【12】後日譚


 夫を殺した女が隣家の引きこもり少女になり代わって、彼女の部屋に潜伏していた。この異常な事件は、全国で大々的に報道された。

 犯人の女は警察の取り調べに対して「金目当てではない。隣の家の少女にのぞかれたから殺した」などと答え、他にも支離滅裂な言動を繰り返しているのだという。

 さておき、その週の日曜日の昼過ぎだった。

 『洋食、喫茶うさぎの家』のランチタイムが終わった後の閑散とした店内での事だった。

「……くっ、やっぱり、梨沙ちゃんの料理、美味しい」

 粉チーズをたっぷりかけたナポリタンを味わい、カウンター席に腰を掛けた九尾が言った。

 カウンターの中で、その言葉を満足げな表情で受けとめる桜井。そして、九尾の右隣でたっぷりと甘くした珈琲コーヒーを済まし顔ですする茅野が口を開いた。

「それで、先生はいつまでこっちに?」

「うーん、どれくらいになるかはちょっと解らないけど、たぶん今月一杯くらいは……」

 と、九尾が茅野の質問に答えると、桜井が満面の笑顔で諸手をあげた。

「わーい。なら、また食べに来てよ」

 その誘いの言葉に、九尾は悔しそうな顔つきで「そ、そうね。また来るわ」と言った。

 すると、茅野が例の一件について話を切り出す。

「それで、犯人の榊原についてだけれど……」

「ああ、篠原さんの話だと、ほとんど循ちゃんの想像通りで間違いないみたい」

 あの桜井梨沙と茅野循が関わっているという事もあり、その辺りの事情を知る刑事が篠原の元に話を通したのだそうだ。

 それによると、彼女は本棚の薔薇について以下のような話をしたのだという。

「彼女、荒井陽希子の部屋に潜伏中、殺したはずの彼女が窓の外に立つ姿を目にしたみたい」

 その陽希子の亡霊は、だいたい彼女を殺した時間に毎夜現れたのだそうだ。

 しかし、陽希子は怨念の籠った眼差しで、佇むばかりで、何もして来なかったのだという。夜が白み掛かる頃に、いつの間にか消え失せる。

「……それで、榊原はなぜ被害者の少女の霊が何もしてこないのか、不思議に感じたそうよ」

 考えた末に、彼女は祖母の言葉を思い出す。それは窓辺に吊るしたドライフラワーの薔薇冠のお陰ではないのか、と……。


 『……瑞江ちゃん、薔薇の花にはね、良くないモノを退ける力が宿っているんだよ』 


 どうやら、その薔薇冠は瑞江が幼い頃に祖母からもらい、ずっとお守り代わりにしていた大切なものらしい。普段は自室の壁に掛けて飾っていたのだという。

「彼女によれば、家族で自分だけが無事だったのは、この薔薇のお守りのお陰なんだっていう話だけど……」

「何の事やら」

 桜井が眉間にしわを寄せて小首を傾げた。

「まあ、その辺りは彼女の生い立ちに関係がある事っぽいんだけど、そこは事件とは無関係だから、はしょるわね」

 と、九尾は言って話を続けた。

 それから瑞江は、人目のない明け方、例の薔薇冠を手に、再びガレージの屋根を伝って榊原邸に戻った。そして、温室で摘んだ薔薇を例の棚に納めたのだという。

「そのあと、被害者の霊が窓辺に立つ事はなくなったそうよ」

「薔薇って、対心霊の効果が凄いんだね」

 と、桜井が言うと九尾は苦笑する。

「まあ、けっきょく、“相性”次第なんだけどね。効かないときは、効かないわよ」

 万物には“相性”があり、それが合わない存在に霊は干渉できない。

 霊に縁が深い者は“相性”も近くなりやすい。また“相性”は生者が霊と関わりのある言動を取る事でも近くなる。

 例えば、その人物が死んだ場所におもむく、その人物の生前所持していた物に触れる、その人物の事を口にする、などなど……。

 そうして“相性”が死者と近づき、その霊に干渉を受ける事を“祟り”や“呪い”という。

 そして、これは除霊をする側も同じである。“相性”が近くない霊を祓う事はできない。

 今回の場合であると、荒井陽希子の霊と薔薇の“相性”が偶然にも近かったため、榊原瑞江は霊障に見舞われる難を逃れる事ができたのだ。

「……そういえばさあ」

 と、桜井が何事かを思い出した様子で言葉を発した。

「……循は、何であの腐乱死体が陽希子さんだって気がついたの?」

 茅野循も荒井陽希子の外見を知らなかったはずである。その質問に彼女は不敵な微笑みを浮かべながら答えた。

「それは、身長よ。あの死体はどう見ても、梨沙さんと同じくらいか、それよりも小柄だった」

「それがどうかしたの?」

 九尾はそう言って、ナポリタンをずるずるとすする。

 茅野は右手の人差し指を立てて、答えの続きを述べた。

あの家にあった・・・・・・・フライパン・・・・・……梨沙さんは手に・・・・・・・取ろうとして・・・・・・届かなかった・・・・・・でしょう・・・・?」

「あー、バーミキュラの……」

「だから、あれで、あの家の住人はかなり身長が高いんじゃないかと思ったのよ。もちろん、旦那が高身長で、榊原瑞江の方はまったく料理をしないっていう可能性もあるわ。でも、あの棚には薬缶やかんもあったわよね?」

「なるほど。料理しない人でもヤカンぐらいは使うしね」

 桜井が得心した様子で頷く。

「……それと、車庫の梯子。あれを使えば、陽希子さんの部屋と榊原邸を簡単に行き来できると思ったの。そして緊急事態宣言下ともなれば、深夜に帰宅する人も、出掛ける人もいないだろうし、あの手の住宅街だったら人目につく事もない」

 そこで、茅野は珈琲を一口含むと、憂いを帯びた顔つきで続けた。

「……そんな事より、高阪さんが心配ね」

 現在、高阪美子は一連の報道を受けて、かなりのショックを受けているらしい。学校も休んでいる。

「まさか、このまま、不登校になるなんて事は流石にないと思うけど……」

「今度、お菓子を持っていってあげよう」

 桜井がそう言った直後だった。

 からん……とカウベルの音が鳴った。客が来たらしい。

「いらっしゃーい」

 桜井が少し間延びした声をあげ入り口を見ると、そこに立っていたのは、今話にあった高阪美子本人であった。

 高阪は力のない微笑みを浮かべて言う。

「……ごめん。とつぜん。二人にお礼を言ってなかったなって、思い出して……」

「お礼なんて良いわ。レア物の報酬はすでに受け取っているし」

 その茅野の言葉に桜井が同意する。

「そうそう。それより、美味しいものでも食べて行きなよ。珈琲つきで一品サービスするから」

「うん……」

 と、頷き、高阪は茅野の隣に腰をおろした。そこで九尾の方を見て桜井に尋ねる。

「この方は……?」

「九尾センセだよ」

「キュウビセンセ……この人が……」

 その高阪の言葉を聞いた九尾が眉を釣り上げる。

「……ちょっと! わたしの事を、またポンコツとか、変な風に言ってないでしょうね?」

「別に何にも言ってないよ」

「ええ。でも、それは墓穴よ、先生」

 桜井と茅野が笑い、九尾が「しまった」と言って目を丸くした。

 そのやり取りを見た高阪は、ほんの少しだけ微笑む。




 ……この数年後だった。

 今回の事件の舞台となった榊原邸は『薔薇屋敷』などと呼ばれ、有名な心霊スポットとなる。






(了)

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