【14】一流の矜持
その尋常ではない高笑いを聞いた四人は顔を見合わせる。
「……男の声ね」
と、土井が言った。
「だいぶ、いっちゃってるね」
桜井が神妙な顔つきになる。
「……陽輝さんでしょうか?」
駒場が眉間にしわを寄せる。
「……取り敢えず、行ってみましょう」
その茅野の言葉に桜井が頷く。
四人は小さな扉の方へと向かった。
狭い廊下を挟んで斜向かいの部屋。
笑い声が聞こえてくるのは、その扉の向こうからだった。
桜井は慎重な面持ちでドアノブを掴み、一気に扉を開けた。
すると、右側の壁際に立っていた男が冷蔵庫の扉を閉めると、扉口の方へと首を捻る。
紛れもなく、大人気Youtuberの陽輝であった。
しかし、普段の彼の爽やかな印象は欠片も感じられない。目が完全に据わっており、どう見てもまともではなかった。
陽輝は扉口の桜井を血走った目でぎょろりと
次に彼女の右肩越しに見える茅野が手に持ったデジタル一眼カメラを
そして、最後に茅野と駒場の間から室内を
「……お前、さやぽんか」
「ええ。その……あなたを助けにきたわ」
その言葉を聞いて、陽輝は盛大に表情を歪めた。
「……配信か?」
「いいえ、違うわ。この件を表沙汰にするつもりはない」
土井がきっぱりとした口調で言うと、陽輝は天井を仰いで、再びゲラゲラと笑い始めた。そして、ゆっくりと冷蔵庫の前から、中央の調理台の方へと移動する。
そして、笑い声を潜めると、地の底から響き渡るかのような重く低い声で呟く。
「……そんな事、信用できるか」
すると、陽輝は鉈のような大振りの肉切り包丁を手に取って、扉口の方へと向き直る。
土井と駒場が短い悲鳴をあげた。すると、陽輝は常人ならば背筋が凍るような狂笑を浮かべる。
「……お前ら、ぶっ殺して、全部なかった事にしてやるっ!」
そう叫んで、飛び掛かってきた。
土井と駒場は絶叫し、脱兎の如く扉口の前から駆け出す。そして、狭い廊下からホールへと出た直後だった。
駒場の前を走っていた土井が足を止めた。
「ちょっと! 咲耶さん、急に何ですか!」
慌てて足を止めた駒場は、つんのめって土井の背中にぶつかる。
土井は振り返り、青ざめた表情で言う。
「ねえ。あの二人は?」
駒場は辺りを見渡すが、桜井と茅野の姿は見当たらなかった。振り返ってみるが、あの部屋の前にも、彼女たちの姿はなかった。
土井が狭い廊下の方へと引き返そうとする。その右肩を掴む駒場。
「どこへ行くんですか!?」
「あの二人を助けなきゃ……」
「ちょっと、そんなの、駄目です!」
駒場は叫んだ。
あの陽輝の鬼のような
「……あの二人は、もう……」
駒場は沈痛な面持ちで
今戻れば自分たちも、あの二人の二の舞となってしまう。頭のイカれた陽輝に殺されてしまう。絶対に戻る訳にはいかない。
駒場の脳裏にあったのは、恐怖から来る保身だけだった。しかし、土井は違った。
「駄目だよ。あの二人を見捨てて逃げるなんて」
「でも……でも……」
「彼女たちは、私の恩人なんだよ?」
「だからって……あんなの、どうやって……」
禍々しい凶刃を振りあげ、飛び掛かってきた陽輝……駒場は、逃げる直前に見た光景を思い出して身震いする。
人生で初めて感じ取る本物の殺意。
そのおぞましさに、彼女の精神は完全に
対する土井は臆した様子も見せず、決意の籠った眼差しで言った。
「……京ちゃん」
「何?」
「私は人気者のさやぽんよ」
「知ってます」
だからこそ、なおの事、こんなところで死なせる訳にはいかない。
声。
容姿。
その一挙手一投足。
さやぽんが発信するすべてを大勢の人々が心待ちにしている。彼女は特別なのだ。
