【12】少年A


「“妹の死体を食べた”とは、ずいぶんなパワーワードだね」

 桜井が眉をひそめる。茅野は首肯したのち、その事件について語り始めた。

「……事の起こりは一九九八年の八月上旬だったというわ。栃木県某所の交番に身なりの汚い少年が一人でやってきて、こう言った。『死んだ妹が食べられなくなった。お母さんを探して欲しい』と……。当初、交番で対応に当たった警官は、こう思ったそうよ。少年の妹が何らかの原因で死んでしまっただけなのだと。“食べられなくなった”というのは、その少年の妹は、死んでしまったために、食べ物を口にできなくなったという意味なのだと……」

 そこで、駒場が「その話、聞いた事、あるかもです……」と、呟く。茅野の話は更に続く。

「……とりあえず、交番で少年を保護し、二名の警官が少年の自宅であるアパートの一室へと向かった。すると、キッチンの冷蔵庫の中からバラバラに切断された女児の遺体が発見された」

「うっ」と、駒場が口元を抑える。一方の桜井は、いつものように話をまったく聞いていない風の顔つきで質問を挟む。

「その少年の両親は……?」

「父親はかなり前に、まだ物心つかない二子を置いて蒸発。母親は市内のキャバクラに勤務しながら二人を育てていたらしいわ。どうやら、母親は我が子をほったらかしにして、男と遊び歩いていたみたいね。事件が発覚したときも母親は家にいなかったらしいわ。一ヶ月前に“家で待ってろ”と子供に言いつけて、姿を消して以来、それっきり音信不通だったらしいわ」

「じゃあ、少年が妹を食べた理由って……」

 駒場は、その表情に驚愕をあらわにする。茅野はゆっくりと頷いたあとで口を開く。

お腹がすいて・・・・・・いたからよ・・・・・

 これには、流石の桜井も目を白黒させる。

「でも、だからって妹を殺さなくても……」

 その言葉に茅野は首を横に振った。

「いいえ。彼が妹を殺した訳じゃないわ。妹の死因は肺炎だったそうよ。栄養失調で免疫力が低下しているところで、風邪を拗らせたようね」

「しっかり食べないと」

 桜井がしょんぼりと肩を落とした。

 そこで眉間にしわを寄せた駒場が質問を発する。

「……でも、お金がなかったにしろ、誰か周りの大人に助けを求める事ができなかったのでしょうか」

「少年の供述によると、それについては“恥をかかせるな”と母親に言われていたからだそうよ」

「そんな……だからって……」 

 駒場は顔を大きくしかめて絶句する。対する茅野は淡々とした表情のまま言葉を紡いだ。

「……母親は実の子らにネグレクトだけではなく、暴力も振るっていたらしいわ。少年と妹の精神は、そんな母親にすっかり支配されていた。一度だけ給食費の滞納から、彼らの家庭の現状がつまびらかになり、行政の指導が入った事があったみたい。それで、母親は滞納していた給食費を支払って反省した態度を見せたらしいのだけれど、けっきょく、そのあとも、何も変わらなかったそうよ。外面だけは相当に良かったみたいね。そして、その一件のあと、少年と妹は“恥をかかせるな”と、彼女に叱責され、激しい虐待を受けたみたい。その経験があったから、怖くて外に助けを求める事ができなかったと少年は述べているわ」

「母親の言いつけを守ろうとしていたんだね」

 心の中で静かな怒りを燃やしながら、桜井が言った。

「兎も角、病院に行こうにもお金もない。また給食費のときと同じように、母親がずっと家に帰っていない事を他所の人に知られたら怒られるかもしれない。普段なら給食で餓えを凌いでいたらしいのだけれど、当時は夏休みの真っ最中だった。八方塞がりになった少年は、空腹のあまり、母が帰ってくるまで生き残ろうと、妹の肉を食べるという選択を取った。度重なる虐待と過酷な現状に、まともな判断ができないほど精神的に追い詰められていたのね」

「で、電気が止められて冷蔵庫が使えなかったから、すぐにその妹の肉も腐ってしまい、ついに限界が訪れ、交番に向かったんですね」

 と、駒場が得心した様子で言った。その彼女の言葉に頷く茅野。

「……それも、あるでしょうけれど、そもそも、少年は気がついたそうよ」

「何に?」

 桜井が聞き返し、茅野は答えを述べる。

「……これだけ、ずっと長い間、母親が帰ってこないという事は、もしかしたら母親も妹と同じく、どこかで死んでしまったのかもしれないって」

「酷い仕打ちを受けても、お母さんの事を信じて、心配していたんだね」

 桜井が憐憫れんびんの場を情を込めて言う。そして、駒場が、ほっとした様子で言った。

「……でも、それで、その少年はようやく保護された訳ですよね」

「そうね。ただ、当時のマスコミが“妹を食べた”という部分だけをセンセーショナルに取りあげて報道してしまった。一九九八年といえば、前年に起こった神戸児童殺傷事件の記憶も冷めやらぬときだったから、この少年も異常者のレッテルを張られる事となった。結果、この一件は“十四歳の少年が起こした事件”として、悪い意味で世間の注目を集めてしまったの」

 そこで、茅野は桜井が持っていた写真を手に取る。

「……そんな中、この写真が、ある週刊誌に掲載された」

 すると、そこで、いつの間にか室内に戻ってきていた土井が苦々しげに言う。

「今回の件は、完全にお蔵入りね」

「……咲耶さん」

 と、駒場。

「……でも、この前の生配信で“次の動画はとっておきのネタをやる”って、咲耶さん言っちゃってますけど」

「私は良識派のYoutuber。こんな闇深いネタをやるつもりはないわ。別な企画を考えるしかない」

 と、言ったあと、カメラなどがセットしてある配信ブースの方に目線を移して、彼女は言った。

「ところで、陽輝はどこに行ったのかしら?」

 桜井と茅野は顔を見合せたのちに首を横に振り、駒場は不安げに顔をしかめた。

 その瞬間、どこからか男の気狂い染みた笑い声が聞こえた。




 陽輝こと山添春樹は床に腰を落とし、部屋の中央にあった調理台の側面に背をもたれ、虚ろな眼差しで床に投げ出した自分の足を見つめていた。

 喉が渇き、何気ない気持ちで開けた冷蔵庫。

 その中身を知ってしまった彼は、すべてを悟ってしまった。

 それから彼は、吐き出すものが少しも残されていない胃袋を蠕動ぜんどうさせ、獣のように嘔吐えずきまくり、ようやく落ち着いたところだった。

「……いひ」

 ここ数日間に及ぶ過酷な配信と衝撃の真実を知った事により、彼の精神は崩壊寸前まで追いつめられていた。

「……いひひひひ」

 山添は迫り来る狂気にせっつかれて閃く。


これも・・・なかった事に・・・・・・すればいいんだ・・・・・・・


 山添は狂ったように笑いながら顔をあげて、ゆっくりと立ちあがる。

 彼の瞳には壁際の冷蔵庫が映しだされている。

 その扉は開け放たれたままで、中には井筒朔美の肉・・・・・・がいっぱいに詰め込まれていた。

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