【13】後日譚


 二〇二〇年八月二十八日の昼過ぎ。冷房の効いた茅野邸リビングにて。

『……あの家の元々の持ち主だった羽村夫妻は天傀教の関係者だったらしいわ』

 と、ローテーブルの上に置いたスマホから聞こえてくるのは篠原刑事の声であった。

 その彼女の言葉に疑問をていする桜井。

「てんかい……きょう……?」

 すると、茅野が解説を始める。

「元々は十三世紀から十四世紀頃まで存在した密教集団“内三部ないさんぶ経流きょうりゅう”の流れを汲む、呪術の実践と研鑽けんさんを目的とした団体ね。大正初期から相模湾岸周辺を拠点に活動していたらしいのだけれど一九二三年に起こった関東大震災の際に、当時の教団代表であった物部天獄が行方不明になった事で解散したっていう話だけれど……」

『よく知っているわね。ただ、今でも物部を崇拝する者や、その技術体系を受け継ぐ者は全国にいるわ。教団というていを成していないだけで……』

「そのもののべ何とかさんの信者が、あの家の元住人だったって事なんだね?」と桜井。その言葉を篠原が肯定する。

『その通りよ』

 すると、茅野が更に物部天獄について言及する。

「……その物部天獄が、あの関東大震災を引き起こしたとかいう都市伝説もあるらしいのだけれど。“リョウメンスクナ”という有名なネット怪談があって……」

「ふうん」

 と、桜井が気のない相づちを打ったところで、篠原は少し喋り過ぎた事に気がつき後悔する。慌てて話を逸らしに掛かった。

『兎も角、あの家の話に戻るけど、その羽村夫妻は、そういった呪術に長けた人物だったの。それで、何らかの目的を持って、恐ろしい悪霊を召喚した』

 そこで、茅野は篠原の態度に対して一瞬だけ怪訝けげんな顔になるも、特に突っ込むような事はせずに「それで……?」と話の続きを促した。

 篠原は、これ幸いにと何気ない調子を装って話を続ける。

『たぶんだけど、羽村信太から借金の取り立てを行っていた暴力団関係者を呪おうとしたのね。でも、呼び出した悪霊の力が強過ぎて、反対に自分たちが取り憑かれてしまった。どうにか、あの家に縛りつける事はできたみたいだけど……』

「けっきょく、悪霊に負けちゃったと……」

 その桜井の言葉は“トランプに負けちゃった”くらいの気安いものだった。

 苦笑を漏らす篠原。

『まあ、そうね。あの家の除霊を担当する事になった“狐狩り”によれば、本当に厄介な悪霊で、かなりレベルの高い精神攻撃を行ってくるらしいわ。現にあの家に入った霊能力を持たない警官が何人か錯乱状態にされてしまって……まだ大事には到っていないけど』

 そこで、桜井と茅野が「あー……」と同時に声をあげた。

『……あなたたちは大丈夫? 何ともなかったのかしら?』

「いや、あたしたちも、精神攻撃を食らった

よ。かなり・・・やばいやつ・・・・・

 桜井の言葉に茅野は同意して頷く。

あれは・・・今までの・・・・心霊スポット・・・・・・の中でも・・・・一番ヤバかったわ・・・・・・・・

『そんなに……』

 二人の経験と実力をなんやかんやで認めている篠原にとって、この言葉はかなりの衝撃をもたらしたようだった。

「……流石にこれはないと思ったよ」

「……あれで、すぐに家から出たわ」

 ごくり……と、篠原が喉を鳴らす音が聞こえた。

『怖いもの知らずのあなたたちがそこまで言うなら余程なのね……』

「ええ。貴女も気をつけて」

 茅野は鹿爪らしく言う。

 この通話の最後まで、篠原は二人との間にある微妙な認識の齟齬そごに気がつく事はなかった。




 ところ変わって戸田宅。

 その如何いかにも小学生らしい部屋の中央に置かれたローテーブルの上には、チョコやビスケットなどのおやつと水滴をまとったオレンジジュースのグラスが置かれていた。

「……何か、お義父さんとお母さんとおばあちゃんが色々と話をしてたけど、あんまり教えてくれなかった」

 と、しょんぼりした様子で報告するのは松本姫子であった。

 楪はストローでオレンジジュースをすすったあとで「そっかー」と残念そうに言った。

 すると、松本が更に暗い表情で胸のうちにつかえていた心情を吐露とろしだす。

「私が悪いのかな……あの家に行ったから……あの変な女の人が怒って、お家にやってきて、お母さんの事を襲おうとしたのかな?」

「うーん……」

 と、楪は考え込む。けっきょく、あの女が何なのか解らない限り、どうとも言えなかった。しかし、一つだけはっきりしているのは……。

「……もう、廃墟に行くのやめよ? 今度から」

「うん。そうだね」

 松本が苦笑しながら同意する。

「……きっと、やっぱり、私たちにはまだ早いと思う。本格的なのは」

「法律違反だって言ってたしね。刑事さんも……」

「それに、廃墟とかじゃなくても、幽霊の出るところはあるし」

 その楪の言葉に大きく頷いて同意する松本。

「あー、そうだよね!」

「今度は、そういうところに行こうよ。やっぱり、法律違反はよくないし、廃墟とかは私たちがプロになってからにしようよ」

「そうだね! ゆずちゃん」

 どうやら、まったく懲りないところは先輩の藤女子オカ研譲りのようだった。

「それと、次も宮野くんに声をかけようよ」

 その楪の言葉に松本は首肯を返す。

「うん。やっぱり、宮野くんってけっこう頼りになる感じだったし。男子って感じで……」

「そうだよね! あの女の刑事さんに言い返してて、凄かった」

 そう言って楪は無邪気に笑った。 

 こうして、宮野颯天の受難もまだまだ続く事となった。





(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る