そして、駒場にとって、彼女は何もなかった自分に意味を与えてくれた大切な人だった。
「……だからこそです。あの二人には、悪いけれど」
口にした言葉の酷さに、そして、どうしようもない現実と無力な自分に堪えきれず、駒場は沈痛な面持ちでうつむいて涙を流す。
そんな彼女の両肩に手を置いて、土井咲耶は濁りのない眼差しで微笑んだ。
「京ちゃん、一流の人気者っていうのはね、みんなの模範にならなきゃいけないの。どんなときでも、かっこよくなきゃいけないの。ここで、あの二人を見捨てるなんて、そんなのは二流以下がやる事……」
ゆっくりと、駒場の肩から手を放し、狭い廊下の方を見据える土井。
「超一流Youtuberの私がやっていい事じゃないわ!」
そう言い放ち、あの部屋へと向かって駆け出した。
「咲耶さんっ! 待って!」
慌てて後を追う駒場。
何としても、彼女を止めなくてはならない。そして、もしもの事があったそのときは、我が身を犠牲にしてでも彼女を守る。
その一心で土井の後を追った――。
「何?」
桜井が扉口の前に戻ってきた土井と駒場に気がついて首を傾げた。
陽輝はその足元で仰向けに倒れている。
「あの……陽輝さんは……?」
土井が尋ねると、桜井は
「パンチした」
彼女の言葉の意味がよく理解できず、駒場は助けを求めるかのように土井の方を見た。しかし、彼女もまったく同じような表情をしている事に気がつく。
そうこうしていると、茅野がリュックから取り出した結束バンドで陽輝を拘束し始めた。
「……取り敢えず、無事かどうかは異論が残るけれど、陽輝さんの身柄は確保したし……」
「ようやく、警察に連絡ですか?」
その駒場の言葉に茅野は首を横に振る。
「この部屋を探索しましょう」
そう言って、桜井と共に室内を漁り始める。
「えっ」
「えっ」
真顔で視線を見合わせる駒場と土井。
そんな二人の様子を気にする事もなく、嬉々として探索を続ける桜井と茅野。
やがて、緊張の糸が切れたらしい駒場が「あああぁー」と、叫ぶ。
「……もう、この二人、何なの!?」
「落ち着いて。京ちゃん」
ここにきて、土井は、ようやく気がつく。
当初、彼女たちを自分のチャンネルに出演させるつもりだった己の愚かさに。そして、この二人は衆人の目に触れさせてはならない、やべーやつらなのだと……。
「やあ。これは、なかなかだね」
「人肉食はクールー病の危険性があるわ」
「くーるーびょう……?」
桜井が首を傾げ、いつも通り茅野が解説を始める。
「クールー病は、もともとはパプアニューギニアの風土病で、 プリオンという特殊な
「ふうん」
と、気のない返事をする桜井の事を、開かれた冷蔵庫の中からビニール袋に包まれた井筒朔美の生首が濁った眼で見あげていた。
その他にも、腕や脚、解体された胴体の一部などが詰め込まれている。他にも調味料や生野菜、ミネラルウォーターのペットボトルなどが並んでいた。
その冷蔵庫の中身を見ても、大して驚く様子を見せない桜井と茅野を遠巻きに眺める駒場。そして、土井はというと、口元を抑えながら部屋の隅で踞っていた。
「……そろそろ、篠原さんに連絡して、彼女が来る前に、このスポットの他の部屋も見て回りましょう」
「いいねえ」
気が済んだらしい茅野がスマホを取り出して、どこかへ電話をかけ始めた。
そんな彼女を眺めながら、駒場はふと思い出す。
あの配信中の陽輝の背後に映り込んでいた女はどこへ行ったのだろうか、と……。
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