【11】後日譚


 二〇二〇年九月二十三日の放課後。

 藤見女子高校部室棟二階の隅にあるオカルト研究会部室だった。

 テーブルの上に置かれた茅野のスマホから篠原結羽の声が響き渡った。

『準備ができ次第、例の神社の右腕への対処が始まるわ』

 その言葉を聞いた茅野は、たっぷりと甘くしたれたての珈琲をすすると、静かにカップをソーサーの上に置いた。

「……という事は、九尾先生はしばらくこっちにいるっていう事なのかしら?」

「うわーい!」

 桜井が両手をあげて喜びをあらわにするが、篠原はすかさず釘を刺す。

『言っておくけど、遊んでる暇なんかないんだから、絶対に先生の邪魔なんかしたら駄目なんだからね?』

「しないよ」

 と、唇を尖らせる桜井。篠原の小言は更に続く。

『それから、絶対にあの神社には近づかない事。間違っても、あの右腕を見てみようだなんて気は……』

「あ、それはもういいや」

「そうね」

 と、あっさり言ってのける二人。

 もう、ある程度の謎が解けた段階で、あの神社に関する興味をすっかり失った桜井と茅野であった。元々、二人はあの右腕自体をどうこうしようというつもりはまったくなかった。

 危険性は充分に承知しているので、その辺りの引き際を見誤るような事はない。二人はすでに次のあらたなスポット探索を見据えていた。

 そんな彼女たちの態度に篠原は大きな溜め息を吐くと、茅野が質問を発した。

「それは、兎も角、塚本神山の方だけれど」

『ああ。たぶん、中身が入れ替わっていたという事で間違いないと思うわ』

「中身……」と、言いながら桜井が、授業終わりで買って来たカレーパンを手に持ちながら呟いた。一気にかぶりつき、その断面をまじまじと見つめる。茅野は更に質問を重ねた。

「……中身が違うというのは、あの三ヶ月前の魔術師と同じという事かしら?」

『ええ……そう言えば、あの一件にも、あなたたちが関わっていたんだっけ』

 篠原は苦笑して言葉を続ける。

『同じ術である事は間違いないらしいわ。そして、この術はとても高度で使い手も限られている。例の魔術師と関係あるかもしれないわね』

 そう言って、解っている限りの塚本神山に関する情報を語った。

 それによると、塚本神山……本名、塚田英則つかだひでのりは、元々ショーパブなどでマジックを披露するマジシャンだったらしい。ただし、相当なギャンブル狂で、多額の借金があった。二〇〇四年の当時、違法カジノにはまって数千万円の負債を背負った。

 メディアのインタビューによれば、このとき人生に絶望し睡眠薬の過剰摂取による自殺を図ったのだという。

『……知人女性に発見され九死に一生を得たのだけれど、この一件を境に霊能力に目覚めたという事になっているわ』

「是枝充があの家からいなくなったのも、ちょうどそのぐらいだよね」

 と、桜井が口の中でもぐもぐやっていたカレーパンを飲み込んで言った。

「……じゃあ、その時期に?」

 この茅野の言葉に篠原は『そうね』と相づちを打って言葉を続けた。

『実際は何があったのか解らないけど、恐らく間違いないでしょうね。是枝充はそのとき塚本と入れ替わった。たぶん、肉体そのものを借金のカタに取られてしまったんだろうと思うけど』

 その篠原の言葉を聞いた桜井が「それは、怖いねー」と、極めて呑気な調子で言う。

「じゃあ、やはり、あのとき、私たちと会話していたのは、是枝充本人という事で間違いないのね」

『是枝が塚本になり変わった動機は、恐らく右腕の呪いから逃れるため』

「でも、呪いから逃れる事はできなかったと」

『そうね。九尾先生の見立てによれば、彼の死因はあの右腕の呪いで間違いないわ。深く関わり過ぎてさわったのね』

「九尾センセが言うなら間違いない」

 桜井が口の中にカレーパンの残りを押し込んで頬をふくらませる。

「何にせよ、自業自得ね」

 茅野は眉一つ動かさずに冷酷な声音で言った。




 その翌日の昼過ぎ。

 大津神社の境内であった。

 篠原結羽が金槌を振りおろした。すると、金具が壊されて御扉にぶら下がっていた南京錠が、ごとりと音を立てて落下した。

 すると、彼女の後ろから声が掛かる。

「……では、篠原さんは、いったん境内を出てください」

 最強霊能者の九尾天全であった。

 篠原は緊張した面持ちで彼女と場所を入れ替わると、そのまま鳥居の方へ向かい境内を後にした。

 その背中を見送った後、九尾は再び社殿の方へ向き直り、御扉に手をかける。

 これから、中がどういった状態になっているのか、事前に下調べをしようというのだ。

 右腕の封印作業は、流石に九尾一人では手にあまるので何人かの腕利き霊能者の力を借りる事になっているが、なかなかスケジュールの調整に難航していた。準備の方も手間取っているらしく進んでいない。

 そんな訳で、封印作業の日程が先延ばしになっているのだが、何もせずに待っているよりは……と、事前に下調べをしておく事にしたのだった。

 九尾は一つ深呼吸をすると、御扉を開いてペンライトのスイッチを入れた。

 社殿の入り口が開かれた瞬間、九尾はあまりの禍々しい気配に顔をしかめた。

 一度、咳払いをするとペンライトで中を照らす。

 社殿の中は一般的な神社のそれとあまり変わらない。

 扉のすぐ内側には拝殿はいでんと呼ばれるスペースがあり、その奥に短い廊下のような幣殿へいでんが延びている。そして、最奥には御神体の祀られた本殿の入り口があり、両開きの扉によって固く閉ざされていた。

 この扉の向こうに宿儺の右腕があるはずだった。

 九尾が感じたところによれば、右腕は眠りについているので状態は安定している。しかし、それはちょっとした刺激で容易く目覚めてしまうくらいの危ういものであった。

 これはいったん引き返した方が良さそうだ。

 そう感じた九尾は再び御扉を閉めようとした。

 そこで、ふと、それに気がつく。

 最奥の本殿へと続く扉の前の床に何かが置いてあった。

 スーパーか何かのビニール袋のようだ。

 埃を被っており、中に何かが入っているようだ。

 少し迷ったが、九尾は拝殿へと足を踏み入れる。ゆっくりと慎重な足取りで奥へと進んだ。

 やがて、宿儺の右腕の邪気に顔をしかめながら本殿の扉の前に辿り着き、くだんのビニール袋を持ちあげて中を覗いたときだった。

 九尾は大きく目を見開く。

「これって……」

 袋に入っていたもの……。

 それは・・・干からびた・・・・・人間の右手首・・・・・・だった・・・


 桜井梨沙と茅野循が、この右手首の謎に挑むのは、もうしばらく先の事となる――。








(了)

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