【15】後日譚


 あの六骨鉱泉の探索から数日が経った、ある日の放課後であった。

 桜井と茅野は、口止め料代わりに例の一件の情報提供を受けていた。

 オカルト研究会部室のテーブル中央に置かれた茅野のスマホから、県警の篠原結羽刑事の声が響き渡る。

『向こうの県警によると、例の監禁事件の犯人……灰谷桂太郎の自宅の部屋から、女性のものと思われる頭蓋骨と人差し指の骨の一部が発見されたらしいわ』

「それは、誰のものなのかしら?」

 と、茅野が質問しながら、テーブルの上で湯気立つ珈琲カップに角砂糖を三つ投下した。

『今、身元の特定を急いでいるらしいけど、灰谷の実の母親である三田沢勝江みたざわかつえが、三年近く前から行方不明になっているのよね……』

「少年Aのお母さんか……」

 だらしなくテーブルに上半身を投げ出した桜井が、気だるげな声をあげた。

『それで、人差し指の骨には、彼の歯形と思われる傷がたくさんついていたらしいわ。どうやら、彼はあの骨を日常的に口の中に入れていたようね。おしゃぶり・・・・・か何かのように』

 言ってて自分で気持ち悪くなったのか、篠原の声音が生理的嫌悪感で濁る。

 桜井も「キモ」と顔をしかめ、茅野は何やら得心した様子で頷いた。

「……彼は以前からカニバリズム的な嗜好があったのかもしれないわね。もしかしたら、実の母親の肉も……と、いうのは、流石に考えすぎかしら?」

『そうかもね』

 篠原は茅野の言葉に曖昧な返事をしてから話を続けた。

『……それで、冷蔵庫に保存されていた井筒朔美の遺体についてだけど』

「どうだったのかしら?」

『死因は、遺体の顎の下の索痕などから縊死で間違いはないそうよ』

「自殺か……」

 桜井がふわりと涙目で欠伸あくびをした。

『腐敗は見られなかったけど、どうやら長い間、低温で保存されていたみたいね。まだ死体検案書があがってないみたいだから、私から断定はできないけど、たぶん彼女が死んだのは失踪した十二月二十三日頃で間違いないと思うわ』

「……灰谷は確か食品加工工場の工場長だったのよね? 井筒朔美の母親の勤め先だった……」

『そうね』と、篠原は茅野の問いに答えた。

「……ならば、食肉の細胞を破壊せずに急速冷凍する設備もあっただろうし、彼女の肉をどうにかして長期保存しておく事もできなくはなかったわけね」

『そうね』

 篠原が茅野の見解に同意を示したあと、桜井が「うへえ……」と顔を嫌そうにしかめる。

 そこから、更に篠原の話は続く。

『井筒朔美の捜索願を届けたのは灰谷桂太郎であったらしいわ。彼女の唯一の肉親である母親の笑子は、現在も都内の病院で療養を続けているみたい……』

 この入院費用を負担していたのも彼だったらしい。

 そういった事実から、灰谷が井筒母子に深い思い入れがあった事は考えるまでもなかった。

 恐らく、それが今回の一件の動機であろうと、篠原は結論付ける。

 そして話は、例の配信に映り込んでいたキャミソール姿の女へと移り変わる。

『……あれは、霊能者にアーカイブを鑑定してもらったけど、井筒朔美の霊で間違いないそうよ。力はかなり弱い霊で、放っておけばじきに消滅するらしいわ』

「彼女は嫌だったんだね」

 と、桜井。

「いくら何でも推しに食べられるのが」

「それ以上に、彼を救いたかったのかもしれないわ」

 その茅野の言葉で、篠原は何事かを思い出した様子で『ああ……』と声をあげた。

『それから、あのYoutuberだけど』

「陽輝?」

 桜井がどうでも良さげに声をあげた。篠原は苦笑する。

『精神状態はかなり良くないわ。復帰は難しいでしょうね』

 先日、彼の所属事務所から発表があり、陽輝の無期限活動休止が発表された。

 その理由について公式SNSの文言では“心身の不良により長期の療養を余儀なくされるため”となっており、具体的な事には何一つ触れられていなかった。

 また、あの配信は精神を病んだ陽輝本人が自ら行った事とされ、灰谷桂太郎の存在や、彼から受けた仕打ちについての情報は拡散されていない。

 ゴシップ好きのマスコミも、彼が配信中に言及した十五歳の少女が実在している程度しか、この一件を掘りさげていない。

 さやぽんも今のところ、この件に触れるつもりはないようだった。

 何か裏があるのではといぶかる者もとうぜんおり、様々な憶測やデマがネット上で囁かれていたが、それらは真実に掠りもしていなかった。

「……まあ、監禁されて自殺したファンの肉を食わされていただなんて、誰も想像できないよね」

「そうね。ここまで凄惨だと、さしものマスコミも報道を自粛せざるを得ないでしょうし」

『……まあ、事件については、こんなところだけど、他に質問は?』

「ないよ」

「ないわね」

 その二人の口調は、まるでこの件に興味を失ったと言わんばかりの気の抜けたものだった。

 それから、篠原がいつものように「むやみに廃墟に足を踏み入れないように」と、無駄な説教を挟んで通話を終えた。

 すると、茅野がテーブルの中央に置いたスマホを手元に戻しながら、おもむろに言った。

「……そういえば、今日だったわね」

「……ああ。二十一時からだっけ?」

 この日の二十一時に、さやぽんの生配信が予定されていた。本来なら、ここで陽輝に関連する動画を投稿する予定だったらしいのだが……。

「代わりのネタは思いついたのかな……」

「どうかしらね」

 桜井と茅野は思い出す。あの日、土井と駒場は別れ際に酷く疲れた表情をしていた事を。

「……まあ、今回のスポットは素人さんには、きつかったかもね」

「そうね」

 桜井と茅野は顔を見合わせ楽しげに笑う。

 しかし、土井と駒場の心労の半分は、自分たちに原因があるという事を二人は気がついていなかった。




 そして、その日の二十一時。

 待機画面が終わり、いつもの挨拶が終わったあとだった。

 さやぽんは深々と頭をさげて、予定していた“とっておきのネタ”が諸々の事情でボツになった事を謝罪した。

 そして、お詫びにタガメ百匹にデスソースをかけて三十分で食べきる耐久配信をやると言い始める。しかも、失敗した場合は預金通帳を晒すという罰ゲームつきで……。

 コメント欄はにわかに盛りあがりをみせ、ボルテージはあがってゆく。

 彼女の暴挙を止める者。

 煽り立てる者。

 呆れる者。

 次々と投げ込まれるスーパーチャット。

 混沌とした熱気が場の空気を支配する中、タガメが山盛りになった洗面器の上で、デスソースの瓶を逆さにするさやぽん。

 その瞳は濁りきっており、どこか彼方を見つめるものだった。口元も半笑いである。

 そうして、用意したデスソースをすべてかけ終わると、まるで辞世の句のような決意表明を行い、ストップウォッチを押して、ついに地獄のようなチャレンジが始まった。

 赤い液体にまみれた昆虫を次々と両手で掴んで口の中に詰め込むさやぽん。その表情は鬼気迫るものであった。



 ……結果、何度も咳き込みながら、彼女は二十九分五十七秒ですべてのタガメを平らげて、リスナーたちを大いに沸かせたのだった。






(了)

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