【01】女子中学生失踪


 つつがなく二〇二〇年の二学期が始まり、最初の日曜日であった。

 桜井梨沙と茅野循の二人は、朝から銀のミラジーノに乗り込み、県央の海沿いから少し外れた平野部を目指していた。

 その長い一本道の両脇には黄金色の田園風景が広がり、遠くには茶けた町並みと、連なる山々がうかがえた。

 空は青く、その中央に鎮座する太陽が、夏の終わりを忘れてしまったかのように輝いている。

 そんな灼熱の炎天下、二人の目的といえば、当然ながら心霊スポット探訪である。

「……それで、今回はどんなスポットなの?」

 と、ハンドルを握る桜井が、おもむろに質問を発した。すると、茅野が助手席で、たっぷりと甘くしたコンビニのアイス珈琲をドリンクホルダーに置いて語り始める。

「今回は“道化師の館”と呼ばれるスポットよ。最近、県内のオカルト系オープンチャットで有名になり始めたスポットで、少女のすすり泣く声や、道化師の格好をした霊が楽しめるそうよ」

 そこで桜井が、ひゅう……と、口笛を鳴らす。

「大抵の道化師キャラは強いからね。殴りごたえがありそうだよ」

 のっけからる気満々である。

 そんな頼れる友の士気の高さに、茅野は満足げな笑みを見せると、くだんのスポットについての解説を続けた。

「……ただ、道化師の霊の目撃例に関しては、オープンチャットの書き込みのみだけで、信憑性に欠けると言わざるを得ないわ」

「なあんだ……」

 と、しょんぼりする桜井であったが、すぐに切り替えた様子で質問を続ける。

「でも、循が目をつけるぐらいだから、やっぱり、それなりにヤバめのスポットなんでしょ?」

「そうね……」

 と、得意気に微笑みながら首肯する茅野であった。

「……その道化師の館と呼ばれるスポットには、四人家族が暮らしていたのだけれど、そのうち三人が死亡していて、一人が行方不明になっているらしいわ」

「その行方不明っていうのが気になるよね」

「そうね。行方不明になったのは中学二年の女の子よ。今から五年前の事で、季節もちょうど今ぐらいの時期だったらしいわ。そして、同時期にその子の兄が庭木で首を吊って自殺している。更にさかのぼる事、三年前……二〇一二年に、兄妹の母親が通り魔に襲われて死亡した。犯人はまだ捕まっていないそうよ。そして、二〇〇九年に父親が旅行先で転落死している」

「うーん……」

 と、桜井がフロントガラスの前方を見据えたまま、難しい顔で唸り声をあげた。

「……一見すると、バラバラの事案に思えるけど、一つの家族を襲った不幸と言うには、ちょっとキャパオーバーな感じだね」

「そうね。流石に偶然とは思えないわ」

「……でもさ。どこから道化師云々っていう話が出てきたの? 嘘にしろ、元ネタがあってもよさそうだと思うけど」

 その桜井の疑問に、茅野はアイス珈琲のストローに口をつけてから答える。

まず・・、二〇一五年に自殺した長男なのだけれど、発見されたとき、道化師の格好をしていたようよ」

「それでか……」

 納得した様子の桜井。そこで茅野は悪魔のように微笑みながら、人差し指を一本立てる。

「それから、もう一つ……」

「もう一つ?」

「ええ。母親が通り魔に刺されたとき、当時十一歳の妹も現場に居合わせたのだけれど、後に彼女は警察の取り調べに、こう答えたそうよ」

「なになに……」


「“ピエロの格好をした・・・・・・・・・人が・・お母さんを・・・・・殺した・・・”って」




 自宅から四十分ほど歩いた場所に、その家はあった。

 古びた瓦屋根がひしめく住宅街より、少し外れた田園地帯を突っ切る一本道の入り口の左側。

 蔦に覆いつくされた高い塀に囲まれている。

 かつては庭木の隙間からうかがえた、縦に長い洋窓は一つも見えない。

 鉄格子の門扉は、すべて真っ赤な錆び色に染めあげられ、その向こう側に延びたセメントの小道は、両脇からはみ出た雑草によって完全に埋もれていた。

 更に先にある庇の奥の暗がりに佇む、重々しい玄関扉を見つめながら、實田郡司さねたぐんじは、かつての同級生だった辺見和華の事を思い出す。

 どこか達観したような物腰。大人びていて、冷たい……それでいて、年相応の少女の魅力を兼ね備えた不思議な眼差し。

 そして、彼女の唇から紡がれる言葉のすべてが、新鮮で、それでいて懐かしく、まるで魔法の呪文のように胸の奥を締めつけた。

「和華……」

 などと、下の名前で呼んだ事など一度もなかった。しかし、心の中ではいつもそう呼んでいた。

 中学生だった当時、實田は辺見和華という存在に心惹かれ、今でもその思いを忘れていなかった。

 彼女が失踪して、打ち明ける事のなかった思いを抱えたまま中学を卒業し、脱け殻のように平凡な高校生として過ごした。

 それから、何の目標もないまま挑んだ大学受験に失敗したのをきっかけに、部屋に閉じ籠るようになった。

 それ以来、彼の時間は、未だに止まったままだった。

 あの辺見和華と共有したわずかな時間。

 それだけが、生きながらに死んでいる實田の胸中で、今も黄金色に輝いていた。

「和華……」

 辺見邸――道化師の館などと呼ばれる、その廃屋の玄関に向かって實田は語りかける。

「……君は、そこにいるのか?」

 ネットでの噂によれば、この場所で少女の啜り泣く声を聞いた者がいるのだという。

 真偽のほどは解らない。

 しかし、實田は直感していた。彼女の魂は、ここにあるのだと……。

 實田は気分を落ち着かせようと、ゆっくり息を吐き出した。

 そして、赤錆にまみれた門扉を押し開けて、辺見邸の玄関へと向かう。

 もう一度、未だに恋い焦がれ続けている彼女に会うために……。

 

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