腹パンの
その茅野の言葉に桜井は「手加減はしたけどなあ……」と、眉間にしわを寄せる。因みに彼が吉成鈴と連絡を取ったSNSのアカウントや電話番号は、彼が普段使っている端末とは別のものらしい。
「それで、吉成さんの妹ちゃんはどうなの?」
「ああ。あの日の翌日から、朝にジョギングしたりして身体を鍛え始めたそうよ」
茅野の話を聞いた桜井は感心した様子で頷く。
「お。それは良いね」
「それから、彼女、高校生になったら柔道部に入るらしいわ」
「今回の件で、護身術を身に付けようと思ったのかしら?」
九尾がそう言うと、茅野は首を横に振る。
「たぶん、そういう事じゃないと思うわ」
「え?」と、九尾は首を傾げる。続けて桜井が嬉しそうに言った。
「何にせよ、強くなるのは良い事だね。何なら、あたしがコーチしてもいいけど」
そこで茅野は意味深な微笑みを浮かべながら言った。
「それは、向こうが断るでしょうね」
そう言って、珈琲カップを静かに持ちあげる。
桜井は首を捻り、九尾と顔を見合わせた。
その日の早朝、吉成鈴は自宅の玄関を出ると、門の前で軽くストレッチをしたあと、ゆっくりとしたペースで走り出す。
インドア派で運動の苦手な彼女は、ゆっくりとしたペースでも、一キロも走れば激しく息が乱れて、脇腹が痛くなってくる。
しかし、彼女はあの日からずっと休まずに朝のジョギングを続けていた。
まずは基礎体力を鍛える。慣れてきたら徐々に距離を伸ばしてゆく。そして、ある程度、体力がついたら、自重トレーニングを始めて筋力も鍛え始めるつもりだった。
すべては、あの鬼のように強い女……桜井梨沙を超えるために。
あのあと、彼女の事を調べて鈴は納得した。あの桜井梨沙は中学のとき、女子柔道界のホープとして有名だったのだという。しかも、中学の全国大会決勝にて、現在日本代表で無類の強さを誇る東藤綾に一本勝ちをした事があるらしい。
嘘や冗談抜きに“鬼のように強い女”である。
そんな彼女を超えるなど、小指の先ほどの小石を天空の遥か高みで輝く太陽まで積みあげるかのように、無茶な事なのかもしれない。
しかし、あの日、彼女が凶器を持った久保をいとも容易く制圧した直後の事――。
『格好良かったよ、カオルくん』
『う、うん……』
その瞬間の茅野薫の表情を見て全てを悟った。彼の想いを……。
しかし、彼女は絶対に退くつもりはなかった。何としてもやり遂げるつもりでいた。
鬼のように強い女が好きなら、そいつを打ちのめす力を手に入れるまでの事。
「絶対に、あの人を倒す!」
決意の言葉を荒げた息と共に吐き出し、千里の道を一歩ずつ駆ける吉成鈴。
桜井梨沙という存在が、一匹の修羅の若草を芽吹かせたのだった。
この後日、鈴の姉である吉成愛美が「妹がおかしくなった。今度こそ悪霊に取り憑かれた!」などと言って、再びオカルト研究会部室に駆け込んできた。
もちろん、桜井と茅野は、そんな彼女を適当にあしらい、なだめすかして追い払ったのだった。
(了)
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